第二幕 第四十話:集中治療室からの生還と、堕天使(ルシフェル)の顕現
「……ふぅ。ようやく、あの真っ白な天井と点滴の管から解放されたわい。ゲームのログインボーナスも随分と逃してしまったのう」
エインヘリアルの第一医療区画。
集中治療室(ICU)の重い扉が開き、車椅子に乗ったローゼリアが、大きく、そして少しだけ痛む胸を庇いながら伸びをした。
ユグドラシル幹部との死闘(という名の一方的な蹂躙)から、三週間。
帝国の最新医療ナノマシンと、リアンヌたちの献身的な回復魔法の甲斐あって、ローゼリアの砕けた肋骨と破裂した内臓は、驚異的な速度で修復されていた。まだ自力で長距離を歩くことは禁じられているが、少なくとも「死の淵」からは完全に脱し、退院の許可が下りたのである。
「ローゼリア! 無理は禁物です! まだ骨の結合は完全ではありません! 車椅子の速度は時速二キロに制限してありますからね!」
車椅子を後ろから押しているリアンヌが、相変わらずの過保護ぶりでローゼリアの肩にブランケットを掛け直す。
「分かっておる。……それにしても、リアンヌ。お主、最近妾への扱いが、過保護を通り越して『壊れ物』を扱うようになっとらんか?」
「当然です! あなたの心臓が止まった時の私の気持ち……ローゼリアには一生分からないでしょうけれど、私の寿命はあの瞬間に百年は縮んだのですよ!?」
涙ぐみながら怒るリアンヌの横で、並んで歩いていたアルティナが、呆れたようにため息をついた。
「リアンヌの言う通りよ、ローゼリア。……あなたが目覚めるまでの三日間、この船の空気、お通夜みたいだったんだから。もう二度と、あんな無茶なソロプレイ(突撃)は許さないわよ」
以前は「お姫様」とからかって呼んでいたアルティナだが、あの一件以来、親友としての距離感が縮まったのか、はたまた本気で怒っているのか、名前で呼ぶようになっていた。
「うむ……。すまんかった。妾も、流石に今回のデスペナルティは重すぎたと反省しておる」
ローゼリアはシュンと肩を落とした。
「それで……フィーネを呼んでくれと言ったが、妾の『タナトス』はどうなったんじゃ? 修理は終わっておるか?」
その問いに、アルティナとリアンヌは顔を見合わせ、気まずそうに視線を逸らした。
「……まあ、格納庫に行けば分かるわ」
エインヘリアルの巨大な格納庫。
車椅子で指定されたデッキへと案内されたローゼリアは、目の前に置かれた「それ」を見て、絶句した。
「……なんじゃ、これは」
「よう、ローゼリア。退院おめでとう。……見ての通りだよ」
油まみれのツナギを着た整備班長フィーネが、苦虫を噛み潰したような顔で、その『鉄屑の山』を指差した。
それは、かつて銀河最強と謳われ、漆黒の悪魔として恐れられたマギアナイト『タナトス』の無残な成れの果てであった。
左腕は肩の根元からもぎ取られ、装甲は紙屑のようにひしゃげ、誇り高き漆黒の翼は根元からへし折れている。
何よりもローゼリアの背筋を凍らせたのは——彼女自身が座っていた『コックピット・ブロック』の惨状であった。
分厚い超合金で覆われていたはずの胸部装甲が、隕石でも直撃したかのように深く、そして生々しく「内側」へと陥没していたのである。コックピットの容積は本来の三分の一程度にまで圧縮されており、シートベルトの金具は飴細工のようにねじ曲がっていた。
清掃されたとはいえ、装甲の隙間には、ローゼリア自身の血の跡がどす黒くこびりついている。
「(……嘘、じゃろ。妾、よくこんな状態で生きておったな……)」
ローゼリアは、車椅子の上でガタガタと震え出した。
シミュレーターのゲームオーバー画面や、テキストで「大破」と聞くのとは次元が違う。物理的な「死の痕跡」が、圧倒的なリアリティを持って彼女の脳を殴りつけたのだ。
「……バハムートAIが、装甲が陥没するコンマ一秒前に、コックピット内の衝撃吸収ゲルを限界の300%まで膨張させて、あんたの肉体をギリギリで『保護』したんだ」
フィーネが、静かに説明する。
「それでも、肋骨は折れ、内臓は破裂した。もしあの重騎士のハンマーが、あと数ミリ深く食い込んでいたら……あんたは、文字通り『挽肉』になってたよ」
「……」
ローゼリアは、ごくりと生唾を飲み込んだ。
自分がどれほど傲慢に、自分のプレイスキル(腕)と機体性能を過信していたかを、その鉄屑が雄弁に物語っていた。
「……フィーネ。タナトスは、直るのか?」
ローゼリアが震える声で尋ねると、フィーネは首を横に振った。
「無理だ。メインフレーム(骨格)から完全に歪んでる。魔力回路もズタズタで、これを修理するくらいなら、一から新しい機体を組み上げた方が早い。……完全に『廃車』だね」
「そう、か……」
長年、自分の手足のように使ってきた相棒の最期。ローゼリアは、胸の奥が締め付けられるような喪失感を覚えた。
『——マスター・ローゼリア。バイタルの安定を確認。生還、おめでとうございます』
その時、スクラップの山の横に仮設された端末から、冷ややかで無機質な音声が響いた。古代の神AI、バハムートである。
「バハムート……お主も、無事じゃったか」
