第二幕 第四十一話:六ヶ月の空白と、堕天使の舞踏(リハビリテーション)
「……よし。深呼吸して。痛むところはないか?」
「うむ。全くない。むしろ、前より身体が軽くなったような気さえするぞ」
傭兵団『戦乙女』の母艦エインヘリアル、第一医療区画。
明るい照明の下、検査着姿のローゼリアが、軍医の指示に従って両腕を回し、深く息を吸い込んで見せた。
あの日、ユグドラシルの双頭の悪魔によってもたらされた致命的な損傷から、ちょうど半年。
砕け散った肋骨は帝国の最新医療ナノマシンによって完全に再結合し、破裂した内臓も、細胞レベルでの修復とリアンヌたちの過保護すぎるほどの回復魔法の恩恵を受け、傷跡一つ残さず元通りになっていた。
長きにわたるリハビリ生活(ローゼリアにとっては、ベッドの上で携帯ゲーム機しか触れないという地獄の期間)を経て、本日ついに、軍医から『完全回復』の太鼓判が押されたのである。
「素晴らしい回復力です、ローゼリア殿下。細胞の定着も完璧で、マギアナイト搭乗時の強烈なG(重力加速度)にも十分に耐えうるでしょう。……今日をもって、長かった通院生活は終了です」
軍医がカルテの電子パッドに『完治』のスタンプを押した瞬間。
診察室の隅で祈るように手を合わせていたリアンヌが、弾かれたように飛び出してきた。
「ローゼリアぁぁぁっ!! よかった……! 本当に、本当によかったです……っ!」
リアンヌは、ローゼリアの華奢な身体を(骨が折れない程度の絶妙な力加減で)強く、強く抱きしめ、大粒の涙をボロボロとこぼした。
「おお、よしよし。心配かけたな、リアンヌ。もう大丈夫じゃ」
ローゼリアは、自分の胸に顔を埋めて泣きじゃくる純白の騎士の背中を、ポンポンと優しく撫でてやる。
「……まったく。この半年間、あなたがちょっとでも咳き込むたびに、リアンヌが医療班に泣きついて大騒ぎするから、こっちまで気が気じゃなかったのよ」
入り口のドアに寄りかかっていたアルティナが、呆れたように息を吐きながらも、その紫色の瞳には確かな安堵の色を浮かべていた。
「でも、本当によかったわ。これでようやく、私の部屋に居座って夜更かしする『不良お姫様』が完全復活ね」
「ふふっ、待たせたなアルティナ。この半年の間に溜まった新作ゲームの積みゲー、今日から徹夜で消化していくぞ!」
「ええ、望むところよ。……でもその前に、あなたがやらなきゃいけない『リハビリ』があるんじゃない?」
アルティナが、親指で格納庫の方角を指し示す。
「……うむ。そうじゃな。新しい機体のデバッグが、まだ残っておったな」
ローゼリアの真紅の瞳に、生粋のゲーマーとしての、そして銀河最強のパイロットとしての鋭い光が宿った。
### 魔改造の結晶と、三つの心臓
エインヘリアルの巨大な格納庫。
そこは今、かつてないほどの異様な熱気と、機械油の匂いに包まれていた。
「……来たな、ローゼリア。あんたの新しい相棒、調整は完璧に終わってるよ」
徹夜明けの栄養ドリンクを片手に、整備班長フィーネがニヤリと笑う。
彼女の視線の先には、専用の特注ハンガーに固定された、禍々しくも美しい『鋼の堕天使』が鎮座していた。
機体名——**『ルシフェル』**。
漆黒とチタンシルバーの装甲。背部に重なり合うように配置された、8門の自律可動砲台。そして、その翼の根元に折り畳まれた戦艦主砲クラスの2門の大火力マナビーム砲。腰には、反りの美しい魔力振動刀が二振り。
「ふむ……。何度見ても、惚れ惚れするようなピーキーなビルドじゃのう」
ローゼリアは、パイロットスーツのジッパーを上げながら、愛機の装甲を見上げる。
