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暮らし(Living for Today)

よろしくお願いします。

 8月になった。お盆休みで工場は一週間の休暇入りだ。菜緒子は一年半ぶりに愛媛の実家に二泊三日で帰省すると言った。一緒に行こうと誘ってくれたので同意した。牝猫に「喰い散らかすんじゃねえぞ!」と釘を刺して一万円を渡しておいた。



 セントレアから空の便で松山空港まで一時間十分しか掛からない。生まれて初めて飛行機に乗った。離陸する時のGがすごくて身体が固まってしまった。



 菜緒子の実家は宇和島市と言う海の見える場所に在って漁業が盛んな町とのことだ。でも、麻宮家は小さなミカン農園を営んでいて漁業とは絡みが無いと言っていた。




 松山空港まで菜緒子のお兄さんが迎えに来てくれていた。「よろしくお願いします」と挨拶して「麻宮ファーム」とレタリングされたワンボックスカーに乗り込む。お兄さんは菜緒子より三つ年上の二十七才で、ご両親と共に家業に従事しておられるそうだ。中背の凄く気さくな方で、正直俺はホッとした。



 麻宮家に着いてご両親に挨拶した。四・五人の従業員の方もみえて菜緒子が「お嬢さん」と呼ばれているのにはビックリした。



 夕食は午後6時と早かった。お刺身盛りとかの海の幸がおいしくて、量も半端無かったので食べ切れなかった。こんなに有るなら典子にも食べさせてやりたいなあと思った。


 ごちそうを頂いてる時、菜緒子のお母さんから聞かれた。


「望月さんはおいくつなの?まだお若いみたいだけど、一人暮らしをされてるのならご両親も心配してみえない?」


 暗に娘の一人暮らしを掛けているのだろう。


「僕は菜緒子さんより四つ年下でまだ二十才です。12月には二十一になりますけど。両親はいません。僕が三歳の時、父とは死別してます。母は僕が六才の時に居なくなったので、それからは施設で育ちました。身寄りは無いけど、園長先生を始め職員の方がいっぱい愛情を注いでくれたので全然寂しくなかったですよ」


 お母さんは一瞬戸惑っていたけど、ニッコリ笑って返してくれた。


「そうなの。本来なら学生さんの年なのに、自立してるなんてご立派ね」


 お父さんは何も言わなかった。少しの沈黙のあと、お兄さんが夏祭りに行こうと誘ってくれた。菜緒子が浴衣に着替えて来て三人で出掛けた。見慣れぬ姿が眩しく映った。



 夏祭りは縁日のお店が並んでいて結構にぎわっていたが、お盆の三日間だけとのことだ。会場は神社の境内に繋がっていたのでお参りした。「平凡でいいからみんなしあわせに暮らせますように」とお願いした。


 祭り会場で菜緒子は同級生と再会したりして楽しそうだった。「何でこんなカワイイ()を連れてるのよ!」と言われ、自慢気に「私の男よ。レンタル不可だからね」と紹介しやがるので、恥ずかしくてうつむくしかなかった。あとで、同級生の半数はもう地元に残ってないと少し寂しそうに言っていた。



 帰ってからお風呂上りにまたお兄さんと飲んだ。もうヘロヘロだ。まだ午後10時だったけど、倒れるように座敷に敷かれたお客さま布団に入った。キッチンの方から「そんなの洸のせいじゃないでしょ!」と菜緒子の怒声が聞こえた。大たい想像出来たけど、親切にされたことが色褪せるわけじゃない。これくらい昔から慣れてる。


 暫くして菜緒子がそっと襖を開けたけど、眠っているふりをしてやり過ごした。彼女は放置されていた自分の部屋へ戻って行ったみたいだ。




 翌日、朝食は菜緒子とお兄さんの三人で取った。それからお兄さんが「観光案内してやるよ」と言ってワンボックスで連れ出してくれた。


 途中、お兄さんの彼女らしき留美と言う人と合流した。話を聞き始めて暫くして菜緒子の同級生だとわかった。


「しかし菜緒子ったら、何処でこんなカワイイ()を見つけてくるのよ?長身のイケメンをこんな田舎町に連れて来たら目立ってしょうがないじゃない。ホント磨けば芸能人レベルよね」


「留美には絶対貸してあげないからね。お兄ちゃんがかわいそうだもの。でも、洸は見てくれだけじゃないんだよ。中身も少しはマトモだし」


 それ、全然フォローしてないんですけどと思った。まあ、大した頭じゃないからいいけどね。



 そのまま駅前の繁華街らしき場所に行った。デパートでウインドショッピングをしながら歩き回った。繁華街自体が小さいので直ぐに人混みは途切れてしまうけど、寂れてしまったという印象は受けなかった。多くが帰省しているお盆休みだからかも知れないけど。



