第二幕 第五十話:狂宴の終幕と、死神の帰還
『——エターニアのメインサーバーの最深部、機動要塞の設計図と……あいつらの「本当の標的」のデータを抜いたわ。急いで撤収よ。このデータ、帝国にとって最悪の爆弾になるわよ』
イヤーレシーバー越しに響くアルティナの緊迫した声を聴き、ローゼリアの長くふわふわとした金髪の下で、真紅の瞳がスッと細められた。
先ほどまでの、勘違いエースパイロットからの求婚による強烈な吐き気と精神的疲労は、一瞬にして極寒の戦意へと塗り替えられる。
「(……上出来じゃ、アルティナ。ならば、こんな息の詰まる茶番はここでお開きとしよう)」
ローゼリアは、小さく息を吸い込むと、優雅に広げていた扇子をパタンと閉じ、ふらりと身体を揺らした。
「……あ、あぁ……っ」
「ローゼリア!」
リアンヌが、見事な反射神経でローゼリアの華奢な身体を抱きとめる。
「いかがなされた、殿下」
隣に座っていたエターニアの王、グレイスが眉をひそめて立ち上がった。
「……申し訳ありません、グレイス王。どうやら、演習の熱気と……慣れない環境で、少し目眩が……。本日は、これにて休ませていただきたく存じますわ」
ローゼリアは、リアンヌの腕の中で力なく身を預け、いかにも『温室育ちのひ弱な令嬢』が限界を迎えたというような、完璧な作り笑いを浮かべてみせた。
「それは困りましたな。……我が国の優秀な医療チームに診せましょう。すぐに医務室へ」
グレイスは言葉では気遣いを見せながらも、その実、ローゼリアたちを王城の奥深くへと隔離(軟禁)しようと動いた。背後に控えていたエターニアの近衛兵たちが、ジリッと距離を詰めてくる。
「(ちっ、流石にすんなりとは帰してくれんか。……アルティナ!)」
ローゼリアがインカムのスイッチを二回タップして合図を送った、その瞬間。
**——ブツンッ!!**
演習場のドーム、そして王都ネオエデンの広範囲の電力と魔力供給が、一斉にダウンした。
煌びやかだったVIP席は完全な暗闇に包まれ、けたたましい非常警報のサイレンが鳴り響く。
「な、何事だ!?」
「システムが何者かにハッキングされています! メインサーバーの防壁が……っ、機密データが持ち出されました!!」
闇の中で響くエターニア兵の混乱した叫び声。
グレイスの舌打ちが聞こえた直後、リアンヌは一切の迷いなく動いた。
「失礼いたします、ローゼリア!!」
リアンヌはローゼリアの膝の裏と背中に腕を回し、完璧な『お姫様抱っこ』の体勢を取る。そして、風の魔法を足元に爆発させ、ガラス張りのバルコニーを蹴り破って空中へと跳躍した。
「っ!? 逃がすな! 追え!!」
グレイスの怒声が響くが、リアンヌの神速の機動力に追いつける者など、この場には一人もいなかった。
「(……ふぅ。お姫様抱っこは少し恥ずかしいが、あのピンヒールで走るよりは百倍マシじゃな)」
リアンヌの腕の中で揺られながら、ローゼリアは冷静に周囲の状況を分析していた。
演習場から数キロ離れた隠しハンガー。そこに、外交特使の護衛用という名目で持ち込まれていた戦乙女の機体と、偽装された小型輸送船が待機している。
「ローゼリア、揺れます! 舌を噛まないようにご注意を!」
「案ずるな。それより、背後から追手が来るぞ」
リアンヌが王都のビル群を縫うように疾走する中、後方から数機の『フェイカー』がスラスターを吹かして追撃してくるのが見えた。
しかし、彼らがビームライフルを構えるよりも早く。
『——お待たせ。お姫様たちの逃走ルート(レッドカーペット)は、私が綺麗に掃除しておいたわ』
ビルとビルの隙間から、紫色の閃光が次々とフェイカーの駆動系を正確に撃ち抜いた。
狙撃用特装機に乗ったアルティナの援護射撃である。
「助かるぞ、アルティナ!」
「さっさと機体に乗って! グレイスの奴、完全にキレて首都防衛隊を全機出撃させたわよ!」
リアンヌが隠しハンガーに滑り込むと、そこには純白の騎士機『ブラン』と、禍々しい漆黒の装甲を持つ堕天使『ルシフェル』が静かに待機していた。
「……さあ、ここからは妾の土俵じゃ」
ローゼリアはリアンヌの腕から降りると、純白のドレスの裾を豪快に引き裂き、動きやすい長さにまで短くした。ふわふわの金髪を乱しながら、ルシフェルのコックピットへと飛び乗る。
『マスター・ローゼリア。生体認証完了。全システム、グリーン。……随分と心拍数が上がっているようですが、ドレスの締め付けによる体調不良ですか?』
古代の神AI・バハムートが、淡々とした合成音声で問いかけてくる。