『はい。メインコアはタナトスの背部サブモジュールにパージ(分離)していたため、論理崩壊は免れました。……しかし、マスター。今回の敗北要因の分析結果をお伝えしなければなりません』
端末のモニターに、戦闘時のデータとグラフが次々と表示される。
『これまでのマスターの戦闘スタイルは、圧倒的な反射神経と、大鎌による一撃必殺に依存した「近接特化・超高火力ビルド」でした。一対一、あるいは格下の多数を相手にするには最適解でしたが……今回のような、互いを完璧にカバーし合う高度な「連携」を前にしては、手数の少なさが致命的な弱点となりました』
「……手数の少なさ、か」
ローゼリアは、モニターを見つめながら深く頷いた。
「その通りじゃ。……アクションゲームにおいて、『攻撃の手数』は絶対的な正義。いくら妾の反射神経が良くても、大鎌を一回振る間に、死角から三回攻撃されれば、いずれ対応しきれなくなる。……完全なメタ(対策)を張られたわけじゃな」
ゲーマーとしての冷静な分析回路が、恐怖と喪失感を上書きしていく。
負けた。完敗した。
ならば、次はどうする?
答えは一つ。**「ビルドの再構築(最適化)」**である。
「バハムート。お主の演算能力と、このエインヘリアルの設備、そして帝国の潤沢な予算(フェイトの財布)を使えば……妾の新しいアバター(機体)を、一から作り上げることは可能か?」
『肯定します。帝国軍の最新鋭パーツの予備が、当艦には多数積載されています』
ローゼリアの赤い瞳に、かつての全国ランカーとしての、ギラギラとした熱が宿った。
「……フィーネ。頼みがある」
車椅子から身を乗り出し、ローゼリアは整備班長の手をガシッと握った。
「妾に、新しい機体を作ってくれ。タナトスの魂を受け継ぐ、最高に理不尽で、最強の『初見殺し(クソゲー)』を押し付ける機体を!」
それからの二週間。
ローゼリアは、リハビリの合間を縫って、アルティナ、フィーネ、そしてバハムートAIと共に、格納庫の奥の設計室に籠りきりとなった。
「いいか、フィーネ。前回の反省点は『全方位への対応力不足』じゃ。死角からの攻撃を防ぎ、同時に死角から攻撃する。そのためには、自律可動砲台が絶対に必要じゃ!」
「おいおい、自律砲台を積むってのは口で言うほど簡単じゃないぞ。操作の負荷が跳ね上がる。あんたの脳がパンクするぞ?」
「そこはバハムートAIが完全に操作を担当する! 妾は機体自体の操縦と近接戦闘や砲撃に集中し、バハムートが独立して8門の自律可動砲台を制御して最適な射線を構築するんじゃ!」
ローゼリアがタブレットに手書きの(少し不格好な)設計図を描き殴る。
『マスターの提案を支持します。自律可動砲台を8基搭載し、本AIの並列処理による完全自律制御を実行。これにより、空間制圧能力は従来の740%向上します』
「よし! 8基じゃ! 見た目は、そうじゃな……背中に非対称の『翼』のように配置して、堕天使っぽいシルエットにするのはどうじゃ? 中二病心をくすぐるじゃろ!」
「……ちょっとローゼリア、あなた本気で言ってるの? いくらAIに操作を任せるとしても、8門の自律可動砲台なんて、帝国軍の最新鋭機でもエネルギー負荷に耐えられないわよ」
横で聞いていたアルティナが、呆れたように突っ込む。
「だからこそ、根本的な出力を見直すんじゃ。……大鎌は、もうやめる。ロマンはあるが、振りが大きすぎて取り回しが悪い。代わりに、両腰にマウントする『刀』を二振り装備する。日本刀のモーションは出が早くて隙が少なく、近接戦での迎撃と弾き(パリィ)に特化できる」
「ふむふむ、近接武装を軽量化してエネルギーを他に回すんだな?」
「いや、火力も足りん。ボスクラスを一撃で消し炭にするための、極太のビーム兵器が必要じゃ。背中の翼の根元に、超大火力の『マナビーム砲』を2門搭載しろ!」
「……あんた、それ機体の重量バランスめちゃくちゃになるどころか、どうやって動かすんだよ! どんな魔力炉心を積めばそんなバカみたいな兵装が動くんだ!」
フィーネが頭を抱えて叫ぶ。
「だから、機体の心臓部たるマギアエンジンを、ユグドラシルの残党からぶんどったパーツと帝国の最新パーツを組み合わせて、なんと**『3基』**搭載するんじゃ!」
ローゼリアがドヤ顔で言い放つ。
「3基ィ!? バカかあんたは! そんな無茶なエネルギー負荷を掛けたら、機体ごと自爆するぞ!」
「そこをなんとかするのが天才整備士の腕の見せ所じゃろ。……頼んだぞ、フィーネ! 妾の理想のビルドを実現してくれ!」
「無茶苦茶言い上がって……! ああもう、やってやるよ! その代わり、テスト起動で爆発してもアタシのせいにするんじゃないよ!」
かくして、ゲーマーの妄想と、古代の神AIの演算と、不憫な天才整備士の徹夜の作業による、常軌を逸した「魔改造」が始まった。
そして、さらに一ヶ月後。
ついにローゼリアは、完全に杖なしで歩けるまでに回復した。
「さあ、ローゼリア! 準備はよろしいですか! 我が主の新たな愛機の、お披露目です!」
リアンヌが興奮気味に、格納庫の奥に鎮座する巨大なターポリン(防塵幕)の前に立つ。
エインヘリアルのメンバー全員が、固唾を飲んで見守る中。
フィーネが、自慢げにスイッチを押した。
バサァァァァッ!!
