第百十三話:死神の天秤と、解き放たれる特異点
冷徹な国家論理と、狂気的なまでの偏執愛。
白亜の謁見の間で臨界点に達しようとしている二つの『極端な意志』を前に、ローゼリアの脳細胞は、かつてないほどの超高速演算(フル回転)を始めていた。
(考えろ、妾! ここで選択を間違えれば、妾の平穏なゲーマー生活が永遠に失われるぞ!)
選択肢A:姉フェイトの提案を受け入れ、帝国軍の特務機関に入る。
結果:毎朝決まった時間に起床し、厳しい軍規に縛られ、分厚い書類の決裁を行い、国家の兵器として過酷な任務に従事する。——**完全なる社畜(軍畜)ルート。**
選択肢B:リアンヌと共に、傭兵団エインヘリアルに帰る。
結果:昼過ぎまでベッドでゴロゴロしながらゲームをし、腹が減ったらリアンヌが最高級の料理を口まで運んでくれ、掃除も洗濯もすべてお任せ。——**至高のヒモ(限界オタク)ルート。**
(……比較するまでもない! 答えは一つじゃ!!)
「——ええい、やめい! 二人とも、そこまでじゃ!」
ローゼリアは、震える膝を必死に気力で押さえつけながら、リアンヌとフェイトの間に割って入った。漆黒のドレスの裾を翻し、威風堂々たる『黒き死神』の顔を作って、ビシッとフェイトを指差す。
「姉上。その合理的かつ無駄のない提案、確かに国家の長としては正しい判断であろう。……だが、断る!」
「……理由を聞かせてもらえるかしら。感情論は却下よ」
フェイトは、一切の動揺を見せずに真紅の瞳を細めた。
「妾はエインヘリアルの『黒き死神』じゃ。玉座の鎖に繋がれる気など毛頭ない。それに……」
ローゼリアは、チラリと後ろの純白の騎士を見た。
「このリアンヌが淹れる紅茶と、彼女が整えたふかふかのベッドがない生活など、妾にとっては『著しいクオリティ・オブ・ライフの低下』……つまり、極めて非合理的なんじゃよ!」
(言ってやった! 要するに「お国のためより自分のダラダラ生活の方が大事」という最低の宣言じゃが、背に腹は代えられん!)
その言葉を聞いた瞬間、リアンヌの纏っていた恐ろしい殺気が、一瞬にして春の陽だまりのような甘いオーラへと変貌した。
「ああ……っ! ローゼリア……! この帝国の絶対権力者を前にして、私の淹れる紅茶を選んでくださるなんて……! 私のすべては、あなたのそのお言葉のためにありました……!」
リアンヌは純白の槍を空中に霧散させると、感極まってポロポロと美しい涙を流し、両手で祈るようにローゼリアを見つめた。
一方のフェイトは。
計算機のように冷たかった真紅の瞳をわずかに見開き、ローゼリアとリアンヌのやり取りを静かに観察していた。
国家という巨大なシステムよりも、一介の騎士が提供する安逸な生活を迷いなく選ぶ妹。
そして、その妹の生活を守るためならば、一切の合理性を投げ捨ててでも星を滅ぼそうとする異常な騎士。
数秒の沈黙の後。
フェイトは、短く息を吐き出し、張り詰めていた空気をふっと緩めた。
「……計算外ね。まさか、生存確率や国家的庇護よりも、己の怠惰な生活環境を優先するとは。極めて非合理で、理解し難い行動原理だわ」
「あ、姉上……?」
怒られると身構えたローゼリアだったが、フェイトの顔には怒りはなく、むしろ微かな呆れと、ほんの少しの安堵が入り混じったような不思議な表情が浮かんでいた。
「……けれど、一つの結論は導き出されたわ。あなたと、その神帝機リヴァイアサンという『特異点』を帝国の管理システムに組み込めば、必ずどこかで致命的なバグ(反発)が発生する」
フェイトは玉座に座り直し、組んだ手の上に顎を乗せた。
「不確定要素は、無理に箱に閉じ込めれば爆発する。……**あなたはやはり、誰の管理下にも置かれず、好きに飛び回る方がいいようね**」
「ほ、本当か姉上!? 帝国軍に入らなくてもいいんじゃな!?」
ローゼリアの赤い瞳が、パァァッと輝く。
「ええ。ただし、条件が二つあるわ。一つ、神帝機リヴァイアサンの使用は、エーベルヴァイン帝国への直接的脅威がない限り、原則として封印すること。……二つ」
フェイトは、鋭い視線をリアンヌへと向けた。
「そこの過保護な騎士。我が妹の健康管理と精神衛生の維持は、あなたに一任するわ。もしローゼリアの体重が不健康に増減したり、生活習慣が極端に乱れたりするようなことがあれば……その時は、私が直々に艦隊を率いてエインヘリアルを接収しに行くわよ」
「——御意。この命に代えても、ローゼリアの心身は私が完璧に管理し、極上の環境で養い続けることを誓いましょう」
リアンヌは、見事な騎士の礼を執り、自信満々に微笑んだ。
(ちょっと待て! なんで姉上とリアンヌの間で、妾の『飼育権』の委譲みたいな話がまとまってるんじゃ!? 管理されないって言ったのは嘘か!?)
内心でツッコミを入れるローゼリアだったが、軍隊に入れられるよりは一万倍マシだと自分を納得させ、口を閉ざした。
「話は終わりよ。……エインヘリアルの団長には、事の次第は報告しておくわ。さっさと帰って、ゲームの続きでも何でもしなさい」
フェイトは冷たく言い放ち、手元のデータパッドに視線を落とした。まるで、もうローゼリアたちには興味がないと言わんばかりの態度である。
「うむ! では失礼するぞ、姉上!」
ローゼリアは、足取りも軽く謁見の間を後にしようと背を向けた。
しかし、その背中越しに、フェイトの小さな、本当に小さな呟きが聞こえたような気がした。
「……たまには、通信くらい寄越しなさいな。身体に気をつけてね、ローゼリア」
振り返ると、女帝はすでに大量の決裁書類の束と向き合っており、その横顔はいつもの冷徹な為政者のそれに戻っていた。
ローゼリアはフッと微笑むと、今度こそ大手を振って、自分を甘やかしてくれる帰るべき場所——母艦エインヘリアルへと足を踏み出すのだった。
圧倒的な力と権力を退け、見事に「平穏なヒモ生活」を勝ち取った黒き死神。
しかし、彼女を隣でエスコートする純白の騎士の瞳が、「帝国のお墨付きを得た」ことでさらに重く、深く、逃げ場のない愛の光を宿し始めていることに、この時のローゼリアはまだ気づいていなかったのである。




