第二幕 第三十六話:古代の神AIと、理不尽なる双頭の悪魔
アステリア演習場での「特別教官」という名の暇つぶしを終え、エインヘリアルの母艦は再び超光速航行へと入り、次なる目的地へと向かっていた。
リビングルームでは、いつものようにローゼリアがスナック菓子を片手にコントローラーを握り、平和な時間が流れているはずだった。
**——ビィィィィンッ!!**
突如として、母艦の全艦にけたたましい非常警報が鳴り響いた。
同時に、激しい重力震が艦全体を襲い、ローゼリアはゲーミングチェアごと床に放り出された。
「痛っ……!? なんじゃ、エラー落ちか!?」
「違うわ、お姫様! 強制的にワープ空間から引きずり出されたのよ!」
同じく床に転がったアルティナが、すぐさま自室の端末にアクセスし、血相を変えた。
『総員、第一種戦闘配置!』
ブリッジからブリュンヒルデ団長の切羽詰まった声が響く。
『前方の宙域に、高密度の重力機雷が散布されている! 完全に待ち伏せだ!』
「待ち伏せじゃと? 宇宙海賊の類か?」
ローゼリアは首をコキコキと鳴らしながら立ち上がった。
「ちょうどいい。ゲームのボス戦で詰まっておって、少し気分転換がしたかったところじゃ。……妾が単機でサクッと露払いを済ませてこよう」
『待ちなさい、ローゼリア! 敵の識別信号が……!』
アルティナの制止の声が最後まで届く前に、ローゼリアはすでにリビングを飛び出し、格納庫へと向かっていた。
(まあ、いつも通りのザコ(モブ)じゃろう。タナトスで適当に大鎌を振れば終わる)
すっかり「無双」することに慣れきっていた彼女は、これから相対する絶望を、まだ微塵も理解していなかった。
エインヘリアルの母艦から単機で射出された漆黒の悪魔『タナトス』は、前方に立ち塞がる「二つの影」をメインカメラに捉えた。
「……海賊、ではないな」
ローゼリアの目が、スッと細められる。
そこにいたのは、寄せ集めのジャンクパーツで構成された海賊船などではない。
禍々しくも洗練された、圧倒的な存在感を放つ二機の特装型マギアナイトであった。
一機は、全身を重厚な暗緑色の装甲で覆い、巨大な戦槌を構えた重騎士型の機体。
もう一機は、六枚の光の翼(魔力自律可動砲台)を展開し、妖艶な紫色のシルエットを持つ細身の魔術師型の機体。
その両機の装甲には、エインヘリアルの面々が忌み嫌う『世界樹』の紋章が刻まれていた。
『——あら。網にかかった小鳥から、随分と物騒な死神が飛び出してきたわね』
暗号化されていないオープン回線から、女の優雅で、それでいて蛇のように粘着質な声が響いた。
『あなたが、教団の計画を幾度となく邪魔し、ルーンベイトの狂信者どもを壊滅させたという噂の「黒き死神」ね。……はじめまして。私はユグドラシル幹部、メイザースよ』
『……チッ。まさかこんな辺境の待ち伏せ任務で、戦乙女の最高戦力とカチ合うとはな。俺はローランドだ。運が良いのか悪いのか』
女の声に続き、今度は野獣のように低く、好戦的な男の声が重なる。
「お主ら……ユグドラシルの幹部か」
ローゼリアは、タナトスの大鎌を構えながら、油断なく相手のステータスを値踏みする。初対面ではあるが、その機体から放たれる圧倒的なプレッシャーは、これまでの敵とは次元が違った。
『お姫様! 下がって!!』
その時、ローゼリアの暗号通信に、悲痛なまでの焦りを滲ませたアルティナの声が割り込んできた。
『その二人は、私がユグドラシルの幹部だった頃に面識がある連中よ! メイザースとローランド……教団の中でも最高峰の戦闘力を持つ、最悪のコンビだわ! あなた一人で相手をしていい連中じゃない!』
『あら。可愛い裏切り者のアルティナちゃんの声じゃない。あなたには教団に多大なる損害を与えた罪を、きっちりとその命で贖ってもらうわよ』
メイザースが蠱惑的な笑い声を上げる。
「(……なるほど。アルティナの元・同僚というわけか。それに……)」