重い幕が落ち、格納庫の照明が、その『新たなる死神』の姿を照らし出した。
「……おおおっ……!!」
ローゼリアの口から、感嘆の吐息が漏れる。
そこに立っていたのは、かつての死神の面影を残しながらも、より禍々しく、より洗練された、圧倒的な存在感を放つ機体であった。
装甲のカラーリングは、光を吸い込むような漆黒と、冷たく輝くチタンシルバー。
そのシルエットは、まさに神に叛逆した『堕天使』そのものであった。
最も目を引くのは、背部である。
そこには、漆黒の刃のような形状をした『8門の自律可動砲台』が、重なり合うようにして装着され、まるで不揃いで鋭利な「黒い翼」を形成していた。
そして、その翼の根元、両肩の背後には、戦艦の主砲クラスの口径を持つ『大火力マナビーム砲』が2門、折り畳まれるようにしてマウントされている。
機体の両腰には、近接戦闘用の兵装である『魔力振動刀』が、鞘に納められた状態で二振り装備されている。大鎌の野蛮な破壊力とは違う、冷徹で鋭い「斬撃」を予感させる美しい曲線美。
「これが……妾の新しいアバター……」
ローゼリアは、吸い寄せられるように機体へと歩み寄った。
「名前は、どうするんだい?」
徹夜明けで目の下に深い隈を作ったフィーネが、コーヒーを啜りながら尋ねた。
「そうじゃな……」
ローゼリアは、機体の装甲にそっと手を触れる。
一度は死の淵を味わい、そこからコンティニューを果たした自分と、この機体。
「……『ルシフェル』。一度地に落ちた神に叛逆する堕天使の、新たな名じゃ」
『System Online. 機体名【ルシフェル】登録完了。マスター・ローゼリア、これより本機の全権限をあなたに譲渡します』
バハムートAIの音声と共に、機体の双眸が、深紅の光を怪しく瞬かせた。
「……信じられない。あれだけの重武装と3基ものマギアエンジンを積んでいるのに、機体の重心バランスが完璧に計算されているわ。自律可動砲台が、姿勢制御用のサブスラスターとしても機能しているのね」
タブレットで機体のスペックを見ていたアルティナが、戦慄したように呟く。
「ええ。近接の刀で敵を捌きながら、バハムートAIが独立操作する8門の自律可動砲台で死角から波状攻撃を仕掛け、隙を見せたところに背中の大火力マナビームを叩き込む……。文字通り、一人で艦隊戦をやってのけるような『理不尽極まりないバグ機体』の完成よ」
「ふはははは! 見たかアルティナ! これぞ妾が考えた最強のメタ構築じゃ!」
ローゼリアが、格納庫に響き渡る高笑いを上げる。
その姿には、かつての死の恐怖など微塵も残っていなかった。あるのは、新しいおもちゃ(最強装備)を手に入れて狂喜する、限界ゲーマーの姿だけである。
「……ったく。あんなに血を吐いて死にかけてたのに、立ち直りが早すぎるだろ」
ブリュンヒル団長が、呆れたように胃薬をボリボリと齧りながら笑う。
「さあ、フィーネ! すぐに起動テストを兼ねて、シミュレーターで模擬戦じゃ! 妾の新しいコンボの手触りを確かめねばならん!」
「はいはい、分かったよ。でも無理すんなよ、まだ病み上がりなんだからな」
車椅子から完全に降り立ち、漆黒のパイロットスーツに身を包んだローゼリアが、軽やかな足取りでルシフェルのコックピットへと向かっていく。
一度の敗北は、彼女を折ることはなかった。
むしろ、ゲーマーとしての闘争心に火をつけ、より理不尽で凶悪な『堕天使』を生み出す結果となったのだ。
銀河に再び、最悪の死神が舞い降りる。
今度は8つの翼と、二振りの刃、そして絶対的な火力を携えて。
エインヘリアルの格納庫には、新たな伝説の幕開けを告げる、機体の重厚な起動音が響き渡っていた。