「いや、ただの精神的ブラクラ(セクハラ)による後遺症じゃ。……おかげで、強烈なストレスが溜まっておる。最高峰のサンドバッグ(敵)で、派手に発散させてもらうぞ。バハムート、起動じゃ!」
『了解。マギアエンジン、臨界点まで解放します』
ルシフェルの漆黒の装甲に、血脈のような赤い魔力の光が走る。
三機の機体がハンガーの天井を吹き飛ばして虚空へと飛び立った瞬間、彼らを包囲するように、数十機のエターニア軍のマギアナイトが展開していた。
「……見つけたぜ、俺の姫君!」
包囲網の最前列。
特別な塗装を施された『アグレッサー』が、ビームライフルを下げたまま、まるでヒーローのように歩み出てきた。
先ほどローゼリアに身の毛のよだつ求婚をした勘違いエースパイロット、ハジメ・ナガノである。
『ローゼリア殿下! もう逃げる必要はない! 今すぐその悪党ども(戦乙女)から離れて、俺の機体に飛び移るんだ! 俺がグレイス様に頼んで、君だけは絶対に守ってやるから!』
オープン回線で響き渡る、あまりにも見当違いなハジメの叫び。
彼の中では、未だに「無理やり連れ去られようとしている悲劇のヒロイン」という都合の良いシナリオが進行しているらしい。
その通信を聞いたアルティナとリアンヌは、哀れみすら入り混じった沈黙に包まれた。
『……ねえ、リアンヌ。あいつ、自分が誰を相手に口説いてるのか、本当に1ミリも分かってないのね』
『ああ。……我が主の恐ろしさを知らぬ愚か者め。万死に値するが、私が手を下すまでもあるまい』
ルシフェルのコックピット。
ローゼリアの真紅の瞳は、絶対零度を通り越し、虚無の領域に達していた。
「(……ああ、本当に気持ちが悪い。さっさとゴミ掃除を終わらせて、エインヘリアルの自室のベッドに引きこもってゲームがしたいわい)」
ローゼリアは、メインコンソールに手を這わせ、冷酷に告げた。
「バハムート。あのうるさいハエの羽を、すべて毟り取れ。殺すなよ。徹底的に『蹂躙』して、その無駄に高いプライドをへし折ってやれ」
『オーダーを受理。自律可動砲台、展開します』
ルシフェルの背部から、8つの黒い翼——自律可動砲台が分離し、宇宙空間へと散開する。
『え……? なんだ、その黒い機体は……』
ハジメが戸惑いの声を上げた瞬間。
**ズバァァァァァァァンッ!!**
8つの砲口から、一切の予備動作なく精密なレーザーが放たれた。
それは、ハジメの操るアグレッサーの『四肢の関節部のみ』を、ミリ単位の狂いもなく同時に貫いていた。
『なっ……!? がぁぁぁっ!?』
アラートが鳴り響く間すらなく、ハジメの機体は両腕と両脚を吹き飛ばされ、ただの無様なダルマと化して宇宙空間を漂った。
彼が誇っていた圧倒的な火力も、機動力も、チート級の異能も、何一つ発揮する機会すら与えられなかったのだ。
『ば、馬鹿な……! 俺の機動力を、完全に先読みしただと!? 誰が乗っているんだ、その機体には……!』
パニックに陥り、通信回線で叫ぶハジメ。
ルシフェルは、ゆっくりとダルマになったアグレッサーへと近づき、その漆黒の頭部を見下ろした。
『——少しは頭が冷えたか、勘違い男』
オープン回線に響いたのは、先ほどまでの甘く儚い令嬢の声ではない。
絶対的な強者としての覇気と、底知れぬ冷酷さを孕んだ、銀河最強の死神の声であった。
『ロ、ローゼリア……殿下……? 嘘だろ、あなたが、その化け物に乗っているのか……!?』
『ふん。妾をただの飾りの皇妹だと思ったか? お前のような温室育ちの「俺TUEEE」もどきが、妾のパーソナルスペースに踏み込むなど、一万年早いわ』
ローゼリアは、ルシフェルの手でアグレッサーの胸部装甲を軽く小突いた。それだけで、ハジメの機体は大きく吹き飛び、姿勢制御もできずに回転していく。
『ひっ……!!』
『運が良かったな。妾の刀に貴様の脂ぎった血の匂いがつくのが嫌で、今回は見逃してやった。……二度と妾の視界に入るな』
ローゼリアがそう言い捨てた直後、ルシフェルは圧倒的なスラスター推力で反転し、包囲していたエターニア軍の部隊へと単機で突撃を仕掛けた。
「さあ、道を開けい!! 邪魔な小石は、まとめてすり潰すぞ!!」
両肩のマナビーム砲が火を噴き、魔力振動刀が閃く。
それはもはや戦闘ではなく、ただの『作業』であった。エターニアが誇る最新鋭機たちは、ルシフェルの規格外の機動力と、バハムートによる完璧な予測射撃の前に、手も足も出ずに次々と無力化されていく。
ローゼリアの神がかった操作技術の前に、転生者たちの薄っぺらい軍事力は、文字通り紙屑のように引き裂かれていった。
