第百五話:トラウマの連鎖と、震える女帝の胃袋
暗礁宙域の深部に鎮座する、新興武装カルテル『ブラッド・ファング』の旧軍事要塞。
その巨大な防衛ラインの前に、エインヘリアルの戦乙女たちは姿を現した。
先陣を切るのは、赤き装甲の『グリムゲルデ』と、漆黒の死神『タナトス』。
そしてその隣には、死神を護衛するようにピタリと寄り添う、純白の『ブラン』の姿があった。
要塞の司令室では、ブラッド・ファングの幹部たちがモニターに映る戦乙女たちの姿を見て、せせら笑っていた。
「はっ、たった数機でこの要塞を落とそうなんて、銀楼の女狐も焼きが回ったな」
「迎撃砲台、一斉掃射! 宇宙の塵にしてやれ!」
しかし、その幹部たちの後ろで、レーダー手の一人がモニターの拡大映像を見て、顔面を蒼白にして震え出していた。
「お、おい……嘘だろ。あの黒い機体……そして、あの禍々しい魔力の波形……ッ!」
「どうした? ただの重装甲機じゃねえか」
「ち、違う! 俺は知ってるんだ! 以前、ガルム、フェニックス、銀楼、そして傭兵連合が入り乱れたあの地獄の大抗争で……戦場を文字通り『更地』にした、あの悪夢の機体を!!」
レーダー手の男は、過去のトラウマを呼び起こされ、頭を抱えて絶叫した。
「当時は『ノワール』って機体に乗ってたが、間違いない! あの気配は【黒き死神】だ!! 馬鹿野郎、あんなバケモノを相手に防衛システムなんぞ紙切れと同然だ! 逃げろ! 今すぐ要塞を放棄して逃げねえと、魂まで刈り取られるぞォォォッ!!」
男の悲鳴が通信回路に乗り、ブラッド・ファングの全兵士たちにパニックが伝染していく。
『ひぃぃぃっ! あの死神かよ!』
『砲台がロックオンできません! 空間そのものが歪んで……ひ、ヒィィッ! こっちを見てるゥゥゥッ!!』
一方、そんなパニック状態の要塞の様子などつゆ知らず、宇宙空間に浮かぶ『タナトス』のコックピットの中では。
(ひ、ひぃぃぃぃぃぃぃぃっ! なんじゃあの要塞の砲台の数は! まるでハリネズミじゃないか! あんなの一斉射撃されたら、いくらタナトスの装甲でも消し飛んでしまうわ! 怖い! 帰りたい! 妾のふかふかベッドに帰してくれェェェッ!)
ローゼリアは、表面上は腕を組み、冷徹な赤い瞳でモニターを睨みつけていたが、中身の限界オタク男子は完全にビビり散らかして半泣き状態であった。
『ローゼリア。敵の砲台がこちらを向いています。……ご安心を。あなたに放たれるすべての光条は、私の【ブラン】が純白の盾となって防ぎ切ってみせます』
隣を飛ぶリアンヌから、とろけるような甘い声で通信が入る。
「う、うむ! 頼りにしておるぞ、リアンヌ! 妾は一歩も動かんからな!」
(マジで動いたら被弾しそうじゃから、後衛のロスヴァイセとオルトリンデが仕事するまで、威圧感だけで乗り切るんじゃ!)
ローゼリアは、タナトスの魔力炉の出力を無駄に引き上げ、漆黒のオーラを宇宙空間に放出しながら『絶対強者のポーズ』をキープした。
——そして、その様子を、安全な後方の母艦エインヘリアルから、さらにもう一つの安全圏(銀楼の本部)でモニター越しに見守っている人物がいた。
依頼主である、マフィアの女ボス・ユズキである。
『…………』
ユズキは、モニターに映る『タナトス』の禍々しい姿と、そこから放たれる圧倒的な魔力の波動を見て、咥えていた煙管をポロッと落とした。
「ボス? いかがなさいました?」
側近が尋ねるが、ユズキは返事をしない。いや、できなかった。
彼女の艶やかな額には滝のような冷や汗が流れ、極彩色の着物を着た肩は、ガタガタと小刻みに震えていたのである。
(あ、あの子……っ。以前『ノワール』に乗っていた時よりも、さらに魔力がバグってるじゃないの……ッ!)
ブラッド・ファングの兵士たちがビビるのも無理はない。しかし、この宇宙で誰よりもローゼリアの恐ろしさを骨の髄まで理解しているのは、他でもないユズキ自身であった。
なにせ彼女は、ガルムとの抗争において、実際にローゼリアと交戦し、その理不尽すぎる暴力の前に、完膚なきまでに叩きのめされた経験があるのだ。
(あの時は……本当に死ぬかと思った。私の組織の精鋭部隊が、あの子のたった一撃で部隊の精鋭の6割を持って行くし私の機体まで大破したんだから……!)
ユズキの脳内に、ローゼリアの赤い瞳が冷酷に見下ろしてくるトラウマ映像がフラッシュバックする。
「……おい」
ユズキは、震える声で側近に命じた。
「い、胃薬を。……銀河連邦製の、一番キツいやつを持ってきなさい。水はいらない、そのまま噛み砕くわ」
「は、はい! すぐに!」
ユズキは胃の辺りを押さえながら、モニター越しにエインヘリアルのブリッジにいるブリュンヒルデに通信を繋いだ。
『……ブリュンヒルデ。あんた、よくあんな規格外のバケモノを飼い慣らしていられるわね。私の胃に穴が空きそうだわ』
通信機から聞こえてくるユズキの弱々しい声に、ブリュンヒルデは深く、深い共感のため息をついた。
「……分かってくれたか、ユズキ。お姫様がうちに来てから、私の胃薬の消費量は従来の五倍に跳ね上がっている。後で、銀楼の裏ルートで最高級の胃薬をコンテナ単位で手配しておいてくれ。経費で落とす」
『ええ、分かったわ……。ダース単位で送ってあげる』
マフィアの女帝と、荒くれ傭兵団の団長。
かつては敵対関係にあったはずの二人の間に、今、『胃痛に悩む中間管理職』という奇妙な連帯感と友情が芽生えた瞬間であった。
そんな大人たちの胃痛など知る由もなく、ローゼリアはモニターの前で必死に虚勢を張り続け、リアンヌはその横で「ああ、微動だにしないローゼリアの横顔、なんて美しいのでしょう」と限界突破した愛を深めていく。
「さあ、始めようかお姫様! 派手に花火を打ち上げるッスよ!!」
ランドグリーズの『グリムゲルデ』が咆哮を上げ、ブラッド・ファングの要塞攻略戦が、今まさに火蓋を切ろうとしていた。




