第四法章 絆結ぶ瞬間
試験の日から数日たって。
わたしとアズリは、ライル先生に生徒指導室に呼び出されてた。
わたしたちは、二人並んで立っていて。
ライル先生は、窓に寄りかかってる。
「まぁ、なんの用事で呼ばれたか、薄々気がついていると思うが、二人に話がある」
うすうすもなにも、二人で呼び出されるようなことなんて、ひとつしか思い浮かばない。アズリはわたしと違って、優等生なんだから。
「試験の結果が出たんだが、二人には公開前に了承してもらわなくてはならなくてな。まずアズリ」
「はい」
アズリは堂々と先生の言葉を聞き届ける。
「龍族でも高等な存在である白龍の召喚を始め、多彩な召喚を行い、また召喚した個体数も多く、さらに召喚したものの見せ方もよく考えていたな。素晴らしかったぞ。満点の百点に、加点で三十点が乗せられた」
「はい、ありがとうございます」
アズリは落ち着いて、その結果を受け止める。
そしてライル先生は、今度はわたしに視線を向けた。
なんだか、やるせないっていう気分が伝わってくるくらいに、緩慢な動きだった。
「セア。お前は歴史上でも、人間ではごく少数しか行えない同時詠唱を行い、さらに大洋交響曲第一番第三法章を深い表現力で奏でた。もちろん、素晴らしいことだ」
言葉とは裏腹に、ライル先生の声音はどこか暗く。
いつもの笑顔も、どこか無理をしてて、今すぐにでも、ため息をはき出したいっていう感じに見えてしまう。
「だが、試験開始直後は取り組む気を見せなかった。さらに怪我こそさせなかったものの、アズリに向けて魔法を使い、危険な目に遭わせた。それから試験の最後に、私的な理由で魔法に関係ない行動を取った。以上のことを踏まえて、満点の百点に五十点を乗せて、そこから三十点を引くことにする。その結果、技術点ではセアが一位だが、最終的な評価では、アズリを一位とする」
やった。
アズリが、一番になった。
「やったね、アズリ! 一番だよ!」
わたしは喜びのままに声をあげて。
アズリもにっこりと笑った後に。
思いっきりわたしのほっぺを、つねりあげたんだ。
「やったね、じゃないわよ、このおバカ! 結果的にあなたも全力を出したからまだ許せるものの、始め全然やる気なかったでしょ!」
わたしのほっぺは、これまでで一番のびてるんじゃないかって思えるくらいに引っ張られて。
しかも、今回は両側から引きのばされる。
「ご、ごめんなひゃい、もうしましぇん~」
わたしは涙を流して、アズリにうったえて。
ライル先生は横で、ほっぺを引きつらせてる。
アズリも、ライル先生の反応に気づいて、顔をそらしながらせき払いをして。
先生の前でやってしまったことに後悔してるのか、わたしにも、ライル先生にも、視線を合わせずに窓の外に目をやってる。
「セア、本当にもうするんじゃないぞ。誰かのために、という言葉を間違えちゃいけない」
ライル先生はそう話をまとめて。
いつも通りのにこやかな笑顔を、わたしたちに向けてくれた。
それが、ライル先生の思いやりで。
わたしは、もうライル先生を裏切るようなことはしない、と心に誓った。
「よし、話は以上。もう帰っていいぞ、二人とも」
「先生、ありがとうございます」
わたしが思いっきり頭を下げると。
「ん? いいんだよ。先生だからな」
ライル先生は笑ってそれを受け止めてくれた。
それがほんとうにうれしくて。
ライル先生が担任で、よかった。
それから、アズリと二人、帰り道。
落ち葉のじゅうたんの感触をゆっくりと踏みしめて楽しみながら、山道を降りていく。
紅い落ち葉だけを踏んでどこまで行けるかな。
「ねぇ、セア」
「な~にっ?」
紅い落ち葉を踏み外さないように注意して、わたしはアズリに振り返る。
アズリはそんなわたしを見て、微笑んでいて。
「私ね、セアの魔法を見て、正直すっきりしたわ。同時詠唱するような子だったら、今は負けるのも、仕方ないなってね」
アズリは後ろ手にカバンを回してて。
アズリが歩くたびに、ポニーテールと一緒のリズムで、カバンが腰の位置で跳ねている。
ゆるやかな動作で、アズリはわたしの前を通り過ぎて。
「なんか、やっと吹っ切れた感じがするわ。それに、もっと大きな目標も出来たしね」
「もっと大きい目標?」
「ええ」
わたしが首をかしげると。
アズリはかかとだけで、くるりとターンして。
わたしたちの視線が重なる。
アズリの黒目がちな瞳が、実際の距離よりも、ずっと近くに思えた。
「卒業までにセアを超えることよ。見てなさい。私だって、同時詠唱、マスターしてみせるわ」
アズリは自信に満ちた表情で。
でもそれは、いつもより輝いてる。
わたしはうれしくなって。
アズリに飛びついたんだ。
落ち葉で足がすべって、バランスをくずしかけたけど。
アズリがなんとか受け止めてくれた。
「こら、危ないじゃない、セア」
わかってるけど、おさえきれなかったの。
「アズリ、二人でがんばろうよ! わたし、練習に付き合うよ!」
「ええ。よろしくね」
わたしたちは、最初からおたがいを想ってて。
けれど、ずっとすれ違ってて。
やっと、つながることができた気がする。
「あとね、あとね、わたしまだやりたいことがふたつあるの!」
「二つも? 何かしら?」
わたしは、心からの笑顔をアズリに見せて。
ちゃんと伝えるんだ。
「わたし、料理したい!」
「……え?」
確かにその瞬間、アズリの笑顔は凍りついたんだ。
***
その夜、わたしは包丁を手にして台所に立つ。
「セア、本当に大丈夫なの?」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。アズリったら、なにをそんなに心配してるの?」
「だって、セアが料理なんてしたら――、きっと、無理に早く切ろうとして指を切ったり、フライパンに触れて火傷したりしそうで」
うわぁ、両方とも前にやったことあるから、だいじょうぶっていいにくいなぁ。
とりあえず、笑っておけばいいかな?
