第二幕 第十一話:強襲する毒龍と、魔力を喰らう顎
巨大交易ステーション『アストレア』の最上階。星々を一望できる見晴らしの良いカフェテラスで、アルティナはもらったばかりの紫色の髪飾りをそっと前髪に留めていた。
「どうかしら……変じゃない?」
「うむ、悪くない。妾の目に狂いはなかったようじゃな」
「本当に可愛らしいです、アルティナ! 写真を撮りますから、もう少し右を向いて……!」
パフェのグラスが空になり、平和で甘い時間がゆっくりと流れていく。
アルティナの心は、これまでにないほどの穏やかな幸福感で満たされていた。ユグドラシルの冷たい培養槽にいた頃には想像もできなかった、温かい世界がここにある。
しかし、その平穏は、文字通り「物理的」に打ち砕かれた。
**——ズドォォォォォォォンッ!!**
突如として、ステーション全体を巨大な地震のような揺れが襲った。
カフェテラスのガラスが不吉な音を立ててひび割れ、周囲の客たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。
「な、何事ッスか!?」
ランドグリーズが即座に立ち上がり、鋭い視線で周囲を警戒する。
『——緊急警報! 緊急警報! ステーション第4ドック付近に、所属不明の巨大質量体が激突!』
ステーションのスピーカーから、AIの無機質で切羽詰まったアナウンスが鳴り響いた。
『敵性体はステーションのメインジェネレーターに物理的に接続! エネルギーシールドが急速に低下しています! 重力制御システムのダウンまで、残り三百分——』
「所属不明の巨大質量体……? まさか」
アルティナの顔から、一瞬にして血の気が引いた。
「どうやら、妾たちの楽しいお買い物時間を邪魔したい命知らずな羽虫がおるようじゃな」
ローゼリアはサングラスを外し、真紅の瞳に冷ややかな殺意を宿した。
彼女がスウェットのポケットから通信機を取り出すと、間髪入れずにエインヘリアル母艦で待機しているブリュンヒルデからの通信が入る。
『ローゼリア! 無事か!』
「うむ、パフェは最後まで食べきったから無事じゃ。状況はどうなっておる」
『最悪だ。アストレアステーションに取り付いた敵の映像を送る』
ローゼリアのタブレットに表示されたのは、ステーションの外郭にへばりつくようにして蠢く、異形の巨大な機体の姿だった。
漆黒の装甲。そして、機体から無数に伸びる太い「根」のような触手が、ステーションのエネルギー隔壁を突き破り、魔力と電力を貪欲に吸い上げている。
「な、なんだあの気持ち悪い機体は……。触手プレイは十八禁ゲームの中だけにしてほしいのじゃが」
「ローゼリア、ふざけている場合じゃありません! あれは……」
アルティナは、その機体の特徴的なフォルムと、放たれる禍々しい魔力の波長に見覚えがあった。ユグドラシルのメインコンピューターに「構想」としてのみ存在していた、禁忌の兵器。
「……『ニーズヘッグ』。ユグドラシルが開発していた、対高魔力存在用の殲滅兵器よ! あの無数の根で、あらゆるエネルギーを吸収して自身の動力に変換するの!」
『アルティナの言う通りだ。奴の触手は現在、ステーションの動力炉から直接エネルギーを吸い上げている。このままではアストレアの生命維持装置がダウンし、数百万の民間人が宇宙空間に投げ出されるぞ!』
ブリュンヒルデの緊迫した声に、リアンヌが静かに立ち上がった。
「私たちの『家族の時間』を脅かし、罪なき人々を巻き込むなど……言語道断。ローゼリア、出撃しましょう」
「おうさ。アルティナ、お主はここで民間人の避難誘導を……」
「私も行くわ!」
アルティナは、前髪に留めた紫の髪飾りにそっと触れた。
「私はもう、逃げない。私の家族と、この温かい場所を守るために戦うって決めたの!」
彼女の迷いのない紫色の瞳を見て、ローゼリアはニヤリと笑った。
「良い顔になったのう。よし、エインヘリアル総員、マギアナイトへ搭乗! 民間人の生命維持装置が落ちる前に、あのタコモドキの足を全部引っこ抜いてやるぞ!」
数分後。アストレアステーションの外郭宙域。
エインヘリアルの専用ドックから射出された五機のマギアナイトが、漆黒の宇宙空間を駆けていた。
『——目標を確認! でけェな、おい!』
先陣を切るランドグリーズの機体が、巨大な戦斧を構えてニーズヘッグへと突撃する。
『とりあえず、あのキモい根っこから切り刻んでやるッス!!』
ランドグリーズが戦斧に極大の魔力を込め、ステーションに突き刺さっているニーズヘッグの「根」めがけて豪快に振り下ろした。
物理と魔力が融合した、一撃必殺の斬撃。
——ズチュゥゥゥンッ……!!