ローゼリアのゲーマーとしての直感が、全身の毛穴を逆立てて警鐘を鳴らしていた。
モニター越しに伝わってくる、敵の静かで洗練された気迫。わずかな挙動の揺らぎすらない、完璧に統率された陣形。
こいつらは、単なる「ステータスが高いだけのモブ」ではない。
プレイヤーを絶望の底に叩き落とすために運営が用意した、エンドコンテンツの『理不尽レイドボス』だ。
「……仕方ないのう。久々に、出し惜しみなしの『全力』で行かせてもらうぞ」
ローゼリアは、コックピットのコンソールに隠された、厳重なプロテクトのかかった物理スイッチに手を伸ばした。
それは、彼女がかつて手に入れた古代文明の遺産であり、伝説の『神帝機バハムート』のメインAIとして機能していた超高度電子頭脳——**『バハムートAI』**の起動スイッチであった。
パチン、とスイッチを弾く。
『——System All Green. 古代遺産【バハムートAI】、再起動完了。……マスター・ローゼリア、久しぶりの戦場ですね。生体バイオニクス、リンクを開始します』
ローゼリアの脳内に、無機質でありながらどこか神々しさを感じさせる、冷ややかなAIの音声が直接響き渡った。
「うむ。少し厄介なレイドボスを引いてしまっての。バハムート、敵の演算予測と魔力出力の最適化を頼む。処理落ちは許さんぞ」
『了解。タナトスのOS権限を一部掌握。敵機体二機のモーションパターン、ならびに魔力波長の解析を実行——完了しました。マスター、いけます』
バハムートAIの驚異的な演算能力によって、タナトスの機体性能が限界を超えて引き上げられる。漆黒の装甲から、これまでにないほどの高密度な死の魔力がオーラとなって噴出した。
「ふん。幹部が二人揃ったところで、妾とバハムートのペアの前でどこまで大口が叩けるかのう!」
タナトスのスラスターが爆発的に発光し、漆黒の死神が、重騎士型の機体へと一直線に突っ込んだ。
**ガギィィィィィィンッ!!**
宇宙空間に、魔力と金属が激突するすさまじい衝撃波が走った。
タナトスの大鎌の全力の一撃を、ローランドの重騎士機体が、巨大な戦槌で正面から受け止めたのだ。
「ほう。妾とバハムートの初撃を凌ぐか」
『舐めるなよ、死神! てめぇのそのクソったれな出力と一撃の重さは、事前に教団のデータで嫌ってほどシミュレーション済みなんだよ!』
ローランドが戦槌を押し返し、タナトスの体勢を崩そうとする。
(……力押しなら、こちらが上じゃ。このまま押し切って……)
ローゼリアがタナトスのブーストを吹かし、次の一撃を放とうとした、**その時**である。
『——警告。右後方より高エネルギー反応。敵機体の回避行動と同時に、予測不能な多角攻撃が来ます』
バハムートAIの冷徹なアラートが脳内に響く。
『ローランド、右後方へスウェー』
『応よ!』
ローランドの機体が、タナトスの死角へと不自然なほど滑らかに回避行動を取る。
それと同時に、タナトスの周囲の空間に、六つの紫色の光の輪が出現した。メイザースの放った魔力自律可動砲台である。
「なっ……!?」
『捕まえたわよ、死神』
**ズギューーーンッ!!**
六つの自律可動砲台から、タナトスの退路を完全に塞ぐ「檻」のような極太のレーザーネットが放たれた。
『回避不能。タナトス・シールドの最大出力を推奨』
バハムートAIの指示に従い、ローゼリアは咄嗟に絶対防壁を展開する。
しかし、その防壁がレーザーの檻を防ごうと魔力を消費した「コンマ一秒の隙」。
それを待っていたかのように、先ほど回避行動を取ったローランドの重騎士機体が、スラスターを限界まで吹かしてタナトスの頭上へと躍り出ていた。
『隙だらけだぜ、死神ィッ!!』
ローランドの巨大な戦槌が、ロケットブースターを点火し、彗星のような速度と質量で、タナトスの左肩へと振り下ろされた。
**メシャァァァァァァッ!!!**
「がはっ……!?」
