第百二十一話:英雄の彷徨、死神との邂逅
イプシロン宙域の余波が残る、荒涼とした小惑星帯。
レーダーに反応した正体不明の機体——連邦軍の英雄、レオン・クライス大佐が駆る蒼銀の『アロンダイト』は、エインヘリアルの警備網をあえてすり抜けるようにして、ローゼリアたちの目前に姿を現した。
「……随分と大胆な登場じゃな、英雄様。連邦の旗艦を脱走してまで、妾の首を狙いに来たのか?」
通信回線越しに響くローゼリアの冷ややかな声。しかし、その声には、以前までのような「殺意」だけでなく、奇妙なまでの「好奇心」が混ざっていた。
一方、アロンダイトのコクピットでレオンは、震える手で操縦桿を握りしめていた。彼の目線の先には、漆黒の死神——タナトスが、静かに、しかし威圧的に宇宙空間に浮かんでいる。
「……首を狩りに来たのではない。話がしたい。ローゼリア・エーベルヴァイン、貴様が持つ『力』の真実と、我ら連邦が信じてきた『正義』の歪みについてな」
「話? 妾と、英雄が?」
ローゼリアは鼻で笑った。だが、彼女の真紅の瞳は、レオンの機体から放たれる殺気が、明らかに「戦闘のためのもの」ではないことを理解していた。それは、絶望した男が最後に縋る、壊れそうな藁のような問いかけの熱量だった。
「良いだろう。武器を捨てて、この小惑星の洞窟へ降りろ。リアンヌ、お主も来るか?」
「ええ。ローゼリアの護衛として、一歩も離れません」
リアンヌの目は、レオンに対して相変わらず冷ややかだ。彼女にとって、ローゼリアを傷つけようとした英雄など、今すぐ消滅させるべきノイズにすぎない。だが、主の許可があれば、その槍を下ろすことだけはできる。
小惑星の洞窟内、二つの機体は静かに降り立った。
ローゼリアはタナトスのハッチを開き、漆黒のドレスをなびかせながら、岩場に降り立つ。その背後には、騎士としての威厳を纏ったリアンヌが、抜いた槍を肩に乗せて立っていた。
「……来いよ、英雄。何を話すつもりじゃ」
レオンはアロンダイトのハッチを開き、制服を汚しながら岩場へと足を踏み出した。彼の胸にあったはずの『星十字勲章』はない。それは彼が、かつての連邦の英雄という立場を自ら捨てた証だった。
「……私は、銀河に平和をもたらすと信じていた。連邦こそが、圧政から民を救う唯一の希望だと」
レオンは自嘲気味に笑い、冷たい岩盤に背を預けた。
「だが、現実は違った。我々はただの略奪者であり、あまつさえ上層部は、あの『神帝機』という、銀河のバランスを崩しかねない禁忌の兵器を強奪することにしか興味がない。……ローゼリア、お前は知っているのか? 我々が今、どれほどの狂気の上に立っているのかを」
「知っておるわ。そんなもの、妾がリヴァイアサンに座った時から分かっておったことじゃ。妾の魔力を食い、星系を消し飛ばすあんな化け物……あんなもの、本来ならこの宇宙に存在してはならんのじゃよ」
ローゼリアの言葉は、意外なほどに重く、沈痛なものだった。
いつもなら「めんどくさい」「ゲームがしたい」と嘆く彼女の口から出たとは思えない、為政者としての諦念がそこにはあった。
「……ならば、なぜお前はその力を持っている。なぜ、エインヘリアルという傭兵団を率いてまで戦う。お前なら、その力で帝国の玉座を奪うことも、連邦を滅ぼすことも容易いはずだ」
「それが一番面倒じゃからじゃ」
ローゼリアはふいっと視線を逸らした。
「妾が欲しいのは、朝までゲームをして、リアンヌが淹れた紅茶を飲んで、エインヘリアルの面々と騒ぐ、ただそれだけの日常じゃ。玉座などという重荷は、姉上がやっておれば良い。妾を戦場に引きずり出し、大切なデバイスを壊した奴らを滅ぼしたいだけじゃよ」
そのあまりにも個人的で、非道徳的で、しかし人間味のある動機に、レオンは呆気にとられ、そして……心のどこかで、激しい安堵を感じた。