『——こちらエーベルヴァイン帝国、第一独立遊撃艦隊。ローゼリア・エーベルヴァイン皇妹殿下の身柄を保護すべく、これより戦闘空域に介入する』
ローゼリアたちがエターニアの防衛網を突破し、大気圏外へと脱出したその時。
暗黒の宇宙空間に無数のワープ・アウトの光が瞬き、帝国軍の誇る巨大な戦艦群が姿を現した。それは、ローゼリアの姉である皇帝フェイトが、可愛い妹のために裏で手配していた特大の支援艦隊であった。
『……チッ。帝国軍の正規艦隊まで出てきたか。深追いは無用だ、全機撤退しろ!』
グレイスの忌々しげな通信を最後に、エターニア軍の追撃部隊は蜘蛛の子を散らすように母星へと引き返していった。
かくして、皇妹の威信を盾にした華麗なる内偵作戦(および脱出劇)は、戦乙女たちの完全勝利という形で幕を下ろしたのである。
……数時間後。
帝国領内の安全宙域に停泊する、傭兵団の母艦『エインヘリアル』のブリッジ。
「……ふぅ。まさか本当に、あの防衛網を強行突破してくるとはな。寿命が縮む思いだったぞ」
艦長席に座るブリュンヒルデが、安堵の息と共に特濃の胃薬を水で流し込んでいた。
「大げさじゃな、団長。妾のルシフェルと、リアンヌたちの援護があれば、あんな連中など朝飯前じゃ」
ローゼリアは、ビリビリに破けたドレスを脱ぎ捨て、いつもの快適なダボダボのジャージ姿に着替えていた。長いふわふわの金髪をタオルで拭きながら、ようやく人権を取り戻したような顔でクッションにダイブする。
「お疲れ様、ローゼリア。……でも、喜んでばかりもいられないわよ」
メインモニターの前に立つアルティナが、エターニアから奪取したデータを解析し終え、極めて深刻な表情で振り返った。
「私が抜いてきたデータ……エターニアが建造している超大型機動要塞『ジェネシス』の全容が判明したわ。あれはただの戦艦じゃない。星の魔力を直接吸い上げて放つ、超長距離の戦略級レーザー砲よ」
アルティナがモニターに表示させたのは、惑星の軌道上に浮かぶ、巨大な砲身を持つ要塞のホログラムだった。
「奴らの技術なら、帝国の監視網の外からでも、ピンポイントで目標を狙撃できる。……そして、その『ジェネシスの初弾の標的座標』として設定されていたのは……」
アルティナはゴクリと息を呑み、ローゼリアとブリュンヒルデを見た。
「……エーベルヴァイン帝国の首都、帝城のメインブロック。つまり——現皇帝、フェイト・エーベルヴァインの暗殺よ」
その言葉がブリッジに響いた瞬間。
空気が、文字通り凍りついた。
「……なん、じゃと?」
クッションに寝転がっていたローゼリアの動きがピタリと止まる。
彼女はゆっくりと立ち上がり、前髪の影から、底なしの暗黒のような真紅の瞳を覗かせた。
父と兄が狂気に沈み、孤独の中で血塗られた帝位に就いた美しき姉、フェイト。
ローゼリアにとって、今世で唯一無条件の愛を注いでくれるその姉は、何よりも守るべき大切な『家族』であった。
「(……あの勘違い連中。妾の、たった一人の姉上を……狙っておるというのか)」
ローゼリアの全身から、先ほどの戦闘時とは比べ物にならないほどの、濃密で禍々しい魔力の殺気が立ち上る。
それは、ゲーム感覚で戦場を楽しむ『限界ゲーマー』としての顔ではなく、愛する家族を脅かす者を絶対に許さない、本物の『死神』としての怒りであった。
「……アルティナ。その要塞『ジェネシス』の完成時期と、隠し場所の座標は割り出せるか?」
ローゼリアの声は、恐ろしいほどに静かだった。
「え、ええ。データの断片を繋ぎ合わせれば、数日中には特定できると思うわ」
「そうか。……団長」
ローゼリアは、冷徹な赤い瞳でブリュンヒルデを見据えた。
「次のクエスト(任務)が決まったぞ。……エターニアの機動要塞ジェネシス。あんなふざけた玩具、完成する前に、妾のルシフェルで跡形もなく叩き割ってやる」
「……やれやれ。今度は星を巻き込む大戦争の阻止か。私の胃壁は限界だが……お前のその目を見たら、止めるわけにはいかないな」
ブリュンヒルデは苦笑しながら、艦長席から立ち上がった。
「戦乙女、全艦戦闘態勢を維持。……驕れる転生者の王に、我々の逆鱗に触れた代償を支払わせてやろう」
「はいっ!!」
リアンヌが力強く応と打ち、アルティナがハイスピードでキーボードを叩き始める。
傲慢なる転生者たちとの戦いは、ただの小競り合いから、帝国の存亡と家族の命を懸けた全面戦争へと突入しようとしていた。
銀河最強の死神の、真の怒りの鉄槌が下される時は、もうすぐそこまで迫っている。