『警報(WARNING)! 左腕部完全喪失。被害甚大。姿勢制御システムにエラー発生。……マスター、敵の連携は論理的予測の範疇を超えています』
タナトスの左腕が、肩の装甲ごと無惨に叩き割られ、宇宙空間へと吹き飛んだ。
コクピット内部に、かつて経験したことのないほどの激しい衝撃と轟音が響き渡り、ローゼリアはシートベルトに身体を食い込ませながら、肺から空気を吐き出した。
「(な……なんじゃ、今の連携は……!? バハムートの予測すら上回ったというのか!?)」
ローゼリアは、痛む胸を押さえながら、カメラ越しに二機の敵を見据えた。
あり得ない。いくら幹部とはいえ、あそこまで「完璧」なタイミングで、互いの攻撃の隙をカバーし合うことなど、古代の神AIの演算すら騙すほどの神業だ。
ローランドが囮となり、メイザースが行動を制限し、ローゼリアが防御に回った瞬間にローランドが最大火力を叩き込む。
それはまるで、熟練のMMORPGのプレイヤーたちが、長年のボイスチャットと練習によって編み出した『絶対的なヘイト管理』そのものであった。
『どうしたの、死神? 古代の遺産だか何だか知らないけれど、随分と動きが鈍いじゃない』
メイザースの紫の機体が、優雅に自律可動砲台を旋回させながら冷笑する。
『所詮、あなたは「ソロプレイヤー」に過ぎないのよ。どんなに強力なAIを積もうと、私たちのこの「魂の同期」による完璧な連携の前では、一人で戦うことの限界を思い知るだけ!』
『そういうこった! オラ、次は右腕をもらっていくぜ!』
再び、メイザースの魔力攻撃による弾幕と、ローランドの圧倒的な質量の近接攻撃が、タナトスを波状攻撃で襲う。
「くそっ……! バハムート、回避ルートの再計算じゃ!」
『了解。しかし、敵の制圧射撃の密度と質量攻撃の連携により、生存確率は急激に低下しています。被弾率85%——』
相手の戦術は完璧だった。ローゼリアがローランドを狙えばメイザースが死角から撃ち抜き、メイザースを狙えばローランドが強引に割って入り防御する。
一対一(PvP)の戦いであれば、バハムートAIを搭載したローゼリアの右に出る者はいない。しかし、相手は「二人で一つの生き物」のように連動する、理不尽極まりないレイドボスであった。
**ズガンッ!! バキィィィッ!!**
『警報(WARNING)! メインブースター損傷! 魔力回路断線! 装甲耐久値、残り15%! マスターの生命維持に危険域!』
「がはっ……、あ、がっ……!」
ローランドの戦槌がタナトスの腹部装甲を大きく陥没させ、メイザースのレーザーが漆黒の翼を焼き切る。
衝撃吸収装置が完全に限界を超え、コクピット内のローゼリアの肉体に、ダイレクトに「物理的な破壊の衝撃」が伝わった。
ミシッ、と。
自らの肋骨が折れる嫌な音が響いた。
口の中に鉄の味が広がり、ローゼリアはコンソールの上にべっとりと鮮血を吐き出した。
「(ああ……痛い。……痛いっ……!)」
視界が赤く点滅し、薄れゆく意識の中で、ローゼリアは「現実」を突きつけられていた。
これはゲームではない。
HPがゼロになれば、コンティニュー画面など存在しない。ただ、冷たい宇宙の塵となって消えるだけなのだと。
(妾は……最強じゃなかったのか。……ただの、井の中の蛙じゃったと、いうのか……)
タナトスの動きが完全に停止し、漆黒の死神が、宇宙空間に力なく漂う。
『これで終わりよ、死神。……トドメを刺しなさい、ローランド!』
『おうよ! 木っ端微塵に砕け散りなァッ!!』
ローランドが、戦槌のパイルバンカー(杭打ち機)のチャージを完了させ、タナトスのコクピット——ローゼリアの命そのものへと狙いを定めた。
バハムートAIが『回避不能』のアラートを虚しく鳴らし続ける。
(……ごめん、リアンヌ。……アルティナ……)
ローゼリアが静かに死を覚悟し、瞳を閉じた、**その瞬間**だった。
**——ゴアァァァァァァァァッ!!!**
宇宙空間を揺るがすような、凄まじい高エネルギーの奔流が、ローランドの機体とタナトスの間に強引に割り込んだ。
