第二幕 第六話:歌姫の墜落と、血塗られた劣等感の吐露
宇宙空間に、紫色の閃光と漆黒の魔力が激しく交錯する。
しかし、その戦いは「交戦」と呼ぶにはあまりにも一方的だった。
「ああああああっ!! なぜ、なぜ当たらないのよっ!!」
アルティナの絶叫がコックピットに響き渡る。彼女はハルファスの限界出力を引き出し、脳神経を焼き切るほどの演算速度でタナトスとブランに波状攻撃を仕掛けていた。
空間の死角を突くレーザーの雨、エーテルブレードによる超高速の斬撃、そして精神を直接破壊するための呪詛のような歌声。
ユグドラシルの最高傑作としてプログラムされたそのすべてを叩きつけているにもかかわらず、黒き死神と純白の騎士は、まるでそよ風でも避けるかのように軽々とそれを躱し、弾き落としていく。
「ローゼリア、この娘の機体、魔力変換炉の構造があなたのタナトスに酷似しています。それに、この空間機動の癖……まるで、私の戦術データから最適解を抽出しているかのような」
通信回線越しに、リアンヌが冷静な分析を伝える。
彼女の純白の槍は、アルティナの決死の刃をことごとく「ミリ単位の最小動作」でいなしていた。
「分析など後でよい。妾は早く帰って、新作ソフトのマスターデータをインストールしたいのじゃ。……これで終わりじゃ、小娘!」
タナトスが大鎌を無造作に振り上げる。
アルティナは回避行動をとろうとしたが、遅かった。タナトスから放たれた圧倒的な魔力の波動が、ハルファスの機体を丸ごと空間の檻に閉じ込めたのだ。
「……っ! 動け、動いてよハルファス!! 私は、最高傑作なのよ!!」
いくらスラスターを吹かそうとも、見えない巨大な手に握りつぶされるように、ハルファスは機能を停止していく。
やがて、タナトスの大鎌の峰が、ハルファスの胸部装甲に正確に叩き込まれた。
致命傷は避ける、しかし機体の動力系を完全に沈黙させる完璧な一撃。
「きゃぁぁぁっ……!!」
激しい衝撃と共にコックピットの全モニターがブラックアウトし、アルティナは意識を刈り取られた。
アルティナが次に目を覚ました時、彼女は冷たく硬い椅子に縛り付けられていた。
視界がぼやける中、周囲の状況を把握しようと紫色の瞳を動かす。
そこは、傭兵団エインヘリアルの母艦内——尋問室として使われている、無機質な灰色の部屋だった。
「……気がついたか、星詠みの歌姫殿。いや、ユグドラシルの工作員と呼ぶべきか」
部屋の隅で、腕を組んだブリュンヒルデが冷たい声で告げる。その後ろには、巨大な戦斧を肩に担いだランドグリーズをはじめとする、戦乙女の三姉妹が鋭い視線を送っていた。
「……くっ」
アルティナは手首に食い込む拘束具を引きちぎろうと力を込めたが、魔力を完全に封じる特殊な手錠のせいで、指先一つ光らせることもできない。
「無駄だ。それは対マギアブラスター用に作られた特注品だ。お前のような小娘の魔力でどうにかなるものではない」
ブリュンヒルデが淡々と告げる。
「小娘、ですって……? 私は……」
アルティナが毒づこうとしたその時、尋問室の自動ドアが開き、二つの影が足音もなく入ってきた。
「団長、こやつの尋問はまだ終わらんのか? 妾は早く報酬のゲームを……」
「ローゼリア、ダメですよ。この少女はあなたに危害を加えようとしたテロリストです。背後関係を洗い出すまでは、私から離れてはなりません」
スウェット姿で欠伸をするローゼリアと、その背中にぴったりと張り付くように護衛する純白のエプロン姿のリアンヌ。
先ほどまで宇宙空間で死闘を繰り広げていたというのに、二人の纏う空気は、あまりにも間の抜けた日常のそれだった。
その姿を見た瞬間、アルティナの胸の奥底で、ドス黒い炎が爆発した。
(……何なの、このふざけた態度は。私を……私という存在を、なんだと思っているの!?)
