第十話:過去からの手紙と、帝国崩壊の足音
エインヘリアル艦内、ローゼリアの自室。
柔らかなベッドの上で目を覚ましたローゼリアは、寝ぼけ眼を擦りながら、自身の胸元に触れた。
そこには、休日のデートでリアンヌから贈られた『純白のペンダント』が、パジャマ越しにも確かな存在感を放って乗っている。
(……夢じゃない。俺は本当に、帝国をぶっ飛ばして、リアンヌ様という最高の騎士(彼氏? 彼女?)を手に入れたんだ)
ペンダントを両手で包み込むと、銀の冷たい感触とは裏腹に、胸の奥底からポカポカとした温もりが広がっていく。
帝国で「魔力電池」として幽閉されていた頃は、朝が来るのが苦痛で仕方がなかった。今日もまた終わりのない魔力抽出の激痛に耐えなければならないという絶望感しかなかった。
だが今は違う。朝になれば、大好きな人たちの顔が見られる。美味しいご飯が食べられる。
この居場所を守るためなら、俺の無尽蔵の魔力なんて安いもんだ。
「ローゼリア。起きていますか?」
コンコン、という優しいノックの音と共に、聞き慣れた——そして世界で一番大好きな声が扉の向こうから聞こえた。
「う、うむ! 起きておるぞ、リアンヌ!」
扉が開くと、凛々しい軍服姿のリアンヌが、ワゴンに温かい朝食と淹れたての紅茶を乗せて入ってきた。
朝の光に照らされる長い金髪と碧眼が、あまりにも神々しい。
「おはようございます、我が姫君。今日は非番ですので、私が朝食をお持ちしました。……ふふ、まだ少し眠そうですね」
リアンヌはごく自然にベッドの端に腰掛けると、ローゼリアの少し乱れた髪を指先で優しく梳いた。
(あああああ! 朝から顔が良い!! 匂いが良い!! 距離が近い!!)
ローゼリアは朝から心拍数を限界突破させながらも、必死に尊大な顔を作って咳払いをした。
「ふ、ふん。大儀じゃ。……お主が淹れた紅茶は絶品じゃからな。一緒に飲むか?」
「ええ、喜んで」
二人で向かい合って朝食をとる。
こんな穏やかで甘い時間が、もう何日も続いている。
セドリックの率いる帝国艦隊を壊滅させてから、母艦エインヘリアルは何事もなかったかのように宇宙を航行していた。戦乙女の面々もローゼリアの出自を知った上で、以前と全く変わらない——いや、むしろ「守るべき末っ子」としての甘やかし度がさらに上がったような気すらする——態度で接してくれている。
そんな朝のティータイムを楽しんでいた時だった。
『——ローゼリア。リアンヌ。至急、ブリッジに上がってきておくれ』
艦内放送から、ブリュンヒルデ団長の声が響いた。
普段の鷹揚な雰囲気とは少し違う、微かな緊張感を含んだ声色。
「……団長からですね。何か緊急の事態でしょうか」
「ふむ。行ってみよう」
リアンヌにエスコートされながらブリッジへと向かうと、そこには腕を組んでメインモニターを見つめるブリュンヒルデと、コンソールを叩いているフィーネの姿があった。
「来たね、二人とも」
「団長。何か厄介事か?」
「ああ。厄介というか……君宛てに、少し特殊なルートから『手紙』が届いてね」
ブリュンヒルデが顎でモニターをしゃくると、フィーネが振り返った。
「ローゼリア。あんたが壊滅させた帝国の旗艦、あっただろ? あの時、逃げ帰った帝国の残存艦の航行データから、逆にこっちの座標を特定して、超長距離の暗号通信を飛ばしてきた奴がいる。……送信者の名前は、『フェイト・エーベルヴァイン』だ」
フェイト。
その名前を聞いた瞬間、ローゼリアの赤い瞳が微かに見開かれた。
「フェイト姉上……」
(第一皇女のフェイト。冷徹で、合理主義の塊みたいな異母姉。あのゴリラ兄上や老いぼれ親父とは違って、帝国の現状を一番客観的に見ている女……。わざわざ暗号通信を送ってくるなんて、何を企んでる?)
