第二幕 第十話:死神の娘のお買い物と、不穏なる世界樹の種
あの未曾有の「初潮・暗殺術勘違い大騒動」から一週間。
ローゼリアの元・男としてのプライドは宇宙の彼方へと消し飛んだが、肉体的な体調は完全に回復し、エインヘリアル母艦には再びいつも通りの(締まりのない)日常が戻っていた。
「……うむ、この能力値なら、次のレイドボスも余裕でソロ討伐できるな」
「ちょっとローゼリア、画面ばかり見てないでたまには外の空気でも吸いに行ったらどうなの? ずっと母艦に引きこもってると、本当にキノコが生えるわよ」
リビングのソファで、アルティナは呆れ顔でローゼリアのコントローラーを奪い取った。
魔力変換器を摘出されたアルティナの顔色は、ユグドラシルにいた頃よりも遥かに健康的で、紫色の瞳には少女らしい生き生きとした光が宿っている。
「何を言うかアルティナ。宇宙空間に『外の空気』など存在せんわ。それに、妾にはこのふかふかソファと積みゲーという名の至高の領土があるからの、一歩も動きたくないのじゃ」
「はいはい、屁理屈はいいから。ほら、リアンヌも何か言って……って、リアンヌ?」
アルティナが振り返ると、リアンヌは大量のファッション雑誌やカタログホログラムを空中に展開し、凄まじい眼力でそれらを凝視していた。
「……ふむ、このフリル付きのブラウスもアルティナに似合いますが、こちらの少し大人びたシックなワンピースも、ローゼリアの面影があって素晴らしいですね。ああっ、でもスポーティーなパーカー姿のアルティナも捨てがたい……!」
「人の話を聞きなさいよ!!」
アルティナのツッコミが響く中、リビングの自動ドアが開き、エインヘリアルの三姉妹——ランドグリーズ、ロスヴァイセ、オルトリンデが揃って入ってきた。
「よぉ、アルティナ! 今日は非番だし、これから近くの巨大交易ステーションにみんなでお買い物に行くんだけど、お前も来ねェか?」
ランドグリーズが豪快にアルティナの肩を叩く。
「お買い物? 私が?」
アルティナは目を丸くした。
「ええ。アルティナ様の私服、私たちが用意したパジャマと、ユグドラシル時代の戦闘スーツしかありませんもの。女の子がそれでは形無しですわ。私の行きつけの兵器ショップ……ゴホン、セレクトショップへ案内します」
眼鏡をクイッと上げながらロスヴァイセが言う。今、不穏な単語が混ざった気がしたが、アルティナは聞こえなかったことにした。
「……オルトリンデも、新作のゲームデバイス、見たい」
末っ子のオルトリンデも、アルティナの袖をきゅっと引っ張る。
「う、うーん……私は別に行かなくても……」
兵器として育てられ、私生活の「楽しさ」を知らないアルティナは、戸惑ってローゼリアとリアンヌを見た。
「行ってくるとよい、アルティナ」
ローゼリアがソファから手を振る。
「妾はお留守番じゃが、リアンヌの財布を持っていって好きなものを買うとよいぞ。リアンヌの財力は国家予算並みじゃからな」
「もちろんです! アルティナ、このブラックカードを持っていきなさい! 上限などありませんから、ステーションごと買い占めても構いませんよ!」
「そんな物騒な買い物しないわよ!!」
過保護すぎる親(?)たちに背中を押され、アルティナはエインヘリアル三姉妹と共に、近くの巨大交易ステーション『アストレア』へと出かけることになった。
交易ステーション『アストレア』は、数千の種族が行き交う銀河有数の商業都市だった。眩いネオン、飛び交うホログラム広告、そして活気に満ちた人々の声。
アルティナにとって、これまでは「テロの標的」か「潜入先」でしかなかった場所が、今は全く違う輝きを放って見えた。
「ほらほらアルティナ、こっちよ!」
ランドグリーズに連れられて入ったのは、最新のトレンド衣装が並ぶ巨大なブティックだった。
