第二幕 第十一話:世界樹の影と、騒がしき傭兵の日常
光の届かぬ暗黒星雲の最奥。秘密結社『ユグドラシル』の巨大要塞内にある最高幹部会議室は、重苦しい沈黙と、ホログラムモニターから放たれる冷たい青光に包まれていた。
「……対高魔力殲滅兵器『ニーズヘッグ』、完全ロスト。アストレアステーションへの侵攻作戦は失敗に終わりました」
無機質なAIの報告が響き渡る。
円卓を囲むローブ姿の幹部たちは、一様に不快げな表情を浮かべていた。
「フェンリル部隊三千機に続き、ニーズヘッグまでもが敗れるとは。あの忌まわしき『死神』と『純白の騎士』の力は、我々の想定演算をどこまで上回るというのだ」
「それだけではない。ニーズヘッグの捕食システム【虚無の顎】を内部から破壊したのは……他でもない、我が結社の元・最高傑作、被検体アルティナ・アスフィだ」
ホログラムの空中に、アストレアステーションでの戦闘データが再生される。アルティナの操るハルファスが、ニーズヘッグのコアに「非効率的で計算不可能な感情のノイズ」を流し込み、システムを崩壊させた瞬間の映像である。
「兵器に『心』などというバグが芽生えるとはな。失敗作め……」
「しかし、アルティナがエインヘリアルに加わったことで、奴らの戦力は単なる『規格外の暴力』から、『戦術的かつ緻密な暴力』へと昇華してしまった。これ以上の直接的な武力衝突は、我が結社のリソースを無駄に削るだけだ」
幹部の一人が、冷酷な光を宿した瞳で円卓の中央を見据えた。
「武力が通じないのなら、盤面そのものをひっくり返すしかない。……『プロジェクト・ミドガルズオルム』の進捗はどうなっている?」
「現在、フェーズ3へと移行中。第4セクターの無人星系にて、星の核を直接魔力炉として変異させる実験が成功しました」
「結構。……エインヘリアルよ、せいぜい今のかりそめの家族ごっこを楽しむがいい。次なる我々の一手は、一隻の艦や一機の兵器ではない。星系そのものを喰らい尽くす、真の絶望だ」
暗闇の中で、ユグドラシルの悪意は深く、静かに根を張り巡らせていた。
その頃。
銀河の辺境宙域を航行する、傭兵団エインヘリアルの母艦。
艦内のブリーフィングルームでは、いつものように騒がしい、しかしこれまでとは少し様相の異なる日常が繰り広げられていた。
「——右翼の海賊船三隻、魔力シールドの周波数が同調しています。物理攻撃は弾かれるわ。ランドグリーズ、左から回り込んで実弾で牽制を! その隙にロスヴァイセが徹甲魔法でシールドの基部を狙い撃って!」
『了解ッス! 派手にぶっ放してやるぜ!』
『アルティナ様の指示通りに。……ターゲット、ロックオン。発射しますわ』
巨大な戦術モニターの前に立ち、インカムを着けて的確な指示を飛ばしているのは、フリルのついたブラウスにショートパンツという、およそ傭兵らしからぬ私服姿のアルティナだった。
彼女の生来の驚異的な演算能力と空間把握能力は、エインヘリアルの戦乙女たちのポテンシャルを極限まで引き出していた。
「オルトリンデ、敵の旗艦の通信システムにジャミングをかけて! 逃げ道を塞ぐわよ!」
『……了解。電子防壁、五秒で突破する』
アルティナの指揮の下、モニター上の赤い光点(敵の海賊船)が次々と沈黙していく。
「素晴らしい……! なんという完璧なオペレーション! さすがは私とローゼリアの娘、アルティナです!」
部屋の隅で、純白のエプロン姿のリアンヌが、感極まったようにハンカチで目頭を押さえている。その後ろでは、傭兵団団長のブリュンヒルデが、熱い緑茶をすすりながら深く頷いていた。
「ああ。お姫様の力任せの殲滅も手っ取り早いが、アルティナが指揮を執るようになってから、我が軍の弾薬消費量と機体の損傷率が劇的に下がった。何より、私が胃薬を飲む回数が減ったのが素晴らしい」
「ちょっとリアンヌ、ブリュンヒルデ! 感心してないで、あっちのポンコツ死神をどうにかしてよ!」