「そのいい笑顔が余計に不安だわ」
あれ?
おかしいな。
まぁ、実際に作って見せたら、安心してくれるはずだよね。
よし、そうと決まったら、さっそくお野菜から切っていこう。
わたしは小刻みに包丁を動かして。
玉ねぎに、トマト、じゃがいもの皮をむいて、食べやすい大きさに切っていって。
お魚をさばいて、身を取り出してく。アラも使うから、ちゃんと取っておかないとね。
「あら、意外と様になっているのね」
「えへへ~♪ ほらほら、心配なんていらないから、アズリはテレビでも見てなよ」
アズリの信頼を勝ち取ったわたしは、さらに調理を進めて。
アズリはこちらを気にしながらも、テレビをつけている。
自然と、好きな歌を口ずさんで。
今日の料理とそれを食べるアズリをイメージする。
おいしいっていう、笑顔を。
それを思い浮かべるだけで、わたしの力になってくれる。
その胸の奥から湧きあがる愛情を込めて。
料理を作りあげていく。
たっぷりのオリーブオイルに、細かくきざんだニンニクを踊らせて。
香りが立ってきたら、お水を加えて、取っておいたアラとハーブのブーケを浸す。
おいしいダシが出てきたら、アラもブーケも取り上げて。
あとは具材を放りこんで煮込むだけ。
「あら、いいにおい。魚介スープ?」
「うん、ブイヤベースだよ。それにシタビラメのムニエル、あと牛すじのワイン煮込み。アズリが一番取れたお祝いだから、はりきったんだよ♪」
アズリはキッチンで、火にかけられた鍋やもうお皿にわけられたムニエルを見て。
それから、涙を一滴こぼしたんだ。
「ふぁ!? どうしたの? そんなにわたしの料理、信用なかったの?」
わたしはそれに思いっきり動揺してしまって。
わたしが料理するだけで、そんなに心配をかけていたなんて。
でも、それはわたしのカン違いで。
「違うわ。セアが私のためにこんなにがんばってくれたことに、感極まっちゃったのよ」
そのまま、わたしはアズリに抱きしめられて。
いつもと違って、わたしがアズリを支える体勢になってる。
こうしてみると、アズリの細さがよくわかって。
それに、わたしの負担にならないくらいに、軽い。
「アズリ、ご飯冷めちゃうよ?」
「そうね。いただきましょう」
二人で料理をテーブルに並べて。
パンの入ったバスケットは真ん中に。
ブイヤベースとムニエルを、向かいあった二人の席にそれぞれ置いて。
ワイン煮込みは、後で出すから、とっておく。
「美味しいわ。セアって、意外と料理上手なのね」
ひとくち食べて、アズリは目を輝かせてくれて。
わたしはちょっと誇らしくなる。
大好きな人を喜ばせることができるのは、すごくうれしい。
「ねぇ、アズリ。これからは料理はかわりばんこにしようよ。それに、わたしほかにも、できることたくさんあると思うんだ」
だから、もっとわたしを頼ってほしいな。
二人で、助けたり、助けられたり、そうやって暮らしていこうよ。
そうすれば、きっとわたしたち、もっとわかり合えると思うんだ。
「そうね。せっかく、一緒に暮らすんですもの。こんなに美味しい料理、食べなきゃ損よね」
「うん、そうだよ! アズリのご飯もおいしいから、わたしもいっぱい食べたいし、たくさん、食べてほしいよ」
「それなら、当番を決めなきゃいけないわね。ほら、セア、口が汚れているわ」
「はぅ?」
アズリはティッシュを取って、わたしの口を優しくていねいに、キレイにしてくれた。
「全くもう、こういうところは、子供ね」
そう言って、急にアズリは手を止めて。
切れ長の目が、そっとふせられた。
「でも、これって、余計なお世話なのかもしれないわね。セアは、私が思っているより、出来る子だものね」
ううん、そんなことないよ。
気にかけてもらえてうれしいよ。
「アズリ、わたしね、アズリの優しいとこ、だいすきだよ。ちゃんと見てくれてるんだって、わかるもの」
大事にしてもらえてるって、わかるから。
心が満たされていくの。
だから、そのままでいてほしい。
「もう、しょうのないあまえんぼうね、あなたは」
アズリはそう言って笑って。
わたしのほっぺを指でつついて。