「うわぁ……凄い数の服」
「さあ、アルティナ様。まずは片っ端から試着してみましょう。スタイリングは私とランドグリーズお姉様に任せてくださいな」
ロスヴァイセが不敵な笑みを浮かべ、次々と服をラックから掴んでいく。
そこからは、アルティナにとって未知の体験の連続だった。
淡いピンクのサマードレス、活動的なデニムのショートパンツ、少し背伸びをした大人っぽいセットアップ。
「ど、どうかしら……?」
試着室のカーテンを開け、恥ずかしそうに白いフリルのノースリーブと麦わら帽子姿で現れたアルティナに、三姉妹は一瞬、言葉を失った。
「……ッハ! 可愛い! 可愛すぎるッスよ、アルティナ! おいロスヴァイセ、この服、この場で一万着発注だ!」
「お姉様落ち着いてください、同じ服を一万着もどうするのですか! ですが確かに……素晴らしい。ローゼリア様の高貴さと、リアンヌ様の可憐さが奇跡の融合を遂げていますわ……!」
「……アルティナ、お人形さんみたい。写真、撮る」
三姉妹が大騒ぎしながらホログラムカメラを連写する。
アルティナは顔を真っ赤にしながらも、鏡に映る自分の姿を見て、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
これまでは、組織に与えられた「星詠みの歌姫」の衣装を着るだけだった。それは自分を偽るための仮面だった。
だが、今着ている服は、自分が「着たい」と思い、みんなが「似合う」と言ってくれた、本当の自分のための服だ。
「……私、これがいい。これが、気に入ったわ」
アルティナがはにかむように笑うと、ランドグリーズがその頭をガシガシと撫で回した。
「よし! じゃあ次はオルトリンデの番だな。ゲームセンターと、美味いパフェの店に行くぞ!」
「……パフェ。イチゴがいっぱい乗ったやつ、食べる」
「ふふ、いいわね。案内して」
血の繋がりもない、かつては敵対していたかもしれない傭兵の姉妹たち。
しかし彼女たちの中に流れる温かい空気は、アルティナの「空っぽの器」を、新しい思い出という色のついた水で、確実に満たしていった。
お買い物を一通り終え、ステーション最上階のカフェテラスで特大のイチゴパフェを突いていた時のことだ。
「ふむ。中々賑わっておるな、このステーションは」
「ローゼリア、あまりきょろきょろしては迷子になりますよ。ほら、私の服の裾を掴んでいてください」
「……え?」
アルティナが声を上げて振り返ると、そこには、なぜか変装用の大きなサングラスをかけたローゼリアと、それを甲斐甲斐しくエスコートするリアンヌの姿があった。
「ローゼリア!? リアンヌ!? なんでここにいるのよ! お留守番じゃなかったの!?」
アルティナがパフェのスプーンを落としそうになりながら叫ぶ。
「いや、リアンヌがな……『アルティナが初めてのお買い物で悪い男に騙されていたらどうするのですか!』と半泣きで暴れるものだから、仕方なくついてきてやったんじゃ」
「ローゼリアだって、限定のゲーミングスナックを買うという名目で、本当はアルティナの様子が気になってソワソワしていたじゃないですか」
「な、何を言うか! 妾は断じてソワソワなど……っ!」
相変わらずの夫婦漫才(?)を繰り広げる二人に、ランドグリーズたちは「やっぱり来たな」と苦笑している。
「もう……本当に過保護なんだから」
アルティナは呆れつつも、嬉しさを隠しきれずに笑った。
「それで、アルティナ。何か良いものは買えたか?」
ローゼリアがサングラスをずらし、真紅の瞳でアルティナの足元にある大量の買い物袋を見た。
「ええ、みんなが選んでくれたの。ほら、この麦わら帽子とか、可愛いでしょ?」
「うむ、中々似合っておるな。リアンヌ譲りの見栄えの良さじゃ」
