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2話

「レン。何をしているのですか。早く、ここをもっと快適にしなさい」


 ふかふかのソファに深々と沈み込み、片手に魔導スマホを握りしめたまま、魔王がジト目でこちらを睨んでくる。その透き通るような銀髪はクッションに散らばり、最高にだらしない姿勢だが、顔の造作だけは憎たらしいほどに美しい。


 俺は手元の魔導回路の調整、この地下深くでも快適な室温を保つための全自動魔導空調機の組み立てから顔を上げ、深い深いため息をついた。


 なんだ、この魔王。さっきは「全部任せる」って言ってソシャゲの周回に没頭していたくせに、今度は「これをやれ」と急かしてくる。マジで何がしたいかわからない。気まぐれにも程があるだろう。


「あの、魔王様…? こんなことしてていいんですか?部下とかは…」


 俺は半ば呆れ気味に尋ねた。腐ってもここはダンジョンの最下層であり、彼女はその頂点である。そんな存在が、人間の技師をこき使って部屋の模様替えに執心していていいのだろうか。


「むう、あなたも彼らと同じことを言いますね。部下ならいますよ。私に対して文句しか言いませんが」


 魔王は不満げに唇を尖らせた。どうやら、彼女の部下たちも主のこの引きこもり気質には手を焼いているらしい。そりゃそうだろう。


「ええ…ならそっちに行きましょうよ。俺、襲われるの嫌ですよ」


 俺がここに居座って勝手に魔道具を作っていることがバレたら、その忠誠心の高い部下たちから「魔王様をたぶらかす不届き者」として確実に命を狙われる。面倒事は極力避けたい。


「…確かに、優秀なあなたが私の部下たちに襲われては困りますね…その時はその部下を血祭りに上げるだけでは済まないでしょうし…」


 魔王はスマホの画面から目を離さず、ひどく物騒なことをボソリと呟いた。何か怖いことを言っているが、まあいいか。魔王なんだし。味方に回せばこれほど心強い存在もないだろう。


「じゃあ、行きますよ」


 俺が作業台から立ち上がると、魔王はソファから身を起こし、スッと白く細い手を出してきた。手を繋げばいいのだろうか。少し躊躇しながらも、俺はその冷たい手を握り返した。


「はい、では転移」


 魔王が短く呟いた瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。


 強烈な浮遊感に襲われたのは一瞬のこと。まばたきをして次に目を開けた時、俺たちは先ほどの清潔なワンルームのような空間から一転して、異様に天井が高く、禍々しい装飾が施された広大な空間に立っていた。


 部屋の最奥には、黒曜石で削り出されたような巨大で立派な椅子、玉座が鎮座している。宙には青白い魔力の炎が浮かび、床には血のように赤い絨毯が敷かれている。


 間違いない、RPGの最終盤でよく見る、ラスボスを倒すための場所だ。


 地上ではコンビニで肉まんが買えたり、電車が時刻表通りに走っていたりする便利な日常があるというのに、地下深くにはこのようなコテコテのファンタジー空間が存在している。そのあまりのギャップには、何度遭遇しても驚かされそうだ。


「ま、魔王様! 困ります、いきなりいなくなられては…ぬっ! 人間! 一体どこから!?」


 突如として玉座の前に現れた俺たちを見て、広間に控えていた魔物たちが一斉に殺気を放って振り返った。


 漆黒の甲冑に身を包んだ巨漢の騎士、禍々しい杖を持った魔族、鋭い爪を光らせる獣人。どいつもこいつもそこらの適当なダンジョンだったら間違いなく単独で最深部のボスになれそうなほどの強烈なプレッシャーを放っている。


 そいつらが一斉に武器を構え、俺を取り囲もうと迫ってきた。


「やめなさい。この人は先ほどに部下になりました。それにあなたたちでは勝てませんよ?」


 魔王は俺と繋いだ手を離さず、退屈そうな、ひどく平坦な声で言い放った。


「なっ! また、そのようなことを言って…本気ですか?」


 甲冑の魔族が、信じられないというように声を荒らげる。人間ごときが自分たちより強いなど、彼らのプライドが許さないのだろう。


「はい、本気です。仲良くやってください」


「魔王様がそうおっしゃるのなら…」


 主の絶対的な命令に対し、彼らは渋々といった様子で武器を下ろした。みんなは不満げながらも、俺のことを一応は受け入れてくれるようだ。後で裏庭に呼び出されて集団で殴られるとか、そういう理不尽なイジメがありませんように……と俺は密かに祈った。


 だが、事態はそう簡単には収まらなかった。


「納得いきません!」


 広間の空気を切り裂くような、耳障りな甲高い声が響いた。列の奥から進み出てきたそいつを見て、俺は思わず顔を引きつらせた。


 そう言ったのは、何か手足がたくさんあるものだった。人間の胴体に、ムカデと巨大蜘蛛を掛け合わせたような禍々しい甲殻の下半身。背中からは鎌のような鋭い節足が何本も生え揃い、不気味に蠢いている。


 うげえ、マジで勘弁してくれ。俺は昔から虫が本当に苦手なんだよ。足が六本以上ある生き物は視界に入れるのも嫌なのに、あんな人間サイズの、しかも殺意マシマシの巨大昆虫モドキを至近距離で見せられるなんて何の罰ゲームだ。


「私の判断です、まだ言いますか?」


 魔王の瞳の温度が、スッと数度下がった。周囲の空気が凍りつくような重圧が広間を支配する。


「身も心も軟弱な人間は受け入れられません。いくら魔王様の命であったとしても」


 その魔物は圧倒的な魔王の威圧を前にしても一歩も引かず、ギラギラと複数の複眼を光らせて俺を睨みつけてきた。


「そうですか。なら、わかりました」


 魔王は小さくため息をつくと、繋いでいた俺の手を離し、ドンッと俺の背中を無造作に押し出した。そして、俺は多脚の魔物と真っ直ぐに向き合う形になってしまった。


「戦ってみなさい」


 えっ、ちょっと待って。俺、裏方の魔導技師なんだけど。俺の心の中の抗議など届くはずもなく、目の前の巨大な虫が、歓喜の咆哮とともに鋭い鎌を振り上げている。


 こうしてあまりにも理不尽なバトルがいきなり始まったのだった。

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