第二幕 第二十六話:死神の逃走劇(物理)と、憐れむ戦乙女たち
「嫌じゃぁぁぁっ! 誰が一日十時間も書類の山に埋もれて、笑顔の作り方の練習などするものかぁぁぁっ!!」
白亜の帝城に、銀河最強の死神の情けない絶叫が響き渡る。
豪華絢爛な大理石の廊下を、豪奢なフリルのついた皇女のドレスを乱しながら猛ダッシュで逃走するのは、かつて宇宙を恐怖に陥れたローゼリア・エーベルヴァインその人であった。
「待つのです、ローゼリア! まだ第五星系の農地改革に関する決裁が三割しか終わっていません! それに午後からは、有力貴族のご子息たちとのお茶会(お見合い)が控えているのですよ!」
背後から、純白の近衛騎士マントを翻して追いかけてくるのは、フェイト女帝に完全に買収され、帝国公式の専属護衛となったリアンヌである。
「おのれ腹黒姉上め! 豪華なゲーム部屋は、妾を逃がさないための『見返り(対価)』じゃったか! あんな書類の山、サインを書き続けるだけで腱鞘炎になってしまうわ!!」
ローゼリアは半泣きになりながら、城の出口を目指して角を曲がった。
魔力を使えば城ごと吹き飛ばして脱出できるかもしれないが、実の姉の城を破壊するわけにはいかないし、何より魔力を使った瞬間にフェイトの近衛部隊が本気で制圧しにくる。ここは己の肉体(物理)のみで振り切るしかない。
——だが、彼女は忘れていた。
マギアナイトの操縦席にいなければ、彼女は**「何もない平坦な床でつまずくほどの、壊滅的な運動音痴」**であることを。
「ああっ、足が、ドレスの裾に絡まっ——!」
**ズデーーンッ!!!**
ローゼリアは、見事に大理石の床で足をもつれさせ、カエルのように顔面から派手にすっ転んだ。
「い、痛ぁぁぁいっ! 妾の美しい鼻がまた……!」
「はい、確保です。ローゼリア」
うずくまるローゼリアの背後に、一切息を切らしていないリアンヌが優雅に到着した。
彼女は倒れた主を軽々と抱え上げると、抵抗を許さないまま、無情にも書類の山が待つ自室へとUターンを開始する。
「離せ! 離すのじゃリアンヌ! 妾は傭兵じゃ、戦乙女のパイロットなんじゃあぁぁっ!」
「ダメです。フェイト陛下から『妹が逃げたら、今日のゲーム時間は一時間短縮するように』と仰せつかっております。さあ、立派な皇族に戻るための勉強を再開いたしましょう!」
「ああっ! 妾のゲームの時間がぁぁぁっ!!」
ジタバタと暴れながら自室へと連行されていくローゼリア。
この光景は、帝城に到着してからの数日間、もはや**「城の朝の風物詩」**として定着しつつあった。
「……あれで本日、五回目の逃走劇ッスね。お姫様、相変わらず見事なコケっぷりだったッス」
「ええ。あの絶望的な運動神経で、帝城の警備網を抜けられるはずがありませんわ。それに……」
帝城の中庭を見下ろす、国賓用のVIPテラス。
傭兵団『戦乙女』の面々は、帝国が用意した最高級の紅茶とスイーツを優雅に楽しみながら、窓の外で繰り広げられる「ローゼリア連行の儀」を眺めていた。
長女ランドグリーズが苦笑しながらクッキーをかじり、次女ロスヴァイセが呆れたように眼鏡を押し上げる。
「物理的な逃走が無理なら、いっそタナトスを遠隔で呼び出せばいいと思うのですけれど」
「それは無理よ、ロスヴァイセ」
ホログラム端末で帝国のネットワークを覗き見ていたアルティナが、肩をすくめて答えた。
「フェイト女帝の根回しは完璧すぎるわ。現在、タナトスをはじめとする私たちの機体は軍事専用ドックに保管されているけれど、タナトスの周辺だけは**帝国の最精鋭部隊による多重結界と、二十四時間体制のガチガチの物理警備**が敷かれているの」
「そこまで厳重なのですか?」
三女オルトリンデが目を丸くする。
「ええ。私の電子戦技術でも、あの軍事回線の暗号を突破するには数日かかるわ。仮に突破しても、特殊工作兵すら数メートル以内に近づけないほどのレーザーセンサーと自動迎撃システムが張り巡らされている。……妹が機体を使って強行突破することなど、最初からフェイト女帝は完全に封殺しているのよ」
アルティナの言葉に、戦乙女たちは思わず息を呑んだ。
銀河最高峰の権力者が本気を出した「妹の引きこもり防止策」。それは、ユグドラシルの要塞よりも遥かに堅牢で、絶望的な要塞であった。
「……自業自得とはいえ、流石に憐れね。あんなにボロ雑巾みたいになって」
アルティナが、リアンヌに引きずられていくローゼリアの背中を見て、同情するように呟く。
「ふむ。だが、あいつが身を挺して書類仕事とマナー教育の生贄になってくれているおかげで、我々はこうして極上の休暇を満喫できているのだ」
指揮官席ならぬ、ふかふかのテラスチェアに深く腰掛けたブリュンヒルデ団長が、優雅にティーカップを傾けた。
いつも手放せなかった胃薬の小瓶は、今の彼女のポケットには入っていない。
「フェイト女帝陛下は、我々戦乙女への支援を惜しまないとおっしゃってくださった。母艦の修理も完璧に行われ、補給物資も最高ランクのものが積み込まれている。……お姫様の犠牲は、決して無駄にはならんさ」
「団長、目が完全に『他岸の火事』を見る目になってますわよ……」
ロスヴァイセがジト目を向けるが、ブリュンヒルデは清々しい笑顔で紅茶を飲み干した。
「さあ、お茶会の後は帝都の温泉施設を貸し切っているんだったな。皆、行くぞ!」
『はーい!!』
かくして、銀河最強の死神が、実の姉の恐ろしい包囲網と買収されたポンコツ騎士によって、果てしない政務の地獄に落とされている中。
彼女の愛すべき仲間たちは、ローゼリアの悲鳴をBGMに、帝国が提供する最高級のバカンスを心ゆくまで満喫するのであった。




