第百十八話:戦の後の至福と、正義に燃える『連邦の英雄』
シリウス絶対防衛線での激戦から数時間後。
連邦軍の先遣隊二百万隻を文字通り「物理的に」叩き割って退けた傭兵団エインヘリアルの母艦は、帝国防衛軍の歓声と賞賛の通信を背に受けながら、補給のために宙域後方へと一時後退していた。
「……疲れた。もう指一本動かしたくないのじゃ。魔力の使いすぎで全身が筋肉痛みたいになっとる……」
メイン格納庫。愛機『タナトス』のコックピットから這い出るようにして降りてきたローゼリアは、タラップの途中で力尽き、スライムのように崩れ落ちた。
数百万の艦隊を相手に無双の活躍を見せた「黒き死神」の威厳など、そこには微塵もない。あるのは、長時間の実戦を終えて完全にバッテリーが切れた限界オタクの姿であった。
「お疲れ様でした、私の愛しいローゼリア!」
シュバッ! と、風を切り裂くような速度で純白の騎士が駆け寄る。リアンヌは、崩れ落ちたローゼリアの華奢な身体を、極上の肌触りを誇る特注のふかふかバスタオルごと優しく抱き止めた。
「ああ、星々を切り裂き、この宇宙の誰よりも気高く舞ったあなたのお姿……! 額に浮かぶその汗すらも、私にとっては輝く真珠のようです! さあ、冷たいマスカットティーをご用意しました。まずは喉を潤して、そのまま私が特製のアロマバスで隅々までお体を洗い清めて差し上げましょうね!」
「う、うむ……。お主のその重すぎる愛も、疲労困憊の時だけは有難い……。頼む、デイリーミッションのログインボーナスだけ受け取ったら、泥のように眠らせてくれ……」
リアンヌに完全な『お姫様抱っこ』をされながら、ローゼリアは抵抗する気力もなくされるがままになっていた。
その様子を、整備班のフィーネや三姉妹が呆れ半分、面白さ半分で眺めている。
「相変わらず、出撃前と帰還後の落差が激しすぎるお姫様だねぇ。まあ、あのバケモノみたいな大鎌を振り回す燃費の悪さを考えれば、無理もないか」
フィーネがスパナを片手に笑う。
「ふふっ。連邦の艦隊データもたっぷりと採取できましたし、何より賠償金の請求書を作るのが楽しみですわ。……おや、団長? また新しい胃薬ですか?」
ロスヴァイセの視線の先には、真っ白に燃え尽きた顔で、新しい胃薬のパッケージ(帝国軍から差し入れられた最高級品)を開封しているブリュンヒルデの姿があった。
「……勝ったのは先遣隊の二百万隻だけだ。連邦の総戦力はまだ四千八百万隻も残っているんだぞ。お前ら、少しは緊張感を持て……」
その頃、銀河連邦軍の総旗艦『アポロン』のブリーフィングルームでは、重苦しい沈黙が支配していた。
「……先遣隊二百万隻が、たった数隻の機動兵器と一個の傭兵団によって壊滅させられただと? 馬鹿な! 我々の最新鋭艦隊が、帝国の時代遅れな戦艦に後れを取るはずがない!」
「事実です、閣下。映像データも送られてきています。空間そのものを切断する漆黒の機体と、あらゆる砲撃を無効化する純白の機体……。奴らこそ、エーベルヴァイン帝国が誇る『黒き死神』と、その眷属に違いありません」
連邦軍の高官たちが、ホログラムに映し出されたタナトスとブランの圧倒的な戦闘映像を見て青ざめる。
彼らは長年、数と合理性こそが宇宙を制すると信じてきた。個人の武力で戦局が覆るなどという、非論理的な事実を受け入れられずにいたのだ。
「……恐れることはありません、閣下」
その時、ブリーフィングルームの扉が開き、一人の青年将校が堂々たる足取り入室してきた。
燃えるような赤髪と、意思の強さを感じさせる鋭い翡翠の瞳。純白の連邦軍特殊将校の制服を隙なく着こなしたその男の胸には、連邦軍最高の栄誉である『星十字勲章』が輝いていた。
**連邦軍特殊遊撃部隊『天翼』隊長——レオン・クライス大佐。**
連邦のプロパガンダにおいて『平和の象徴』『連邦の英雄』として祭り上げられている、絶対的な正義感の持ち主であった。
