第二幕 第十二話:反逆の演算と、家族の証明
「胃袋を内側から食い破る……じゃと?」
タナトスのコックピットで、ローゼリアが眉をひそめた。
アストレアステーションの居住区をメキメキと砕きながら、ニーズヘッグはさらに巨大な触手を展開しつつある。一刻の猶予もない状況の中、アルティナの声は驚くほど澄み切っていた。
『ええ。あの化け物は、吸収したエネルギーを自身のシステム内で「最適化」して動力に変換している。ユグドラシルの設計思想なら、その変換プロセスには必ずコンマ数秒のタイムラグが存在するはずよ』
アルティナは、脳内の演算チップをフル稼働させながら戦術を説明する。
『なら、奴が絶対に計算できない……無限に波長が変異するイレギュラーなノイズを、変換炉に直接叩き込めばいい。そうすれば、奴の処理能力は限界を迎え、文字通り「胃袋が破裂」するわ!』
「しかしアルティナ! コアはあの【虚無の顎】の最奥です! 接近すれば、ハルファスの装甲ごと魔力と生命力を吸い尽くされてしまいます!」
リアンヌが切羽詰まった声で制止する。
『大丈夫よ、リアンヌ。私の中には、ローゼリアの無茶苦茶な魔力耐性と、あなたの空間を視る力がある。それに……』
アルティナは、コックピットの中で前髪の紫色の髪飾りにそっと触れた。
『私には、この銀河で一番強くて、最高に過保護な家族がバックについているもの。絶対に死なないわ』
その言葉に、通信回線がほんの数秒、沈黙した。
やがて、タナトスから漏れ出していた殺気立った魔力が、ふっと穏やかで、しかし底知れぬほど深く温かいものへと性質を変えた。
「……ふん。親に向かって随分と生意気な口を利くようになったではないか」
ローゼリアが、ニヤリと口角を上げる。
「リアンヌ、聞いたな。娘が『親を頼る』と言っておるのじゃ。これ以上の誉れがあるか?」
「……ええ。全くです、ローゼリア。私たちの可愛い娘の晴れ舞台、絶対に傷一つつけさせるわけにはいきませんね」
純白の騎士ブランが、長槍を構え直す。その機体から放たれる気迫は、先ほどまでの焦燥とは打って変わり、絶対的な自信に満ち溢れていた。
「お前ら、作戦は決まったな! 露払いはアタシたち三姉妹に任せなッ!」
ランドグリーズの号令と共に、戦乙女三姉妹の機体がステーション外郭を駆け抜け、ニーズヘッグの「根」へと一斉に弾幕を張り始める。物理も魔力も吸収されるなら、吸収しきれないほどの「手数」で攪乱するまでのことだ。
「行くぞ、アルティナ! 妾が奴の顎を限界までこじ開けてやる! 満腹で動けなくなったところへ飛び込め!」
「了解っ!」
漆黒の死神タナトスが、ニーズヘッグの正面へと躍り出た。
敵のメインセンサーがローゼリアの極大魔力に反応し、再び機体中央の【虚無の顎】を大きく展開する。あらゆるものを飲み込む底なしの暗闇。
「さあ、食いしばれよタコモドキ。妾の魔力は、特盛りだぞ!!」
ローゼリアは、タナトスの魔力ジェネレーターのリミッターを完全に解除した。
放たれたのは、破壊の斬撃ではない。ただひたすらに高密度に圧縮された、純粋な魔力の塊。あまりにも強大すぎるエネルギーの塊を、ニーズヘッグの顎に直接「流し込んだ」のだ。
『——警告。許容量ヲ超エル魔力流入ヲ確認。変換炉、フル稼働……ッ』
ニーズヘッグの機体が、悲鳴のような駆動音を上げる。あまりにも膨大なローゼリアの魔力を「消化」しようと、システムの全リソースがコアへと集中し、周囲の触手の動きが完全に停止した。
「今です、アルティナ!!」
リアンヌのブランが、ハルファスの前方を飛び、長槍で空間の歪みを切り裂きながら「光の道」を作り出す。
