第二幕 第八話:星詠みの反逆と、帰るべき場所
エインヘリアル母艦のハンガーデッキは、けたたましい警報音と赤色灯の瞬きに包まれていた。
機付の整備兵たちが怒号を交わしながら駆け回り、次々とマギアナイトの出撃準備を整えていく。その喧騒の中心で、アルティナ・アスフィは自身の愛機『ハルファス』の前に立っていた。
先ほどの戦闘でタナトスの大鎌によって機能停止に追い込まれたはずのハルファスは、リアンヌの的確な指示とエインヘリアルの優秀なメカニックたちの手によって、わずかな時間で奇跡的な修復を遂げていた。
「……私の機体。本当に、直してくれたのね」
「当たり前です。あなたはもう、敵ではありませんから。それに……娘の窮地に親が手を貸すのは当然の義務です」
振り返ると、純白のパイロットスーツに身を包んだリアンヌが、優しく微笑みながら歩み寄ってくるところだった。アルティナは少しだけ頬を染めて顔を背けたが、その声に以前のようなトゲはない。
「アルティナ」
背後から、気怠げな声が響いた。漆黒のゆったりとした特注パイロットスーツを着たローゼリアが、あくびをしながら手を振っている。
「無理はするなよ。お主の命は、妾の新作ソフトのマスターデータと同等……いや、それ以上に価値があるものに昇格したからの。壊れたら、妾が直々にユグドラシルに乗り込んで幹部の尻を叩いてやらねばならなくなる」
それは、ローゼリアなりの最大級の「心配」と「愛情」の表現だった。
アルティナの紫色の瞳から、すっと迷いが消え去る。
「……言っておくけど、私は最高傑作よ。あんな無人機ごときに後れを取るはずがないわ。あなたたちこそ、私の足を引っ張らないでよね」
強気な笑みを浮かべ、アルティナはハルファスのコックピットへと滑り込んだ。
ハッチが閉まり、メインモニターに光が灯る。かつてはユグドラシルの冷酷な命令だけを受信していたこの空間が、今は不思議と温かく感じられた。
『——各機、出撃準備完了。これよりカタパルトを開放する』
ブリュンヒルデのアナウンスと共に、三機のマギアナイトは蒼黒、純白、そして紫の閃光となって、星の海へと飛び出した。
宇宙空間は、すでに地獄のような様相を呈していた。
エインヘリアルを包囲する三千機の無人殺戮兵器『フェンリル』は、赤いカメラアイを不気味に明滅させながら、一切の感情を持たずに最適解の殺戮軌道を描いて迫り来る。
「……甘いっ!」
アルティナはハルファスのスラスターを全開にし、紫電を纏いながらレーザーの網の目を縫うように突撃した。両腕のジェネレーターから放たれた極大の魔力光線が、前衛のフェンリル十数機をまとめて蒸発させる。
彼女の脳内では、ユグドラシルから叩き込まれた膨大な戦闘データが超高速で処理され、「完璧」な機動を描き出していた。
しかし。
『——被検体の戦闘パターンを解析。対応フォーメーションへ移行』
無人機群は、即座にアルティナの動きに適応した。
アルティナが右へ回避しようとしたその先には、すでに三機のフェンリルが待ち構え、高出力のブレードを振り下ろそうとしていた。彼女の頭脳にある戦闘データはユグドラシルが構築したもの。フェンリル群にとって、アルティナの「完璧な動き」は最も予測しやすい手札に過ぎなかったのだ。
「な……っ!? 読まれてる!?」
回避が間に合わない。敵の刃がハルファスを捉えようとした、その刹那。
——ギィィィンッ!!
