第二幕 第二話休日の終わりと、狂信の影
銀河を二分した巨大な大戦が終結してから、数年の歳月が流れていた。
星々を恐怖に陥れた『神帝機』の脅威は去り、エーベルヴァイン帝国と新体制となった連邦との間には、かりそめの平和が訪れていた。それに伴い、宇宙を股にかけていた傭兵団エインヘリアルもまた、事実上の活動休止状態(という名目の長期休暇)に入っていたのである。
「……平和じゃ。実に素晴らしいのじゃ。毎日ログインボーナスを受け取り、日がな一日ゲームをして、眠くなったら寝る。これぞ妾が求めていた究極の真理……!」
エインヘリアルの母艦、その最も豪華な居住エリア。
かつて『黒き死神』として全銀河から恐れられたローゼリア・エーベルヴァインは、スウェット姿で特注のふかふかソファに沈み込み、恍惚とした表情で最新型VRゲームのコントローラーを握っていた。
「ああ、ローゼリア! その無防備で怠惰なお姿すら、まるで神話の女神のように神々しい……! さあ、冷やしたマスカットの皮を剥いておきましたよ。あーん、してくださいな」
その傍らでは、純白のエプロンを身につけたリアンヌ・ヴァーミリオンが、甲斐甲斐しくフルーツをローゼリアの口へと運んでいる。かつての『純白の騎士』の面影はそこにはなく、ただひたすらに主を甘やかす究極の従者としての喜びに満ち溢れていた。
「うむ、苦しゅうない……もぐもぐ。リアンヌ、次はあっちのポテトチップスを頼む」
「はいっ! 喜んで!」
平和の甘い蜜に骨の髄まで浸かりきった、限界オタクと過保護な騎士の日常。
しかし、そのぬるま湯のような空間は、無慈悲な電子音と共に入室してきた人物によって打ち破られた。
「……くつろいでいるところ悪いが、お姫様。休日は終わりだ」
自動ドアを開けて入ってきたのは、傭兵団の団長ブリュンヒルデだった。大戦が終わって胃薬の消費量が減ったはずの彼女の顔には、再び深い疲労の色が刻まれていた。
その後ろには、長女ランドグリーズ、次女ロスヴァイセ、三女オルトリンデの三姉妹が、それぞれ武器やタブレットを手にして続いている。
「なんじゃ団長。妾は今、期間限定イベントの周回で忙しいのじゃ。依頼なら他を当たって……」
「そうも言ってられない事態になった。オルトリンデ、モニターへ」
オルトリンデが無機質な手つきでタブレットを操作すると、部屋の巨大モニターに数々のニュース映像が映し出された。
『——銀河第7セクターで暴動が発生! 群衆は謎の歌を口ずさみながら、物流拠点を占拠しています!』
『——新興宗教団体、あるいは秘密結社と見られる組織『ユグドラシル』の関与が疑われており……』
「……暴動? 結社? 好きにさせておけば良かろう。帝国の治安維持部隊の仕事じゃ」
ローゼリアは画面から目を逸らし、再びゲームに戻ろうとする。
だが、ブリュンヒルデは冷酷な事実を告げた。
「その『物流拠点の占拠』のせいで、お前が今日受け取るはずだった**超限定生産のゲーミングチェアと、新作ソフトの配送便が全便ストップ**した」
**ピタッ。**
ローゼリアの指の動きが止まった。
部屋の温度が、一瞬にして氷点下まで下がったかのような錯覚。彼女の背後から、かつて連邦軍を震え上がらせたあの漆黒の魔力が、ドス黒いオーラとなって滲み出し始める。
「……なんじゃと?」
「それだけじゃねェッスよ、お姫様!」
ランドグリーズが巨大な戦斧を肩に担ぎながら、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべる。
「その『ユグドラシル』とかいう連中、どうやらウチらエインヘリアルを名指しで挑発してきてるらしいッス。輸送船に『死神とその眷属どもに裁きを』ってスプレーでデカデカと落書きされてたとか」
「……状況証拠を総合すると、単なるテロリストではなく、高度な軍事力と洗脳技術を持った組織ですわ。このまま放置すれば、私たちの『平穏な日常』が物理的に破壊される確率は極めて高いかと」
ロスヴァイセが眼鏡を押し上げながら冷静に分析する。
ローゼリアはゆっくりと立ち上がった。
先ほどまでの怠惰なスウェット姿の少女は消え去り、そこには己の領域(趣味)を荒らされたことに対する、純粋な殺意を宿した『死神』が立っていた。
「……リアンヌ」
「はい、私のローゼリア」
リアンヌはエプロンをふわりと脱ぎ捨て、虚空から純白の長槍を顕現させた。その瞳にもまた、主の平穏を脅かす者への絶対的な冷酷さが宿っている。
**「妾の! 新作ソフトを! 邪魔する奴は万死に値するのじゃァァァッ!! 団長、今すぐ出撃準備じゃ! あの輸送船を占拠している羽虫どもを、一匹残らず空間ごと切り刻んでくれるわ!!」**
「了解だ。総員、第一級戦闘配置! エインヘリアル、これより傭兵活動を再開する!」
ブリュンヒルデの号令が、母艦全体に響き渡った。
同じ頃。
遠く離れた別の宙域で、アルティナ・アスフィはチェス盤を前に冷たい笑みを浮かべていた。
「……動いたわね、エインヘリアル」
彼女の手元にある情報端末には、エインヘリアルの母艦が長きにわたる停泊を終え、ワープ航法へと移行したデータが送られてきていた。
物流拠点を占拠させたのは、彼女が仕掛けた些細な罠にすぎない。しかし、その罠が見事にあの「怠惰な死神」を戦場へと引きずり出したのだ。
「フフッ……怒っているのかしら、お母様? あなたの大切な日常を、ほんの少しだけ壊してあげたのだから」
アルティナは盤上の黒のナイトを進め、白のポーンを弾き飛ばした。
彼女の胸の奥で、決して満たされることのない劣等感と、破壊衝動が心地よく渦を巻く。
「さあ、いらっしゃい。私があなたたちの歪んだ平和を終わらせ、完璧な絶望を歌ってあげる」
紫色の瞳に冷酷な光を宿し、星詠みの歌姫は静かに次のステージへと幕を上げる準備を始めた。
血の繋がらない「家族」と、計算し尽くされた「完全なる娘」。
決して交わってはいけない二つの運命が、今、再び戦火の上がる銀河で激突しようとしていた。




