第二幕 第四十六話:厚顔無恥なる要求と、極寒の微笑み
帝国軍とユグドラシル残党の混成部隊による大規模な奇襲。
その絶体絶命の危機は、ローゼリアの駆る新たなる愛機『ルシフェル』の理不尽極まりない蹂躙劇によって、嘘のようにあっさりと鎮圧された。
戦闘空域の制圧を終えた輸送船団は、再び陣形を整え、目的の星系に向けたワープ軌道へと無事に突入を果たしたのである。
エインヘリアルのブリッジでは、戦闘後のダメージコントロールと索敵任務が一段落し、クルーたちが安堵の息を吐いていた。
「……各機、帰艦完了。輸送船団の被害はゼロ。防衛ラインの維持、完璧でした」
オペレーター席のオルトリンデが、静かに報告を上げる。
「ご苦労だった。……とりあえず、最悪の事態(輸送艦の轟沈)だけは免れたな」
艦長席に座るブリュンヒルデは、深い溜息と共に執務用のタブレットを机に置いた。そして、無意識の内に制服のポケットへと手を伸ばし、携帯用の胃薬の瓶をカチャカチャと鳴らす。
「ふぁぁ……。終わってみれば、なんとも味気ない戦闘じゃったな。妾のルシフェルなら、あんな連中、あと百機は相手にできたというのに」
ブリッジの隅で、パイロットスーツのまま専用のクッションに寝そべっているローゼリアが、長いふわふわの金髪を揺らしながら大きなあくびをした。その赤い瞳は、退屈そうにモニターを眺めている。
「ローゼリア。お前のその『戦場を更地にするレベルの極大火力』のおかげで助かったのは事実だがな……。事前の打ち合わせを完全に無視して、前衛の陣形ごと敵を消し飛ばしたのはやりすぎだ。あやうく『鋼の牙』の機体まで巻き込むところだったぞ」
ブリュンヒルデが眉間を揉みながら説教をする。
「何を言うか。妾のバハムートAIが、あんな素人どもを誤射するわけがないじゃろ。むしろ、妾が前に出なければ、あやつらは今頃、宇宙の塵になっておったわ」
「それはそうだが……傭兵というビジネスにおいて、『契約上の持ち場を離れる』というのは、後々面倒な理屈をつけられる隙になるんだ」
ブリュンヒルデが胃痛の種を予感して顔をしかめた、まさにその時。
『——団長。鋼の牙の母艦ベヒモスから、強帯域の暗号通信が入っています。代表のシンジと名乗る男から、至急の面談要求です』
通信士が、緊張した声で報告を上げた。
「……ほら見ろ。言わんこっちゃない」
ブリュンヒルデはガリッと胃薬を噛み砕き、大きく息を吸い込んでから、通信の接続を許可した。
ブリッジの中央に設置された大型ホログラム・モニターに、ベヒモスの艦長席に座る『鋼の牙』の団長、シンジの姿が映し出される。
先ほどの戦闘では、ルシフェルの圧倒的な力の前に恐怖で顔を引きつらせていた彼だが。安全圏に入った途端、その顔には再び転生者特有の傲慢さと、卑しい計算高さが張り付いていた。
『よう、戦乙女の団長さん。随分と派手にやってくれたじゃないか』
挨拶も早々に、シンジはモニター越しにふんぞり返り、挑発的な笑みを浮かべた。
「そちらも無事で何よりだ。前衛の被害は?」
『フン。俺たちを誰だと思ってる。大したことはねぇよ。……だがな、あんたのところのパイロットが、勝手な真似をしてくれたおかげで、こっちは大迷惑を被ったんだよ』
シンジの言葉に、ブリッジの空気がピリッと張り詰めた。
ブリュンヒルデの隣に立っていたリアンヌが、殺気を帯びた碧眼でモニターを睨みつける。彼女の美しい金髪が、怒気によって微かに逆立っていた。
「迷惑、だと? 守備網を突破され、死にかけていたお前たちを救ってやったというのに、どの口が言うか」
リアンヌが低い声で唸るが、シンジはそれを鼻で嗤った。
『救ってやった? 笑わせるな。俺たちはまだ余力を残していた。少し陣形を立て直せば、あんな有象無象、俺たちの火力で一網打尽にできたんだよ。……それを、あんたのところの後衛部隊が、勝手にしゃしゃり出てきて俺たちの「戦果」を横取りしやがった』
「なんだと……?」
『事前のブリーフィングで決めたはずだ。前衛と戦闘は俺たちの管轄。あんたたちは後方警戒だと。……にもかかわらず、あの黒い機体は勝手に防衛ラインを越え、俺たちが撃墜するはずだった敵機を殲滅した。これは明確な『契約違反』だぜ?』
シンジの言い分は、あまりにも厚顔無恥であった。
自分たちが戦線を崩壊させたくせに、命を救われた恩を仇で返し、あろうことか「獲物を横取りされた」と難癖をつけてきたのだ。
「(……ははぁ。なるほど。こいつらの思考回路、完全に理解したわい)」
クッションに寝そべっていたローゼリアは、呆れ果てて赤い瞳を細め、冷たい視線をモニターに向けた。