「暗号の解読は済ませてある。完全にローゼリア個人宛てのテキストメッセージだ。読むかい?」
フィーネの問いに、ローゼリアは少しだけ躊躇した。
帝国にはもう未練はない。関わりたくもない。
だが、あの合理主義の姉が、ただの恨み言や泣き言を送ってくるはずがないのだ。
「ローゼリア。もし辛いなら、読まずに消去しても構いません。私が……」
リアンヌが心配そうにローゼリアの肩を抱く。
「……いや。開いてくれ、フィーネ。過去からの亡霊の声くらい、聞いてやらぬこともないわ」
ローゼリアの指示を受け、メインモニターに長文のテキストが表示された。
そこには、フェイト特有の、感情を一切排した事務的で冷たい文章が綴られていた。
『——第二皇女ローゼリアへ。
この通信をあなたが読んでいるということは、無事にあの傭兵団に保護され、生き延びているということですね。
まず初めに伝えておきます。この通信は帝国からの降伏宣言であり、同時に不可侵の誓約です。
セドリックの残存艦隊の航行記録からあなたの現在地を特定しましたが、我が国があなた方に追撃や報復を行う意思は、未来永劫、一切ありません。
セドリックが持ち帰った旗艦のデータと、彼の錯乱した報告を精査しました。
あなたの魔力と、その漆黒の機体による戦闘記録。……驚嘆に値します。
肉体の力こそが至高とする帝国の古い教義が、たった一人の少女の魔力によって完全に粉砕された。その冷酷な事実を、私は誰よりも正確に理解しました。
現在の帝国の状況を、事実として共有しておきます。
あなたが不在となったことで、帝都の防衛システムは案の定、深刻なエラーを起こし崩壊しつつあります。新型魔力炉では、あなたが感覚的に行っていた百以上の術式の並行制御を補うことは不可能でした。
防衛網の低下を察知した周辺国や反乱軍が、すでに国境付近で侵攻を開始しています。
さらに、我が国の最大の抑止力であった「第一艦隊」と「近衛騎士団」は、あなたによって消滅させられました。
それを率いていたセドリックですが——彼は現在、皇籍を剥奪され、地下の幽閉塔に収監されています。
絶対の自信を持っていた自身の武力と艦隊を、見下していた妹に一瞬で消し飛ばされた恐怖から精神に異常をきたし、今はただ「黒い悪魔が来る」とうわ言を繰り返すだけの廃人です。再起は不可能でしょう。
そして、皇帝である父アンブロシウス。
無敵を誇った自分の艦隊が消滅したこと、そして何より、自らが「不要なゴミ」として宇宙へ捨てた娘こそが、帝国を陰から支えていた真の柱であったという事実を突きつけられ、心労から一気に老け込みました。
もはや政務を執る気力もなく、玉座の奥で後悔の念に苛まれながら、ただ死を待つだけの哀れな老人となっています。
……愚かですね。彼らは時代と、真の価値を見る目を持っていなかった。
現在、私が臨時の摂政として帝国の全権を掌握し、崩壊しつつある国家の残務処理を行っています。
帝国はもう、他国を侵略する力を持ちません。残された領土を縮小し、細々と防衛戦に徹する小国へと成り下がるでしょう。
ローゼリア。
合理的に判断して、あなたという存在は我が国にとって最大級の脅威であり、同時に手放してはならなかった至宝でした。
ですが、もはや手遅れです。
私は新国家の元首として、あなたのエーベルヴァイン帝国からの完全な離脱と、独立を認めます。
あなたが今後、宇宙のどこで誰と生きようとも、帝国が干渉することはありません。
あなたの持つ規格外の力と、その隣にいる白銀の騎士の武力が、どうか帝国の残骸に向けられないことだけを祈ります。
さようなら、ローゼリア。
——フェイト・エーベルヴァイン』
メッセージは、そこで途切れていた。
ブリッジに、静寂が降りる。
フィーネも、ブリュンヒルデも、そしてリアンヌも、食い入るようにその文面を読み終え、言葉を失っていた。
「……ふん」
最初に沈黙を破ったのは、ローゼリアだった。
「相変わらず、可愛げの欠片もないドライな文章じゃ。……姉上らしいわ」
