第二幕 第九話:元・男の死神と、過保護騎士の盛大な勘違い
エインヘリアル母艦が辺境の宙域でかりそめの平穏を享受するようになってから、さらに数週間の時が流れた。
艦内の居住エリアでは、今日も今日とて平和で怠惰な日常が繰り広げられている。
「……むむむ。なんじゃ、今日の妾は妙に調子が悪いぞ。コントローラーの入力がワンテンポ遅れておる気がし、腰のあたりがどんよりと重い」
「ただの言い訳よ。あなたが昨日夜更かしして、レア素材のドロップ周回に付き合わせたせいじゃない。ほら、右から増援が来るわよ!」
「わかっておる! ええい、この大魔法で一掃して……ああっ、魔力ゲージが足りん!」
巨大モニターの前で、ローゼリアとアルティナが肩を並べて最新のVRアクションRPGに興じている。
アルティナはすっかりこの怠惰な生活に順応し、ユグドラシルの冷酷な幹部としての面影は微塵もない。生来の優れた演算能力を「ゲームの効率化」という極めて無駄な方向に全振りし、今やローゼリア以上の廃人ゲーマーへと成長しつつあった。
「ローゼリア、アルティナ。あまり画面に近づきすぎると目に悪いですからね。温かいハーブティーを淹れましたから、少し休憩にしましょう」
そこへ、純白のエプロンを纏ったリアンヌが、優雅な手つきでティーセットを運んでくる。
「うむ、もらうとするか……。いや、それより先にお手洗いじゃ。なんだか先ほどから、下腹部のあたりが引きつるように痛んでのう」
ローゼリアはコントローラーを投げ出し、スウェットの腹部をさすりながら立ち上がった。
いつもなら空間転移魔法を使ってトイレまで一瞬で移動するほどの面倒くさがりだが、今日はそれすら億劫なようで、のろのろと足を引きずりながら洗面所へと向かっていった。
二人がのんびりとハーブティーを啜り始めた、次の瞬間である。
**「な、なんじゃこりゃああああぁぁぁぁッ!?」**
洗面所の方角から、エインヘリアル母艦の分厚い防音壁すら震わせる、ローゼリアの絶叫が響き渡った。
それと同時に、母艦内の重力制御システムが異常を検知し、けたたましい警告音が鳴り響く。ローゼリアの極度のパニックに呼応して、彼女の体から膨大な魔力が無意識に漏れ出し、空間そのものを軋ませていたのだ。
「ローゼリア!?」
「な、何事っ!?」
リアンヌとアルティナはティーカップを放り出し、洗面所へと猛ダッシュした。
自動ドアを乱暴にこじ開けると、そこには、血の気が完全に失せた蒼白な顔で、自らのスウェットの股間部分を指差して震える『黒き死神』の姿があった。
「り、リアンヌ! アルティナ! 大変じゃ! 妾の……妾の体から、血が……ッ!!」
ローゼリアの足元には、数滴の赤い染みが落ちている。
「ち、血!? ローゼリア、怪我ですか!? どこから攻撃を……ッ!!」
リアンヌの顔色が一瞬にして氷点下まで冷え込み、虚空から純白の長槍を顕現させる。彼女の天才的な空間認識能力が周囲の次元の隙間まで索敵するが、敵の気配など微塵もない。
「わ、わからん! 外傷はないんじゃ! しかし、体内からとめどなく血が溢れてきおる! これは……これは間違いなく、妾の命の根源たる『魔力コア』が崩壊を始めている証拠じゃ!!」
「魔力コアの……崩壊!? そんな、まさか!」
リアンヌは半狂乱になりながらローゼリアを抱きしめた。
「いかなる物理攻撃も魔法もローゼリアの防壁を貫けないはず……! 外傷もなく出血させるなど、余程の高位の呪いか、未知の次元暗殺術……!!」
リアンヌの殺気が艦内の温度を急激に下げていく。
「誰です……! 私のローゼリアに、こんな凶悪な攻撃を仕掛けたのは!! 許さない……この宙域の星々をすべて消し炭にしてでも、術者を見つけ出して八つ裂きにしてみせます!!」
「リアンヌ……お主の淹れた紅茶、最高に美味かったぞ……。妾が死んだら、ゲームのアカウントはアルティナに譲ってやってくれ……ガクッ」
「ローゼリアァァァッ!! 死んではいけません! 目を開けてください!!」
洗面所で繰り広げられる、銀河最強の二人の壮絶なる悲劇的メロドラマ。
このままでは、勘違いによる魔力暴走で母艦が吹き飛ぶか、あるいはリアンヌが無関係な星系を物理的に破壊しに行くかのどちらかである。
