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追放皇女の異世界戦記  作者: 浅井川亘


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第二幕 第五十六話:深淵の観察者と、迫り来る影の胎動

光すら届かない、銀河の果ての暗黒星域。

かつてエターニアの王であったグレイスを跡形もなく消し去った巨大な『眼球』のような構造物は、虚空に不気味な瞬きを繰り返していた。

その圧倒的で異質な存在の前に、数隻の漆黒の宇宙船が静かに停泊している。

帝国のレーダーにも、いかなる星間国家のデータベースにも登録されていない、完全な未確認艦隊。その旗艦のブリッジでは、灰色のローブを深く被った男が、巨大な眼球に向けて恭しく傅いていた。

『——「第74番目のテストケース」は、完全に失敗に終わった。異世界からの魂(転生者)に過剰な力を与え、急速な軍事進化を促す計画は、被験者の精神的脆弱性により自滅という結果を迎えた』

眼球から放たれる、機械的で冷酷な思念波。

それがブリッジの空間そのものを震わせる。

「申し訳ございません、『管理者アドミニストレータ』様。我々、暗躍組織『黎明のアームズ』の監視と誘導が至らなかったばかりに。……まさか、あのような短期間で彼らが崩壊するとは」

ローブの男——組織の長である男は、冷や汗を流しながら深く頭を下げた。

彼ら『黎明の腕』は、この宇宙の表舞台には決して姿を現さない影の組織である。

『管理者』と呼ばれる高次元の存在から与えられた未知の技術を操り、裏から星々の歴史を操作し、転生者たちに異能を与えることで、この宇宙全体の「進化の限界点」を観察する役割を担っていた。

『貴様らを責めてはいない。被験者の行動パターンもまた、観察データの一部に過ぎない。……だが、今回の実験において、一つだけ「想定外の事象」が確認された』

眼球の網膜に相当する部分に、一人の少女の姿がホログラムとして投影される。

長くふわふわの金髪に、真紅の瞳。

漆黒の堕天使を駆り、数万の軍勢を単機で蹂躙した、エーベルヴァイン帝国の皇妹・ローゼリアの姿であった。

『ローゼリア・エーベルヴァイン。この個体の魂の波長は、我々が意図的に召喚した転生者のそれとは完全に異なっている。……彼女は、我々のシステムを通さずにこの宇宙に紛れ込んだ、特異点だ』

「特異点……。では、あの少女が、我々の箱庭の理を乱していると?」

『いかにも。このまま放置すれば、我々の「大いなる観察計画」そのものに影響を及ぼす可能性がある。……だが、即座に排除するのは得策ではない。あの特異点の力と背景を、より深く観察する必要がある』

管理者の思念波が、静かに、しかし絶対的な命令として下される。

『黎明の腕よ。エーベルヴァイン帝国への直接的な干渉は避けよ。奴らの警戒を引き起こすことなく、特異点の周辺環境を密かに探り、彼女を孤立させるための「盤面」を構築しろ。……これは次なる実験のための、重要な準備段階である』

「承知いたしました。……まずは周辺の独立星系や、帝国の暗部に潜む不満分子を密かに扇動し、少しずつ外堀を埋めていく工作を開始します」

『良いだろう。我々の箱庭を乱す者に、深淵の恐ろしさを教える準備を整えよ』

通信が途絶え、巨大な眼球は再び暗黒の宇宙へと溶け込むように姿を消した。

後に残された組織の長は、畏怖に震える己の手を見つめ、やがて昏い決意と共に立ち上がった。

「……管理者様の御心のままに。これより、特異点ローゼリアに対する『極秘の包囲網』の構築を開始する。……誰にも気づかれることなく、ゆっくりと真綿で首を絞めるようにな」

