第二幕 第十五話:死神の帰郷と、空白の五年間
ステルスシャトルが音もなく着陸したのは、極東の島国・日本のある地方都市の外れ、鬱蒼と生い茂る裏山の雑木林の中だった。
ハッチが開き、夏の夜特有の湿った空気と、遠くで鳴くカエルの合唱が三人を迎える。
「……ふむ。魔力こそ皆無じゃが、中々どうして、自然の匂いというのは悪くないものじゃな」
ローゼリアは黒のキャップを目深に被り直し、木々の隙間から見える街の夜景を見下ろした。
だが、その赤い瞳が街の輪郭や遠くに見えるランドマーク——古びた電波塔や、駅前の大きなボウリング場の看板——を捉えた瞬間、彼女の動きがピタリと止まった。
「……おい。ちょっと待て」
「どうしたの、ローゼリア?」
アルティナが不審そうに顔を覗き込むと、ローゼリアはわなわなと震える指で、眼下に広がる街並みを指差した。
「あのボウリング場……。そしてあの無駄にデカいスーパーマーケットの看板……間違いない。妾が前世で、二十年間住み続けていた地元じゃ!! なぜよりによってピンポイントでここに降りてしまうんじゃあぁぁっ!」
「すごい偶然ですね! さすがはローゼリア、運命すらも引き寄せる御方!」
リアンヌが両手を合わせて感動しているが、ローゼリアにとってはたまったものではない。
「バカ言え! よりにもよって自分の実家のすぐ裏山に不時着するなど、どんな羞恥プレイじゃ! 誰かに見られたらどうする!」
「誰に見られるのよ。あんたが死んだのは銀河の時間軸で数百年前なんでしょ? 知り合いなんてとっくに……」
「——ローゼリア。悪い知らせがあるわ」
アルティナが、手元のホログラム端末を操作しながら、かつてないほど真剣な、そして少し引きつった顔で口を開いた。彼女の脳内デバイスは、すでに地球(日本)のインターネット網に完全にハッキングを完了している。
「どうしたのじゃ、アルティナ。そんな深刻そうな顔をして。まさか、この星の回線速度が使い物にならんほど遅いのか……!?」
「違うわよ。……『時間』の問題よ」
アルティナは、空中に現代日本の日付とニュースのトップページを投影した。
「銀河とこの星の次元の壁を越えた影響か、時間の進み方が全く違うみたいなの。この星の現在の西暦と、ローゼリアの脳内にある前世の記憶データを照合した結果……」
アルティナは、残酷な真実を告げた。
「あなたが前世でトラックに轢かれて死んでから……地球の時間は、**たった『五年』しか経ってないわ**」
「………………………………は?」
ローゼリアは、口をあんぐりと開けたままフリーズした。
たった五年。
それはつまり、かつての同級生は社会人としてバリバリ働いており、オンラインゲームで毎晩ボイスチャットをしていた悪友たちは健在で、そして何より——自分を育ててくれた『両親』が、すぐそこの街で生きているということだ。
「ご、ご、五年……? 五年じゃと……?」
ローゼリアの頭の中に、最悪のシミュレーションが駆け巡る。
今の自分は金髪赤眼の美少女であり、外見から前世の「男」の正体がバレることは絶対にない。しかし、ふとした拍子に前世の口癖が出たり、地元民しか知らないようなローカルな話題を口走ってしまったら?