しかし。
その感動的(?)な死別のシーンを、冷ややかな、あまりにも冷ややかな紫色の瞳で見下ろしている少女がいた。
「…………あのさぁ」
アルティナ・アスフィは、額に青筋を浮かべながら、手近にあった丸めた雑誌でリアンヌの頭をスパーン! と容赦なく叩き、死に絶えようとしているローゼリアの頬を両手で挟んでぐにーっと引っ張った。
「ふぎゃっ!? な、なにをするんじゃアルティナ! 妾は今、死の淵を彷徨っておるというのに……!?」
「死の淵じゃないわよ、このポンコツ死神!! ただの**『生理』**でしょ!!」
「……せい、り?」
ローゼリアとリアンヌは、ぽかんと口を開けてアルティナを見つめ返した。
その言葉の意味が、本気で理解できていない顔だった。
「嘘でしょ……」
アルティナは頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。
彼女の脳内には、生物学や医学の知識が完璧にインストールされている。下腹部の鈍痛、倦怠感、 McClellan といった出血——それは健康な女性であれば誰にでも訪れる、極めて正常な生理現象だ。
「ちょっとリアンヌ! あんた女でしょ!? なんでローゼリアの出血を見て『未知の暗殺術』とか言い出すのよ! 常識で考えればすぐにわかることじゃない!!」
アルティナに叱責され、リアンヌはハッとして自分の槍を下ろした。
「あ……。い、いえ、確かにそう言われてみれば、周期的な出血と下腹部痛は……。で、ですがっ!」
リアンヌは顔を真っ赤にしながら言い訳をした。
「も、申し訳ありません! 私はローゼリアの身に何かあったと思い込み、完全に戦闘モードに入ってしまって……! ローゼリアほどの神のごとき存在に、まさか人間と同じ生理現象が起こるなどと、思考の選択肢から完全にすっ飛んでおりました……っ!」
「あんたのローゼリア神格化フィルター、いい加減にしなさいよ……。で、こっちのポンコツ!」
アルティナは、目を白黒させているローゼリアを指差した。
「百歩譲ってリアンヌが勘違いするのは許すわ。でも、あんたは自分の体でしょ!? なんで血が出ただけで『魔力コアの崩壊』なんてアホな発想になるのよ!」
「だ、だって……っ!」
ローゼリアは、涙目でスウェットの裾を強く握りしめた。
そして、あまりにも情けない声で、決定的な事実を口にした。
**「妾、そんなもの経験したことなかったんじゃもん!!」**
「…………は?」
アルティナは、自分の耳を疑った。
「だ、だから! 妾は生まれ変わる前、前世では男じゃったの! 知識という概念として『女性にはそういう時期がある』というのは知っておったが、実際にどうなるかなんて知るわけないじゃろ!!」
ローゼリアは顔を真っ赤にして抗議した。
「あんなに腹が捩れるように痛くなって、腰が重くなって、何の前触れもなく唐突に血が出るとか……そんな具体的な症状なんて、元男にわかるわけなかろうが! そりゃあ、自分の体が内側から崩壊を始めたと勘違いしても仕方ないじゃろぉぉぉっ!!」
「……あ、あんた、元男だったの……?」
アルティナは呆然と呟いた。
自分が遺伝子ベースとして嫉妬し、羨望し、最終的に「お母さん」とまで心の中で呼び始めていた存在が、まさかの元・男性だったという衝撃の事実。
「ふ、複雑すぎるわよ!! 私のアイデンティティどうなってんのよ!!」
アルティナは思わず頭を抱えた。
「と、とにかく! 病気でも呪いでもないから安心しなさい! 生理用品なんて使ったことないんでしょ!? 私が教えてあげるから、とりあえずシャワー浴びてきなさい!」
パニックを起こしてオロオロする「元・男」の死神を、アルティナが無理やり洗面所へと押し込む。
その背後で、事の真相と己の早とちりを完全に理解したリアンヌが、プルプルと震えながら両手で顔を覆っていた。
「……おお……神よ」
「ちょっとリアンヌ。あんたはちゃんと反省しなさいよ」
アルティナがため息をつくと、リアンヌは顔を上げ、感極まったように大粒の涙を流していた。