自分が血を吐くような思いで手に入れた力を、赤子の手をひねるように粉砕しておきながら。
自分を縛り付けておきながら、彼女たちは「ゲーム」だの「お茶」だのと、くだらない日常の話をしている。
「……ふざけるな」
アルティナの口から、低く、呪詛のような声が漏れた。
「ん? なんじゃ、何か言ったか?」
ローゼリアが気怠げにアルティナを見下ろす。
その、底なし沼のように何も映していない真紅の瞳。それこそが、アルティナの逆鱗に触れた。
「ふざけるなって言ってるのよ!!」
アルティナは拘束されたまま、椅子ごと立ち上がろうと暴れた。
ガタガタと金属音が鳴り響き、彼女の長くふわふわの金髪が振り乱される。その紫色の瞳には、これまで張り付けていた「完璧なアイドル」の仮面も、「冷徹な工作員」の仮面もなかった。
あるのはただ、剥き出しの嫉妬と、血を流すような劣等感だけだった。
「あなたみたいな……あなたみたいな空っぽで、怠惰で、何の努力もしていない女が!! どうして私からすべてを奪うの!? どうして私を、こんな惨めな思いにさせるのよ!!」
その尋常ではない剣幕に、ブリュンヒルデやランドグリーズたちも思わず息を呑んだ。
ただのテロリストの怒りではない。それは、もっと根源的な、魂の底からの叫びだった。
「……お主、さっきから何を言っておる。妾は別に、お主から何も奪っておらんぞ。むしろ妾の休日と新作ソフトの配送を邪魔したのはお主の方じゃろうが」
「違う!! そういうことじゃない!!」
アルティナの目から、大粒の涙が溢れ出した。
彼女自身も、なぜ自分が泣いているのか分からなかった。ユグドラシルの最高傑作として、感情など不要なはずなのに。目の前の「本物」たちを前にすると、自分が必死に隠してきた「空っぽの器」であるという事実が、容赦なく突きつけられるのだ。
「……教えてあげるわ。私がなぜ、あなたたちを憎むのか。私が何者なのかを!!」
アルティナは、震える声で真実を紡ぎ始めた。
「私は……アルティナ・アスフィ。秘密結社『ユグドラシル』によって生み出された、人工の最高傑作。……ローゼリア・エーベルヴァイン、そしてリアンヌ。あなたたちの遺伝子から作られた、ハイブリッドよ」
その言葉が尋問室に響いた瞬間、部屋の空気が凍りついた。
「な……っ!?」
ブリュンヒルデが絶句し、ロスヴァイセが信じられないというようにタブレットを落としそうになる。
「私と、ローゼリアの……遺伝子……?」
リアンヌの瞳が見開かれ、彼女は呆然とアルティナの顔を見つめた。
金色の柔らかな髪、そして紫色の瞳。言われてみれば、その容姿は二人の特徴を不気味なほど完璧に融合させていた。
「そうよ。あの旧帝国から持ち出された戦闘データと、あなたたちが戦場に残した血や髪の毛……それらを集め、解析し、培養槽の中で何万回という失敗を繰り返して、ようやく完成したのが私!!」
アルティナは泣き叫びながら、己の左鎖骨付近——服の隙間から見える、無機質なバーコードと『実験体一号』の印をローゼリアに見せつけた。
「私はね、物心ついた時からずっと、暗くて冷たいポッドの中で、あなたたちのデータを脳に流し込まれ続けてきたの! 『ローゼリアの魔力に追いつけ』『リアンヌの戦術を完璧にトレースしろ』って!! 毎日毎日、血を吐きながら魔力変換の訓練をして、組織の操り人形として歌を歌わされてきた!!」
彼女の声は次第に掠れ、しかしその熱量は増していく。
