第百十二話:漆黒の死神の復活と、冷徹なる女帝の論理
エーベルヴァイン帝国の辺境宙域、第七補給基地。
旧銀河帝国での絶望的な逃走劇から数日が経過し、母艦エインヘリアルはようやく真の平穏を取り戻しつつあった。巨大なメイン格納庫には、心地よい機械の駆動音と整備班の歓声が響き渡っている。
「さあ、終わったよお姫様! アンタの相棒の完全復活だ。いや、それどころか以前よりも数段ピーキーにチューンナップしてやったよ!」
オイルにまみれたツナギを着たチーフメカニックのフィーネが、巨大なスパナを肩に担ぎながら誇らしげに親指を立てた。
その背後、専用の整備ドックに鎮座していたのは、見違えるほど美しく、そして禍々しく磨き上げられた漆黒のマギアナイト——『タナトス』であった。装甲の表面は星々の光を吸い込むような深い闇の色にコーティングし直され、焼き切れていた魔力炉周辺の伝導チューブも一新されている。
「おおおっ……! 妾の、妾の愛しきタナトスよ! ようやく帰ってきたのじゃな!」
漆黒のゴシックドレスに身を包んだローゼリアは、歓喜の声を上げてタナトスの装甲にすりすりと頬擦りをした。
限界オタク男子の魂を持つ彼女にとって、自分専用にカスタマイズされたこの機体は、最高級のゲーミングPC以上の価値を持つ「自分だけの城」である。
「ああ、なんて素晴らしいのでしょう! 新たな息吹を与えられた漆黒の機体と、それに頬を寄せるローゼリアの美しい横顔……! まるで一幅の絵画のようです!」
背後では、純白のパイロットスーツを着たリアンヌが両手で頬を押さえながらうっとりと感嘆の声を漏らしている。
フィーネは呆れたようにリアンヌを一瞥すると、手元のコンソールを操作した。格納庫の奥、厳重にロックダウンされた特別区画へと視線が向く。そこには、先の旧銀河帝国での戦闘で三万隻の艦隊を単機で『蒸発』させた規格外のバケモノ——神帝機『リヴァイアサン』が、幾重もの拘束具を巻かれて眠りについていた。
空間を『切除』し『接続』するディメンション・ゲート。そして、ローゼリアの魔力をバカ食いする代償として一星系をも消し飛ばしかねない超絶破壊兵器『マギアブラスター』。あんな燃費の悪いじゃじゃ馬には、よほどのことがない限り二度と乗るまいとローゼリアは心に固く誓っていた。
「うむ! あんな燃費最悪の機体は、一生あそこに封印しておくのじゃ! 妾にはやはり、このタナトスが一番手足に馴染むわ!」
軽やかな足取りでコックピットに乗り込み、メインシステムを起動する。
『システム・オンライン。……おはようございます、マスター・ローゼリア。神帝機リヴァイアサンからのシステム移設、およびタナトスへの最適化、すべて完了しました』
「おお、バハムート! 久しぶりじゃな! ふはははっ、これからはこのタナトスの中で、誰にも邪魔されずにゲームをするんじゃ! バハムート、最高のゲーミング環境としてタナトス内の空調とモニター設定を最適化せよ!」
『……了解しました。タナトス・ゲーミングモード、起動します』
冷徹なAIすらも主のポンコツぶりに適応し始めたその時。コックピットの外部スピーカーから、地を這うような低い声が響いた。
「——随分と楽しそうだな、お姫様」
ビクッとしてローゼリアがモニターを見ると、そこには特大サイズの胃薬の空き瓶を握りしめ、ひどく疲労した顔の団長・ブリュンヒルデが立っていた。
「だ、団長? そんな般若のような顔をして……」
「お前たちが旧帝国でやらかした特大の『巻き込み事故』のせいだ。我がエインヘリアルが旧帝国軍三万隻を蒸発させたという事実は、すでに全銀河に知れ渡っている。当然、我々の最大のスポンサーであるエーベルヴァイン帝国本国も、この事態を静観するわけにはいかなくなった」
ブリュンヒルデは深くため息をつき、手元の端末を操作した。
「本国の最高意思決定機関から、正式な出頭要請が届いた。名指しだ、お姫様。……第一皇女、フェイト・エーベルヴァイン殿下から直々に、事の顛末を論理的に説明せよとのことだ」
ローゼリアの動きがピタリと止まる。
エーベルヴァイン帝国の第一皇女フェイト。彼女はローゼリアの実の姉であり、現在の帝国を実質的に統治している冷徹で合理主義的な次期女帝である。
かつて帝国を救った恩があるとはいえ、フェイトの判断基準は常に「国家にとって有益か、あるいはリスクか」という一点に集約される。感情論など一切通じない、氷のように冷たい為政者であった。
「……姉上から直々の呼び出しじゃと? あの人に会うと、常に数手先まで見透かされているようで胃が痛くなるんじゃが……」
「諦めろ。神帝機リヴァイアサンという戦略級兵器を一個人が所有し、他国の軍勢を消滅させたのだ。国家としてお前の動向を管理・査定するのは、あまりにも妥当で合理的な判断だ」
ローゼリアが渋々ながらも了承したその時、通信越しにリアンヌの冷ややかな声が届いた。
「……ローゼリア。もし皇宮の者たちが、あなたの自由を不当に縛るような真似をすれば……その時は、私が純白の槍で道を切り開きます」
「お願いじゃからお主は物騒なことを言うなァァァッ! 姉上は完全に合理主義の塊なんじゃから、お前が暴れたら即座に反逆者として処理されるわ!!」
エーベルヴァイン帝国首都星、アルカディア。
幾重にも張り巡らされた黄金の魔力防壁に守られた白亜の帝都へ、タナトスとブランは静かに降下した。