(ゴリラ兄上は地下に幽閉されて廃人化。老いぼれ親父は後悔しながらボケ老人化。帝国自体も侵略国家から転落して、フェイト姉上が尻拭いか。……完全な「ざまぁみろ」展開じゃん)
ローゼリアは、心の中でひっそりと毒づいた。
しかし、不思議と「やったぜ」というような歓喜は湧いてこなかった。
かつて自分を虐げた者たちが悲惨な末路を辿ったというのに、ローゼリアの胸にあったのは、ただの「呆れ」と、ほんの少しの虚無感だけだった。
「……ローゼリア。泣いているのですか」
リアンヌの声にハッとして頬に触れると、一筋の涙が伝い落ちていたことに気づいた。
「違う! これは悲しいとかではなく……その、あくびが出ただけじゃ!」
「……ええ。わかっていますよ」
リアンヌはローゼリアの強がりを優しく受け止め、後ろからそっと、その小さな身体を包み込むように抱きしめた。
背中から伝わるリアンヌの温もりと、規則正しい心音。
それが、ローゼリアの胸にあった僅かな虚無感を、あっという間に溶かしていく。
(……ああ、そうか。俺が泣いたのは、帝国の連中が可哀想だからじゃない。あんな連中と血が繋がっていたという事実への決別と……今、俺の背中をこうして温めてくれる『本当の家族』がいることへの、嬉し泣きだ)
「団長」
ローゼリアは、リアンヌの腕の中に身を預けたまま、ブリュンヒルデを見た。
「この通信、消去してくれ。保存しておく価値もないわ。帝国のローゼリアは、もう死んだのじゃから」
「……いいのかい?」
「うむ。妾は『戦乙女』のローゼリアじゃ。過去のゴミ箱から届いた手紙に、いちいち返事を書いてやる義理はない」
ローゼリアのきっぱりとした決断に、ブリュンヒルデはフッと口角を上げ、満足そうに頷いた。
「了解した。フィーネ、データを完全に消去しな。帝国からのアクセスは今後一切遮断だ」
「アイアイサー! こんな湿っぽいメール、うちの可愛いエースには似合わねぇからな!」
フィーネが軽快にコンソールを叩き、フェイトからのメッセージは電子の海へと完全に消え去った。
「さて、過去の清算も終わったところで、次の仕事の話をしようか」
ブリュンヒルデが、メインモニターに新たな星域のマップを投影する。
「アイギス7での怪獣討伐の噂が広まってね。あちこちからうちの『双璧』をご指名の依頼が殺到してるんだ。次は……緑豊かなリゾート惑星での、要人護衛任務だ。報酬も弾むし、任務の後は綺麗な海で泳げるおまけ付きだよ」
「海!!」
ローゼリアの赤い瞳が、パァァッと輝いた。
(海! 水着! 美少女傭兵団の皆と水着でキャッキャウフフ!! 天国イベントキタァァァッ!!)
内心の限界オタクが盛大にガッツポーズをキメて盆踊りを始めていると、背後からリアンヌが耳元で優しく囁いた。
「海、ですか。楽しみですね、ローゼリア。……あなたのために、可愛い水着を見繕いましょう。日焼けしないように、私がしっかりと日焼け止めを塗ってあげますからね」
「————ッッッ!!」
リアンヌの放った破壊力抜群の言葉に、ローゼリアは頭頂部からプシューッと湯気を上げてフリーズした。
(り、リアンヌ様が日焼け止めを塗る!? どこに!? 全身に!? あかん、海に行く前に俺の心臓が爆発して死ぬ!!)
「おや、ローゼリア? また顔が赤いですよ。風邪でも引きましたか?」
「な、ななななんでもないわ!! 妾は無敵じゃ!! 海でもなんでもかかってこい!!」
真っ赤な顔で強がるローゼリアを見て、ブリッジの皆がドッと温かい笑い声を上げる。
エーベルヴァイン帝国という巨大な影は、もはや彼女の心を縛る鎖ではない。
落ちこぼれと蔑まれた皇女は、漆黒の死神として過去を断ち切り、愛する白銀の騎士と共に、果てしない星の海へと新たな伝説を刻んでいく。
「さあ、行くぞリアンヌ! 妾たちの戦場が待っておるわ!」
「はい、どこまでも共に。我が姫君」
『戦乙女の双璧』の物語は、これからも甘く、激しく、そして心臓に悪いくらいの尊さを伴って、宇宙の果てまで続いていくのである。