アルティナはスラスターを全開にし、紫の流星となって、ニーズヘッグの巨大な顎の中へと飛び込んだ。
顎の内部は、あらゆる魔力が渦巻く混沌の嵐だった。
ハルファスの装甲が悲鳴を上げ、アラートが鳴り響く。しかし、アルティナはリアンヌから受け継いだ空間認識能力で、嵐の「目」——魔力が最も安定しているルートを的確に縫うように進み、ついに機体の最深部に到達した。
そこには、毒々しい赤色に脈打つ、巨大な水晶体のようなコアが存在していた。
「見つけた……!」
アルティナはハルファスのエーテルブレードを構え、コアの中心へと深々と突き立てた。
『——異物ノ侵入ヲ確認。魔力吸収ヲ開始シマス』
コアがハルファスのエネルギーを吸い上げようと赤く発光する。
しかし、アルティナはブレードを引き抜かなかった。彼女はブレードの接続部を通じて、ハルファスのメインコンピューターからニーズヘッグの変換炉へ、直接「データ」を送信し始めた。
「さあ、私の演算能力のすべてを味わいなさい。ユグドラシルが『バグ』だと切り捨てた……不合理極まりないノイズをね!」
アルティナが流し込んだのは、魔力波長ではない。
彼女がエインヘリアルで過ごした日々の中で得た、計算不可能な「感情」のデータ波長だった。
——ゲームで負けて悔しくて、クッションを投げつけた時の脈拍。
——リアンヌの作ったアップルパイを食べて、美味しいと感じた時の脳波。
——ローゼリアの「初潮騒動」で呆れ果て、大笑いした時の混沌とした思考。
——そして、買ってもらった紫の髪飾りを胸に抱いた時の、じんわりと温かい心の揺らぎ。
それらはすべて、効率と破壊のみを追求するユグドラシルのシステムにとっては、全く意味を持たない「矛盾」だ。
『——エラー。未定義ノ波長ヲ検知。解析不能』
『——変換法則ニ矛盾。効率0%。存在意義ノ衝突』
『——排除不能。排除不能。エラー、エラー、エラー!!』
ニーズヘッグのコアが、激しく明滅を始めた。
ローゼリアの莫大な魔力を吸収しながら、同時にアルティナの流し込む「非効率的で温かい感情」を処理しようとした結果、AIの論理回路が完全に焼き切れたのだ。
「人は、効率だけで生きてるわけじゃない! 傷ついて、笑って、くだらないことで怒って……そうやって心を重ねるから、強いのよ!!」
アルティナの叫びと共に、コアにひび割れが走る。
無尽蔵に魔力を喰らうはずだった【虚無の顎】のシステムが、少女の「思い出」という名の容量オーバーによって、ついに崩壊の臨界点を迎えた。
『——自壊プロセス、起動』
「もらったわ!! ハルファス、全速後退!!」
アルティナはブレードを引き抜き、爆発を始めたコアから背を向けて一気にスラスターを吹かした。
外の宇宙空間では、ローゼリアとリアンヌが固唾を飲んで顎の内部を見つめていた。
突如として、ニーズヘッグの巨体が内側から膨張し、ステーションに突き刺さっていた無数の根が、力を失ったように次々と千切れ飛ぶ。
「……やったか!?」
「アルティナ! 早く脱出を!」
まばゆい閃光と共に、ニーズヘッグの機体が内側から大爆発を起こした。
その爆炎を切り裂くように、一機の紫色のマギアナイトが、装甲のあちこちを焦がしながら飛び出してくる。
『……ふぅ。お待たせ、二人とも』
通信回線に響いたアルティナの声は、少し疲労が混じっていたものの、誇らしげな響きを持っていた。
「アルティナ!!」
タナトスとブランが、文字通りすっ飛ぶような勢いでハルファスに駆け寄り、左右から機体ごとがっしりと抱きしめた。
『わ、ちょっと!? 機体が軋んでる、軋んでるわよ! 壊れちゃう!』