 最近地元で流行っているというイタリアンレストランに連れて行ってもらった。まだ11時半なのに、本当に満席に近い状態だった。奥のテーブル席へ案内され歩いて行く時、あからさまな視線を感じた。四人掛けのテーブルに着席すると、お兄さんがランチのコースを頼んでくれた。


「菜緒子、洸君のせいで私たちマジ目立ってるよ。これはほとんど犯罪だね。田舎町には刺激的過ぎるって。普通のカジュアルでこれだもの。オシャレさせて都市部に行ったらモデルにスカウトされちゃうよ」


「それは無いわ。洸って人混み嫌いだもん。って言うより、静かに籠ってるのが好きだからね。私の手元で本を読んだりしてる姿がカワイイの。それを横から眺めて私も癒されるってわけ」


「ふーん、私的な所有物ってわけね。でも、帰る前には写メ撮らせてよ。うん、プリクラも作っておこう。それくらいはいいでしょ?私は特別な立ち位置の人なんだからね」


「まあねえ。確かに留美はお兄ちゃんの彼女という立場ではある。わかった。それくらいならレンタルしてあげよう。手垢付けたら怒るよ!」


 くだらない女子トークに少々ウンザリしていた。でも、娯楽の少ない地方の街なんてどこも同じなんだろうな。俺は人の多い都会より馴染めるけど。



 促されるままにプリクラに付き合わされ、写メも撮られた。どちらも疲れることだ。俺は笑顔が苦手だから。


 留美さんはやたら顔を褒めてくれるけど、俺は母親似の顔が嫌いだし、取り立てて美人じゃないけど菜緒子の顔が好きだ。笑った顔も怒った顔も、意地悪する時の顔さえ好きだ。


 人間は年齢と共に内面が表情に現われると言うけど、どんな時にもやさしさが隠し切れない菜緒子の顔が世界中で一番好きだ。こんなに愛してしまって怖くなったりもする。早く安心出来るようになりたい。




 夕方に麻宮家へ戻って晩ご飯を頂いた。今夜もごちそうだった。夕食後、お兄さんが自室に誘ってくれたので二人で飲んだ。時折菜緒子が摘まみを運ぶ口実で偵察に来た。お兄さんは第一印象からずっと気を遣ってくれたままで、俺はすごく嬉しかった。こんなお兄さんの義弟になりたいと思った。




 翌日の午前中に麻宮家を出て、午後の便でセントレアに向かった。機内で菜緒子が「夜の母子ゲンカは聞こえなかった?」と尋ねて来たので「知らないよ」と返しておいた。俺のことで彼女に悩んで欲しくなかったから。



 二人で「南風荘」に戻った。お土産を手にドアを開けると「洸、お帰りィ!」と飼い猫がジャレついて来た。背後に菜緒子の姿を見つけ、罰が悪そうにしていたのがおかしかった。




 一週間後、昼休みに二期先輩に当たる上島(かみしま)さんに声を掛けられた。菜緒子と同じ公立大出身の方で、俺より六つ年上になる専務の息子さんだ。人事部所属で将来の役員候補である。


「望月、終業後に寮の屋上まで来てくれよ。ちょっと教えて欲しいことが有るんだ」


「はあ、わかりました。でも、人事部の上島さんが製造現場の俺に聞きたいことなんて有るんですか?」


「大したことじゃないから頼むよ。直ぐに済むからさ」



 終業後タイムカードを押し、さっぱり見当もつかないまま構内に隣接する寮の階段を昇って行った。



 昇降口から屋上に出た途端だった。背後から羽交い絞めにされ、一角にある掃除道具などが入った倉庫に連れ込まれた。上島と同じ二期先輩の山下(やました)成瀬(なるせ)にだ。こいつらは高卒組なので二つ年上の奴らだ。いつも上島のパシリをやってやがる。


 二人掛かりで投げ出され、デッキブラシをなぎ倒して壁際のコンクリートフロアに突っ伏した。そのまま背中をボコボコに蹴りやがる。身体を丸めて必死に内臓を守ろうとした。それから両腕を掴まれ引きずり回される。また成瀬に羽交い絞めにされたら上島が現れ、思いっ切りみぞおちを殴られた。口の中に苦い胃液が上がって来る。この感触は久し振りだ。


「望月、麻宮と付き合ってるみたいだな。野良犬の分際で生意気なんだよ。せっかく俺がヤってやろうと目を着けてたのにさ。まあ、お前の手垢が付いて汚れた女などもういらねえけど、目障りなんで教育が必要かなと思ってさ」


「僕が誰と付き合おうと上島さんに迷惑掛けてるわけじゃないでしょ?ムカつかれたって、こっちにはどうしようもないですよ」


「それこそお前らの勝手さ。悪い噂でも流して二人とも会社に居辛くさせてやろうか?俺は役員の息子だぞ!望月はここを放り出されたら生きて行けるのか?俺は人事部だから知ってるんだぞ!施設出身の孤児上がりなんて何処も簡単には使ってくれないぜ」


