第二幕 第三十八話:封印されし『戦塵』の覚醒と、静かなる殺戮の幕開け
「……捕まえたわ。空間の歪み(ワープ・トレース)の残滓、ならびに微弱な魔力波長のシグネチャを完全に特定。座標、第八十四星系、放棄された小惑星帯の旧採掘基地。……ユグドラシルのネズミ共は、あそこに隠れてるわ」
エインヘリアル母艦のブリッジ。
メインモニターに映し出された星図の極小のポイントを指し示し、アルティナが氷のような声で告げた。
その紫色の瞳には、かつてユグドラシルの幹部として恐れられた頃の冷酷さと、たった一人の親友を傷つけられたことへの、底知れぬどす黒い殺意が渦巻いていた。
「よくやった、アルティナ。……索敵レーダーおよびジャミングの展開、完了しました。目標宙域までのワープルート、計算終了。いつでも跳べます」
アルティナの隣のコンソールで、三女のオルトリンデが流れるような手付きでシステムを構築していく。
普段は狙撃手として前線に出る彼女だが、今日は違う。彼女の瞳にもまた、ハイライトのない絶対零度の怒りが宿っており、オペレーターとして一切の容赦のない包囲網を敷いていた。
「ご苦労。……二人とも、見事な手際だ」
ブリッジの奥、艦長席からゆっくりと立ち上がったのは、ブリュンヒルデ団長であった。
彼女は、普段愛用している指揮官用のコートを脱ぎ捨て、傍らに控えていたメイドから、漆黒と黄金で彩られた「パイロットスーツ」を受け取り、身に纏っていた。
「団長……」
アルティナが振り返る。
「これより、エインヘリアルは目標宙域へと跳躍し、ユグドラシル残党の拠点を完全殲滅する。……指揮代行はアルティナ、ならびにオルトリンデ。この母艦の全権を、お前たち二人に預ける」
「……はい。一匹のネズミの逃走も許さない、完璧な電子の檻を構築してご覧に入れますわ」
「お任せを。……一匹残らず、宇宙の塵に変えて差し上げましょう」
ブリュンヒルデは二人の頼もしい(そして恐ろしい)後輩たちに深く頷くと、そのまま踵を返し、格納庫へと向かうエレベーターに乗り込んだ。
「さて……。久々に、血の匂いが染み付いた『あれ』に乗ることになるとはな。……胃薬を飲んでいる暇はなさそうだ」
エレベーターの中で、ブリュンヒルデは自身の首の骨をゴキリと鳴らした。
傭兵団『戦乙女』を立ち上げ、個性豊かで騒がしい仲間たちの「まとめ役」として、日々胃を痛めながら書類仕事とツッコミに奔走している彼女。
だが、彼女の真の恐ろしさを知る者は、今の銀河には少ない。
かつて、帝国と反乱軍が血みどろの抗争を繰り広げていた『大銀河戦争』の時代。
戦乙女の長女ランドグリーズが名を馳せるよりもさらに前、戦場にただ一機で降り立ち、敵の艦隊を文字通り「塵」になるまで粉砕し尽くした、伝説のトップエース。
通過した跡には一切の生命反応が残らず、ただ戦場の埃だけが舞うことから、敵味方問わず畏怖と絶望を込めてこう呼ばれた。
——殲滅の『戦塵』、と。
「ローゼリア。お前が目覚める前に、お前の安眠を妨げる害虫は、私がすべて駆除しておいてやる」
エレベーターの扉が開き、ブリュンヒルデは格納庫へと足を踏み入れた。
「団長。……お待ちしておりました」
格納庫のデッキ。
そこにはすでに、出撃準備を完全に整えた三機のマギアナイトと、そのパイロットたちが整列していた。
長女ランドグリーズの『グリムゲルデ』。
次女ロスヴァイセの『ヘルムヴィーゲ』。
そして、リアンヌの純白の騎士機『ブラン』である。
「……リアンヌ。顔色が悪いぞ」
ブリュンヒルデは、直立不動で立つリアンヌの前に歩み寄り、静かに声をかけた。
いつもであれば「ローゼリアのために!」と暑苦しいほどの熱量で叫ぶはずの近衛騎士。だが今の彼女は、恐ろしいほどに『静か』であった。