『あ、あの……俺だよ俺! トラックに轢かれて死んだけど、異世界転生して銀河最強の死神になって帰ってきたんだ!』などと自白する羽目になれば、頭のおかしい不審者として警察に突き出されるのがオチである。
さらに恐ろしいのは、実家の自室に残された遺品(主にPCのハードディスクとベッドの下の秘密の箱)だ。五年という月日は、親が息子の死を乗り越え、遺品整理を完了させるには十分すぎる時間である。
「アアアアァァァッ!! 嫌じゃ! 妾の黒歴史が白日の下に晒されているかもしれない街など歩けるか!! 今すぐ月へ帰るぞ!!」
ローゼリアがシャトルに駆け戻ろうとするが、リアンヌがその腰をがっしりとホールドして止める。
「落ち着いてくださいローゼリア! シャトルを直すためのレアメタルとエーテル結晶は、この山のふもと……あの街の地下の地脈に集中しています! ここで逃げれば、私たちは一生月面生活です!」
「月面でいい! むしろ月面でウサギと暮らす方がマシじゃぁぁっ!!」
「いい加減にしなさいよこのヘタレ死神!!」
アルティナがローゼリアの脳天にチョップを落とし、強制的に静粛にさせた。
「いい? 誰もあんたに『実家に挨拶に行け』なんて言ってないわ。ただ街を通り抜けて、地下の資源ポイントに行くだけでしょ。あんたはここの地理に詳しいんだから、誰にも会わないルートを案内しなさい!」
アルティナの正論に、ローゼリアは涙目で頷くしかなかった。
かくして、銀河最強の三人は、深夜の日本の住宅街へと足を踏み入れた。
「……よいか。この街は、ユグドラシルの要塞よりも危険なトラップが張り巡らされておる。妾の指示に絶対に従うのじゃ」
ローゼリアは、キャップを目深に被り、Tシャツの襟を立てて顔を隠しながら、極端な前傾姿勢で、息を殺して電柱の陰から周囲を伺った。
「はぁ。ただの平和な住宅街じゃない」
「甘いぞアルティナ! 見ろ、あの角のコンビニ! あれはただの店ではない……妾の高校時代の悪友・タナカが、万年フリーターとして深夜シフトに入っている可能性が極めて高い危険地帯じゃ!」
ローゼリアが指差した先には、どこにでもある平凡なコンビニが煌々と光を放っていた。
「ビビりすぎよ。今のあんたは完璧な美少女なんだから、顔を見られたって死んだはずの知り合いだなんて絶対にバレないでしょ」
「容姿の話ではない! 奴は無駄に勘が鋭いんじゃ! 万が一言葉を交わして、妾がうっかり『おいタナカ、あの新作ゲームの貸しはどうなった』などと昔のノリで口走ってみろ! あるいは、無意識に出る妾のしょうもない癖を見抜かれたらどうする! 『お前……なんで死んだアイツと同じこと言ってるんだ?』と問い詰められでもしたら、妾は羞恥のあまりこの星ごと消し飛ばしてしまうかもしれん! 絶対に近づくな!」
「……は、はい! 承知いたしましたローゼリア!」
リアンヌが極度に緊張した面持ちで頷いた。
「タナカという暗殺者が潜んでいるのですね。万が一接近してきた場合は、私が気配を消して背後から首を……」
「やめろ!! タナカはただのゲームオタクのフリーターじゃ! 物理的に消すな!!」
三人はコンビニを大回りして避け、細い路地へと進入する。
しかし、ローゼリアの『元・地元民』としての知識が、逆に彼女自身を苦しめていた。
「ストップ!! そこの鈴木さんの家の前を通ってはならん! あそこの飼い犬のポチは、なぜか昔から妾の気配を感じるたびに親の仇のように吠え立ててきおった! たとえ肉体が変わろうと、妾の魂の波長に気づかれたら街中に響き渡る声で吠えられるぞ!」
「……だからって、わざわざ隣の空き地のブロック塀をよじ登る必要あるの!?」
アルティナが呆れながら、ローゼリアに続いてブロック塀を乗り越える。
リアンヌに至っては、空間跳躍を使って音もなく塀をすり抜けていた。銀河の命運を握るトップエリートたちが、深夜の日本で何をやっているのか。
「よし、この路地を抜ければ、資源ポイントのある廃工場跡地に……」
ローゼリアが安堵しかけたその時。
『——あ、すいませーん。そこのお姉さんたち、ちょっといいかな?』
路地の出口に、一台のパトカーが止まっていた。
中から、二人の若い警察官が不審そうな顔をして降りてくる。
キャップを目深に被り、コソコソとブロック塀を乗り越えてきた黒ずくめの不審者と、それに付き従う、どう見ても日本人の規格から外れた超絶美少女二人(リアンヌ、アルティナ)。深夜の住宅街において、これ以上ないほどに怪しい三人組である。
「ヒッ……!! け、警察!?」
ローゼリアの心臓が跳ね上がった。
銀河連邦の治安維持部隊なら、タナトスの威圧感だけで一網打尽にできる。
だが、ここは地球。しかも故郷。
ここで騒ぎを起こせば、ニュースで『深夜の不審者三人組、逮捕』などと報道され、最悪の場合、親の目に触れてしまう。
「あー……こんな夜中に、こんな人気のない路地で何してるの? 君たち、年齢は? 身分証とか持ってる?」
警察官が懐中電灯で三人の顔を照らす。
(マズい、マズいマズいマズい! 身分証なんてあるわけないし、リアンヌが『私はエインヘリアル副団長です!』などと言い出したら即座に病院送りじゃ!)
