第十八話:消えた攻略本と、現実のヒロイン
『クロスロード』宙域での海賊連合防衛戦から数時間後。
作戦を終えた各傭兵団は、合同で利用している補給ステーションのドックにて、機体のメンテナンスと休息を取っていた。
アイアン・ブルズの区画の片隅。
派手な金と赤の塗装が施されたマギアナイト『エクスカリバー』の足元で、異世界転生者のエースパイロットであるジンは、コンテナの上に座り込んで頭を抱えていた。
「終わった……。俺の最強成り上がりストーリーが……。帝国軍が来ないなら、この先どうやってイベントを進めればいいんだよ。フラグが全部へし折られてるじゃねぇか……」
ブツブツと虚空に向けて恨み言を呟くその姿は、完全に『ゲームの攻略サイトが閉鎖されて進行不能になったプレイヤー』のそれである。
「……いつまで死んだ子の歳を数えるような真似をしておるのじゃ、見苦しい」
凛とした、しかし呆れを含んだ声が降ってきた。
ジンがビクッと肩を跳ね上げて顔を上げると、そこには黒とワインレッドの私服に身を包み、腕を組んで彼を見下ろすローゼリアの姿があった。
「ロ、ローゼリア……姉御」
ジンは力なく項垂れた。アイギス7での怪獣討伐、そして先ほどの海賊戦。彼女の圧倒的な力と、自分の知る『ゲームの歴史』を単騎で物理的にぶっ壊した実績を前に、彼の中のローゼリアへの認識は完全に「逆らってはいけないバケモノ(敬意を込めて)」へと変わっていた。
「姉御はやめろ、寒気がするわ。……お主、いつまで『用意されたシナリオ』などという幻想に縋っておるつもりじゃ」
「だって! 俺にはこの知識しかなかったんだ! システムのチートは通用しないし、未来の出来事すら変わっちまったら、俺なんてもうただのモブ以下じゃないか!」
情けなく叫ぶジンに対し、ローゼリアは長い金髪をふわりと揺らし、冷ややかな、しかしどこか面倒見の良い年上のような(前世の成人男性としての)眼差しを向けた。
「馬鹿者め。ここはゲームではない、現実じゃ。お主が怪我をすれば血が出るし、死ねばそれまで。……だがな、攻略チャートが消え去ったということは、お主は今日からようやく『自分自身の人生』を歩めるようになったということじゃろうが」
「俺自身の……人生……」
「他人が作った道のうえを歩いて、何が最強じゃ。チートも知識も失ったのなら、ここからはお主自身の足で立ち、泥を啜ってでも強くなってみせよ。……それとも、ゲームの筋書き通りでなければ生きられぬほどの腑抜けか、貴様は」
ローゼリアの鋭い叱咤激励に、ジンはハッと息を呑んだ。
彼女の言葉は厳しいが、同時に、絶望して立ち止まっていたジンの背中を強引に蹴り飛ばすような、確かな熱量を持っていた。
(……この人、すげぇ。見た目はこんなに小さくて可愛いのに、中身はとんでもなくデカい……本物の強者だ)
ジンが呆然とローゼリアを見上げていると、そこへトタトタと急ぎ足で駆け寄ってくる足音がした。
「あ、あのっ! ジンさん、お疲れ様です……! これ、冷たいお水と、タオル……」
現れたのは、アイアン・ブルズの整備服を着た、小柄な少女だった。
顔や手は油で汚れているが、その瞳は一生懸命で、ジンに向ける視線には明らかな心配と、隠しきれない『熱』がこもっていた。
「ああ、サンキュ」
しかし、ジンは少女から水を受け取ると、大して顔も見ずに適当に返事をした。
彼にとって、この整備士の少女は「名前のあるヒロイン(SSR)」ではなく、ただの「モブ整備士(NPC)」という認識から抜け出せていないのだ。
(…………こいつ、マジで節穴か?)
ローゼリアは、そのやり取りを見てピクリと眉をひそめた。
少女の瞳の揺れ、ジンに向けられる体温、そして彼から適当にあしらわれて少しだけ寂しそうに伏せられた目線。
誰がどう見ても、この少女はジンに好意を寄せている。ローゼリアの鋭い観察眼(と、リアンヌからの極大感情を日々浴びている経験)からすれば、一目瞭然だった。
「じゃあ、エクスカリバーの装甲チェック、戻りますね……。怪我がなくて、よかったです」
少女がペコリと頭を下げて立ち去ろうとした、その時。
ローゼリアはジンの胸ぐらをガシッと掴み、彼の耳元へと顔を寄せた。
「な、なんだよローゼリア——」
ジンが文句を言おうとした瞬間。
ローゼリアの口から紡がれたのは、この世界の言語ではなく——彼らが前世で使っていた、『日本語』だった。
「——おい、勘違い野郎。いつまで存在しないSSRヒロインを待ってるつもりだ。攻略サイトばっかり見てないで、現実のフラグくらい自力で回収しろ。お前のヒロイン、すぐそばにいるだろ」
「…………ッ!?」
流暢な、そして完全に前世の男のトーンで囁かれた『日本語』に、ジンは雷に打たれたように全身を硬直させた。
目を丸くし、信じられないものを見るようにローゼリアを見つめる。
(に、日本語!? まさかこの人も……転生者!?)