銀河の裏側で、かつてない純粋な「悪意」が、死神の足元を密かに蝕むべく暗躍の準備を始めていた。

帝都アエテルガルド、皇宮の深部。

ローゼリア専用の広大な私室では、今日も今日とて平和で怠惰な時間が流れていた。

「……よし、このまま素材を集めれば、今日中には新しい装備が完成しそうじゃな。リアンヌ、右側から回り込んでくる敵の注意を引いてくれ!」

「はっ! お任せを、ローゼリア。この身に代えても、敵の攻撃はすべて私が引き受けます!」

巨大なホログラムモニターの前で、ローゼリアとリアンヌが並んでコントローラーを握っている。

休日の午後。戦乙女としての任務もなく、お姫様としての面倒な式典もないこの時間は、ローゼリアにとって何よりも尊い至福のひとときであった。

そこへ、部屋の重厚な扉がノックもなしに静かに開いた。

「——失礼します。皇族の居住区画における、保安および環境設備の公式視察に参りました」

氷のように冷たく、威厳に満ちた声。

豪華な漆黒のドレスに身を包んだ、金髪黒眼の美しき女帝フェイトが、数人の近衛兵と侍女を外に待たせたまま、一人で堂々と部屋に入ってきた。

「(……また来たか。公式視察という名の、ただの様子見が)」

ローゼリアは画面から目を離さずに、内心で盛大なツッコミを入れた。

フェイトは皇帝としての威厳を重んじており、周囲に対しては「私は常に公務に忠実な冷徹な君主である」という態度を崩さない。極度のシスコンであることをひた隠しにしているつもりらしいのだが、その不自然すぎる頻度の視察と、ローゼリアを見る時のとろけそうな視線は、皇宮の誰もが知る公然の秘密であった。

「ご苦労様です、姉上。部屋の温度も湿度も、全く問題ありませんぞ」

ローゼリアが適当に返事をすると、フェイトはコホンと一つ咳払いをした。

「……環境は問題ないようですが、皇族たるもの、栄養管理も国家の重大な責務です。貴女が遊戯に熱中するあまり、適切な糖分補給を怠っていないか、私が直接確認する必要があります」

そう言って、フェイトは背手に隠し持っていた美しい銀のトレイを、ローゼリアの目の前のテーブルにそっと置いた。

そこには、帝都で一番のパティシエに焼かせたであろう、宝石のように輝くフルーツタルトと、淹れたての最高級ダージリンティーが乗っていた。

「……姉上。栄養管理という名目で、毎日こんな特上のケーキを持ってきていたら、妾はすぐに太ってしまうわい」

ローゼリアがジト目で姉を見上げる。

「問題ありません」フェイトは一切の表情を崩さずに、しかし断固たる声で言い切った。

「万が一貴女の体重が少し増えたとしても、それは貴女の愛らしさが増加したというだけの事象に過ぎません。帝国の威信には何ら影響を及ぼさないと、皇帝である私が保証します」

「(……皇帝の保証をそんなことに使うなと言いたいんじゃが)」

「さあ、私の手から食べさせてあげますから、口を開けなさい」

「自分で食べられると言っておるじゃろ!」

威厳ある表情のままフォークを突き出してくるフェイトと、少し顔を赤くして抵抗するローゼリア。

その微笑ましいやり取りの横で、リアンヌは「なんと美しき姉妹愛……!」と一人で感動の涙を拭っていた。

平和な午後。このまま甘いタルトを食べて、穏やかに一日が終わる。誰もがそう思っていた。

ピピッ、ピピピッ……!!

突如として、部屋の隅のソファで休んでいたアルティナのタブレットが、控えめな、しかし緊急性の高いアラートを鳴らし始めた。

「……ん? ローゼリア、ちょっといいかしら」

アルティナが、金髪を揺らして真剣な表情で立ち上がる。その紫色の瞳には、ただ事ではない緊張感が走っていた。

「どうした、アルティナ。何かの異常か?」

ローゼリアはコントローラーを置き、フェイトも皇帝としての鋭い眼差しに切り替わった。

「……表立った攻撃じゃないわ。でも、団長からエインヘリアルのブリッジに呼び出しよ。どうやら、エターニアが滅んだあの『暗礁宙域オメガ』で、奇妙な動きがあったみたい」

三十分後。

軌道上に停泊する戦乙女の母艦『エインヘリアル』のブリッジ。

ローゼリア、リアンヌ、アルティナの三人は、艦長席に座るブリュンヒルデと共に、メインモニターに映し出された探査データを睨みつけていた。

「……これが、帝国軍の無人偵察機が捉えた、暗礁宙域の現在の映像だ」

ブリュンヒルデが重い口を開く。

モニターに映っているのは、破壊された機動要塞ジェネシスの残骸と、機能停止した無数のドローンが漂うデブリ帯だ。

しかし、その映像の一部をアルティナが拡大すると、奇妙な現象が起きていた。

「見て、ローゼリア。……所属不明の小型ステルス無人機が数十機、デブリの合間を縫うようにして活動しているわ。彼らの目的は、エターニアのメインサーバーの残骸や、機体のブラックボックスを物理的に『回収』……いや、『焼却(データ消去)』することよ」