アルティナがインカムを外して振り返り、部屋の奥を指差した。
そこには、特注のふかふかクッションに埋もれ、スウェット姿で最新型VRゲームのコントローラーを握りしめているローゼリア・エーベルヴァインの姿があった。
「む? なんじゃアルティナ。妾は今、この激ムズのダンジョンでボスと死闘を繰り広げておるのじゃ。話しかけるな、死んでしまう」
「今、傭兵団の仕事の真っ最中でしょうが! あなたも出撃しなさいよ!」
「バカ言え。こんな雑魚海賊の掃討など、お主の指揮と三姉妹がいれば十分じゃろう。妾が出るまでもない。それに……」
ローゼリアはゲーム画面から目を離さず、ニヤリと笑った。
「娘が立派に育って親の仕事を手伝ってくれておるのじゃ。妾は親として、その成長をふかふかソファの上から温かく見守る義務がある」
「ただ怠けたいだけの言い訳じゃない!!」
アルティナが持っていたバインダーでローゼリアの頭をポカポカと叩くが、ローゼリアは全く気にした様子もなくゲームを続けている。
先日、女性としての機能を獲得する(初潮を迎える)という大騒動を経てからというもの、ローゼリアの「元・男」としての威厳は完全に地に落ちた。むしろ、「もうかっこつける必要もない」と開き直ったのか、以前にも増して限界オタクとしての怠惰な生活に拍車がかかっていた。
ただ一つ変わった点といえば、たまに生理痛でソファの上で丸まって「お腹痛い……リアンヌ、湯たんぽ……」と情けない声を出すようになったことくらいである。
「ローゼリア、あまりアルティナを困らせてはいけませんよ。アルティナ、お疲れ様です。特製のイチゴのショートケーキを焼いておきましたから、作戦が終わったら一緒に食べましょうね」
「あ、イチゴ! うん、すぐ終わらせる!」
リアンヌの甘やかしに、アルティナの紫色の瞳がパァッと輝く。
かつてユグドラシルの冷酷な幹部だった少女は、すっかり『美味しいおやつと優しい母親、そして手のかかる怠惰な母親』というエインヘリアルの日常に順応していた。
『——アルティナ、敵旗艦の制圧完了ッス! 降伏信号を受信したぜ!』
通信機からランドグリーズの明るい声が響く。
「ご苦労様、ランドグリーズ。残党の武装を解除して、身柄は連邦の治安維持部隊に引き渡して。……これで、今回の依頼はコンプリートね」
アルティナがふぅっと息を吐き、モニターの電源を落とす。
ブリュンヒルデが「よくやった」とアルティナの肩を叩き、リアンヌがケーキの乗ったトレイを運んでくる。
「やったー! ケーキ!」
「おお、妾にも一口寄こせ、アルティナ!」
「ゲームの手を止めてから言いなさいよ!」
騒がしくも温かい、傭兵団の日常。
だが、その平穏な空気の中で、アルティナの脳裏には、先ほど制圧した海賊船の戦闘データに関する「小さな違和感」が引っかかっていた。
(……あの海賊船のシールド。ただのならず者が持っているには、あまりにも高度すぎた。まるで、ユグドラシルの技術をダウングレードしたような……)
アルティナは、ショートケーキのイチゴを口に運びながら、誰にも気づかれないように紫色の瞳を細めた。
その日の深夜。
エインヘリアル母艦のデータルームは薄暗く、計器類のランプだけが静かに点滅していた。
「……やっぱり」
アルティナは一人、メインコンピューターの前に座り、昼間の戦闘データを詳細に解析していた。
海賊船の残骸から回収されたブラックボックスのデータ。そこに残されていた魔力波長のログは、彼女がユグドラシルにいた頃に見た『フェンリル部隊』の通信プロトコルと酷似していた。
「ユグドラシルが、裏で海賊たちに技術供与している……? いや、ただの供与じゃない。これは、彼らの行動を裏から操るための『洗脳プログラム』の痕跡……」
アルティナの背筋に、冷たい汗が流れる。
アストレアステーションでの激戦から数週間。ユグドラシルは沈黙を保っていたが、それは諦めたからではなかったのだ。彼らは銀河の裏社会に根を張り、より広範囲に、より狡猾に毒を撒き散らし始めている。