空間を切り裂くような甲高い金属音と共に、フェンリルのブレードが弾き飛ばされた。純白の長槍を構えた『ブラン』が、滑り込んでいた。
「アルティナ、ユグドラシルのデータに頼ってはいけません。あなたのその動きは、あまりにも『正解』すぎる」
通信越しに響くリアンヌの声は、戦場においては冷徹な騎士のそれだった。
「データなど捨てなさい。あなたの中には、私から受け継いだ『空間を視る眼』があるはず。戦場の呼吸を感じ取るのです。……私についてきなさい!」
ブランが、信じられないほどの変則的な機動でフェンリルの群れへと突っ込んでいく。敵の射線をあらかじめ「感じ取り」、紙一重で躱しながら急所を貫く生きた軌道。
アルティナは、瞳を閉じた。
ユグドラシルの戦闘プロトコルを強引にシャットダウンし、宇宙空間のエーテルの揺らぎ、敵の殺意の方向に意識を研ぎ澄ませる。
(……視える。視えるわ!)
アルティナの紫色の瞳が見開かれた。ハルファスの機動が、劇的に変化する。機械的な動きから、宇宙空間で優雅なダンスを踊るような変幻自在な剣舞へ。フェンリル群の予測演算を完全に凌駕し、次々と死角を撫で斬りにしていく。
「……ふむ。リアンヌの操縦センスが、ようやく開花したようじゃな。さて、妾も少しは親らしいところを見せておかねばならんの」
後方から、漆黒の死神『タナトス』が断次元の大鎌を無造作に振り上げた。
宇宙空間を黒く塗り潰すほどの膨大な魔力が溢れ出し、大鎌が一閃される。空間そのものが断裂し、数百機のフェンリルが悲鳴を上げる間もなくチリとなって消滅した。
しかし、ユグドラシルもただの的ではなかった。
『——規格外の魔力反応を確認。対消滅フォーメーション【イージス・レゾナンス】へ移行』
生き残った二千機以上のフェンリルが密集し、互いの魔力フィールドを連結させた巨大な絶対防壁を構築する。ローゼリアの強大な攻撃すらも分散・相殺するための強固なネットワーク。そして、防壁の内部で三千近い砲口が、エインヘリアルに向けて荷電粒子砲の充填を始めた。
「……ちぃっ。面倒な盾を張りおって。妾が力ずくでこじ開ける!」
「待って、ローゼリア!!」
アルティナのハルファスが、タナトスの前に飛び出る。
「あの防壁は力任せじゃ壊せない。互いの魔力波長を同調させているのよ。……同調しているなら、ノイズを叩き込んで、その繋がりを断ち切ればいい。私が、やるわ」
アルティナは、自身の喉元——ユグドラシルに埋め込まれた魔力変換器に手を当てた。
「アルティナ、まさか……歌うつもりですか!? これ以上あの装置を使えば、あなたの命が……!」
「大丈夫よ、リアンヌ。私には……守りたい人たちがいる。帰りたい場所がある。そのために歌うのなら、この命を削ることだって、少しも怖くない!」
アルティナは、出力リミッターを完全に解除した。
コックピット内に警告音が鳴り響く中、彼女は静かに微笑み、星の海に向けて歌い始めた。
**『——♪ 紡がれる星の記憶、暗闇を裂く一筋の光……』**
それは大衆を洗脳するための周波数ではない。悲しみも劣等感も乗り越えて「自分」を見つけた少女の、純粋な魔力の震え。愛を知らなかった兵器が、初めて愛のために紡いだ祈りの歌。
『——エラー。所属不明の魔力干渉を確認。同期率が低下』
アルティナの歌声という強烈な「感情のノイズ」が叩き込まれ、鉄壁の防壁に次々と亀裂が走り始めた。
「……なんて美しく、力強い歌声なんじゃ。よくやった、アルティナ。お主がこじ開けたこの道、絶対に無駄にはせんぞ!」
防壁が崩壊し始めた瞬間、純白の騎士ブランが限界を超えた速度で突入し、連携の要である指揮系統をズタズタに引き裂く。そして、その奥へと漆黒の死神が降臨した。
