第二幕 第五十五話:帝都への凱旋と、隠しきれない女帝の愛情
超大型機動要塞『ジェネシス』の崩壊と、エターニア軍の事実上の無条件降伏。
新興国が企てたエーベルヴァイン帝国への叛逆は、皇帝フェイトの圧倒的な武力介入と、傭兵団『戦乙女』の精鋭たちによる前代未聞のシステム・ハイジャックによって、わずか数日のうちに完全に鎮圧された。
主を失い、完全に制圧された暗礁宙域『セクター・オメガ』の事後処理を帝国軍の先遣艦隊に任せ、皇帝の座乗艦である超弩級戦艦アヴァロンと、直掩を務めた戦乙女の母艦エインヘリアルは、堂々たる凱旋の途についていた。
……数日後。
銀河の中心に位置する、エーベルヴァイン帝国の首都星『アエテルガルド』。
美しい青と緑の輝きを放つ惑星の軌道上には、数え切れないほどの防衛衛星と、白亜の巨大な宇宙港が幾何学的な美しさを伴って展開している。
戦勝の報せはすでに帝都全土に届いており、宇宙港の周辺では数多の民間船が祝砲代わりの光のパレードを行い、凱旋するアヴァロンとエインヘリアルを大熱狂で出迎えていた。
「……ううっ。なんじゃこの騒ぎは。目がチカチカするわい」
エインヘリアルのVIP用待機室。
ローゼリアは、窓の外で繰り広げられる煌びやかな歓迎ムードを薄目で睨みながら、ひどく恨めしそうな声を出した。
その姿は、いつもの着慣れたダボダボのジャージではない。
長いふわふわの金髪は専属の侍女たちによって数時間がかりで複雑かつ芸術的に編み込まれ、真珠とダイヤモンドが散りばめられたティアラが乗せられている。華奢な身体を包むのは、帝国の皇妹としての威厳を示す、純白と金糸で織り上げられた最高級の正装ドレスであった。
「(……息が……息が詰まる! コルセットが妾の臓器を圧迫してきおる! なんで過酷な戦いを終えた後に、こんな苦行を強いられねばならんのじゃ!)」
ローゼリアは赤い瞳を涙目にさせながら、どうにかしてこの拷問器具から逃れられないかと周囲を見回した。
「諦めてください、ローゼリア。本日は皇帝陛下への正式な戦勝報告と、帝都の民へのお披露目があるのです。ジャージ姿で皇宮のバルコニーに立つなど、帝国の歴史に泥を塗る行為ですよ」
呆れたように溜息をつきながら、純白の近衛騎士の礼服に身を包んだリアンヌが、ローゼリアの背筋をピンと伸ばすように手で支える。
先日の激戦でボロボロになった機体『ブラン』は現在ドックでオーバーホール中だが、リアンヌ自身の忠誠心と「ローゼリアを完璧な皇妹としてエスコートする」という使命感は、通常時の三倍増しで燃え上がっていた。
「そうよ、ローゼリア。今回の作戦の最大の功労者は私たちなんだから、胸張ってレッドカーペットを歩かないと。……まあ、私は裏方だから、適当に後ろの方で手を振ってるだけでいいんだけどね〜」
金髪に紫色の瞳を輝かせながら、アルティナがくすくすと笑う。彼女も一応は式典用の軍服を着ているが、ローゼリアの重装備に比べれば遥かに身軽であった。
「お主ら、他人事だと思って……! このピンヒールの恐ろしさを知らんからそんなことが言えるんじゃ! 立っているだけで足が悲鳴を上げておるんじゃぞ!」
「大丈夫です。万が一の時は、私が即座に風の魔力でローゼリアの体重をゼロにし、物理的にお支えいたしますから」
「だからそれが恥ずかしいと言っておるんじゃ!!」
そんなやり取りをしている間に、エインヘリアルは帝都のメインドックへと接舷した。
扉が開き、胃薬の瓶を真新しいものに持ち替えたブリュンヒルデ団長を先頭に、戦乙女の面々がレッドカーペットへと足を踏み出す。
大歓声とフラッシュの嵐。
ローゼリアは、内面の文句を完璧に押し殺し、顔に「深窓の美しき令嬢」の微笑みを張り付けた。リアンヌの腕にそっと手を添え、優雅に、そして絶対に転ばないように、全神経を足元に集中させて皇宮へと続くパレードカーに乗り込んだのである。