「レオン大佐か。しかし、あの『黒き死神』は規格外だ。通常の艦隊戦術では……」
「ええ。アレはもはや兵器ではなく、悪魔の類です。数で押し潰すのではなく、同じく『個』の力で討ち果たすしかありません」
レオンは、ホログラムに映る漆黒の機体——タナトスを忌々しげに睨みつけた。
「銀河を恐怖で支配しようと企む、傲慢にして冷酷なる帝国の魔女、ローゼリア・エーベルヴァイン。彼女が己の欲望のためにどれほどの血を流そうとも、この私が、連邦の最新鋭機『アロンダイト』の蒼銀の剣で必ずや裁きを下してみせます」
レオンは胸に手を当て、狂信的とも言える正義の炎をその瞳に宿した。
彼は知らない。彼が「冷酷なる帝国の魔女」と信じて疑わないローゼリアが、**今この瞬間、リアンヌの膝の上でよだれを垂らしながら爆睡している限界オタク**であるという真実を。
「出撃の許可を。次なる戦場は、『イプシロン宙域』……帝国の資源プラントがある星系です。奴らがそこを守りに来るのなら、私が直接、あの死神の首を討ち取ります!」
数時間後、体力(と魔力)を完全回復させたローゼリアは、エインヘリアルのブリッジでブリュンヒルデからの状況報告を受けていた。
「——というわけで、連邦の次なる狙いは『イプシロン宙域』だ。ここは帝国の心臓部とも言える重要資源プラントが密集している」
「ふむ……。つまり、そこを落とされれば、帝国の経済は致命的なダメージを受けるということじゃな?」
ローゼリアが腕を組み、深刻そうな顔で頷く。
「そうだ。そして、フェイト殿下からの情報によれば、連邦軍はそこに『天翼』と呼ばれる特殊部隊を投入してくるらしい。隊長のレオン・クライス大佐は、連邦の英雄と呼ばれる凄腕のパイロットだ。……お姫様、お前を名指しで討ち取ると息巻いているそうだが」
「妾を? 英雄が? はっ、笑止千万! 正義のヒーローごっこなら他所でやるが良いわ!」
ローゼリアは鼻で笑った。
しかし次の瞬間、オルトリンデがタブレットを操作しながら、ローゼリアにとって「真の脅威」となる事実を淡々と口にした。
「……補足します。イプシロン宙域の第4プラントは、ローゼリア様が愛用している**『超高解像度VRゲーミングデバイス』の主要パーツを独占製造している工場**です。ここが破壊された場合、現在予約中の限定モデルの生産ラインが完全に停止。発売は未定(無期延期)となります」
**ピキッ。**
ローゼリアの額に、青筋が浮かんだ。
「……オルトリンデ。今、なんと言った?」
「限定版VRデバイスの発売が、無期延期になる確率が極めて高いと申し上げました」
「…………」
ローゼリアはゆっくりと俯き、全身から漆黒の魔力をドス黒いオーラのように噴出させ始めた。
国家の経済ダメージなど知ったことではない。しかし、自分が半年も前から予約して楽しみにしていた「限定版ゲーム機」の発売が中止になる。それは、限界オタクにとって万死に値する、神をも恐れぬ大罪であった。
**「……連邦の羽虫どもめ。妾の、妾の尊い『ゲーム機』の生産ラインを脅かすじゃと……ッ!?」**
ローゼリアが顔を上げた時、その真紅の瞳はこれまでにないほどのガチの殺意に満ちていた。
「ゆ、許さん……! 正義の英雄だろうが何だろうが知ったことか! 妾の予約商品を阻む者は、この宇宙の果てまで追い詰めて塵にしてくれるわァァァッ!! 団長! 今すぐイプシロン宙域へ向かえ! 1ミリ秒でも遅れたら許さんぞ!!」
「あ、ああ……分かった。総員、直ちにイプシロン宙域へ跳躍準備だ……!」
「ああ、怒りに燃えるローゼリアも素敵です! あなたのその情熱、私がすべて純白の槍でサポートいたします!」
リアンヌだけは、通常運転でうっとりと頬を染めていた。
正義の炎に燃える連邦の英雄と。
予約商品のために殺意の波動に目覚めた限界オタクの死神。
決して噛み合うことのない二つの「信念」が、次なる戦場イプシロン宙域で激突しようとしていた。