ジンが何かを言いかけるより早く、ローゼリアはパッと彼から離れ、再び尊大な皇女の顔に戻った。
「ふん。妾の言いたいことはそれだけじゃ。精々、後悔のないように生きるのじゃな」
ジンの視線が、ローゼリアから、トボトボと歩き出していた整備士の少女の背中へと移る。
『お前のヒロイン、すぐそばにいるだろ』
その言葉が、ジンの脳内でリフレインした。
ゲームの知識という色眼鏡が外れた今、彼自身の目で見た現実の景色。そこには、自分がチートで無双していようが、絶望して落ち込んでいようが、変わらずにタオルと水を持ってきてくれた、一人の健気な少女の姿があった。
「——あっ、おい! エイミー!」
ジンは、コンテナから弾かれたように立ち上がり、少女の背中を追って走り出した。
「エクスカリバーの調整、俺も手伝う! ……さっきは、その……適当に返事して悪かった!」
「えっ!? じ、ジンさんが整備をですか……!?」
驚きながらも、パァッと嬉しそうに顔を輝かせる少女・エイミーと、照れくさそうに頭を掻くジン。
その様子を遠目から見守りながら、ローゼリアは「やれやれ」と小さく息を吐いた。
(まったく。ゲーム脳のガキの世話まで焼いてしまうとは、俺も丸くなったもんだ。まあ、あいつがリアンヌ様にちょっかいをかける可能性もこれで完全にゼロになったし、一件落着だな!)
ローゼリアが満足げに頷き、エインヘリアルの区画へと戻ろうと踵を返した、その瞬間。
「——随分と、親しげにお話しされていましたね」
背後から、氷点下の冷気を纏った声が降ってきた。
「ひっ!?」
ローゼリアが振り返ると、そこには腕を組み、極上の——しかし目が全く笑っていない——微笑みを浮かべたリアンヌが立っていた。
「り、リアンヌ!? いつからそこに!?」
「彼が項垂れているところに、あなたが声をかけたあたりからでしょうか」
リアンヌは一歩、また一歩とローゼリアとの距離を詰めてくる。
その碧眼には、明確な『嫉妬』の色が渦巻いていた。
「あなたが他人に活を入れるほど心優しいのは知っていますが……。随分と顔を近づけて、耳元で内緒話など。……私には、聞こえない言語で」
「あ、ち、違うんじゃ! あれはただの説教というか、ちょっとした忠告で——」
ドンッ。
ローゼリアの背中が、ドックの壁にぶつかった。
逃げ場を失ったローゼリアの顔の横に、リアンヌの白く美しい手が添えられる。いわゆる『壁ドン』である。
(————ッッッッッ!!!! 近い!! イケメン度がカンストしてる!! 怖いけど好き!!)
ローゼリアの心臓が、早鐘のように打ち鳴らされる。
リアンヌはローゼリアの逃げ場を塞ぐように顔を近づけ、その甘く清潔な吐息がローゼリアの頬を撫でた。
「……私の姫君に気安く触れられるのは、とても不愉快です。たとえそれが、言葉であっても」
リアンヌの指先が、ローゼリアの長い金髪をそっと掬い上げ、唇に寄せる。
「あなたは、私のものですから。……違いますか?」
「ち、違い、ません……っ!」
完全に白旗を上げるローゼリア。
圧倒的なスパダリオーラを前に、尊大な態度は木端微塵に粉砕され、ただ顔を真っ赤にしてコクコクと頷くことしかできない。
「ふふっ。よろしい」
リアンヌは満足そうに微笑むと、壁ドンを解除し、いつもの優しい騎士の顔に戻ってローゼリアの手を引いた。
「さあ、帰りましょうか。私たちの『家』へ。今日の夕食は、あなたの好きなハンバーグにしましたよ」
「う、うむ! 帰るぞ!!」
(リアンヌ様の独占欲、最高かよ!! ジンには悪いが、俺の『ヒロイン(?)』の破壊力は宇宙一だからな!!)
他人のフラグをへし折って新たなフラグを立ててやった直後、自分自身も最強の騎士様からの特大の愛情(と嫉妬)のフラグを叩き込まれたローゼリア。
黒き死神の心臓は、今日も休まることなく、幸せな過労死の危機に瀕し続けるのであった。