皇宮の最奥部に位置する、皇帝のプライベート区画。
公式の戦勝報告会という名の退屈な式典をどうにかやり過ごしたローゼリアと戦乙女の面々は、フェイト女帝の招きにより、この絶対的な聖域へと足を踏み入れていた。
「ご苦労だったな、ブリュンヒルデ。今回のエターニアの件、貴官ら『戦乙女』の働きは見事であった」
玉座の間に置かれた巨大な円卓。
上座に座る金髪黒眼の女帝フェイトは、氷のように冷たく、しかし威厳に満ちた声で労いの言葉をかけた。その姿は、銀河を統べる絶対君主そのものである。
「はっ。勿体無きお言葉、皇帝陛下。……すべては、陛下の大規模な陽動と、ローゼリア殿下をはじめとする精鋭たちの力によるものです」
ブリュンヒルデが、緊張した面持ちで深く首を垂れる。
「謙遜は不要です。帝国軍の被害を最小限に抑え、あのふざけた要塞を破壊できたのは、貴女たちの柔軟な対応力と隠密部隊としての練度があったからこそ。……この功績に対する報酬は、ギルドの規定の『十倍』を帝室の金庫から支払うよう、すでに手配してあります」
「じゅ、十倍、ですかっ!?」
あまりの破格の額に、ブリュンヒルデの目が見開かれ、リアンヌやアルティナ、他の戦乙女たちも思わず息を呑んだ。
「ええ。貴女たちは、それだけ価値のある仕事をしたのです。……さて」
フェイトは、そこで言葉を切り、円卓の周囲に控えていた近衛兵や文官たちに向かって、扇子を軽く振った。
「公式な報告はこれで終わりです。皆の者、人払いなさい」
「はっ!」
近衛兵たちが一斉に敬礼し、音もなく部屋から退出していく。重厚な扉が閉まり、部屋の中にはフェイトと、ローゼリア、そして戦乙女の面々だけが残された。
ガチャリ、と扉の鍵が閉まった音がした。
その直後、フェイトはゆっくりと玉座から立ち上がった。その表情は依然として皇帝としての威厳を保ったままであったが、彼女の足取りは、真っ直ぐにローゼリアへと向かっていた。
「……ローゼリア」
フェイトは、ローゼリアの前に立つと、スッと優雅に手を伸ばし、その両頬をそっと包み込んだ。声はあくまで静かで落ち着いている。
「怪我はないと報告は受けていますが……本当に、その美しい金髪の一本すら痛んではいませんね? 虫ケラどもの汚らしい気配も移っていませんね?」
「あ、姉上。近すぎる……それに、少し抱きしめる力が強いんじゃが」
ローゼリアの抗議など聞こえていないかのように、フェイトはローゼリアの頭から足先まで、獲物を検分するような鋭い、それでいて極度に熱を帯びた視線で舐め回すように確認し始めた。
「……ええ、無事で何よりです。もし貴女の身に何かあれば、あの宙域を恒星ごと焼き尽くすところでしたよ」
フェイトは、微塵も表情を崩さずに、恐ろしい言葉を極めて自然なトーンで言い放った。
表向きは完璧な威厳を保とうとしているフェイトだが、ローゼリアを抱きしめる腕の力と、その黒曜石の瞳から漏れ出す執着じみた愛情は、周囲の誰の目にも明らかであった。
「(……威厳を取り繕っているつもりだろうが、愛情が完全に漏れ出しているぞ……)」
ブリュンヒルデは、内心で盛大にツッコミを入れながら胃薬を噛み砕いた。
「(相変わらず、フェイト陛下のローゼリアへの執着は隠しきれてないわね。ダダ漏れじゃない)」
アルティナも、紫色の瞳を瞬かせながら小声で呟く。
「姉上、苦しい。もう十分じゃろう」
「おや、そうでしたか? 姉として、妹の無事を労うのは当然の務めですからね」
フェイトはそう言いながらも、さらに数秒間しっかりとローゼリアを堪能してから、ようやく名残惜しそうに腕を離した。