「しかも、甘え上手で困っちゃうわ」
「えへへ♪」
「そういうあなたのお願いは、聞きたくなるじゃないの。本当は、あんなこと、気が進まなかったのに」
あきらめた、それでいてすっきりした表情でアズリはつぶやいて。
わたしはうれしくなった。
だってその言葉は、わたしのもうひとつのお願いを、アズリが受け止めてくれたということだから。
「やったー!」
両手をあげて喜んでいるわたしを、アズリは優しい微笑みで見ててくれたんだ。
***
聖曜日は、お休みで、公園には人がたくさんいた。
空は少し低くて、青が深い。
それはまるで海の底から見た空みたいで。
心が落ち着く。
そんな空を、すこしだけ薄着になった木の葉が、朝焼けと夕焼けの色で縁取っていて。
それから、申し訳っていう感じに、しぶい緑がそえられてる。
その色の重なりは、凍った空でたなびくオーロラを思い出す。
公園の真ん中、魔法を奏でるにはちょうどいい広さがあって。
わたしとアズリは、お互いに向かいあって立っていた。
くるりと、体を回してみれば、公園に来ている人たちが確認できて。
犬のお散歩に来てる女の子や、手をつないでるお姉さんとお兄さん、日向ぼっこをしてるおじいさんに、本をめくる男の人。
わたしの魔法で、この人たちにも幸せを感じてほしいな。
そっと、秋の涼しさを含んだ空気を吸い込む。アローネと違って、海の香りがなくて、代わりに土と木々の香りが深い。
木々のゆるやかな息づかい。
さわやかなに吹き抜ける風。
おだやかに流れていく雲。
柔らかな太陽のほほえみ。
枝に止まっては短く言葉を交わす小鳥たち。
土の中で密やかに命の営みをしている虫たち。
全てが愛おしい。
魂の奥底から、感情が溢れ返ってくる。
それを押さえることなんて、できないし、したくない。
その感情の中で一番強いのはもちろん、アズリへの想い。
大好きが、おさえられない。
わたしは、ちゃんとアズリに向き直り。
右足を引いて、つま先を立てて。
スカートのすそを、指先だけでつまみ。
ひざと頭を、すこしだけ下げる。
母様に習った、お誘いのおじぎ。
アズリは、わたしの行動を見て、一瞬、驚いた顔になるけれど。
すぐに、凛とした表情を取り戻して。
左手を体の横に開き。
右手は胸に当てて。
右足をすこし引く。
そして背筋をのばしたまま、腰だけを曲げて、頭を下げてくれた。
その動作に、ポニーテールも一緒にゆれて。
それはお誘いを受けてくれる騎士さまのおじぎ。
アズリが受け入れてくれたから、わたしは思いっきりやろう。
手のひらを、アズリに差しのべて。
そっと魔力を伝えていく。
ミュート。
マナの音が失われていく。
けど、それだけじゃ、さみしすぎるから。
チューニング。
マナを響かせる。
海のさざ波。
命の奥底に、みんなが抱いてる鼓動。
愛しさと慈しみの律動。
わたしの想いを乗せて、あたりを包みこんでいく。
《春の風が恋波を起こす ときめきは淡く想いを煌めかせて 優しい命の温かさが凍りついた時間を動かす》
風に乗った詠唱詩は、はかなく消えて。
けれど、その響きはみんなの命に語りかける。
ゆったりと起こる、淡い瑠璃色の波。
アズリまで届いて、その輝きが増していく。
ときめきの数だけ、波は世界を揺らして。
果てもなく、世界を揺らせて。
その恋波は、命に触れて、また波打つ。
木々に触れて、木の葉の揺らしながら、返り。
石に触れて、小さく転がして、寄せて。
リードに触れて、少女のリボンをそよがせて、返り。
握られた手に触れて、きらめきをこぼしながら、寄せて。
眠りに触れて、寝息をたゆとわせて、返り。
本に触れて、文字をなぞって、寄せて。
わたしに触れて、想いを強めて、返り。
アズリに触れて、想いを抱きながら、寄せて。
《愛している その言葉だけで想いが伝わるのは 二人とも この海の底で一つの存在だったから 生まれた時に別れてしまった半分に 出逢うことが出来た》
凛としたアズリの声は、深いわたしの海の中でも透き通り。
そのままの色合いに青く波は立ち、広がっていく。
アズリの波は、わたしの波と出逢い、もみ合い、よじれて、そしてひとつになって、色を奏でる。
