第二幕 第一話:目覚め
秘密結社『ユグドラシル』の深部。光の届かぬ暗黒星雲の最奥に、その施設は存在していた。
無機質な金属音だけが響く静寂の中、培養槽の重厚な扉が、シューという乾いた音を立てて開く。
液体の中から現れたのは、一人の少女だった。
柔らかな金色の髪が水滴を纏い、肌は陶器のように白く、そして——その紫色の瞳が、ゆっくりと開かれた。
アルティナ・アスフィ。
彼女は、この瞬間に『生命』という名の命令を受けた。
「被検体番号、アルティナ。……コード:アスフィ。全機能、正常起動を確認」
無機質なモニターの声が響く。彼女は培養槽から這い出し、濡れた床に裸足で降り立った。足元には、自身と酷似した特徴を持つ「二つの遺伝子源」のデータが記録されたデバイスが転がっている。
**ローゼリア・エーベルヴァイン。**
**リアンヌ・ヴァーミリオン。**
ユグドラシルの幹部たちが、ガラス越しに彼女を品定めするように見つめていた。アルティナはその視線を冷ややかに受け止め、自分の胸元——左の鎖骨付近に刻まれた無機質なナンバーを指でなぞる。
「……ここが、私の世界?」
初めて発した言葉は、驚くほど澄んでいた。しかし、その瞳の奥には、好奇心ではなく、深い空虚だけが広がっていた。
彼女は、自分が何者であるかを理解していた。
かつての銀河を震撼させた『黒き死神』と『純白の騎士』。その強大な力を抽出され、組み合わされ、都合のいい「兵器」として再構築された存在。それが自分だ。
「アルティナ、お前の任務は明確だ。銀河の民を『歌』で掌握し、我々の支配の礎を築くこと。そして……いずれ対峙することになるだろう、その遺伝子のオリジナルたちを、その手で始末することだ」
幹部の一人が冷酷に告げる。
アルティナはその言葉を聞いても、何の感情も抱かなかった。ただ、ふと脳裏に過った「羨望」という名の不純物が、彼女の心をチクリと刺す。
(二人のオリジナル……。私を創り出し、私を殺そうとする、あの忌々しい親たち)
これが、彼女の孤独で空虚な物語の始まりだった。
それから数ヶ月後。
銀河の巨大ステーションは、割れんばかりの歓声と、眩い光の海に包まれていた。
「愛してるわ、みんな! 今日も最高の夜にしましょう!」
ステージの中央で、極彩色のドレスを纏ったアルティナが微笑む。彼女がウインクを一つ落とすだけで、数万人の観客が熱狂し、涙を流して彼女の名を呼んだ。
『星詠みの歌姫』——それが、表の世界でアルティナに与えられた役割だった。
彼女の歌声は、会場の空気を震わせ、人々の心に直接響き渡る。
しかし、その美しい歌声の裏側で、アルティナの瞳はどこまでも冷え切っていた。
(……くだらない)
彼女は、歌うことが嫌いだった。
喉の奥に仕込まれたユグドラシルの魔力変換器が、彼女自身の魂(生命力)を削り取り、それを「大衆を洗脳するための周波数」へと変換している。ファンたちが熱狂しているのは、アルティナという少女に対してではなく、精密に計算された魔力波長に対してでしかない。
(私の心を削って作ったノイズを、有難がって聴く愚か者たち。……誰も、本当の私なんて見ていない)
完璧なステップを踏み、愛らしい笑顔を振りまきながら、彼女の心の中ではどす黒い虚無感が渦巻いていた。彼女にとってアイドル活動とは、自身の空っぽさを確認するための拷問であり、同時に「大衆を支配している」という歪んだ優越感を得るための麻薬でもあった。
ライブ終了後。
豪華なVIP専用の自室に戻ったアルティナは、華やかなアイドル衣装を脱ぎ捨て、漆黒のインナー型戦闘スーツに着替えた。
部屋の中央には、趣味であるアンティークのチェス盤が置かれている。彼女は黒のクイーンを指先で弄びながら、空中に巨大なホログラム・モニターを展開した。
映し出されたのは、彼女が討つべき「親」たちと、その取り巻きのデータである。
「……傭兵団エインヘリアル。そして、戦乙女たち」
アルティナは、無機質な声で読み上げる。
* **団長 ブリュンヒルデ**: 指揮官。胃薬を手放さない苦労人だが、戦術眼は銀河屈指。
* **長女 ランドグリーズ**: 巨大な戦斧を振るう、猪突猛進の狂戦士。
* **次女 ロスヴァイセ**: 冷徹な射撃手であり、兵器オタク。
* **三女 オルトリンデ**: 電子戦のスペシャリスト。
彼女たちの戦闘記録を眺めながら、アルティナは鼻で笑った。
「血の繋がりもないくせに『姉妹』と呼び合い、家族ごっこに興じる傭兵たち。……吐き気がするわ。戦場に温もりなんて、不要なのに」
そして、モニターの表示が切り替わり、二人の人物が大きく映し出された。
アルティナの指先の動きがピタリと止まる。
**ローゼリア・エーベルヴァイン。**
かつて銀河連邦五千万隻の艦隊を単騎で恐怖に陥れた『黒き死神』。
しかし、隠し撮りされた日常データに映る彼女は、だらしなくソファに寝転がり、ポテトチップスをかじりながらゲームのコントローラーを握っていた。
「……これが、私の魔力のオリジナル。努力もせず、ただ息をしているだけで銀河の理を捻じ曲げる才能を持った、怠惰な化け物」
アルティナの紫色の瞳に、明らかな憎悪が宿る。
自分がどれほど計算し、プログラム通りに完璧に振る舞っても手に入らない「絶対的な強さ」を、この女はパジャマ姿のまま無意識に行使しているのだ。
そして、もう一人。
**リアンヌ・ヴァーミリオン。**
ローゼリアの隣で、彼女の口に甲斐甲斐しく紅茶を運び、うっとりとした表情を浮かべる純白の騎士。
「……リアンヌ・ヴァーミリオン。私の空間認識能力と操縦技術のオリジナル。誰かのためにすべてを捧げることが強さだと信じて疑わない、高潔ぶった偽善者」
アルティナは、鎖骨のナンバーを強く掻きむしった。
彼女が最も許せないのは、この二人の間にある「圧倒的な信頼と愛」だった。
自分は、誰からも愛されるようプログラムされた完璧なアイドルでありながら、本当の愛など何一つ持っていない。それなのに、あの二人は戦場という地獄の中で、互いを唯一の核として強固に結びついている。
「羨ましい。……そして、どうしようもなく妬ましいわ」
アルティナは、手元の黒のクイーンを盤上に乱暴に打ち付けた。
白のキングが弾き飛ばされ、床に転がる。
「あなたたちのその甘ったるい絆を、私が完膚なきまでに破壊してあげる。私が『完璧な最高傑作』だと、その絶望の顔で認めさせてやるわ」
暗い部屋の中、モニターの光に照らされたアルティナの紫色の瞳には、デジタルノイズのような幾何学模様が妖しく浮かび上がっていた。
歌姫の仮面の下に隠された、冷徹な死神の系譜。
彼女の憎悪の矛先は、真っ直ぐにエインヘリアルの戦乙女たちへと向けられていた。