ローゼリアはそう言うと、スウェットのポケットをごそごそと探り、小さな、しかし丁寧にラッピングされた小箱をアルティナの前に差し出した。
「……ん」
「これ、何?」
「ステーションの入り口の露店で見かけたでの、ついでに買ったんじゃ。お主にやるわ」
アルティナが不思議に思いながら箱を開けると、中には、彼女の瞳と同じ、綺麗な紫色の結晶があしらわれた髪飾りが収められていた。
高価な魔法具ではない。ただの、アストレアステーションの特産品である天然鉱石で作られた、素朴で美しい髪飾りだ。
「お主、いつも髪がバラバラと前に垂れてゲームの邪魔そうにしておったじゃろ。それで、その……髪でも留めれば、少しはプレイ精度が上がるかと思ってな」
ローゼリアはふいっと顔を背け、耳を少し赤くしながら早口で言った。
ゲームの精度のため、という建前。
それが、ローゼリアなりの照れ隠しであることは、その場にいる全員に一瞬で伝わった。
「……ローゼリア」
アルティナは、その髪飾りをそっと胸に抱きしめた。
「ありがとう。私……これ、一生大切にするわ」
「ふん、大袈裟じゃな。さあ、妾にもそのパフェとやらを一口寄こすのじゃ」
リアンヌがその様子を涙ぐみながら見守り、姉妹たちが笑い合う。
宇宙の片隅の小さなカフェテラス。そこには、間違いなく、世界で一番温かい「家族」の時間が流れていた。
だが——。
その温かな光の届かない、ステーションの外郭、漆黒の宇宙空間。
数キロに及ぶ巨大な小惑星の影に、不気味な『影』が潜んでいた。
アストレアステーションのセンサーには一切引っかからない、超高度なクローキング技術で隠蔽された一隻の漆黒の艦。
秘密結社『ユグドラシル』の粛清部隊、その第二陣である。
艦内のブリッジでは、フェンリル部隊を遥かに凌駕する禍々しい魔力の光が、巨大な培養槽の中から漏れ出していた。
「……標的、アルティナ・アスフィ、およびエインヘリアルの現在位置を特定」
無機質なオペレーターの声が響く。
「フェンリル・シリーズの全滅は、想定内だ。あの欠陥品が、オリジナルの魔力と共鳴したことで、一時的にイレギュラーな出力を発揮したに過ぎん」
闇の中から、結社の幹部のホログラムが現れ、冷酷に告げた。
「だが、次の『種』は違う。オリジナルを超えるために作られたハイブリッドなど、所詮は人の手による模倣。——我々が世界樹の底から呼び覚ました『これ』の前には、死神の魔力すらもただの餌に過ぎん」
幹部が手元のスイッチを押すと、巨大な培養槽のロックが次々と解除されていく。
シューという不気味な排気音と共に、中から現れたのは——全身を、生物とも機械ともつかない、蠢く漆黒の「根」で覆われた、異形のマギアナイトだった。
その機体名は、**『ニーズヘッグ』**。
世界樹の根を食い荒らす伝説の毒龍の名を冠した、ユグドラシルの最終破壊兵器。
その原動力となっているのは、魔力炉ではない。銀河のあらゆるエネルギー、そして『魔力そのものを吸収し、己の糧として無限に増殖する』という、最悪の捕食システム【虚無の顎】だった。
『——起動。目標、黒き死神、純白の騎士、および裏切り者の排除』
ニーズヘッグのカメラアイが、どす黒い赤色に発光する。
それは、ローゼリアの漆黒の魔力すらも「喰らう」ために作られた、まさに天敵とも言える存在だった。
「さあ、楽しむがいい、エインヘリアル。あなたたちの安直な家族ごっこが、世界樹の根に侵食され、絶望へと変わる瞬間をな」
幹部の冷笑と共に、ニーズヘッグは静かに、しかし確実に、アルティナたちのいるアストレアステーションへと向けて、死の影を伸ばし始めていた。
平和の光と、迫り来る最悪の毒龍。
死神の娘として歩み始めたアルティナに、ユグドラシルの容赦なき悪意が、再び牙を剥こうとしていた。