 クソッタレェ!上島はとんでもねえゲス野郎だ!でも、これが世間の現実だ。せっかく就職したのに、こんなくだらない理由で辞めるわけにはいかない。園長先生が悲しむだろうし、典子の夢だって潰えてしまうだろうから。


「上島さん、どうしたら認めてくれるんですか?」


「認めて頂けるんですかだろうがァ!口の利き方を知らねえ育ちの悪さに、もう少し痛めつけてやるよ。バカは頭じゃわからねえようだから、身体に教えるしかねえんだよな」


 上島の合図で、また山下と成瀬に蹴りまくられた。上島が邪悪に顔を歪ませて、薄ら笑いで指示しやがる。こいつは悪魔だ。


「顔だけは止めとけ!女みてえな顔も腫らされるとあとで面倒だからな。足を徹底的にやってやれ!」


 左足を徹底的に狙われた。蹴られ踏み付けられ感覚が抜けて来る程に。


 悔しさと悲しさで涙が滲んで来る。帰ったらどうやって典子に隠そう?心配して泣きじゃくるに決まってるし。



 どれくらい経ったのかわからないけど攻撃が止んだ。山下と成瀬はハアハアと息を切っていやがる。上島に髪を掴まれ勝ち誇るように見下ろされた。


「勘弁して欲しかったら「上島さん、許して下さい」と言って俺の靴を舐めろ!そしたらお前らを黙認してやるよ。どうだ?お前に出来るか?野良犬らしく許しを乞うてみろよ!」


 唇を強く噛み過ぎて血が滲んだ。でも俺は「上島さん、許して下さい」と言って靴を舐めた。両足ともだ。蔑んだ目を向けられペッと唾を吐き掛けられた。最後に上から頭を踏み付けられ、コンクリートフロアに顔面を打ち付けたので鼻血が出て来た。



 三人が去ったあと、暫くジッと佇んでいた。直ぐには動けなかったので、高校時代にイジメられたことなどを思い出しながら回復を待ったのだ。



 二十分程経ってからデッキブラシを杖代わりに立ち上がった。手すりに摑まりながら非常階段を降りる時、全身に痛みが走った。



 何とか駐車場まで戻ってヴィッツに乗り込み一息ついた。転がっていたティッシュで鼻水と血を拭った。右足は何とかなったので、オートマの運転は出来た。途中、公園で顔や腕を洗い流した。




 アパートへ戻って部屋に入るなり、薄い絨毯の敷いてあるフロアに転がった。典子がビックリして寄って来た。心配掛けたくなかったけど、ここまでヤラレると隠しようが無い。


「洸!どうしたのよ!?いつもより帰りが遅いと心配してたけど、またケンカしたの?もう高校生じゃないんだよ!」


「ああ、そうだな。それより早く処置してくれよ。看護師さん志望で助かるぜ」


 服を脱いで典子に手当てをしてもらった。上半身は大したことなかったけど、左足は相当ダメージを負っていた。病院に行こうと言われたけど頑として拒否した。


 まだ痺れたような感覚が左足に残ってる。壁に摑まって何とか立ち上がった。


「典子、絶対菜緒に言うんじゃねえぞ!いや、誰にも言うな!園長先生にもな」


「わかったよ。何か事情が有るんだね。でも、悔しいよォ!何で私たちはイジメられるの!?教えてよ、洸!」


 背中に寄り掛かられて壁に顔面をぶつけた。足元が踏ん張れないのだ。


「痛ってえ!典子、重てえぞ!お前の好きな顔が潰れちゃうじゃん」


「あっ、いけない!洸の顔だけは守らなくちゃ。私の宝物だもん」


「お前なあ、俺の顔だぞ」


 笑ったら口内の切り傷が引っ張られ痛みが走る。でも、少しだけ気持ちが軽くなった。飼い猫もたまには役に立つと思い感謝した。




 左足は一週間以上引きずっていた。もちろん菜緒子に問い詰められたけど、「アパートの階段から滑り落ちた。マヌケだよね」と笑ってごまかした。彼女は典子にまで確認したけど、飼い猫が口裏を合わせてくれたので、納得し切れないながらもそれ以上言わなかった。



 俺はこの事件を傷跡に残したくなかった。施設や孤児への差別的発言なんて、上島が嫉妬心を隠すために利用しただけのことだ。不条理なのはわかってるけど、俺は守ることを選択した。自分と典子と菜緒子の将来を。


 これくらいなら身体の傷は治る。心に傷跡を残すことが屈服することで最大の屈辱なのだ。



 思えば園長先生は偉いよなあ。いつも真っ直ぐで正しい道を照らしてくれるもの。俺にとって、本当に孤高で憧れの存在だよ。早く典子の准看護学校の合格報告がしたいなあ。先生に会いたいなあと思った……。


読んで下さりありがとうございます。

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