しかし、金属が激突する音ではなく、水たまりに泥を投げ込んだような、不快な音が響いた。
『な……っ!? 斬れねェ!? どころか……魔力が吸い取られてる!?』
ランドグリーズの戦斧が触れた瞬間、ニーズヘッグの根の表面がドロリと液状化し、斧に込められていた魔力をスポンジのように吸収してしまったのだ。
魔力を吸い取られた戦斧はただの鈍器と化し、ニーズヘッグの強固な装甲に弾き返される。
「お姉様、離れて! 物理徹甲弾、一斉射撃!!」
後方からロスヴァイセの機体が、無数の実弾ミサイルとガトリング砲を浴びせる。
だが、ニーズヘッグは新たな根を高速で展開し、それらを網のように交差させてミサイルを絡め取り、爆発の熱エネルギーすらも吸収してしまった。
『……攻撃が、すべて吸収されています。敵機の装甲表面に、未知の魔力吸収フィールドが展開されている模様』
オルトリンデが冷静な分析結果を伝える。
「チッ、面倒なからくりを積んでおるな。ならば、許容量を超えるまで一気に消し飛ばしてやれば良いだけじゃ!」
後方から、空間を圧迫するほどの漆黒の魔力を纏い、ローゼリアの『タナトス』が進み出る。
「ローゼリア、気をつけて! ニーズヘッグの吸収能力【虚無の顎】は、魔力が高ければ高いほど、それを糧にして際限なく増殖するわ!」
アルティナが『ハルファス』のコックピットから警告する。
「案ずるな、小娘。妾の魔力は『際限』などという安っぽい器に収まるものではないわ。……消し飛べ!!」
タナトスの断次元の大鎌が、虚空を薙ぎ払う。
放たれたのは、先日のフェンリル部隊三千機を一撃で蒸発させた、純粋な破壊の奔流。宇宙空間すらも歪めるほどの漆黒の斬撃が、一直線にニーズヘッグへと迫る。
「……もらったわ!」
アルティナもそれに合わせ、ハルファスのエーテルブレードを構えて追撃の態勢に入る。
だが、次の瞬間、ユグドラシルの悪意がその真の姿を現した。
**『——極大魔力反応ヲ確認。捕食システム【虚無ノ顎】、フル稼働』**
ニーズヘッグの機体中央部が、まるで巨大な獣の口のように大きく上下に展開した。
その内部には、底なしの暗闇と、幾重にも渦巻く魔力吸収の渦が形成されている。
タナトスの放った漆黒の斬撃が、その巨大な「顎」へと直撃する。
大爆発が起こる——はずだった。
「な……っ!?」
ローゼリアの目が驚愕に見開かれた。
圧倒的な破壊をもたらすはずの漆黒の魔力が、ニーズヘッグの顎の中で「咀嚼」されるようにドロドロと溶かされ、機体の奥深くへと吸い込まれていったのだ。
「妾の魔力が……喰われた、じゃと……!?」
『——捕食完了。対象ノ魔力波長ヲ解析。自己進化プロセスへ移行』
ニーズヘッグの機体が、不気味な脈動を始める。
吸収したローゼリアの魔力を動力源とし、ステーションに取り付いていた無数の「根」が、数倍の太さと長さに異常増殖を開始した。
さらに、ニーズヘッグの装甲の色が、ローゼリアの魔力と同じ『漆黒と真紅』の入り交じった禍々しい色へと変色していく。
「嘘でしょ……ローゼリアの魔力を吸収して、強くなってる……!」
アルティナは絶望的な光景に歯を食いしばった。
『フフフ……驚くのはまだ早いぞ、エインヘリアルの死神よ』
暗号化された通信回線に、ユグドラシルの幹部の冷ややかな声が割り込んでくる。
『ニーズヘッグは、お前のその理不尽な魔力を相殺し、喰らい尽くすためだけに調整された最高峰の盾であり矛だ。お前が力を振るえば振るうほど、その力はステーションを破壊し、我々の兵器を強化する結果となる!』
幹部の言葉を証明するかのように、増殖したニーズヘッグの根が、アストレアステーションの居住ブロックの装甲をメキメキと砕き始めた。
「……ッ! この外道どもが!」
リアンヌの『ブラン』が、ステーションを守るためにニーズヘッグの根へと突撃する。
だが、ローゼリアの魔力によって強化された根の速度は、先ほどまでとは段違いだった。鞭のようにしなる数本の根が、ブランの長槍を弾き飛ばし、そのまま純白の機体を強く打ち据える。
「くっ……!」
『リアンヌお姉様!!』
「ええい、鬱陶しい触手め!」
ローゼリアが再び大鎌を振るおうとするが、アルティナがそれを制止した。
「駄目よローゼリア! あなたが魔力を使えば使うほど、奴の吸収フィールドが強化されてステーションが壊れる! 今の奴は、あなたの力を写し取った『もう一人の死神』みたいなものよ!」
「ならばどうしろと言うんじゃ! このままではリアンヌも、ステーションの連中も……!」
かつて銀河を恐怖に陥れた最強の死神が、初めて直面する「自身の力が通じない」という絶対的なジレンマ。
ニーズヘッグは、獲物をいたぶるようにゆっくりと、無数の根をタナトスとブランへと向けて展開し始めた。
(どうすれば……どうすればあの『魔力を喰らう顎』を破れるの!?)
アルティナはハルファスのコックピットで、脳内の演算チップをフル稼働させて打開策を探る。
物理攻撃も魔法攻撃も吸収される。圧倒的な魔力も餌になる。
ユグドラシルがローゼリアを倒すために用意した、あまりにも完璧な「対抗策」。
その絶望的な状況の中、アルティナの額で、紫色の髪飾りが微かに揺れた。
(……待って。どんなに完璧なシステムでも、絶対に『許容量』が存在するはず。奴は魔力を吸収して、自分の動力に変換している……なら!)
アルティナの紫色の瞳に、一条の鋭い光が走る。
ユグドラシルの設計思想を誰よりも理解している「元・最高傑作」だからこそ気づける、たった一つの致命的な隙。
「ローゼリア! リアンヌ!」
アルティナは通信機に向かって叫んだ。
「私に、少しだけ時間をちょうだい! あの化け物の『胃袋』を、内側から食い破って見せるわ!!」