「なのに……いざ会ってみれば何よ!! 私の『オリジナル』であるはずの女は、戦場にも出ずにポテトチップスをかじりながらゲームをしているだけの豚じゃない!! なぜ!! なぜそんな怠惰なあなたが、私より強いの!? 私がどれだけ努力しても、どれだけ完璧にプログラムされても……あなたの無意識の魔力の一端にすら届かない!!」
アルティナは、ギリッと歯を食いしばり、今度はリアンヌを睨みつけた。
「それに、あなたもよ、リアンヌ! 誰かのためにすべてを捧げるだの、愛だの絆だの……吐き気がするわ!! 私にはそんなもの、最初からプログラムされていない! 私を愛してくれる親なんてどこにもいないし、私が愛する対象もいない! 私はただ、あなたたちを殺すためだけに作られた殺戮の道具なのよ!!」
彼女の涙が、冷たい床にいくつも落ちて弾けた。
それは、絶対的な力を持つ「親」たちに対する、抗いようのない劣等感。
そして、自分には決して手に入らない「無条件の愛と居場所」を見せつけられたことへの、激しい嫉妬の爆発だった。
「私の方が優れているはずなのに……私の方が、完璧に作られたはずなのに! どうしてあなたたちは、そんなに幸せそうに笑っていられるのよ……っ!! 教えてよ!! なんで私だけが、こんなに空っぽで、独りぼっちで、苦しまなきゃいけないのよォォォッ!!」
アルティナの絶叫が、尋問室の壁に木霊する。
組織への忠誠でも、テロリストとしての信念でもない。ただの、愛されたかった、認められたかったという、一人の少女の血を吐くような泣き言。
それが、アルティナ・アスフィの本当の姿だった。
部屋は、重苦しい沈黙に包まれた。
ランドグリーズは居心地悪そうに戦斧を下ろし、ブリュンヒルデも言葉を失っている。
あまりにも残酷な出生。
自分たちの与り知らぬところで、自分たちの力と姿を模して作られ、地獄のような苦しみを味わわされてきた少女。
リアンヌは、震える手で自身の口元を覆った。
「……そんな。私たちの力が、この子を……こんなにも苦しめていたなんて……」
騎士としての冷徹な顔は崩れ去り、リアンヌの瞳にも深い悲哀の涙が浮かび上がっていた。
遺伝子とはいえ、自分とローゼリアから生まれた存在。それが、誰からも愛されず、己の存在意義を「親殺し」にしか見出せないほどに壊れてしまった。
しかし。
その重く、悲痛な空気をぶち壊したのは、他でもないローゼリア・エーベルヴァインだった。
「……なるほど。要するに」
ローゼリアは、ポリポリと頬を掻きながら、全く悪びれる様子もなく口を開いた。
「お主は、妾たちの『娘』みたいなものなんじゃな?」
「……は?」
アルティナは、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、間抜けな声を出した。
あんなに悲痛な告白をしたというのに、目の前の黒き死神は、全く動揺も同情もしていない。ただ、「ふむ」と納得したように頷いているだけだ。
「な、何を言っているの……。娘って……私は、あなたたちを殺すための兵器で……」
「兵器だの最高傑作だの、どうでもいいわ。遺伝子が妾とリアンヌなんじゃろ? なら娘じゃん」
ローゼリアは呆れたようにため息をつき、拘束されているアルティナの目の前まで歩み寄った。
「あのな、小娘。お主は頭が良すぎるせいで、根本的なところでバカになっとる」
「バ、バカって……っ!」
「お主は『自分が空っぽだ』と泣いておるが、当たり前じゃろうが。生まれたばかりの雛鳥が、最初から中身が詰まっているわけがなかろう。妾だって、最初からこんなに怠惰でゲーム好きだったわけではない。戦場でリアンヌに出会い、美味しい紅茶を知り、積みゲーの楽しさを知って、ようやく今の『完璧な妾』が完成したのじゃ」
