第十三話:黒き死神の正座と、戦乙女の莫大な請求書
かつて宇宙を支配したエーベルヴァイン帝国の帝都防衛戦から数時間後。
無断出撃の末に反帝国連合の十万の艦隊を消し飛ばし、さらに自分を迎えに来たリアンヌにこってりと絞られたローゼリアは、母艦『エインヘリアル』へと強制送還されていた。
エインヘリアルの艦長室。
普段は温かな包容力と大人の色気で満ちているその部屋は、現在、ブリザードが吹き荒れるような絶対零度の空気に支配されていた。
部屋の中央で、床に膝を揃え、背筋をピンと伸ばして座る絶世の美少女が一人。
宇宙全土を恐怖のどん底に叩き落とした『黒き死神』こと、ローゼリア・エーベルヴァインである。
現在の彼女の姿勢は、極めて美しい『正座』であった。
そして、そのローゼリアを見下ろすように、巨大なマホガニーのデスクの向こう側で腕を組んでいるのが、傭兵団『戦乙女』の団長にして艦長、ブリュンヒルデ・ローレンスだ。
「……さて。ローゼリア」
「ひゃ、ひゃいッ!!」
ブリュンヒルデの、普段の艶やかな声とは全く違う、地を這うような低い声。
ローゼリアの肩がビクッと跳ね、地面に着くほど長い金髪がふわりと揺れた。
(こ、怖い! 団長がガチで怒ってる!! いつもの『おいで〜』って胸に抱きしめてくれる優しいお姉さんモードがミリも残ってない!!)
ローゼリアの背後には、副団長であるリアンヌと、整備班長のフィーネが直立不動で控えている。リアンヌもフィーネも、今はローゼリアを庇うような素振りは一切見せない。
傭兵団という組織において、ローゼリアの犯した罪はそれほどまでに重かったのだ。
「自分が何をしたか、わかっているね?」
「……む、無断出撃、じゃ」
「それだけじゃない。フィーネ、損害報告を」
ブリュンヒルデに促され、フィーネが手元のタブレットを操作し、空中にホログラムの請求書を何枚も投影した。
「はぁ……。あんたねぇ、いくら魔力で無理やりハッチをこじ開けられるからって、手順を踏まずに強引に出撃しただろ。おかげでエインヘリアルの左舷カタパルトの電磁レールと、気密ハッチのロック機構が一部ブッ壊れた。このオーパーツ級の母艦の修理パーツが、どれだけ高くて希少か分かってんのか?」
「うぅ……」
「さらに」と、フィーネはタブレットをトントンと叩く。
「あんたがワープで消えた後、生体反応のトラッキングを追って、このバカでかい母艦ごと緊急の航路変更と超長距離ワープをカマしたんだ。本来なら一ヶ月かけてチマチマ補給しながら進む距離を、だ。……ワープアウトのためのエネルギー代と、過負荷で焼き切れたエンジンの冷却剤の費用。しめて、星が一つ買えるくらいの大赤字だぜ」
(ほ、星が一つ買える!?)
ローゼリアは顔面から血の気を引かせた。
前回のアイギス7での怪獣討伐で得た、一生遊んで暮らせるほどの莫大な臨時収入。あれが、たった一回の無断出撃と、母艦を呼び寄せてしまったコストで、すべて消し飛ぶどころかマイナスに振り切れてしまったのだ。
「……申し訳ありません、団長。私が彼女の監視を怠ったばかりに」
見かねたリアンヌが、一歩前に出て頭を下げた。
「今回の損害は、副団長である私の責任でもあります。私の給与から……」
「リアンヌ。下がりなさい」
ピシャリと、ブリュンヒルデが冷たく言い放つ。
「これは、ローゼリア・エーベルヴァイン個人の問題だ。彼女は一人前のエースパイロットとして、自分の意思で法を破った。お前が被ってやる義理はないし、それをすればこの子の為にならない」
「……はい」
リアンヌは悔しそうに唇を噛み、再び元の位置に戻った。
(リアンヌ様……俺のためにそこまで……! 違う、これは全部俺が、姉上の残したメールに勝手に感傷的になって、みんなを巻き込んだせいだ。リアンヌ様に迷惑はかけられない!)