「……何をしているのですか、アルティナ。こんな夜更けに」
不意に、背後から静かな声が響いた。
アルティナが驚いて振り返ると、そこには純白のナイトガウンを羽織ったリアンヌが立っていた。
「リアンヌ……。ごめんなさい、ちょっと昼間のデータが気になって」
「ユグドラシルの影ですか?」
リアンヌは、アルティナの隣にそっと腰を下ろした。その横顔は、昼間の過保護で甘い母親の顔ではなく、戦場を生き抜いてきた冷徹な騎士の顔だった。
「……気づいてたの?」
「伊達に長く戦場に身を置いていませんから。それに、あなたがショートケーキを食べながら、少しだけ難しい顔をしていましたからね。あなたの機微なら、どんな些細なことでもわかります」
リアンヌはふわりと微笑み、アルティナの頭を優しく撫でた。
「敵は、私たちが思っているよりも巨大で、深い闇に潜んでいるようです。でも……」
リアンヌの言葉を遮るように、データルームの自動ドアが開き、もう一人の人影が入ってきた。
「むにゃ……トイレに行こうと思ったら、お主らこんな所で何をしておるのじゃ」
目をこすりながら現れたのは、よれよれのスウェット姿で、髪をボサボサにしたローゼリアだった。
「ローゼリア。トイレは反対方向ですよ」
「うむ。迷ったのじゃ」
堂々と言うローゼリアに、アルティナは思わず吹き出した。
先ほどまでの冷たい緊張感が、彼女の登場だけで一気に霧散していく。
「まったく、この宇宙最強の死神は、自分の家のトイレの場所も覚えられないのね」
「やかましい。母艦が広すぎるのがいかんのじゃ。……それで? お主ら、妾抜きで深刻そうな顔をして、何をこそこそ話しておった」
ローゼリアはあくびをしながら、アルティナのモニターを覗き込んだ。
ユグドラシルの痕跡を示す、複雑なデータログ。
それを一瞥したローゼリアは、興味なさそうに鼻を鳴らした。
「なんじゃ、またあの羽虫どもの話か」
「ローゼリア、羽虫じゃ済まないかもしれないわよ。奴らは銀河中に根を張って、何かとんでもない計画を進めているみたい……」
アルティナが深刻な声で告げると、ローゼリアはアルティナの頬を両手で挟み、ぐにーっと引っ張った。
「ふむむむむ。だからどうしたと言うんじゃ」
「ふぇっ!? ちょっと、痛い、痛いわよ!」
ローゼリアはアルティナの顔を解放すると、自信に満ちた真紅の瞳で笑った。
「相手がどんな計画を立てようが、どれだけ巨大な闇に潜もうが、関係ない。妾の平穏なゲームライフと、お主らとの楽しいお茶の時間を邪魔する奴は、世界樹だろうが銀河の理だろうが、根こそぎ燃やし尽くしてやるだけじゃ」
それは、かつて銀河連邦を震え上がらせた『黒き死神』としての、絶対的な傲慢さと力への自信だった。
「それに、今のエインヘリアルには、リアンヌの槍と、妾の魔力と……そして、宇宙一優秀な『星詠みのオペレーター』がついておるからのう。負ける要素など一ミリも存在せんわ」
ローゼリアの言葉に、アルティナの胸の奥が熱くなる。
自分はもう、孤独な最高傑作でも、操り人形でもない。
この最強で、最高に温かい家族の一員なのだ。
「……ええ、そうね。どんな手を使われても、私が全部計算して、あなたたちを完璧に勝たせてみせるわ!」
アルティナが力強く頷くと、リアンヌも優しく微笑んだ。
「さて、明日も早いのですから、もう寝ましょう。ローゼリア、トイレはあちらですよ。ちゃんと手を洗うのですよ」
「わかっておるわ、過保護め! アルティナ、明日も妾のレベル上げを手伝えよ!」
夜のデータルームを後にする三人の背中には、ユグドラシルの脅威に対する恐れなど微塵もなかった。
静かに忍び寄る世界樹の影。だが、死神の家族は、その絶対的な力と絆で、どんな絶望をも打ち砕く準備ができている。
星の海を駆けるエインヘリアルの新たな戦いは、まだ始まったばかりである。