「ピーキーなんてもんじゃないよ。……いいか、ローゼリア。この機体には、通常の量産機なら一基、特装機でもせいぜい二基が限界のマギアエンジンが、なんと**『三基』**も直列を超えた並列で組み込まれてるんだ」
フィーネが、タブレットで機体の内部構造図を表示しながら念を押す。
「大火力ビーム砲2門と、8門の自律可動砲台の同時稼働。それに加えて、あんたの異常な反応速度に追従する機体推力。……これをすべて賄うための三基だが、熱量(排熱)と魔力伝導率の負荷は、設計上『狂気』としか言えないレベルだ」
「爆発はせんじゃろうな?」
「アタシの腕を舐めるな。冷却システムも極限までチューニングした。……だが、それでも機体のバランスを取るのは綱渡りだ。AIの補佐がなければ、歩くことすらままならないバグ機体だよ」
『——ご安心を、マスター・ローゼリア、ならびにフィーネ技術主任』
ルシフェルのコックピットから、古代の神AI・バハムートの冷徹な音声が響く。
『本機に搭載された三基のマギアエンジンの出力連動、および8門の自律可動砲台の並列処理プロトコルは、本AIが完全に制御しています。マスターは、純粋な機体操作と近接戦闘のみにリソースを集中してください』
「頼もしいことじゃ。……さあ、御託はこれくらいにして、さっさとフィールドに出るぞ。半年ぶりのログインじゃ、腕が鳴るわい」
ローゼリアは、軽やかな足取りでタラップを駆け上がり、ルシフェルのコックピットへと滑り込んだ。
シートに深く腰を下ろすと、以前の『タナトス』とは違う、さらに密着感のある最新鋭のインターフェースが彼女の肉体を包み込む。
『システム・オンライン。バイオ・リンク開始。……マスターの脳波、および魔力波長の同調率、99.8%。いつでもいけます』
「よし。ローゼリア、ルシフェル、出るぞ!」
ズゴォォォォォォンッ!!
母艦のカタパルトから、漆黒の堕天使が宇宙空間へと射出された。
三基のマギアエンジンが同時に咆哮を上げ、ルシフェルは一瞬にして星の彼方へと消えるような、物理法則を無視した圧倒的な初速を叩き出した。
「(……速い! しかも、この取り回しの軽さはなんじゃ!?)」
コックピットの中で、ローゼリアは歓喜に目を細めた。
タナトスの頃よりも遥かに重量が増しているはずなのに、8門の自律可動砲台が微細なサブスラスターとして働き、機体の姿勢を完璧に安定させているのだ。
『こちらブリッジ。ローゼリア、聞こえるかしら』
アルティナのオペレート音声が入る。
「うむ、感明瞭じゃ。機体の調子も最高だぞ」
『それはよかったわ。……今回のリハビリ・メニューだけど、宙域のデブリ帯に、ユグドラシルから鹵獲した『無人戦闘ドローン』を100機ほどばら撒いておいたわ。もちろん、実弾と実戦レベルのAIを積んだ殺戮仕様よ』
「100機か。準備運動にはちょうどいい数じゃな」
『無理はしないでくださいね、ローゼリア! 何かあれば、すぐに私とブランが飛び出しますから!』
通信の裏で、リアンヌの過保護な叫び声が聞こえる。
「心配無用じゃ。……さあ、ルシフェル。バハムート。新しいメタ構築のデバッグと行こうか!」
ローゼリアがスラスターを吹かした瞬間、デブリ帯に潜んでいた100機の戦闘ドローンが、一斉にルシフェルを捕捉し、赤いレーザーの雨を降らせてきた。
全方位からの、回避困難な弾幕。かつてのタナトスであれば、絶対防壁を展開し、最小限の機動ですり抜けながら大鎌の間合いへと肉薄していた場面だ。
だが、今のローゼリアは違う。
「バハムート! 防空展開!」