前世の知識やちょっとした異能を与えられただけの転生者。彼らは「自分たちこそが世界の中心であり、すべての事象は自分たちの都合の良いように進むべきだ」と固く信じている。
だから、自分たちがピンチに陥った現実を直視できず、「あれは本気を出す前の準備だった」と脳内でご都合主義に変換しているのだ。
「で? そのくだらない言いがかりをつけて、我々にどうしろと言うんだ」
ブリュンヒルデは、顔色一つ変えずに淡々と尋ねた。
シンジは、待っていましたとばかりにニヤリと唇を歪めた。
『傭兵ギルドの規約に則れば、契約違反を犯した側は、多額の違約金と報酬の没収、最悪の場合はギルドからの追放処分を受ける。……俺たちがギルドに今回の件を報告すれば、あんたら『戦乙女』の評判は地に落ちるだろうな』
「……」
『だが、俺も鬼じゃない。共同任務にあたったよしみだ、穏便に済ませてやる方法を提案してやるよ』
シンジの視線が、ブリュンヒルデから外れ、ブリッジの奥にいるローゼリアへとねっとりと絡みついた。
『今回の契約違反を不問にしてやる代わりに……あの黒い機体と、それに乗っていた、その長いふわふわの金髪のパイロット。そいつらを、俺たち『鋼の牙』に引き渡せ』
その言葉が響いた瞬間。
エインヘリアルのブリッジの温度が、物理的に数度下がったかのような錯覚が起きた。
『あの機体の出力と武装は、少しばかり俺たちの興味を惹いた。俺たちの国……いや、俺たちの技術班に解析させてやれば、さらに有効な使い道が見つかるはずだ。それに、そこの赤い瞳のお姫様も、俺の下で忠実に働けば、戦乙女なんかにいるよりよっぽどいい思いをさせてやるぜ?』
シンジの頭の中では、完璧なシナリオが出来上がっていた。
過去の世界の遺産である規格外の機体と、それを操る凄腕のパイロットを自国『エターニア』に持ち帰れば、自分たちの軍事力は飛躍的に向上する。そして何より、あの神秘的で美しい、ふわふわの金髪を揺らす少女を自分の手駒にできるという、転生者特有の浅ましい欲望が渦巻いていたのだ。
「……」
「……」
アルティナは、無言のまま手元のコンソールを操作し、いつでもベヒモスの生命維持装置をハッキングして停止させられる準備を整えた。
リアンヌは、腰の剣の柄を握りしめ、歯を食いしばりすぎて口の端から一筋の血を流していた。今すぐにでも宇宙空間に飛び出し、ベヒモスのブリッジに単騎でカチコミをかけかねない尋常ではない殺気を放っている。
「(……妾を、景品扱いか。本当に、救いようのない馬鹿どもじゃな)」
当のローゼリア本人は、怒る気すら起きず、ただただ憐れみを含んだ眼差しでモニターを見つめていた。
だが、誰よりも静かに、そして誰よりも深く激怒していたのは。
傭兵団を率いる団長、ブリュンヒルデであった。
「……ほう。私の部下と機体を、引き渡せ、と」
ブリュンヒルデは、うつむいたまま、肩を微かに震わせた。
『そうだ。安い取引だろう? あんたらはギルドからの追放を免れ、俺たちは新しい戦力を手に入れる。互いにとって損のない関係ってやつだ。さあ、どうす——』
「ははっ。……あはははははっ!」
シンジの言葉を遮り、ブリュンヒルデが突然、乾いた笑い声を上げた。
それは、普段の苦労人の彼女からは想像もつかない、どこか狂気を孕んだ笑いであった。
『な、何がおかしい……!』
シンジが怪訝な顔をする。
ブリュンヒルデは、ゆっくりと顔を上げた。
その口元には、完璧な弧を描く、非常に美しい『笑顔』が浮かんでいた。
しかし、その瞳には一切の感情がなく、絶対零度の氷のようだった。
「いや、あまりにも滑稽な冗談を聞かされたものでな。思わず笑ってしまったよ、鋼の牙の団長殿」
ブリュンヒルデは、笑顔のまま、一歩モニターへと近づいた。
「契約違反、だと? 守備範囲を超えた、だと? ……寝言は自分の船のベッドで言え、三流が」
その声のトーンは決して高くはなかったが、モニター越しのシンジが思わず息を呑むほどの、強烈な威圧感が放たれていた。
かつて『戦塵』と呼ばれ、戦場を血の海に変えてきたトップエースの覇気。それは、薄っぺらい異能を与えられただけの転生者など、足元にも及ばない本物の「死線」を越えてきた者の凄みであった。
「我々が後衛から援護に回らなければ、お前たちはあの時点で全滅していた。それは、お前たちの機体の損傷率と、敵の包囲陣形を記録した戦闘データが完全に証明している。ギルドに提出するなら、どうぞご自由に。……笑い者にされるのは、圧倒的な戦力差を覆せずに泣きついたお前たちの方だがな」
『くっ……! 言わせておけば! 俺たちがその気になれば、あんたらの船ごとここで吹き飛ばすことだって——』