「ローゼリアが……前世からの性別の壁を超え、この強靭すぎる魔力の影響も乗り越えて……ついに、健康な女性としての完全な機能を獲得されたのですね……っ! これは、エインヘリアル史上、いや、銀河の歴史に残る大いなる祝福です!!」
リアンヌの背後に、後光のような眩いオーラが輝き始める。
「アルティナ! すぐにブリュンヒルデに通信を繋いでください! 傭兵団の全艦に『特級祝賀態勢』を敷かせます! 本日のディナーは、最高級の宇宙和牛と、赤飯です!! ええ、真っ赤な赤飯を炊かなければ!! 祝砲の準備も急がせないと……っ!!」
「やめなさい!! ローゼリアが余計に恥ずかしがってトラウマになるでしょ!!」
暴走する過保護騎士を、アルティナが必死に羽交い締めにして止める。
結局、リアンヌの暴走はアルティナだけでは止めきれず、騒ぎを聞きつけたブリュンヒルデやランドグリーズたち戦乙女三姉妹が駆けつける事態となった。
「……なるほど。お姫様が、女性としての初潮を迎えた、と」
リビングのソファで、胃薬を水で流し込みながら、ブリュンヒルデが深くため息をつく。
「団長! これは由々しき事態です! 即刻、提携している星系の農宮から最高級のもち米と小豆を取り寄せ……」
「落ち着けリアンヌ。気持ちはわかるが、本人が『元男のプライドがズタズタじゃ』と部屋で泣いているのに大々的に祝うのはデリカシーに欠ける。今回は、身内だけでひっそりと赤飯を炊く程度に留めておけ」
「ひっそり赤飯を炊くのも十分デリカシーないと思うんだけど……」
アルティナの至極まともなツッコミは、傭兵団の面々には全く届かない。
「いやぁ〜、あのお姫様がついにねェ。中身がオッサンだなんだと言われてたけど、ちゃんと女の子だったんスね!」
ランドグリーズが豪快に笑いながら、すでに祝杯用のビールを開けている。
「ローゼリア様の体調を考慮し、本日から三日間は室温を常に26度に保ち、カフェインの摂取を禁止するようシステムを書き換えておきましたわ」
ロスヴァイセがタブレットを叩きながら、容赦なくローゼリアのゲーム環境からコーラとエナジードリンクを排除していく。
「お前ら……妾をいじめて楽しいか……」
洗面所から戻ってきたローゼリアは、すっかり元気を無くし、毛布にくるまってソファの隅でカタツムリのように丸まっていた。
その顔はまだほんのりと赤く、銀河を震え上がらせた死神の威厳など見る影もない。元男性としての精神と、女性としての肉体の変化の狭間で、かつてないほどの居心地の悪さを感じているのだ。
「いじめてなどいませんよ、ローゼリア。私たちは皆、あなたが心身ともに健やかな証を得られたことが、嬉しくてたまらないのです」
リアンヌが優しく微笑みながら、温かいハーブティー(ノンカフェイン)と、湯気を立てるおにぎり(なぜかほんのり赤い)を差し出した。
「ほら、お腹が減っては痛みを乗り越えられません。あーん、してください」
「……うぅ、リアンヌの馬鹿。妾はもう、一生ベッドから出んぞ……もぐもぐ」
文句を言いながらも、リアンヌの差し出す食事を素直に受け入れるローゼリア。
その光景を見て、アルティナはふっと肩の力を抜いた。
(……本当に、バカみたいな人たち)
銀河最強の力を持っていながら、こんなにも人間臭くて、不器用で、温かい。
「元男」だの「暗殺術の勘違い」だの、ツッコミどころは満載だが、それでもこの家族が、アルティナは少しだけ誇らしく、そして愛おしく思えた。
「ほら、アルティナもぼーっとしてないで、この赤飯おにぎり食べなさい。美味しいッスよ」
ランドグリーズからおにぎりを渡され、アルティナは苦笑いしながらそれを受け取った。
「……いただくわ。でも、私がこういう時期になった時は、絶対にこんな騒ぎ起こさないでよね」
「おお、アルティナもか! その時は、妾が直々に特大のケーキを焼いて祝ってやるぞ! 妾の苦しみを共に味わうがよい!」
「だから、そういうのがデリカシーないって言ってるの!!」
エインヘリアル母艦のリビングに、平和で騒がしい笑い声が響き渡る。
元・男の死神の「女性としての覚醒」という、銀河の歴史においては極めてどうでもいい、しかし彼女たちにとっては重大な事件は、こうして温かい赤飯の湯気と共に幕を閉じたのであった。