ローゼリアがパニックに陥りかけたその時。
「——こんばんは、おまわりさん。ごめんなさい、私たち、迷子になっちゃって」
アルティナが、一歩前に出た。
彼女はパーカーのフードを少し下ろし、その神秘的な紫色の瞳をうるうるとさせ、これ以上ないほど完璧な『心細そうな美少女』の演技(アイドル時代に培った絶対的な愛嬌)を炸裂させたのだ。
「えっ……あ、外国人の方?」
アルティナの尋常ではない可愛さと、拙い(ように偽装した)日本語に、警察官の警戒心が一瞬で霧散する。
「はい。姉たちと一緒に旅行に来たんですけど……ホテルへの帰り道が分からなくなってしまって。スマートフォンもバッテリーが切れちゃって……」
アルティナは、事前にハッキングして取得していた近くの高級ホテルの名前をスラスターのように滑らかに口にする。
「あ、ああ、なるほど! あのホテルなら、この道をまっすぐ行って大通りに出たところだよ。こんな夜中に女の子たちだけで路地裏は危ないから、気をつけてね」
「ありがとうございます! ほら、お姉ちゃんたちも行くよ!」
アルティナは、呆然としているローゼリアとリアンヌの手を引いて、ペコペコと頭を下げながらパトカーの横をすり抜けていった。
「……はぁ。本当に寿命が縮むかと思ったわ」
路地を抜け、警察の姿が見えなくなったところで、アルティナがため息をついた。
「すごいわ、アルティナ! あの地球の治安維持部隊の尋問を、一瞬の会話術だけで切り抜けるなんて……! やはりユグドラシルの最高傑作!」
「いや、ただ単に警察官が可愛い子に弱いだけよ。ローゼリア、あんたも銀河最強とか言ってるくせに、お巡りさん相手に震えすぎでしょ」
「し、仕方ないじゃろう! 地球の警察権力は、この星の物理法則よりも恐ろしいんじゃ!」
ローゼリアはまだ少し涙目になりながら強がった。
「まあいいわ。ほら、着いたわよ。あの廃工場……地下に強大なエネルギー反応があるわ」
アルティナが指差した先には、フェンスで囲まれた広大な廃工場の敷地があった。
しかし、その場所はただの廃墟ではなかった。
アルティナの紫色の瞳が、空間の僅かな歪み——『結界』の存在を捉えていたのだ。
「……おかしいわ。魔力がない星のはずなのに、この地下には、強固な魔力偽装の結界が張られている。まるで、外から見えないように何かを『隠して』いるみたいな……」
「隠している?」
リアンヌが眉をひそめ、長槍を顕現させる。
その時。
廃工場の地下深くから、地響きのような低い振動が伝わってきた。
ただの地震ではない。それは、先ほどまで宇宙空間で戦っていたユグドラシルの兵器——『ニーズヘッグ』や『星喰い』から放たれていたものと酷似した、冷たく、機械的な魔力の波長だった。
「……どうやら、ただのお使いでは済まないようじゃな」
ローゼリアがキャップを深く被り直し、真紅の瞳に鋭い光を宿す。
元・男としての黒歴史がバレる恐怖に震えていたポンコツな姿は消え去り、そこには銀河を震え上がらせる『黒き死神』の顔があった。
「ユグドラシルの羽虫ども……まさか、妾の故郷にまで湧いて出るとはな。これ以上の地元荒らしは、断じて許さんぞ」
青き星の地下深くで蠢く、世界樹の闇。
エインヘリアルの三人は、時空の壁を越えた地球にて、再びユグドラシルとの死闘へと身を投じていくのであった。