純白のパイロットスーツには、未だにローゼリアの血の跡が微かに残っている。彼女の瞳は、一切の感情を削ぎ落とした、ただ敵を殺すためだけの機械のように冷たく澄み切っていた。
「問題ありません、団長。……私はただ、我が主の眠りを妨げる障壁を、排除するのみです。あの双頭の悪魔の首……必ずや、この手で引きちぎってみせます」
声のトーンに抑揚はない。だが、その背後に渦巻く殺気は、歴戦の戦士であるランドグリーズやロスヴァイセでさえ肌が粟立つほどの密度を持っていた。
「……そうか。ならば、私についてこい」
ブリュンヒルデはそれ以上何も言わず、格納庫の最奥——分厚い隔壁と幾重ものプロテクトで封印されていた『特別区画』へと歩を進めた。
そこには、油まみれのツナギを着た整備班長フィーネが、巨大なターポリン(防水幕)の前に立ち、目を血走らせて待機していた。
「団長。……メインリアクターの火入れ、終わってるよ。関節駆動系のリミッターも全部外した。……あいつらを、絶対に許すな」
「ああ。ご苦労だったな、フィーネ。お前はタナトスの修理と、ローゼリアのそばにいてやってくれ」
フィーネが、無言でターポリンを固定していたワイヤーのロックを外す。
バサァァァァッ!!
重い幕が落ち、その下から、圧倒的な質量と威圧感を放つ『鋼の巨神』が姿を現した。
戦乙女の主力である量産型の、すべての原型となった伝説の機体。
現代の安全基準やパイロットの生存性などを一切考慮せず、ただ「純粋な破壊力」と「限界を超えた機動性」のみを追求して造り上げられた、操縦者自身の命すら削り取る呪われた特装機。
機体名——『ワルキューレ』。
重厚な漆黒と黄金の装甲。背部には、空間そのものを歪めて推進力とする六基の大型スラスター・バインダー。手には、戦艦の主砲すら一刀両断にするという巨大な『双刃の戦斧』が握られている。
「……久しぶりだな、相棒。少しばかり、散歩に付き合ってもらうぞ」
ブリュンヒルデがワルキューレのコックピットに乗り込み、システムを起動させる。
ズゥゥゥゥンッ……!!
母艦の格納庫全体が震えるほどの重低音が響き、ワルキューレの双眸が、黄金の光を猛烈に放ち始めた。
『ブリッジより全機へ。ワープ・カウントダウン開始。3、2、1……跳べ!!』
アルティナの冷徹な号令と共に、エインヘリアルは光の尾を引き、復讐の戦場へと次元跳躍を果たした。
「……ちっ。何度見ても腹立たしい。あの死神の野郎、俺の愛用のグランドハンマーの出力系をイカれさせやがって」
第八十四星系。
放棄された小惑星の内部をくり抜いて作られた、ユグドラシルの秘密基地。
その暗い格納庫の中で、ローランドは自身の重騎士機体の装甲を蹴り飛ばしながら悪態をついていた。
「文句を言わないの、ローランド。……死神の機体を完全に大破させ、あのパイロットを瀕死の重傷に追い込んだのだから、大金星でしょう」
紫の機体のコックピットから降りてきたメイザースが、優雅にワイングラスを傾けながら笑う。
「ふん。だが、あの白い機体の異常な推力には肝を冷やしたぜ。……それに、エインヘリアルの主力部隊が駆けつけてきた。あのまま戦っていれば、俺たちもタダじゃ済まなかっただろうな」
「ええ。だからこそ、こうして気配を消して身を潜めているのよ。……あの傭兵団は、死神という絶対的な『矛』を失った。残された戦力も脅威ではあるけれど、要を失った組織など、いずれ自壊するわ。私たちの任務は、教団の計画が完了するまで、奴らの戦力を削ぎ、足止めすること」
メイザースがワインを一口飲もうとした、その時である。
**——ビィィィィンッ!! ビィィィィンッ!!**
基地の全域に、耳を劈くような警報が鳴り響いた。
「なんだ!? 帝国のパトロール部隊か!?」
「違うわ! この魔力波長……嘘でしょ、エインヘリアル!? どうして私たちのワープの軌跡をこんなに早く……っ!」
