05. それは知らない
「なんでわざわざ学園でまでお茶なの?」
リュカの個室に辿り着くなり、マリージュは侯爵令嬢モードを解除した。
子供のころからの付き合いということもあり、実はマリージュとリュカは気安い関係で、人の目がないところでは砕けた話し方をするのが当たり前だった。
ちなみに、聞き耳を立てられたりする可能性があるためドアはしっかり閉まっているが、リュカには常に公爵家の護衛さんが付き従っており、リュカ専用個室の中であっても基本的に二人きりになることはない。
リュカは、淹れたてのお茶をマリージュの前に置くと、ゆったりとソファに腰を下ろしながら、平然と悠然とマリージュに微笑みかける。
「最愛の婚約者に会いたいからに決まっているだろう?」
(うがあぁぁ!)
両腕を全力でさすりながら、マリージュは何とか、みっともない叫び声を上げることだけは堪えた。
マリージュは、歯の浮くセリフが凄まじく苦手である。
何というか…耐えられない。背筋がぞわぞわして、身をよじらずにはいられないのだ。
「リュカくん、いま何のスイッチ入った?」
「溺愛スイッチ?」
「わわっ…鳥肌たった…」
身震いせずにはいられない何かが、容赦なくマリージュの背筋を走り抜けて行く。
発言ひとつで悪寒をまとわせるリュカ。なんとも空恐ろしい男である。
「今までは、穏やかに関係性を築いていければそれでいいと思っていたんだけど、俺達はこれから結婚して家庭を築いていこうとしているって言うのに、何だかマリージュは、俺のことを男だと思っていないようにしか感じなくてね? これは、俺の接し方からして変えていかないとダメだなと思ったんだ。だからこれからは、俺の愛を全力で伝えていくことにするよ」
マリージュは、更に激しく背筋を凍らせにかかる形容しがたい何かに顔面蒼白になりながら、酸欠の魚みたいに、はくはくと口を動かすことしかできない。
「背筋が…。背筋がぞわぞわする…。このままじゃ凍え死んじゃうかも………」
腕にブツブツと浮き上がった鳥肌を必死にさするマリージュを眺めながら、リュカは少し腑に落ちない様子で呟く。
「…なんで? こういうときって、顔が火照ったりするものなんじゃないの?」
「わたし、熱そうに見える…?」
「見えないねえ。青ざめてるねえ。不思議だねえ」
リュカは心底不思議そうにしているが、マリージュにしてみれば、不思議なのはリュカの言動の方である。
さきほどリュカは、「マリージュから男だと思われていない」というようなことを言っていたが、マリージュはリュカのことを男じゃないなんて思ったことは一度たりともない。
確かにリュカは、傾国の美女であるお母さま生き写しの中性的な顔立ちの美人さんだし、子供の頃は美少女と見まごう程の愛くるしさを誇っていたこともはっきりと覚えているが、それでもマリージュは初対面から一貫して、リュカのことはちゃんと男の子だと認識していた。
佇まいなのか所作なのか…これと語れるほど明確な根拠は思い当たらないのだが、兎にも角にもリュカに女の子っぽさを感じたことはない。
それに、マリージュとリュカは、口約束などではなく国に届け出がなされている正式な婚約者である。この国では結婚は異性としか認められていないので、マリージュが女である以上、リュカが男でなければ婚約は成り立たない。
そういう意味から言っても、リュカはどう考えても間違いなく『男』である。
(う~ん…。リュカくんの話の脈絡がちっとも読めない………)
マリージュの性格形成のベースとなっているJKの記憶は、初恋も経験しないまま十六歳前後で終えており、マリージュははっきり言って完全なるお子ちゃまである。
リュカの「異性として意識して欲しい」という、結構あからさまに語られたはずの思いは、残念ながらマリージュにはさっぱり届いていなかった。
そして、潔さを良しとするマリージュは、悶々と悩み続けるよりスパーンと割り切ってしまう傾向が強くあり、理解できない脈絡について考えることを早々に放棄した。
マリージュに言わせれば、それよりも自分の要望をさくっと伝えた方が建設的ってもんなのだ。
「リュカくん、リュカ教の皆様は喜ぶんだろうけど、わたしは遠慮していい?」
「リュカ教って……」
「だって皆さん狂信者ってカンジなんだもん。しかも他の教えを認めないんだから、あれはもう邪教だよね」
「…邪教……」
「リュカくんからご神託下してくれない? 『他教徒を愛せよ』で伝わると思う? うーんイマイチ伝わる気がしないなあ…」
リュカは何を答えるでもなく、ただただ苦笑を浮かべていたが、マリージュは全く気にすることなくお茶を口にした。
(…美味しい……)
さすが公爵家の用意した茶葉。
温度も適温。蒸らしもいいカンジ。
…そういえば、このお茶はリュカが手ずからが淹れてくれたものだった。ここには侍女がいるわけではないから、お茶だってリュカが自ら淹れてくれるのだ。
「リュカくん、お茶おいしい。淹れてくれてありがとう」
素直にお礼を言うマリージュに、リュカは表情をふっと緩め、
「どういたしまして」
と、穏やかに微笑んだ。
―――――マリージュは知らない。
リュカは基本的に無表情で、人前で微笑みなぞ浮かべないということを。
だって、マリージュの前では、いつも微笑んでいるのだから。
マリージュは知らない。
リュカの、マリージュ以外の人間の扱いは、甚くぞんざいであることを。
たとえ相手が王族であっても、遠慮も配慮も尊重もしないということを。
マリージュだけが、知らない。