「さあ、こんな堅苦しいドレスはさっさと着替えてしまいなさい。一緒にケーキを食べましょう。今日は帝都で一番のパティシエに、最高級のイチゴを山のように使った特大のショートケーキを焼かせたのですよ」
フェイトが扇子で合図をすると、奥の隠し扉から、三段重ねの巨大なショートケーキと、最高級の紅茶のセットが自動カートで運ばれてきた。
「おおっ! ケーキ! 待っておったぞ!」
ケーキを見た途端、ローゼリアの真紅の瞳が輝きを取り戻した。彼女は素早く(リアンヌのサポートを受けながら)ドレスの拘束具のような装飾を外し、持参していたダボダボのジャージに着替えて、円卓の椅子に深く沈み込んだ。
「はぁ〜……やっぱりこれじゃな。ショートケーキ最高じゃ」
姉妹のティータイムが始まり、ブリュンヒルデたちもフェイトに勧められてケーキのおすそ分けを頂くことになった。
「ところで、姉上」
ショートケーキを頬張りながら、ローゼリアはふと真剣な顔つきに戻り、フェイトを見た。
「あのエターニアの王……グレイスとかいう男じゃが。最後の爆発の直前、脱出ポッドで逃げおおせたようじゃ。……探しておるのか?」
ローゼリアの問いに、フェイトは紅茶のカップを優雅に傾け、冷たい黒眼を細めた。
「ええ。帝国情報部と近衛艦隊の索敵網をフルに稼働させ、あの暗礁宙域のチリ一つ残さず探させています。……私の大切な妹に不遜な真似をした虫ケラを、のうのうと逃がすはずがありません」
フェイトの声のトーンが、再び「帝国の覇王」のそれへと戻る。
「だが、おかしなことに……脱出ポッドの軌道も、空間跳躍の痕跡も、一切見つかっていないのです」
「見つかっておらん?」
「ええ。まるで、宇宙空間から『文字通り消滅した』かのように。……エターニアの残党を尋問しても、彼らの持つ異能の中に、あのような神隠しじみた移動を行える者は一人もいないという報告が上がっています」
ブリュンヒルデが、深刻な顔で口を挟んだ。
「……第三者の介入、ということでしょうか。エターニアにあの物質創造の能力を与え、裏で糸を引いていた別の組織が、敗北したグレイスを回収した、と?」
フェイトは、静かに頷いた。
「その可能性が高いと見ています。エターニアの急激な技術発展と、あのような規格外の機動要塞の建造。……いかに前世の知識と異能を持っていたとはいえ、彼ら単独で為し得たとは考えにくい。この広い銀河の闇の奥には、まだ我々の知らない『何か』が潜んでいるのでしょう」
「(……ふむ。何やら面倒な裏の事情が絡んでいそうじゃな)」
ローゼリアは、小さく思考を巡らせながらイチゴをフォークで突き刺した。
「ま、何が来ようと関係ないわい。姉上の帝国と、妾の平穏な生活を脅かす敵が現れるなら、そいつらもまとめてルシフェルで叩き切るだけじゃ」
「ふふっ。頼もしいですね、ローゼリア。ですが、無理は禁物ですよ。貴女に万が一のことがあれば、私は本気でこの宇宙のすべてを破壊してしまいますからね」
「冗談に聞こえんからやめるんじゃ、姉上!」
その頃。
帝国の監視網から完全に逃れた、銀河の果て——光すら届かない未知の暗黒星域。
機能を停止し、生命維持装置のバッテリーが切れかかっているエターニアの脱出ポッドの中で、叛逆の王グレイスは、凍りつくような寒さと絶望に震えていた。
「……くそっ。なぜだ。なぜ、俺がこんな目に……」
プラチナブロンドの髪は乱れ、自信に満ちていた顔は見る影もなくやつれ果てている。
彼はすべてを失った。誇っていた五万の軍勢も、絶対無敵の要塞ジェネシスも、そして新世界を統べるという自らの野望も。
「許さん……。エーベルヴァイン帝国。戦乙女。そしてローゼリア……! この命がある限り、俺は必ず這い上がり、お前たちに復讐を——」
その時である。
ポッドの周囲の空間が、グニャリと不気味に歪んだ。
『——惨めなものだな、「第74番目のテストケース」よ』