メイザースの顔色が一瞬で蒼白になる。
アルティナのハッキング能力と、オルトリンデの索敵能力の執念を、彼女たちは完全に甘く見ていたのだ。
『幹部殿!! 基地の防衛ラインに敵機侵入!! 数は……た、たったの四機です!!』
通信兵の慌てふためく声が響く。
「四機だと? ふざけやがって、俺たちを舐めてるのか!」
ローランドが凶悪な笑みを浮かべ、再び自身の機体へと飛び乗る。
「メイザース、出るぞ! 死神を失ってヤケになった傭兵どもを、一人残らず叩き潰してやる!」
「……ええ。死神がいないのなら、恐れるに足らずよ。基地の防衛部隊、全機出撃なさい! 迎撃よ!」
二人の幹部機を筆頭に、基地に潜伏していたユグドラシルの量産機三十機が、一斉に小惑星の暗礁宙域へと飛び出していった。
彼らは信じて疑っていなかった。「最強の死神」がいないエインヘリアルなど、ただの烏合の衆に過ぎないと。
だが、彼らは致命的な勘違いをしていた。
死神が前線に立っていたのは、彼女が「最強」だったからではない。
「一番面倒くさがりで、一番ゲーム感覚でサクッと敵を片付けてくれる」から、他のバケモノたちが前線に出る必要がなかっただけなのだ。
本当の『地獄』は、死神の背後にこそ眠っていたのだ。
「……来たわね。ユグドラシルの迎撃部隊、数およそ三十」
暗礁宙域に展開した四機の戦乙女。
ロスヴァイセの『ヘルムヴィーゲ』が、冷静に敵の陣形を分析する。
「ロスヴァイセ、後方からの制圧射撃を頼む。ランドグリーズは右翼の遊撃部隊を粉砕しろ。……リアンヌ」
先頭を進むブリュンヒルデの『ワルキューレ』が、静かに命令を下す。
「分かっています、団長」
リアンヌの『ブラン』は、次の瞬間、まるで映像がコマ飛びしたかのような異常な初速で、敵陣のど真ん中へと『消えた』。
『なっ!? なんだあの白い機体は!? 速す——』
敵の量産機の一人が悲鳴を上げる前に。
ズバァァァァンッ!!
ブランの巨大な長槍が、一切の予備動作なく敵機のコックピットを正確に貫き、そのまま装甲を引き裂きながら背後の機体ごと串刺しにした。
「(……感情は不要。ただ冷徹に、ローゼリア様を害する者を排除する)」
リアンヌの戦いは、怒りに任せた力押しではなかった。
むしろ逆だ。極限まで研ぎ澄まされた殺意が、彼女の動きから一切の「無駄」と「感情のブレ」を排除し、完璧な殺人機械へと変貌させていた。
『ひぃっ!? ば、化け物だ! 撃て、撃ち落とせ!』
敵部隊がパニックに陥り、ブランに向けて一斉射撃を放つ。
だが、その光の雨がブランに届くことはなかった。
「……私の妹たちの前に、無防備な背中を晒すとは。愚かですわね」
後方に控えていたロスヴァイセのヘルムヴィーゲが、六門のビームキャノンを展開。
アルティナから送られてくる完璧な戦術データと連動し、味方を一切巻き込まない『神業の精密射撃』を放った。
敵の射撃部隊の武器とメインカメラだけが、次々と正確に撃ち抜かれ、無力化されていく。
「ローゼリアが居ないからって調子に乗ってんじゃねえぞクソテロリスト共ォ!!」
混乱する敵陣の右翼に、巨大な戦斧を振り回しながら突撃したのは、長女ランドグリーズの『グリムゲルデ』である。
彼女の戦斧が振るわれるたびに、重装甲の敵機がまるで紙くずのように叩き割られ、宇宙空間に無残な残骸を撒き散らしていく。
リアンヌの「静寂の殺戮」と、ランドグリーズの「圧倒的な暴力」、そしてロスヴァイセの「完璧な支援」。
たった三機による蹂躙劇に、ユグドラシルの防衛ラインは開始わずか数分で崩壊の危機に瀕していた。
だが。
『——どけぇぇぇっ! 雑魚ども!!』
通信回線に咆哮が響き、ローランドの重騎士機体が、味方の残骸を蹴り飛ばしながら前線へと躍り出た。