混じり合っても、お互いを忘れず、自分を忘れず、相手を忘れず、色を移ろわせながら、広がっていく。
《古の想い出は二人の胸の奥にある宝箱の中 鍵が閉められている お互いに相手に渡してあった鍵で開け放って 愛おしさを取り戻して 恋に落ちる》
ひとつになった波は、わたしたちに帰り。
胸の奥に染み込んでいく。
だいすき。
大好き。
その中にしまわれた脈動のように、想いは響いて。
何度でも、繰り返し、命の流れと一緒に、全身をめぐる。
体のすみずみまで、気持ちがひとつになっていく。
大好き。
だいすき。
春風に立てられた恋波のように、その響きは止むこともなく。
その想いを宿して、また世界を満たしていって。
わたしの波は、アズリまで届いて。
アズリの波は、わたしまで届く。
おだやかに。
幸せに。
愛おしく。
慈しく。
あざやかに。
すこやかに。
淡く。
はかなく。
きらびやかに。
晴れやかに。
甘く。
切なく。
波は寄せて。
波は返って。
波は響きわたる。
《そして手を取り 身を寄せ合い 抱き締めて 口付けを交わし 心を重ねて 魂を繋げて それを絆という それを愛という》
お互いを起こした波に、わたしたち二人はほんろうされて。
次第に近づいていく。
波に身をゆだねて。
自分たちの想いに身をゆだねて。
アズリの黒い瞳に、わたしが映って。
その中の、夜に染まったわたしの碧い瞳に、アズリが映ってる。
手をのばしたら。
指がからまって。
体を寄せ合い。
腕が、腰にまわってきて。
深く、抱きしめ合う。
《そして二人 共に旅立とう 自分を見失うこともなく 相手を見失うこともなく 夢から覚めた誇りも 夢に墜ちる安らぎも 共に交わして生きていく》
想いは、ただただ感情のままに波打って。
愛おしさがあふれてくる。
わたしのほっぺを、アズリのポニーテールがくすぐって。
その透き通った爽やかな香りを、胸いっぱいに吸いこんで。
心が満たされていく。
二人の波に抱かれたまま、とろけてしまいそう。
ただただ、想いだけがそこにあって。
だいすき。
大好き。
だいすき。
大好き。
壊れたオルゴールみたいに、その言葉だけが繰り返される。
それは夢に落ちていくみたいな感覚。
心臓だけは、自分の役目を忘れずに、ううん、それ以上の速さで、脈打っていて。
どきどきが止まらない。
ときめきが終わらない。
きっと、恋って、こんな気持ちなんだ。
わたしたちが、身を重ねたその時から、魔力を失った波は、すこしずつ引いていく。
まるで、春風が吹かなくなった海みたいに。
わたしたちは、二人して、その場に座りこんでしまって。
感情が胸の奥であふれ返って、息もできない気分になる。
こつん、とアズリがわたしのおでこに、アズリのおでこを当ててきて。
「これからも、よろしくね、セア」
甘く、耳元でそうささやいてきた。
だから、わたしの精いっぱいの笑顔で答えるんだ。
「うん! こちらこそ、お願いね、アズリ♪」
秋の空、深い青の下、二人の海にひたりながら、わたしたちはやっと、出逢ったんだ。
――Osean Oceanic Symphony number 1st “The Sea of Lives:Alone” Fine――
『魔法のひととき・デシレの魔法使い』、お楽しみいただけたでしょうか。
『魔法のひととき』は、わたしにとっての創作に対して、いくつかの答えを出していくようにしてます。今回は、『創作には上下はなく、好きだと言ってくれる人のために奏でる』というものです。
魔法を奏でること、そのものが楽しくて他のものに縛られることを無自覚に嫌がっているセア。
魔法を奏でるために、色々な制約が付き、一番になることでそれを解消しようとしていたアズリ。
二人はお互いを好きでいながら、魔法への態度が違ったためにお互いの行動に違和感を抱いていました。
けれど、その違和感をなくすのもやっぱり、お互いの魔法――引いては想いだった訳です。
ともあれ、この作品が、あなたの胸に響いてくれたら、それでわたしは満足です。
あなたにも、魔法のひとときを――。