「バカ娘が! 心配かけさせおって! もしお主に万が一のことがあれば、妾はこれからの積みゲーを誰と一緒にプレイすればいいのじゃ!」
「本当に……本当に無事で良かったです……っ! さあ、すぐに母艦に戻って精密検査を! いえ、その前に私の手料理で栄養補給を……っ!」
「だから、大袈裟なんだってば……ふふっ」
呆れながらも、アルティナはコックピットの中で優しく微笑んだ。
窓の外では、アストレアステーションのシールドが徐々に回復し、民間人たちの歓喜の通信がエインヘリアルの回線にも飛び込んできている。
強大すぎる悪意は、家族の絆と、少女の成長の前に完全に打ち砕かれたのだ。
数時間後。
エインヘリアル母艦のリビング。
「……うん、似合ってる。やっぱり私の目に狂いはなかったわね」
シャワーを浴びてスッキリとしたアルティナは、今日アストレアで買ったばかりの白いフリルのノースリーブとデニムのショートパンツに着替えていた。前髪には、ローゼリアから贈られた紫の髪飾りがしっかりと留められている。
「おお、中々良いではないか! 動きやすそうじゃし、これならVRゲームの時も邪魔にならんぞ!」
相変わらずスウェット姿のローゼリアが、満足げに頷く。
「アルティナ……天使です。我が娘ながら、なんという可憐さ。すぐに専属のホログラムカメラマンを呼んで、写真集を作らねば……っ!」
リアンヌは両手で顔を覆い、感激の涙を流している。
「あのねぇ……別にアイドルに戻りたいわけじゃないんだから、写真集なんていらないわよ」
アルティナは苦笑しながら、ソファに座るローゼリアの隣に腰を下ろした。
そして、ローゼリアの手に握られていたもう一つのコントローラーを、ごく自然な動作でひったくった。
「さ、さっきの防衛戦で疲れたから、今日は私がプレイヤー1ね。ローゼリアはサポートに回って」
「なっ、なんじゃと!? 妾は今、一番良いところでセーブしておったのじゃぞ! 親の権限でそれは許さん!」
「親なら、娘に良いところを譲りなさいよ。ほら、スタートするわよ!」
ギャーギャーと騒ぎながらゲームの画面に没頭する死神と、その娘。
その後ろで、美味しい紅茶を淹れながら、菩薩のような笑顔で見守る純白の騎士。
銀河の命運を懸けた戦いから帰還しても、彼女たちの日常は何も変わらない。
ただ、アルティナの心の中にある「器」は、もう空っぽではなかった。そこには確かな温もりと、絶対に守り抜くという強固な意志が満ちていた。
ユグドラシルの暗躍は終わっていない。彼らはまた新たな刺客を放ち、この平穏を壊しに来るだろう。
だが、今のアルティナは知っている。
どれほど巨大で冷酷なシステムが立ちはだかろうとも、この「不器用で最高な家族」と一緒なら、どんなバグでも起こして世界をひっくり返せるのだと。
「……ねえ、ローゼリア。リアンヌ」
ゲームのロード画面の最中、アルティナはふと画面から目を離し、二人に顔を向けた。
その紫色の瞳は、かつての星詠みの歌姫の仮面ではなく、等身大の少女の純粋な輝きに満ちていた。
「なにじゃ、いきなり改まって」
「どうしました、アルティナ?」
アルティナは、照れ隠しのように髪飾りに触れながら、最高の笑顔を見せた。
「ただいま。……私を、本当の家族にしてくれて、ありがとう」
その言葉に、ローゼリアは少しだけ目を丸くした後、ニヤリと笑ってアルティナの頭を乱暴に撫で回した。リアンヌもまた、泣き笑いのような表情で二人を背後から優しく抱きしめた。
「「——おかえり、アルティナ」」
星の海を駆ける傭兵団の、騒がしくも温かい日常は、これからも続いていく。
最強の死神と騎士、そしてその娘が紡ぐ、新たな家族の物語として。