「証拠隠滅、ということか?」

ローゼリアが腕を組んで尋ねる。

「ええ。しかもその手口が異常に洗練されているの。帝国軍の索敵網を完全にすり抜けるステルス性能。そして、私が遠隔でハッキングを仕掛けようとした瞬間、侵入を検知した無人機は自らのデータコアを物理的に溶解させて自爆したわ。……こちらに一切の痕跡を残さないための、徹底した防衛プロトコルよ」

「エターニアの残党の仕業ではないのだな?」

ブリュンヒルデが念を押す。

「間違いないわ。エターニアの連中が持っていた技術体系とは全くの別物。……もっと高次元で、恐ろしく冷徹な『プロ』の仕事よ」

アルティナが、タブレットを抱きしめながら身震いした。

ブリッジに重苦しい沈黙が下りる。

エターニアという国は、確かに滅びた。しかし、彼らにあの未知の技術を与え、裏で糸を引いていた『本当の黒幕』が存在し、そして今、自分たちの繋がりを示す証拠を隠滅するために静かに動いているのだ。

「……フェイト陛下にも、この件は報告済みだ」

ブリュンヒルデが、静かに告げた。

「帝国情報部は、周辺の星系や辺境宙域で、不審な資金の流れや傭兵団の動きが活発化している兆候を掴み始めている。……敵は姿を見せないまま、確実に我々の周囲に『見えない網』を張り巡らそうとしている」

「正面から挑んでこず、裏から外堀を埋めてくるか。……厄介な手合いじゃな」

ローゼリアは、真紅の瞳を細めた。

「どうしますか、ローゼリア。敵の姿が見えない以上、こちらから打って出ることもできませんが……」

リアンヌが、不安げに主の顔を見る。

だが、ローゼリアの口元には、微かな、しかし不敵な笑みが浮かんでいた。

「案ずることはない。相手が息を潜めて盤面を整えるというのなら、こちらも迎撃の準備を整えるまでじゃ」

ローゼリアは、大きく背伸びをすると、ブリッジの窓の外に広がる帝都の美しい星明かりを見つめた。

「エターニアの後ろ盾であったその暗躍組織……奴らは確かに慎重じゃ。だが、いつかは必ず牙を剥く。妾という不確定要素イレギュラーを排除するためにな」

「……あいつらが動くまで、待つっていうの?」

アルティナが尋ねる。

「ああ。焦って闇雲に動けば、それこそ奴らの罠に嵌るだけじゃ。……今は、ルシフェルと戦乙女の牙を研ぎ澄まし、来るべき時に備えるのが最善。それに、姉上の帝国情報網を舐めてはいかんぞ。あのシスコン……いや、皇帝陛下の執念は、星の裏側に隠れたネズミでさえ必ず見つけ出すじゃろうからな」

その言葉に、ブリュンヒルデたちもふっと肩の力を抜いて頷いた。

「そうだな。我々は傭兵だ。敵が姿を現したその時に、最高の仕事をするための準備を怠らないこと。それが戦乙女の流儀だ」

「はっ! いかなる影が忍び寄ろうとも、このリアンヌ・ブランが我が主の盾となりましょう!」

「私も、エインヘリアルの索敵システムを徹底的に強化しておくわ。二度と私の目を誤魔化せると思わないことね」

仲間たちの頼もしい言葉を聞きながら、ローゼリアは密かに闘志を燃やしていた。

「(……裏で糸を引く黒幕、か。ゲームのシナリオとしては王道の展開じゃな。だが、妾の平穏な日常を脅かす気なら、容赦はせんぞ)」

銀河の裏側で静かに胎動する未知の暗躍組織と、それを見据え、鋭く牙を研ぐ銀河最強の死神。

表向きの平和を取り戻したエーベルヴァイン帝国の水面下で、新たなる影の戦いの幕が、静かに、そして確実に上がろうとしていた。

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