第百四話:マフィアの女帝と、胃薬が手放せない商談
母艦エインヘリアルのブリーフィングルーム。
薄暗い照明の中、円形のホログラムテーブルの中心に浮かび上がった『人物』を前に、団長ブリュンヒルデは今日何度目か分からない特大の胃薬をボリボリと噛み砕いていた。
「……それで? 裏社会を牛耳る巨大マフィア『銀楼』の女ボス自らが、しがない傭兵団に何の用だ? ユズキ」
ブリュンヒルデが鋭い視線を向けた先。
青白いホログラムのノイズ越しに立っていたのは、極彩色のサイバーパンク風着物をだらしなく着崩し、長い煙管を咥えた艶やかな美女であった。
彼女こそが、複数の星系にまたがる巨大な裏組織『銀楼』を束ねる女帝、ユズキである。
『しがない傭兵団、ね。よく言うわ。このアステロイドベルト一帯で一番暴れ回っている狂犬の群れが、自分たちを過小評価するなんて嫌味かしら?』
ユズキは煙管から紫色の煙を吐き出し、妖艶な笑みを浮かべた。
『単刀直入に言うわ、ブリュンヒルデ。あんたたちの「力」を借りたいの。……それも、とびきり凶悪なやつをね』
「……依頼内容と、報酬は?」
『標的は、最近私たちのシマを荒らしている新興の武装カルテル【ブラッド・ファング】。奴ら、旧時代の軍事要塞を丸ごと買い取って、そこを拠点にうちの密輸ルートを潰しにかかってきてるのよ。要塞の防衛システムは厄介極まりないわ』
ユズキが指を鳴らすと、ホログラムテーブルに巨大な小惑星要塞の立体図が投影された。
『報酬は、銀河連邦の正規軍艦隊が一年間遊んで暮らせるだけの額。さらに、銀楼が持つ裏ルートの弾薬と補給物資の優先購入権をつけてあげる』
「……破格だな」
ブリュンヒルデの顔が引きつる。それだけの報酬を出すということは、裏を返せば「それだけヤバい案件」であるという証明に他ならない。
『ただし、条件があるわ』
ユズキは煙管を灰皿にコンッと叩きつけ、細められた妖艶な瞳に鋭い光を宿した。
『この依頼、必ずあんたたちの看板である【黒き死神】を出すこと。……奴らの要塞ごと、恐怖という名の絶望を叩き込んで、裏社会の連中に「銀楼に喧嘩を売るとどうなるか」を分からせてやりたいのよ』
その言葉が響いた直後。
ブリーフィングルームの自動ドアが、ウィィィンと音を立てて開いた。
「——妾を呼んだか?」
漆黒のフリルドレスを翻し、長くふわふわとした金髪を揺らしながら、ローゼリアが悠然とした足取りで入室してくる。
その一歩一歩から放たれる(ように見える)圧倒的な強者のオーラ。赤い瞳は冷酷な光を帯び、まさに『黒き死神』の威厳そのものであった。
……しかし、彼女の背後には。
「さあ、ローゼリア。こちらへ。足元が少し暗いですから、私の手を取ってくださいね」
純白の騎士服に身を包んだリアンヌが、まるでレッドカーペットをエスコートする執事のような、あるいは熱烈な恋人のような甘い声でローゼリアの腰を抱き寄せていた。
(ひぃぃぃっ! だから人前で腰を抱くのはやめろと言っておるじゃろリアンヌ! そしてホログラムの向こうにいるのは本物のマフィアのボス!? 怖い! 目が据わっててめちゃくちゃ怖いんじゃが!!)
内心では限界オタクの魂がガクガクと震え上がり、泣き叫んでいたが、ローゼリアは必死に表情筋を固定し、ホログラムテーブルの前に立って腕を組んだ。
「……ふん。羽虫の駆除か。妾の『タナトス』を煩わせるほどの仕事とも思えんが……まあよい。暇つぶしにはなりそうじゃ」
ローゼリアが不敵な笑みを浮かべると、ホログラム越しのユズキは「ほう」と感嘆の息を漏らした。
『……なるほど。噂通りの恐ろしい威圧感ね。ただ立っているだけで、背筋が凍るような殺気を感じるわ。それに……』
ユズキの視線が、ローゼリアの腰に手を回したまま、周囲を威嚇するように睨みつけているリアンヌへと移る。
『その死神を文字通り「手懐けている」白銀の騎士。……ふふっ、エインヘリアルは本当に面白い連中が揃っているわね』
「手懐けているのではありません。私が、彼女のすべてを絶対的にお守りしているのです」
リアンヌが冷ややかに、しかしその底にドロドロとした重い愛を隠しきれない声で言い放つ。
「……わかった、ユズキ。その依頼、引き受けよう」
ブリュンヒルデが、胃薬の瓶を机に置きながら決断を下した。
「ランドグリーズの『グリムゲルデ』と、ローゼリアの『タナトス』を前衛の要塞突破に回す。ロスヴァイセの『ヘルムヴィーゲ』による時空跳躍ミサイルで防衛設備を無力化し、オルトリンデの『ジークルーネ』が後方からの超長距離狙撃で指揮系統を潰す。……リアンヌ、お前は『ブラン』でいつも通りお姫様の護衛だ」
「承知いたしました。ローゼリアに近づく塵は、私の純白の槍がすべて宇宙の塵に変えてご覧に入れます」
リアンヌが優雅に一礼する。
『交渉成立ね。期待しているわよ、戦乙女たち。……特に、死神さん』
ユズキは妖艶なウィンクを残し、ホログラム通信を切断した。
プツン、と通信が切れた瞬間。
「あわわわわ……っ。本物のマフィアじゃ! 怒らせたらコンクリートドラム缶で宇宙の海に沈められるやつじゃ!!」
ローゼリアは先ほどまでの威厳を完全に投げ捨て、涙目でリアンヌの純白の制服の裾にすがりついた。
「ああ、ローゼリア! 怯えるお姿もなんて庇護欲をそそるのでしょうか! 大丈夫ですよ、ドラム缶などという野蛮なもの、私がすべて原子分解して差し上げますからね! さあ、今のうちにたっぷり甘えてください!」
「お、お主のそういうところも大概怖いが、今は背に腹は代えられん……っ!」
限界まで張り詰めていた虚勢が解け、白銀の騎士の胸に顔を埋める死神。
ブリュンヒルデは、そんな『新婚夫婦(もはや公認)』のような二人のイチャイチャを冷たい目で見下ろしながら、そっと新しい胃薬の瓶のフタを開けた。
「……お前ら、作戦開始は明日のマルヒトマルマルだ。それまでに、その甘ったるいオーラを引っ込めて、少しは戦場に出る傭兵らしい顔つきに戻しておけよ」
巨額の報酬と、マフィアの女帝からの期待。
新たな戦場となる『武装要塞』への出撃を前に、戦乙女たちの母艦は今日も胃痛と過剰な愛に包まれているのであった。