『なっ!? なんだこの出力は!?』
ローランドが慌てて機体を後退させる。
そこへ、エインヘリアルの母艦から射出された「三筋の極光」が、猛烈な速度で戦域へと到達した。
『——我が主に、気安く触れるなぁぁぁぁぁっ!!!』
血を吐くような、そして狂気に満ちた悲痛な絶叫。
純白の装甲を怒りで赤熱させたリアンヌの『ブラン』が、ローランドの重騎士機体に向けて、捨て身の特攻の如き神速の長槍を突き出した。
『チィッ! なんだこの狂った推力は!』
ローランドが戦槌で防御するが、リアンヌの異常なまでの「愛と執念」が乗った一撃は、重騎士の強固な装甲を紙のように削り取り、その機体を大きく吹き飛ばした。
さらに。
『よくもウチのお姫様を……! 粉々に叩き斬ってやるよ、テロリスト共!』
『これ以上の狼藉は、戦乙女の名にかけて許しません!』
長女ランドグリーズの『グリムゲルデ』が、巨大な戦斧を振り回しながらメイザースの自律可動砲台を次々と叩き割り、三女オルトリンデの『ジークルーネ』が、正確無比な狙撃で敵の退路を完全に封鎖する。
怒りに燃える三騎の戦乙女が、ボロボロになったタナトスを庇うように、完璧な陣形で立ちはだかった。
『……チッ。増援か。しかも、あのエインヘリアルの主力部隊』
メイザースが、忌々しげにコンソールを叩く。
彼女の冷静な思考が、現在の戦力差とリスクを瞬時に弾き出した。
『ローランド、退くわよ。私たちの任務はあくまで宙域の待ち伏せ。これ以上の戦闘は損耗率が高すぎるわ。……死神の機体は完全に大破させた。あれではもう、しばらくは戦線に復帰できないでしょう』
『クソッ! 逃げるのかよ、メイザース!』
『命令よ。……それに、あの純白の機体のパイロットの目、まともじゃないわ』
メイザースの言う通り、タナトスに寄り添うブラン(リアンヌ)からは、周囲の空間が歪むほどの異常な殺気と魔力が立ち上っていた。もしここで彼女たちと死闘を演じれば、幹部である自分たちもタダでは済まないだろう。
『……覚えておけ、戦乙女ども。次会った時は、その船ごとスクラップにしてやる!』
ローランドの遠吠えと共に、二機のユグドラシル幹部機は、素早くワープゲートを開き、暗黒の宙域へと姿を消していった。
敵の反応が完全に消失したのを確認するよりも早く、リアンヌのブランは、腕を失い、装甲がひしゃげた無残なタナトスへとすがりついた。
『ローゼリア!! ローゼリア!! 返事をしてください!! お願いです!!』
通信回線に、リアンヌの悲痛な叫び声が響き渡る。
ランドグリーズとオルトリンデも、青ざめた顔でタナトスを護衛しながら母艦への帰還ルートを確保する。
タナトスのコクピットの中。
ローゼリアは、警告音の赤い光に照らされながら、浅く、苦しい呼吸を繰り返していた。バハムートAIも生命維持装置に全電力を回し、沈黙している。
「……りあん、ぬ……」
折れた肋骨が肺を圧迫し、言葉を発するたびに激痛と血の泡が口から溢れる。
視界はすでに真っ暗に塗りつぶされ、全身の感覚が、氷水に沈められたように冷たく、遠ざかっていく。
『ローゼリア! 今、すぐ、母艦に戻ります! フィーネが、アルティナが医療ポッドを準備しています! ですから、どうか……どうか目を開けていてください!!』
「(……すまん、リアンヌ。……妾が、調子に乗って……一人で、突っ込んだから……)」
謝罪の言葉は、声にはならなかった。
ゲーマーとして、強力なAIに頼り、どこかで「自分だけは特別(主人公)だ」と思い上がっていた慢心。
その代償は、あまりにも残酷な形で、彼女自身の肉体と、大切な仲間たちの心に深い傷を刻み込むこととなった。
「(……ゲーム、オーバー……か)」
薄れゆく意識の最果てで、リアンヌの泣き叫ぶ声を聞きながら。
銀河最強と謳われた黒き死神は、その活動を完全に停止し、深い、暗い死の淵へと沈んでいったのであった。