『了解。自律可動砲台、展開します』
背部にマウントされていた8つの漆黒の翼が、ルシフェルから分離し、虚空へと散開した。
それらは、ローゼリアの思考とバハムートの凄まじい演算能力によって、まるでそれぞれが独立した意志を持っているかのように、完璧なフォーメーションを構築する。
**ズギューーーンッ!! ズギューーーンッ!!**
8門の自律可動砲台から放たれた精密な迎撃レーザーが、飛来する敵の弾幕を空中で正確に撃ち落とし、さらに死角から迫っていたドローン5機を一瞬にして貫き、爆散させた。
「(……凄い。妾が意識を向けた瞬間に、バハムートが最適な射線を計算して自動で攻撃してくれる! これなら、全方位からの波状攻撃にも完全に対応できるぞ!)」
ローゼリアは、自律可動砲台に広域の制圧を任せ、自身はルシフェルのスラスターを全開にしてドローンの群れの中心へと突撃した。
「さあ、次は近接兵装のテストじゃ!」
ルシフェルの両手が、腰にマウントされた二振りの鞘へと伸びる。
チャキンッ、という小気味良い金属音と共に、抜刀。
刀身から高周波の魔力振動が発せられ、宇宙空間に淡い蒼光の軌跡を描く。
「シッ!」
ドローンが放ったビームを、右手の刀で弾き落とす(パリィ)。
そのままの勢いで踏み込み、左手の刀でドローンの装甲を袈裟懸けに両断。大鎌のような「溜め」や「振りの大きさ」がないため、攻撃後の隙(硬直時間)が皆無であった。
斬る、弾く、斬る、反転して斬る。
まるで舞い踊るような、流麗にして無慈悲な双剣の乱舞。
そこに、バハムートが操作する8門の自律可動砲台からの十字砲火が加わる。
ローゼリアが正面の敵を斬り伏せる間に、バハムートが背後と左右の敵を撃ち抜く。かつてメイザースとローランドが見せた「完璧な連携」を、ローゼリアは**『AIとの脳内リンクによる単機での疑似連携』**によって完全に再現……いや、それ以上の精度で体現していた。
『敵ドローン、残り40機。……マスター、手数の増加による殲滅速度は、タナトス時と比較して約450%向上しています』
「ふははっ! 素晴らしい! これぞアクション・エコノミーの暴力! やはり手数は正義じゃな!」
圧倒的な『手数』の前に、100機いたはずのドローンは、開始わずか数分で次々と宇宙の塵へと変わっていく。
『……ローゼリア。近接と自律可動砲台のテストは十分ね。残りのドローンが、巨大な小惑星の陰に陣形を組んで、こちらを狙撃しようとしているわ』
母艦からのアルティナの報告。
モニターを見ると、差し渡し数百メートルはあろうかという巨大なデブリ(小惑星)の裏側に、生き残った数十機のドローンが密集し、要塞砲のようなチャージを開始しているのが見えた。
『マスター。障害物越しの精密射撃は効率が低下します。いかがしますか?』
「ふん。決まっておるじゃろ。……そんな小賢しいキャンプ(引きこもり)戦法、障害物ごと吹き飛ばしてやるわ」
ローゼリアは、ルシフェルの二振りの刀を鞘に納めた。
そして、コックピットのコンソールにある、厳重なロックが掛けられた『赤いスイッチ』に指をかけた。
「バハムート! 三基のマギアエンジンの出力を、背部のマナビーム砲に全バイパス(直結)! 最大出力でぶっ放すぞ!」
『了解。エネルギー・バイパス経路を開放。自律可動砲台を帰還させ、砲身の冷却および反動制御アームとして固定します』
8門の自律可動砲台がルシフェルの背部に戻り、翼のように砲身を挟み込んでロックする。
両肩の背後から、禍々しい砲口が前方へと展開された。
キィィィィィィィィンッ……!!
