第五話 『心のくらげ』の深層
#第五話 『心のくらげ』の深層
流されるだけの人生だったと思う。
自分で何かを決めて流れに逆らって生きるのではなく、流れに身を任せたどり着いた先で生きる。
まさにくらげと同じような生き方だ。
記憶がある限り昔を遡ると、皆と遊んでいるシーンだ。
砂場で作ったお城(のつもりの何か)はすぐに怪獣に踏み潰されるし、ブロックで作ったお城(のつもりの塊)は目から光線の出る怪獣にバラバラにされた。
そんな時はお友達のキックが飛び、口から炎を吐いて怪獣を退けた。
少し成長しても全く平凡な小学生だった。
授業を受けていても目は窓の外の雲を追いかけ、心は遠くに流れていった。
ドッヂボールは嫌いだったし、走るのも苦手だったし、だからといって勉強が得意かと言われればそうでもなく、何事にも興味をもって当たるということがなかった。
その後の中学校でも高校生活も大学生になってもとにかく流されっぱなしだった。
働くようになってもそれは変わらず、目の前に来た仕事を無心でこなす職を選んだ。
まるで終わったかのように過去形で書いてしまったけれど、人生にはまだこなすべきイベントがたくさんある。
世界を巡るくらげの旅もしたいし、誰かと一緒に笑う事も泣く事も、愛おしく思う事もしたい。
小学校の入学式や卒業式に保護者として後ろから見てみたいし、かけっこを応援もしたい。
それに、流されっぱなしでも好きなものはある。
色々な人が紡ぐ物語は好きだ。
物語の中では行ったことのない場所や会った事のない人とやりとりが出来る。
なりたいと思う自分がいて、会いたいと思う人がいて、不思議な事が起きたり、危ない事件に巻き込まれたり波乱万丈な人生を歩む事が出来る。
本屋さんを宛もなく彷徨ったり、古本屋さんでタイトルに惹かれて手当たり次第に買い物かごに入れたり、図書館の中で同じ想いの人たちと言葉交わす事なく交流したりするのがとても楽しい。
そして段々読むだけでは我慢出来ず書きたいと思う気持ちが強くなって来た。
いざ書くと決めたら、書きたい事は幾らでもあった。
私はたくさんの危機をくぐり抜け、時には英雄になり、時には伝説になり、時には宇宙にも出た。
コーヒーとシナモンロールを売るだけの生活をしたり、人以外の者になった事も数え切れない。
私の冒険譚は本好きの皆と比べても遜色がないはずだ。
あれも書きたい、これも書きたい。
それなのにいざ文字に起こそうとするとちっともうまくいかない。
書いては消し、書いては消し、プロットを考えて矛盾に気付いてうまく進まない。
流され続けていたためか、きちんと文字の荒波をかき分けて進む事が出来ない。
窓の外を眺めるだけの文章が主人公の心情を表さずに窓枠の優美さを物語っている。
登場人物がロボットのように、機械のように冷たい。
これではいけないと、私は練習をする事にした。
小説を書くための練習。
何十話も続く話は無理だ。
だから、六話で完結するような短い話を。
十万字を越えるような長編は無理だ。
だから、二万字くらいの短い話を。
今すぐ遠いゴールに向かって泳ぐのではなく、準備体操をして、まずは短い距離を泳ぎ感覚を掴み、少しずつ距離を伸ばしていく。
その距離を泳げるようになってもまだやるべき事はたくさんある。
人の書き分け、それぞれの生き方から来る心の奥底。物語の起承転結、それこそ、幾らでも。
そんな風にして短い物語から紡ぐ事で、いつしか本当に伝えたい事、書きたいものが書けるようになるのではないかと思う。
私はそうして人生で初めて流されない生き方を選択した。




