1夜 ルナティコ 月狂
「可愛そうなメキシコ、神からあまりに遠く、アメリカにあまりにも近い」
メキシコ大統領ポルフィリオ・ディアスより。
月狂という言葉がある。
月の満ち欠けや満月を見ると精神に異常をきたし、非常に凶暴な性格になるのだとか。
別の言葉では『ルナシー』
しばしば、おとぎ話やホラーに出てくる狼男に結びつけられる。
今、頭上に燦然と輝く満月は、きっとどこかで、誰かの精神を垣見だしているに違いない。
何を隠そう、漣・琉生人こと、今の俺がそれに当たる。
満月が街頭の少ない路地裏を照らし、吸血鬼や狼男が登場しそうな夜を演出する。
ここにいるのは熊男なのだが。
「どうするんですか? この状況……」
後ろから運転席に座る熊男に詰め寄ると、彼は野太い声でひょうひょうと答えた。
「どうするも、こうするも、全ては神のお導き次第だ」
四十を越えた中年オヤジは身長が二メートル近くある巨漢。
ラテン系らしい日に焼けた肌の上に、白いタンクトップとジーンズを着ている。
腕と胸板は肉で作られた鎧にしか見えない。
モヒカン頭は前髪をカールさせてから額に垂らしている。
ただ驚くべきはその巨漢よりも顔。
顔面の左半分が野獣に引っ掛かれた、三本の黒い爪痕がある。
パッと見れば、そう見えてしまうが、これは皮膚の下にインクを馴染ませたタトゥー。
片目の回りを黒いインクで縁取って、そこから三つの鉤爪で切り裂いたデザインだ。
誰しもこの顔を見れば恐れをなすことだろう。
現に俺も初めて見た時は恐怖した。
神の思し召し、などで話を終わらせるつもりはない。
事態は切迫しているのだ。
「何、呑気なことを言っているんですか!? 外にいるのは――――」
車内でどんな会話をしているのか、確かめるように銃声が鳴り、金属の砕ける音がした。
俺は反射的に頭を椅子に埋め、撃たれた錯覚を振り払ってから顔を上げると、この熊男へ食って掛かる。
「"救護者"もいるんですよ? なんとかして下さい!」
「わめくな、ハポネス(日本人)。人間にとって大事なのは選択と行動だ。今、どうするか考えているところだ」
「アンタはいつだってバカな選択と行動をしてる!」
「カジャテ、モコソ!(黙れ小僧!)」
「スペイン語は解りません!」
「お口が過ぎるぞ? 子供達がいなかったら、貴様を殴り飛ばしている」
すると、少女のような声で口論の仲裁に入る人物がいた。
「パパ。ヤっていいよね?」
右の鼻翼に輪っかのピアスを着けた十代の女性が、顔を割り込ませた。
父親に負けず劣らずのファッションを見せる彼女は、白い肌にフワリと浮かせたウェーブボブを赤とオレンジで染め上げ、あたかも紅蓮の炎を連想させる髪色だった。
メイクも濃い目に仕上げられ、眉の下に描かれた紫のアイシャドーは、まぶたからはみ出している。
黒で統一したレジャージャケットとレザー加工のミニスカート、その下にはレギンスを履いている。
白いインナーウェアは肩から胸にかけて大胆に開けているが、露出した白い肌よりも眼を引くのは、鎖骨の辺りに描かれたタトゥー。
火の精霊サラマンダー。
翼の無い赤いドラゴンが小さな火を吹いている。
親が親なら子も子などと言うが、親子揃って尖鋭化したファッションに馴染めない。
父親は静かに答える。
「あぁ、いいだろう」
そのやり取りは、この十代の女性が俺のことを張り倒していいか質問し、親がそれを許諾したと思った。
が、そうではない。
車両の後部には担架が置かれている。
彼女は救護者が寝そべるストレッチャーの下から、一メートル以上の長さがある金属の箱を引っ張り出し、蓋を開ける。
すると、普通ではあり得ない大きさの銃器を取り出した。
細身の銃身から後ろへ視線を流していくと、生き物の首から胴体のように太さが増していく。
引き金の前には鉄クズを敷き詰めたかのように見える、太いドラムが垂れ下がっていた。
まるで、おとぎ話に現れるドラゴンを、機械仕掛けに作り替えたのかと思わせる風貌だ。
姿を現した凶器に俺は身体をのけぞらした。
続いて金属の箱から折りたたまれた台座を出すと、開いて三脚にして床に設置。
三脚の台座に銃器を固定して、運転席とは反対のドアへ銃口を向けた。
運転席の熊男は号令をかける――――――――。
「娘よ。祖国を汚す堕天使どもに十字砲火を浴びせろ。神とパパが許す」