ローゼリアは、アルティナの濡れた頬を、指で乱暴に拭った。
「お主が妾より弱いのは、才能がないからではない。ただ単に『守りたい日常』がないからじゃ。……愛されるため、認められるために戦うなど、三流のやることじゃ。一流はな、自分の好きなことのために世界をひっくり返すのじゃよ」
その、あまりにも自己中心的で、しかし不思議な説得力を持った言葉に、アルティナはぽかんと口を開けた。
自分が憎悪し、嫉妬していた『神のごとき死神』の正体が、ただの「自分の趣味に全力な限界オタク」だったという事実。
そのあまりのギャップに、怒りすらも霧散していくのを感じていた。
「ローゼリア……」
リアンヌが、感極まったような声で歩み寄る。
そして、彼女はアルティナの前にそっと膝をつき、その震える手を両手で優しく包み込んだ。
「……アルティナ、と言いましたね。ごめんなさい。あなたがそこまで苦しんでいたことに、気づいてあげられなくて」
「触らないで……っ! 私は、あなたたちを……」
「いいえ、もう戦う必要はありません。あなたは、私とローゼリアの……初めての、大切な子供なのですから」
リアンヌの顔は、慈愛に満ち溢れていた。
いや、慈愛というよりは、**「ローゼリアとの間に子供ができた!!」**という、歓喜の表情に近いものが混ざっていたが、アルティナにはそれを判別する余裕はなかった。
「な、なにこれ……。どうして、私を殺さないの……? 私は、あなたたちの命を狙ったのよ……!?」
混乱するアルティナの頭に、ポンと軽い衝撃が走る。
ローゼリアが、丸めた雑誌でアルティナの頭を叩いたのだ。
「甘えるな。命を狙われた程度でいちいち殺しておったら、この傭兵団はとっくに全滅しておるわ」
ローゼリアはふんぞり返りながら告げる。
「お前は妾たちの娘(仮)なんじゃから、ユグドラシルなんぞという胡散臭い組織にはさっさと辞表を出せ。そして、妾の代わりにゲームのレベル上げをしろ。リアンヌの紅茶の淹れ方も学べ。……お主の『空っぽの器』なんて、エインヘリアルの騒がしい日常に放り込めば、三日で満杯にしてやるわ」
それは、死神からの死の宣告ではなく。
孤独な少女に対する、あまりにも不器用で、横暴な「家族への招待状」だった。
アルティナの紫色の瞳から、再び涙が溢れ出す。
しかし、今度の涙は、嫉妬でも劣等感でもなかった。
ずっと求めていた、自分を否定しない言葉。自分という存在を、兵器としてではなく「空っぽでいい」と認めてくれた言葉。
「……ばか。こんなの……納得するわけ、ないじゃない……」
アルティナは、拘束されたまま俯き、子供のように声を上げて泣きじゃくった。
完璧なアイドルとしての歌姫は完全に死に絶え。
そこにはただ、初めて「親」に反抗し、そして「親」の温もりを知った、一人の不器用な少女がいた。
「やれやれ……。手のかかる娘ができたものじゃ」
「ふふっ、最高ですね、ローゼリア。さっそく、この子のためのふかふかのベッドと、お揃いのエプロンを用意しなくては!」
「……待てリアンヌ。なぜエプロンじゃ。こやつをメイドにする気か?」
すっかり毒気を抜かれた尋問室で、エインヘリアルの面々は呆れたように、しかし温かな目で、泣きじゃくる新しい家族の姿を見守っていた。
銀河を揺るがすはずだった「星詠みの歌姫」の反乱は、こうして、あまりにも締まらない形で終結した。
しかし、彼女を操っていた『ユグドラシル』が、このまま大人しくしているはずもない。
真の戦いは、まだ始まったばかりであった。