脳内に直接響く、機械的で、しかし絶対的な上位者の存在を感じさせる冷酷な声。
ポッドの窓の外、暗黒の宇宙空間に、星を飲み込むほどの巨大な『何か』が姿を現した。それは戦艦でも要塞でもなく、まるで巨大な生物の眼球のような、おぞましい形をした構造物であった。
「な、なんだ、お前は……!?」
グレイスが恐怖に目を見開く。
『我々は「管理者」。この退屈な宇宙に、貴様ら「異世界からの魂」をばら撒き、進化の観察を行っている存在だ』
「か、管理者だと……? 待て、まさか、俺たちにあの異能を与えたのは……」
『いかにも。だが、貴様は我々の期待を大きく裏切った。与えられた「無限の力」に溺れ、たかが一国の軍隊の練度とシステムの前に自滅するとはな。……実に浅はかで、つまらない結果だ』
声の主は、微塵の感情も交えずにグレイスを切り捨てた。
「ふ、ふざけるな! 俺はまだ負けていない! 俺の頭脳と力があれば、もう一度……!」
『不要だ。敗北者に次はない。貴様の持つ「物質創造」のアルゴリズムは、我々の「次のプロジェクト」の素材として回収させてもらう』
「や、やめろ……! 寄るな! 俺は王だぞ! エターニアの王——ぎゃああああああああっ!!」
巨大な眼球構造物から放たれた黒い光がポッドを包み込み、グレイスの肉体と魂は、文字通りデータ分解されるかのように消滅した。
後に残されたのは、ただの空箱となったポッドだけ。
『……旧き帝国に、想定外のエラー個体が存在するな。彼女の魂の波長は、我々が蒔いた種とは違う。……興味深い。次なる「観察」の対象は、彼女を中心に行うとしよう』
深淵の存在は、不気味なノイズを残して再び空間の歪みへと消えていった。
銀河の裏側で、新たな、そしてより巨大な悪意が胎動を始めたことを、まだ誰も知らない。
「——っしゃああっ! ボス撃破! なかなか良い品が落ちたわい!」
帝都アエテルガルド、皇宮の一角に設けられたローゼリア専用の私室。
防音設備が完備されたその薄暗い部屋の中で、ローゼリアの歓喜の叫びが響き渡った。
手には最新型のコントローラー。目の前の大型モニターには、大人気のゲームのクリア画面が輝いている。
横のソファでは、アルティナがタブレットを弄りながらあくびをし、リアンヌが甲斐甲斐しくローゼリアの肩を揉んでいた。
「お疲れ様、ローゼリア。相変わらずの熱中ぶりね。現実で五万機のドローンを相手にした直後によくやるわ」
アルティナが呆れたように笑う。
「ふん。現実の戦いなど、このゲームの期間限定イベントに比べれば些末なことじゃ。……ほれ、リアンヌ! 手に入れたこの良質な盾、お主のキャラクターに譲ってやろう。これで前衛の耐久力がさらに上がるぞ!」
「ああっ、勿体無き幸せ! ローゼリアの賜り物、ゲーム内においても我が命に代えて守り抜きます!」
「いや、ゲームなんじゃから別に命を懸ける必要はなかろう……」
ローゼリアは、リアンヌの重すぎる忠誠心に苦笑しながら、冷えた果実水を一気飲みした。
ジャージ姿でコントローラーを握る彼女の姿は、とても数日前に敵の機動要塞を単機で叩き割った銀河最強の死神には見えない。
「(……エターニアの件は片付いた。姉上もご機嫌じゃし、当分は面倒な任務も回ってこんじゃろう)」
ローゼリアは、ふかふかのクッションに背中を預け、長いふわふわの金髪を揺らして大きく伸びをした。
「さあ、次を始めるぞ! アルティナ、お主もサボっておらんで回復役の準備をせい!」
「はいはい、了解よ。……本当に、ローゼリアの体力には恐れ入るわ」
平和な私室に、操作音と少女たちの笑い声が響く。
宇宙の闇に潜む新たな脅威の存在など露知らず。
銀河最強の死神であるローゼリアの至福の日常は、こうして静かに過ぎていくのであった。