ローゼリアは、ギュッと両手を膝の上で握りしめ、顔を上げた。
赤い瞳で、真っ直ぐにブリュンヒルデを見つめ返す。
「……団長の言う通りじゃ。これはすべて、妾が独断で引き起こした失態。左舷カタパルトの修理費も、ワープのエネルギー代も、すべて妾が必ず稼いで返してみせる。リアンヌの給与には一切手をつけるな」
ローゼリアの決意に満ちた声が、艦長室に響く。
少しの沈黙の後。
ブリュンヒルデは、深く、長いため息をついた。
「お金のことなんか、どうだっていいんだよ」
「……え?」
ブリュンヒルデが立ち上がり、デスクを回ってローゼリアの目の前まで歩いてきた。
そして、正座しているローゼリアの目の前に片膝をつき、視線の高さを合わせる。
その青い瞳には、怒りよりも遥かに強い『悲しみ』と『安堵』が入り混じっていた。
「左舷カタパルトなんて、直せばいい。エネルギー代なんて、またみんなで稼げばいい。……でもね、ローゼリア。君の命は、お金じゃ買えないんだ」
「団長……」
「深夜に君の部屋がもぬけの殻で、ノワールが消えていたと報告を受けた時。……私たちが、リアンヌが、どれだけ絶望したか分かるかい。過去の因縁に囚われて、たった一人で死に場所を探しに行ったんじゃないかって、生きた心地がしなかったんだよ」
ブリュンヒルデの手が伸び、ローゼリアの小さな頭を、ポンと叩いた。
「無断出撃は重罪だ。どんな理由があろうと、仲間を頼らずに一人で命を捨てるような真似は、二度と許さない。……分かったね、私たちの可愛いお姫様」
「…………っ。はい」
ローゼリアの目から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
怒られているのに、心が温かくて仕方がない。帝国で『部品』として扱われていた時は、ミスをすればただ暴力と冷罵が飛んでくるだけだった。
こんな風に、自分の命を何よりも重く考え、心底心配して、本気で叱ってくれる大人なんて、前世も含めて初めてだった。
「ごめんなさい……ごめんなさい、団長。もう、絶対に一人で飛び出したりしない……!」
子どものように泣きじゃくるローゼリアを、ブリュンヒルデは力強く、しかしふんわりと抱きしめた。
「よろしい。たっぷり反省したみたいだね。……じゃあ、罰として、向こう一年間は給料の九割を天引き。残りの一割で、リアンヌに美味しいご飯でもご馳走してあげなさい」
「むぐぐ……っ」
(団長のおっぱいで息が……! 苦しい、でもいい匂い! 違う、今は泣いてるんだから眼福とか言ってる場合じゃない!)
窒息しそうになりながらも、ローゼリアはブリュンヒルデの背中に手を回し、その温もりをしっかりと受け止めた。
艦長室での『ガチ説教』から解放されたローゼリアは、艦内の長い廊下を、とぼとぼと歩いていた。
隣には、付き添いのリアンヌが静かに並んで歩いている。
「……ふぅ。寿命が十年は縮んだわ」
ローゼリアが疲労困憊といった様子でため息をつく。
「仕方ありませんよ。団長は、本当にあなたのことを心配していたのですから。……私も、です」
リアンヌの言葉に、ローゼリアは立ち止まった。
見上げると、リアンヌの碧眼が、少しだけ潤んでいるように見えた。
「リアンヌ……」
「皇城のバルコニーで、一人でいるあなたを見つけた時。怒りよりも先に、安堵で崩れ落ちそうになりました。……もし、一歩遅くて、あなたが帝国の道連れになっていたらと思うと……」
リアンヌはごく自然な動作で、ローゼリアの手を取り、両手で大切に包み込んだ。
その手が、微かに震えているのがわかる。
(俺のせいで、こんなに気高くて強い騎士様を、ここまで震えさせてしまった……。俺、本当に馬鹿だ。最強の力を持ってるからって、一人で何でもできると勘違いしてた)
ローゼリアは、繋がれたリアンヌの手に、自分からもギュッと力を込めた。
「すまなかった、リアンヌ。お主という無敵の盾がいながら、一人で飛び出すなど……妾の傲慢じゃった。これからは、どんな時でも必ずお主を頼る。……お主の隣から、絶対に離れない」
「……はい。約束ですよ、ローゼリア」
リアンヌが、ようやくいつものような、花の咲くような微笑みを見せてくれた。
その眩しさに、ローゼリアの心臓がドクンと大きく跳ねる。
「さて。そうと決まれば、まずは膨大な借金の返済からですね」
「うっ……それを言われると耳が痛いわ。星が一つ買える額の借金なんて、一体いつになったら返し終わるやら……」
ローゼリアが肩を落とすと、リアンヌはクスリと笑った。
「大丈夫です。私の給与も、すべてあなたの借金返済に回しますから」
「なっ!? ば、馬鹿者! 団長も言っていたじゃろ、お主が被る義理はないと!」
「義理ではありません。……私が、あなたの運命を共に背負いたいだけです」
リアンヌは、ローゼリアの顔を覗き込み、悪戯っぽく——しかし、どこまでも真剣な瞳で囁いた。
「私たちは『魂の半身』なのですから。借金も、戦場も、そしてこれからの人生も……すべて、半分こにしましょう」
(————ッッッッッ!!!!!!!)
ローゼリアの脳内で、大輪の花火が連続で打ち上がった。
(人生を半分こ!? それもう完全に夫婦じゃん!! 夫婦の共同宣言じゃん!! 借金背負ってこんなに幸せなことある!? ない!!)
顔面が瞬間沸騰し、頭のてっぺんからプシューッと湯気が出る。
もはや尊大な態度で誤魔化す余裕すらなく、ローゼリアは「あ、う、あぁぁ……」とカオナシのような声を漏らすことしかできなかった。
「ふふっ、顔が真っ赤ですよ。熱でも出ましたか?」
「お、お主のせいじゃあぁぁっ!!」
照れ隠しで叫びながら、ローゼリアはリアンヌの手を引いて自室へと駆け出した。
莫大な借金はできてしまったが、エーベルヴァイン帝国という過去の呪縛を完全に精算し、本当の意味で『戦乙女』の一員となったローゼリアの足取りは、羽が生えたように軽かった。
(よーし! これからガンガン稼いで、借金返して、リアンヌ様を絶対に幸せにしてやるんだからな!!)
黒き死神と白銀の騎士。
宇宙最凶で最高に尊い二人の傭兵ライフは、この日から、新たなステージへと突入していくのだった。