「お主らのようなプログラムの塊に、妾の『娘』の歌の価値など理解できまい。……まとめて宇宙の塵となれ!!」
全魔力を込めた漆黒の斬撃が、空間の座標ごとすべてを削り取った。
無音の爆発。閃光が収まった後、そこにはフェンリル群は一機たりとも残されていなかった。
「……終わった」
魔力を使い果たし、限界を迎えたアルティナの意識が急速に薄れていく。
ゆっくりと閉じていく視界の中、彼女はタナトスとブランが自分を庇うように両脇に寄り添ってくれるのを感じた。
「よく頑張りましたね、アルティナ」
「帰るぞ、小娘。母艦で美味いプリンが待っておるぞ」
二人の不器用で温かい声を聞きながら、星詠みの歌姫は安らかな眠りへと落ちていった。
それから、数日の時が流れた。
エインヘリアルの母艦は、再び平和な辺境の宙域へと錨を下ろしていた。
「——というわけで、このステータス振りだと後半のボスで火力が足りなくなるのよ。だから、こっちのスキルツリーを先に解放しなさいって言ってるでしょ!」
「むむむ……しかし妾は、この派手な大爆発スキルが使いたいんじゃ! ロマンが足りんではないか!」
「ロマンでボスが倒せるわけないでしょ! ああっ、そこ右! 敵の範囲攻撃が……!」
母艦のリビングルーム。画面にデカデカと『YOU DIED』の文字が表示され、スウェット姿のローゼリアがソファに崩れ落ちる。隣ではパジャマ姿のアルティナが、持っていたクッションでローゼリアの頭をポカポカと叩いていた。
「もう! あなたって本当に、魔力の才能以外はポンコツなんだから!」
「痛い痛い! 娘のくせに親に向かってなんという口の利き方じゃ! リアンヌー! アルティナが虐めるー!」
「ふふっ、二人とも、ゲームは一日二時間までですよ。さあ、特製のアップルパイが焼き上がりましたから、休憩にしましょう」
純白のエプロンを着け、花が咲くような笑顔を浮かべたリアンヌがトレイを運んでくる。
その甘い香りに、アルティナは怒りをすっかり忘れ、紫色の瞳を輝かせた。
アルティナの喉の魔力変換器は、エインヘリアルの技術班の徹夜のオペにより、安全に摘出されていた。もう、歌うたびに命を削られることはない。
三人でテーブルを囲み、温かい紅茶と共にアップルパイを頬張る。
「美味しい……」とアルティナが頬を緩ませると、ローゼリアがニヤリと笑った。
「じゃろう? リアンヌの飯は銀河一じゃからな。……どうじゃ、アルティナ。空っぽだったお主の器は、少しは満たされてきたか?」
その問いに、アルティナはフォークを置き、二人の顔をまっすぐに見つめた。
かつては、この二人の絆が羨ましくて、妬ましくて、壊してしまいたかった。でも今は違う。彼女たちは、アルティナを「家族」として受け入れてくれた。
「……ええ。満杯すぎて、ちょっと溢れそうなくらいよ」
アルティナは、心からの笑顔で言った。
「ありがとう、お母さん……って呼ぶのはまだ恥ずかしいから、ローゼリア。それに、リアンヌも」
「ふふっ。ゆっくりでいいですよ、アルティナ。私たちには、これからいくらでも時間があるのですから」
「うむ。まずは、妾が積んでいるゲームをすべてクリアするまで、みっちり付き合ってもらうからの」
呆れたように笑い合う三人の声が、リビングに響き渡る。
秘密結社『ユグドラシル』との戦いは終わったわけではないが、今のアルティナにもう恐れはなかった。彼女の隣には、最強で、怠惰で、そして最高に温かい家族がいるのだから。
星詠みの歌姫として作られた少女は、こうして自分の居場所を見つけ、新しい物語のページをめくっていくのであった。