皇宮の最奥、冷たい大理石で覆われた広大な謁見の間。
装飾を極力排した機能的で荘厳な空間の奥、一段高くなった玉座に、第一皇女フェイト・エーベルヴァインは座していた。
ローゼリアと同じ黄金の髪を隙なく結い上げ、無駄のない軍服風のドレスに身を包んだその姿は、彫刻のように美しく、そして冷酷なまでの威圧感を放っている。真紅の瞳には一切の感情が読み取れず、ただ目の前の事象を計算する機械のような光が宿っていた。
「……よく戻ったわね、ローゼリア」
静まり返った謁見の間に、フェイトの凜とした、感情の起伏を感じさせない声が響く。
「姉上、長らくのご無沙汰をしておりました。この度は旧帝国の件で、お騒がせをしてしまい……」
「報告はすでに受けているわ。旧帝国の親衛艦隊三万隻の消滅。……結果だけを見れば、将来的な我が国の脅威を大きく削ぐことになり、極めて有益な戦果と言えるわね」
フェイトは手元のデータパッドを指で弾きながら、淡々と事実だけを口にする。
「しかし、神帝機リヴァイアサンの稼働という事実は、銀河のパワーバランスを著しく損なうノイズよ。一個の傭兵団が持つには、あまりにも過ぎた力だわ」
「そ、それは不可抗力で! バハムートの自動防衛システムが勝手に起動して、妾はただ乗っていただけで……謀反の意志など毛頭ございません!」
必死に言い訳をするローゼリアを、フェイトは冷徹な真紅の瞳で見据えた。
「あなたの意志など問題ではないわ、ローゼリア。問題なのは、『その力がそこに存在している』という事実よ。国家の安全保障という観点から見れば、不確定要素は管理下に置くのが最も合理的」
フェイトは玉座から立ち上がり、カツン、カツンと規則正しいヒールの音を響かせてローゼリアの前に立った。
「提案よ、ローゼリア。傭兵稼業から足を洗い、皇宮に戻りなさい。あなたとリヴァイアサンをエーベルヴァイン帝国軍の直接管理下に置き、特務機関として運用する。……これが、あなたにとっても帝国にとっても、最も無駄のない選択よ」
(ひぃぃぃっ! 要するに軍隊に入って国の兵器として働けってことじゃろ!? 妾の平穏なゲーム生活と引きこもりヒモ生活が完全に終わってしまう!)
ローゼリアが恐怖で顔を引き攣らせた、その時である。
「——お言葉ですが、フェイト殿下。その提案には、同意いたしかねます」
謁見の間の温度が、急激に氷点下まで下がった。
声の主は、ローゼリアの後ろで静かに控えていた純白の騎士・リアンヌである。サファイアの碧眼から光を消し去り、その手には虚空から召喚した『純白の長槍』が握られていた。
フェイトは表情を一切変えることなく、計算するような冷たい視線をリアンヌへと向けた。
「……エインヘリアルの騎士ね。国家の決定に対し、一介の傭兵が異を唱えるというの? 非合理的極まりないわね」
「合理性など知ったことではありません。ローゼリアは誰の所有物でも、国家の駒でもない。彼女の気高き魂は自由であり、そのすべてをお守りし、養うのは、この世界で私ただ一人です。……国家という鎖で彼女の羽を縛るというのなら、私は帝国全軍を敵に回してでも、彼女の自由を死守します」
リアンヌの全身から、圧倒的な殺気と魔力が立ち昇る。
しかし、フェイトは微動だにしなかった。彼女の真紅の瞳は、リアンヌの放つ殺気をただの「物理的なデータ」として冷静に分析しているようだった。
「一個人の偏執的な感情のために、帝国との全面戦争も辞さないと?……愚かね。極めて感情的で、計算に合わない行動論理だわ」
「愛に計算など不要です。ローゼリアの安らかな寝顔と、平穏な日常を守ること。それが私の行動原理のすべてですから」
「あの……お二人とも……。武器を収めて、もう少し平和な解決策を……」
ローゼリアは、目の前で静かに、しかし確実に臨界点へと向かっている「極限の論理」と「極限の愛」の衝突に、完全に蚊帳の外状態で震え上がっていた。
片や、国家の利益と合理性を最優先し、妹を最高戦力としてシステムに組み込もうとする冷徹な女帝。
片や、ローゼリアの平穏なヒモ生活を守るためならば、一切の合理性を捨てて国家すら単騎で滅ぼそうとする最凶のヤンデレ騎士。
『マスター・ローゼリア。現在、副団長リアンヌの魔力上昇により、皇女フェイトの近衛部隊が臨戦態勢に移行しつつあります。外交的決裂の確率が九十八パーセントを突破しました』
通信機から聞こえるバハムートAIの無機質な声だけが、今のローゼリアにとって唯一の味方であった。
(なぜじゃ……。妾はただ、平和にゲームをして、ダラダラと生きていきたいだけなのに……。なぜ妾の周りには、極端な思考のバケモノばかり集まってくるんじゃァァァッ!!)
「ローゼリア。無駄な感傷は捨てて、合理的な判断を下しなさい。それがあなたの為よ」
フェイトが冷たく告げる。
「ローゼリア。さあ、私と共に帰りましょう。あなたの居場所は、私の腕の中だけです」
リアンヌが純白の槍を構え、深く微笑む。
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!! だ、団長さァァァァァん!! 助けてェェェェェェェッ!!」
エーベルヴァイン帝国の冷たく美しい皇宮に、黒き死神の情けない絶叫が木霊する。
旧帝国から逃げ延びた先で待っていたのは、安息などではなく、冷徹な国家論理と重すぎる愛に挟撃されるという、絶望的な『究極の二択』であった。