英雄という枷で縛られ、銀河の平和という大義名分を背負わされていた自分に比べ、この死神は、なんと自由に、なんと正直に生きていることか。
「……貴様は、本当に変わった魔女だな」
「貴様こそ、英雄という名のただの苦労人じゃ。……レオン、お主はどうしたい? 妾を討って英雄の座に返り咲くか、それとも妾と共に、この腐った戦場を終わらせるか」
ローゼリアの差し出した問いかけ。それは死神からの「審判」だった。
レオンは空を見上げた。洞窟の隙間から見える、果てしなく広がる銀河の星々。その一つ一つに、数多の命が眠っている。
「……私の正義は、連邦の旗の下にはない。だが、貴様の下に付くことも、英雄のプライドが許さん」
「なら、第三の道じゃ。……妾と、勝負せよ」
「……何?」
「次の戦場へ来るが良い。妾とレオン、英雄と死神。一対一の勝負で、どちらが『銀河の運命』を背負う権利があるか決めようではないか。お主が勝てば、妾はリヴァイアサンを封印し、二度とこの宇宙の表舞台には出ん。妾が勝てば……」
「……貴様の従者となり、貴様の『理想』に手を貸そう」
「フッ、面白い。決まりじゃ」
リアンヌは、背後で静かに槍を構えた。その表情は厳格そのものだが、レオンの言葉が主の決断を促したことに、微かな敬意さえ感じていた。
「英雄よ。ローゼリアと戦うなど、あなたが選ぶ道の中で最も残酷で、かつ最も幸福な道です。……死を恐れないことですね」
「ああ、承知の上だ。騎士」
レオンとローゼリア。二人はそれぞれの機体へと戻り、短い会合を終えた。
彼らの対話は、宇宙に流れるニュースには決して乗らない。だが、この邂逅が、銀河連邦の崩壊の始まりであることを、彼らは皆、直感していた。
イプシロン宙域を離れた後、レオン・クライスはアポロンに帰還することを選ばなかった。彼は、自身の部隊であった『天翼』の隊員たちに、独自の通信を送った。
「これより、我々は連邦軍を離脱する。……真の正義を探すために」
彼の通信に応じたのは、軍部の半数を超えた。連邦の腐敗に疑問を抱いていた若き将校たちが、英雄の決断に従い、アポロンから次々と脱出する。
連邦軍の軍事ネットワークが、内側から瓦解し始めた。
「閣下! セラフィム部隊が、アポロンから離脱しました! ……帝国の死神と接触した可能性が高い!」
総司令部の悲鳴を無視し、レオンは蒼銀のアロンダイトを飛ばす。彼の前には、巨大な嵐が待ち受けている。それは彼が望んだ正義の形であり、同時に彼を滅ぼす破滅の予兆でもあった。
一方、エインヘリアルでは、ブリュンヒルデがモニターを見ながら、再び胃薬を口に放り込んでいた。
「英雄が寝返り、連邦軍が内戦状態……。お姫様、お前が引き起こした波紋は、銀河そのものを飲み込むつもりか」
ローゼリアは、ソファでポテトチップスを食べながら、ニヤリと笑う。
「波紋? 違うぞ団長。これは『攻略』じゃ。面倒な雑魚(連邦上層部)を同士討ちさせ、真のボスである『この狂った銀河の運命』そのものとタイマンを張るための、仕込みじゃよ」
ローゼリアの言葉は、限界オタクの戯言ではない。彼女は今、何千光年もの戦場を、一つの巨大なゲーム画面のように俯瞰していた。
彼女の目は、すでに最終決戦の場所を見据えている。
運命の決戦に向けて、銀河という舞台の幕が、ゆっくりと、しかし確実に上がっていく。
「さて……。英雄よ、覚悟はできているか。妾の『積みゲー』を遅延させた罪、その身をもって償わせてやるからのう……」
その呟きは、誰にも聞こえない。だが、その言葉には、かつてないほどの死神としての覚悟が宿っていた。
連邦という名の巨人は、自らの内部から崩れ去る。だがその瓦礫の山の下には、まだ多くの無辜の市民が埋もれている。
ローゼリアは、そのすべてを背負う覚悟を、リアンヌとのティータイムの中で、静かに固めつつあった。