その後方には、メイザースの紫の機体が自律可動砲台を展開し、冷酷に戦場を俯瞰している。
「出たわね、双頭の悪魔。……ランドグリーズ、リアンヌ! 下がりなさい!」
ロスヴァイセが警告を発する。
『ハッ! 死神の仇討ちのつもりか!? だが、俺たち幹部の連携の前には、お前らの力押しなんて通用しねぇんだよ!!』
ローランドが、先ほどタナトスを大破させたあの巨大な戦槌を構え、最も突出していたリアンヌのブランへと襲い掛かる。
「(……殺す)」
リアンヌが迎撃のために長槍を構えた、その瞬間。
**「——退けと言っているだろう、リアンヌ」**
宇宙空間のすべての音を掻き消すような、重く、低く、そして絶対的な『死』のプレッシャーが、戦場を支配した。
「……えっ?」
ローランドが、思わず戦槌を振り下ろす手を止めた。
彼の機体の目の前に、いつの間にか「それ」が存在していたのだ。
レーダーの反応すらなかった。スラスターの熱源感知もなかった。
ただ、空間を歪めて『突然そこに現れた』としか思えない異常な挙動。
漆黒と黄金に彩られた、禍々しき神話の巨神。
ブリュンヒルデの駆る『ワルキューレ』であった。
『な……なんだ、この機体は!? データベースに存在しな——』
ローランドの言葉が最後まで紡がれることはなかった。
**ゴシャァァァァァァァァァァッ!!!!!**
ワルキューレの巨大な双刃の戦斧が、瞬きをするよりも速い速度で振り抜かれた。
タナトスの渾身の一撃すら防ぎ切ったはずのローランドの重装甲。それが、まるで豆腐を斬るかのように、何の抵抗もなく「横一文字」に両断されたのだ。
『……は?』
ローランドは、自分の機体の上半身と下半身が、ゆっくりとズレていく光景を、コックピットのモニター越しに呆然と見つめることしかできなかった。
「な……ローランド!? 嘘でしょ、一撃で!?」
後方にいたメイザースが、悲鳴のような声を上げる。
彼女は咄嗟に六基の自律可動砲台を展開し、ワルキューレをレーザーの檻に閉じ込めようとした。
「……遅い」
ブリュンヒルデの冷たい呟きと共に、ワルキューレの背部にある六基のバインダーが展開。
そこから噴出されたのは、推進剤の炎ではなく、空間そのものを押し潰す『極大の重力波』であった。
バキィィィンッ!!
メイザースが放った自律可動砲台が、ワルキューレに近づくことすらできず、見えない壁(重力場)に衝突して次々と粉々に圧壊していく。
『ひぃっ……!?』
メイザースの背筋に、氷柱を突き立てられたような悪寒が走った。
あの理不尽なまでの圧倒的な機動力。防御すら許さない破壊力。そして、空間を支配する重力兵装。
教団の古いデータバンクにのみ記されていた、帝国と反乱軍を恐怖の底に陥れた「悪夢」の姿が、メイザースの脳裏にフラッシュバックする。
『まさか……! 嘘よ、あの機体はとっくに廃棄されたはず……! なぜ、伝説の『戦塵』が、こんなところに……っ!』
「……我が家族の肉体をスクラップにし、その心臓を一度でも止めた罪。……お前たちの命程度で贖えると思うなよ」
通信回線に響くブリュンヒルデの声は、静かに、ただ静かに燃え盛る業火のようであった。
ワルキューレが、双刃の戦斧をゆっくりと持ち上げる。
その矛先は、真っ二つにされながらも辛うじて生命維持装置が稼働しているローランドのコックピットと、恐怖で硬直するメイザースの機体に、正確に向けられていた。
「この宙域の塵一つ残さず、徹底的に消し去ってやる。……地獄の底で、己の慢心を悔いるがいい」
絶対的な実力差。
理不尽なレイドボスとしてローゼリアを絶望させた双頭の悪魔は今、真の『神話の怪物』を前にして、狩られるだけの矮小な獲物へと成り下がっていた。
戦乙女の怒りを代行する殲滅の嵐が、今、静かに解き放たれようとしていた。