三基のエンジンから莫大な魔力が供給され、ルシフェルの周囲の空間が、陽炎のようにグニャリと歪む。
砲口に集束していく魔力の光は、あまりにも高密度であるため、黒を帯びた深紅に染まっていた。
『エネルギー充填率、120%。臨界点突破。……マスター、いつでも』
「消し飛べェェッ!!」
ローゼリアがトリガーを引き絞る。
**——ズガァァァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!**
宇宙空間に、音のない絶叫が轟いた。
ルシフェルの両肩から放たれた極太の深紅の光芒は、一切の抵抗を許さず、ドローンが隠れていた巨大な小惑星を『真正面から』ブチ抜いた。
岩盤が蒸発し、マグマとなって飛び散る暇すらなく、光の奔流は小惑星を完全に貫通し、その背後に隠れていた数十機のドローンを一瞬にして分子レベルで消滅させた。
反動は凄まじかったが、8門の自律可動砲台による逆噴射と、バハムートの完璧な姿勢制御により、ルシフェルはわずかに後退しただけで、その砲撃姿勢を維持していた。
『……ターゲット、完全消滅。作戦終了です、マスター』
光の尾が収束し、宇宙空間には、ドーナツ状に大穴の空いた小惑星の残骸だけが、赤熱しながら漂っていた。
「……」
「……」
母艦エインヘリアルのブリッジでは、その常軌を逸した破壊力をモニターで見ていた全員が、完全に言葉を失い、沈黙していた。
「……ええと。あの小惑星、直径300メートルはあったわよね?」
アルティナが、引きつった顔でデータを見直す。
「それを、障害物ごとドローンを一掃するなんて……。控えめに言って、戦術級の戦略兵器じゃないのよ。あんなの、マギアナイトが単機で撃っていい火力じゃないわ」
「は、ははは……。アタシが作ったとはいえ、頭がおかしくなりそうだよ。三基のエンジンの直列砲撃……よく機体が爆発しなかったもんだ」
整備班長のフィーネが、冷や汗を拭いながら引きつった笑いを浮かべる。
「ああっ……! 素晴らしいです、ローゼリア! あの禍々しくも美しい破壊の光……! 一度地に落ち、再び舞い戻った堕天使の如きお姿! 私、もう一生あの機体のお掃除係で構いません!!」
リアンヌだけは、モニターに映るルシフェルを見て、両手を組んでうっとりと恍惚の表情を浮かべていた。
「……おい、フィーネ」
艦長席のブリュンヒルデが、静かに、しかし深い疲労を滲ませた声で口を開いた。
「なんだい、団長?」
「あの機体の運用コストと、ビームのチャージにかかる魔力触媒の値段……いくらだ」
「え? あー……通常の量産機の、大体50倍くらいかな? フルチャージを一発撃つだけで、中規模の都市の年間電力が飛ぶ計算だね」
「……」
ブリュンヒルデは、無言で懐から胃薬の瓶を取り出し、そのままジャラジャラと口の中に流し込んだ。
「(……強くなって帰ってきてくれたのは、心底嬉しい。嬉しいが……また私の胃痛の種(経費)が、とんでもなく跳ね上がったぞ……帝国に、追加の支援を要請しなければ……)」
『ふはははは! 見たかお主ら! これが妾の新しい機体じゃ! 近接も遠距離も死角なし! 最高のデバッグ完了じゃ!』
通信回線越しに、すっかり元の『限界ゲーマー』のテンションを取り戻したローゼリアの高笑いが響き渡る。
『ローゼリア! 最高でした! 今すぐ母艦に戻ってきてください! 汗を拭かせていただきます!』
『はいはい、お疲れ様。データは全部取ったから、さっさと帰ってきなさい。……今夜は、退院祝いに新作の協力FPSを徹夜でやる約束でしょ?』
『うむ! 帰ったらすぐにシャワーを浴びて、ゲーム部屋に直行するぞ! ぽてちとコーラの準備を忘れるなよ、アルティナ!』
ルシフェルが、デブリの海を優雅に反転し、エインヘリアルへと帰還の途につく。
一度は三途の川の底まで沈みかけ、死の恐怖を味わった彼女。
だが、その経験すらも「データ」として吸収し、仲間たちの絆(と超絶技術)によって、彼女は再び銀河の空へと舞い戻った。
より理不尽に。より凶悪に。
そして、より騒がしく。
「(……さて。次はどんな敵が、妾を楽しませてくれるかのう)」
コックピットの中で、ローゼリアは真紅の瞳を細め、悪戯っぽく笑った。
銀河最強のゲーマーにして、堕天使を駆る死神。
彼女と戦乙女たちの、騒がしくも無敵の旅は、ここからまた新たな章へと進んでいくのであった。