「やれるものならやってみろ。……いや、その前に一つ、面白いデータをお見せしようか」
ブリュンヒルデが指を鳴らすと、アルティナが操作するモニターの半分に、ある機密データが表示された。
それは、今回の輸送船団の積荷リストと、アルティナがハッキングで取得した『コンテナ内部の透視スキャン画像』であった。
『なっ……!?』
シンジの顔色が、一瞬にして土気色に変わった。
「帝国法で厳格に禁じられている、兵器転用型リアクターと違法マナエンジン。……それを通常の魔力触媒と偽り、お前たちの本国とやらに密輸しようとしている。その動かぬ証拠だ」
ブリュンヒルデは、極寒の笑顔のまま、言葉の刃を突き立てる。
「我々がギルド……いや、帝国軍の査問委員会にこのデータを提出すれば、どうなるか分かるな? お前たちは傭兵の資格を剥奪されるどころか、国家反逆罪で宇宙の果てまで追われることになる」
『き、貴様ら……! いつからその情報を……!』
シンジは、奥歯をガチガチと鳴らしながら呻いた。彼らの完璧だったはずの計画が、いつの間にか完全に握り潰されていたのだ。
「私を誰だと思っている。この程度の裏工作、出航前からとうに把握していた」
ブリュンヒルデは、モニターの向こうのシンジを、ゴミでも見るような冷酷な目で見据えた。
「お前たちが裏で何をコソコソ運ぼうが、私には知ったことではない。依頼主から金をもらっている以上、護衛の任務は最後まで果たすつもりだった。……だがな」
ドンッ!!
ブリュンヒルデが、コンソールを両手で激しく叩いた。
強固な特殊合金でできたパネルに、くっきりとヒビが入る。
「お前は、越えてはならない一線を越えた」
ブリュンヒルデの笑顔が消え、そこには夜叉のような怒りの形相があった。
「あの子は、私の、私たちの、大切な『家族』だ。
金や力でやり取りするようなモノではない。……私の家族を、景品のように差し出せだと? そのふざけた口を、二度と開けないように縫い合わせてやろうか?」
『ヒッ……!』
モニター越しの威圧感だけで、シンジは文字通り喉を引きつらせ、椅子から転げ落ちそうになった。
前世でも今世でも味わったことのない、本物の殺意。自分が決して逆らってはいけない『圧倒的な強者』の逆鱗に触れてしまったことを、彼の本能が警鐘を鳴らしていた。
「……これ以上の不快な通信は、我々の任務に支障をきたす。二度と私の視界に入るな」
ブリュンヒルデは、冷たく言い放つと、通信の遮断ボタンを乱暴に叩き切った。
プツン、と。
モニターが消え、ブリッジに静寂が戻る。
「……ふぅ」
ブリュンヒルデは、深く息を吐き出すと、そのままドサッと艦長席に腰を下ろした。
「はぁ〜……疲れた。無駄なエネルギーを使わせやがって……」
彼女は再び胃薬の瓶を取り出すと、今度は二粒まとめて口に放り込み、水で流し込んだ。
先ほどまでの夜叉のような威圧感はすっかり消え失せ、いつもの「胃痛持ちの苦労人団長」の姿に戻っている。
「……団長」
リアンヌが、剣の柄から手を離し、心配そうに声をかける。
「お疲れ様じゃ、団長。見事な交渉術じゃったぞ」
ローゼリアがクッションから起き上がり、ふわふわの金髪を揺らしながらペタペタと歩み寄って、ブリュンヒルデの肩をポンポンと叩いた。
「誰のせいだと思っている、この騒動の種が」
ブリュンヒルデは恨めしそうにローゼリアの赤い瞳を睨んだが、その視線には確かな愛情がこもっていた。
「まあ、あんな小物どもの要求など、端から飲むつもりはなかったがな。……だが、アルティナが掴んだあの違法エンジンのデータ、どうやらあの『エターニア』という国は、本気で帝国に牙を剥く気らしい」
「ええ。あいつらの通信記録を洗ったけど、かなり大規模な軍備拡張を行っているわ。今回の密輸は、氷山の一角に過ぎないでしょうね」
アルティナが、タブレットを操作しながら深刻な顔で言う。
「ふん。他所から得た知識で固めた寄せ集めの国が、どれほどのものか知らんが。……妾たちに手を出そうとした時点で、あいつらの敗北は確定しておるよ」
ローゼリアは、真紅の瞳を不敵に細めた。
「そうだな。……とりあえず、今回の護衛任務は最後までやり遂げる。だが、あの『鋼の牙』とは、これ以降一切関わるな。近づいてきたら撃ち落としても構わん」
ブリュンヒルデの指示に、ブリッジの全員が力強く頷く。
厚顔無恥な転生者たちの要求は、戦乙女の団長の極寒の微笑みと圧倒的な覇気によって、完膚なきまでに退けられた。
だが、この出来事が、後に新興国エターニアと戦乙女たちを巻き込む、銀河を揺るがす巨大な戦渦の『始まり』に過ぎないことを。
この時の彼女たちは、まだ知る由もなかったのである。




