第百十一話:皇帝候補の全力逃亡と、安息のエーベルヴァイン
「機関最大出力! ワープドライブ、リミッター解除! 後方に航跡を残すな、何が何でも旧帝国宙域からトンズラするぞ!!」
母艦エインヘリアルのブリッジに、団長ブリュンヒルデの悲痛な、しかし気迫に満ちた怒号が響き渡っていた。
神帝機『リヴァイアサン』による規格外の一撃で、旧銀河帝国の親衛艦隊三万隻を文字通り「消し飛ばした」直後。エインヘリアルは勝利の余韻に浸るどころか、全速力でその宙域から逃走を図っていた。
無理もない。これ以上あそこに留まれば、クーデターを目論む強硬派貴族たちから「我らが新皇帝!」と担ぎ上げられ、泥沼の帝国継承権争いの中心に放り込まれることは火を見るより明らかだったからだ。
「急げ急げ急げェェェッ! 追いつかれたら妾の平穏なゲーマー生活が、玉座という名の地獄のデスクワークにすり替わってしまうわ! エンジンが焼き切れても構わん、逃げるんじゃァァァッ!」
普段は「死神」として悠然と構えているはずのローゼリアも、今はブリッジのコンソールにしがみつき、半泣きで絶叫していた。
皇帝になどなれば、毎日分厚い決裁書類にサインをし、堅苦しい貴族たちの相手をしなければならない。限界オタクにして究極のヒモ体質である彼女にとって、それは死よりも恐ろしい刑罰であった。
「ああ……恐怖に震えながら逃げ惑うローゼリアのお姿も、小動物のようで庇護欲をそそられます! ご安心を、いざとなれば私が後方の追手をすべてこの純白の槍で……」
「お主はこれ以上騒ぎを大きくするなリアンヌゥゥゥッ!!」
金髪碧眼の騎士の物騒な提案を全力で却下しつつ、ローゼリアはただひたすらに星の海を駆け抜けるよう祈り続けた。
数回の連続した長距離時空跳躍を経て、エインヘリアルは無事に馴染みのシマである『エーベルヴァイン帝国』の辺境宙域へと帰還を果たした。
追手の影がないことを確認し、ようやく母艦に真の安堵が訪れる。
「助かった……! これで謁見も政務もやらなくて済む! 妾の平和なヒモ生活が守られたんじゃ!」
私室のふかふかなベッドにダイブしたローゼリアは、歓喜の涙を流しながら枕に顔を擦り付けた。
旧帝国のクーデター騒動、そしてリヴァイアサンによる魔力の過剰消費。肉体的にも精神的にも限界を迎えていた彼女にとって、この安全地帯への帰還はまさに天国であった。
シュンッ。
自動ドアが開き、美しい金髪を揺らしたリアンヌが、極上の香りを漂わせるティーセットを手に優雅に入室してくる。
「お疲れ様でした、私の愛しいローゼリア。エーベルヴァイン帝国の空気は、あの旧帝国のカビ臭い宙域よりも、あなたの美しい肌に合っているようですね」
「う、うむ! やはり家が一番じゃな! さあ、ゲームの続きを……」
ローゼリアがコントローラーに手を伸ばそうとした瞬間、リアンヌがベッドの端に腰を下ろし、透き通るような碧眼でじっと彼女を見つめてきた。
「帝国という巨大な重圧から逃れ、こうして無防備にベッドで寛ぐお姿……。ああ、やはりあなたに玉座という鳥籠は似合いません。ローゼリアを閉じ込めていいのは、この私が作る『愛の鳥籠』だけですから」
「えっ」
リアンヌは、ティーカップをサイドテーブルに置くと、熱を帯びた吐息を漏らしながらローゼリアの華奢な肩に手を回した。
「旧帝国では『皇帝候補』などと持て囃されていましたが、私にとってあなたは、出会ったあの日からずっと……私の世界の『絶対君主』です。さあ、命がけの逃亡で疲れたお身体を、私が全身全霊をかけてマッサージし、隅々まで浄化して差し上げましょうね」
「ひぃっ!? リ、リアンヌ、目が! 目が完全に肉食獣のそれになっておるぞ! 妾はゲームが……」
「ゲームなどいつでもできます。今はただ、この私からの無限の愛と奉仕だけを感じていてください……!」
「いやじゃああああああっ!! 逃げた先にも別の地獄(重すぎる愛)が待っておったァァァッ!!」
安息の地・エーベルヴァイン帝国へと舞い戻った黒き死神であったが、金髪碧眼の騎士による過剰な愛情表現からは、宇宙のどこへ逃げても逃れることはできないのであった。




