混濁
比喩ではない。見間違いなどでもない。文字通り、一語一句違えることなく、世界が歪んだ。
「……い……っかれてるでしょ、こんなの!」
「逃げるだけ?」
「うっさいやい!」
まるで合奏団の指揮者のように操られていく重力によって空間が歪み、結界内はあっという間に穴だらけになった。まともな足場なんてものはもう残っていない。
ルキドが恐怖したのは、今自分を追い詰めているこの魔法が、重力の魔法の基礎の基礎であるということだ。範囲を目視で設定し、威力と出力を同時にこなして発動する、ただの重力操作。それに巻き込まれただけで、ただでは済まない致命傷を負うことになる。
言ってしまえば、ルキドは舐められているのだ。基礎の魔法でも仕留められる。前回の試合で使用していた魔法も使うことなく、消耗を最小限に済ませようとしているのだ。
(舐めプは気に食わないよね……!)
そんなことを言いつつ、状況は防戦一方。広範囲高威力の重力操作を前に距離を詰めるのは思った以上に難しいのか、ルキドは攻めるに攻めきれない。間合いを作ってしまえばパーシーの独擅場。どちらを選んでもハイリスクを押し付けられる。だが、それだけが理由ではない。
(ま、距離詰めたところで例の重力パンチが待ってるわけで……)
問題は、パーシーがこの試合でどこまで見せるつもりがあるのかである。今のところ、パーシーが手札として出しているのは、現在猛威を振るっている広範囲高威力の重力操作と、過重力によって瞬間的に理解不能レベルの攻撃力を叩き出した応用魔法『重界』。やりようによっては拳以外でも同じことができると考えると、接近戦はなるべくしたくない、というのがルキドの考えだった。
だが、幸か不幸か、パーシーはこの試合で手の内を晒すつもりはなさそうだった。消耗度外視で試合を終わらせにくるならまだしも、いつになっても本格的に攻め込んでは来ず、遠距離からちまちまと重力操作だけで牽制しているのがその証拠だ。
舐められている、という点だけはいただけないが、そこに勝機があるならばどうでもいいのだ。勝てさえすれば、それ以上は望まない。決して、どんな手を使っても、勝利以上のものはない。戦場において、敗北は即ち、死を表す。
死にたくなければ勝つしかない
それが、ルキド・クィンツァートという女の信念である。
「”混濁”」
それは、パーシーにとってはまったく初めての経験だった。
比喩ではない。見間違いなどでもない。文字通り、一語一句違えることなく――
世界が歪んだ。
(目眩……? いや、そんなわけない、これがあいつの魔法!)
ぐるぐると世界が狂ったように廻りだす。
ふわふわと重力を忘れたように世界が浮かびだす。
つんざくような耳鳴りと立ちくらみ。
世界が、嘲笑うかのように混濁して歪んでいく。
「『混濁』。それがボクの魔法。くらくらするだろう? ボクの出せる最大出力だからね。流石のキミでも辛いかな?」
立っていることもままならず、パーシーは遂に膝をつく。反撃もできないほどのなにかに苛まれている。頭が割れそうな奇妙な錯覚を起こし、パーシーは頭を抑えてのたうち回った。パーシー・クラウディアという人物を知る誰もが、その姿を見て唖然としていた。
「滑稽だね。強いって聞いてたし、戦ってる様子も間近で見てたけど……大したことないじゃん?」
「…………っ!」
ルキドの言葉に反応して、パーシーは感情を露わにする。らしくもなく突き刺すような視線でルキドを睨みつけ、敵意を剥き出しにした。それと同時に放たれた超重力がルキドを襲う。
「ん〜、と……何かした?」
だが、ルキドは涼しい顔をしたまま、そこに佇んでいた。




