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幸福の在りか(Happiness with the bitch)

よろしくお願いします。

 季節は毎年繰り返されるように淡々と過ぎて行く。お正月は三人で初詣に行った。すごい人出で息切れを覚える程だった。三人で食べた田楽はおいしかったし、何より典子が入試に向けて頑張っているのが励みになった。神さまにも「どうか典子が合格出来ますように」と祈ってやって、お賽銭も奮発して五百円玉を投げ入れてしまった。




 3月中旬、典子が無事に公立の准看護学校に合格した。「良くやった!」と頭を撫でてやったら「唇にキスして!」と言いやがる。しょうがないから口づけしてやった。菜緒子には絶対内緒だけど。



 飼い猫を連れて園長先生に報告に行った。豊が無事に国立大学に合格したことも聞かされた。典子は思いっ切り照れていたけど、先生はすごく喜んでくれて俺まで嬉しくなってしまった。でも、顔色がすぐれないのが端から見てもわかって心配は増した。先生は「大丈夫よ」としか言わないんだけど……。



 それから典子は卒園者の樋口先輩の口添えで、私立の総合病院の看護助手として就職した。もちろん園長先生が仲介してくれたお陰だ。


 悟にも年末までバイトで牝猫を使ってくれたお礼を言っておいた。「いつも応援してるよ」と伝えてくれと頼まれた。ありがたかった。




 5月の最終金曜の昼食後、いつものように検査室で悟とダベっていたらケイタイが鳴った。発信者は「慈愛園」だった。園長先生が何か用かなと思いながら電話に出た。


 声の主は副園長の北里良美(きたざとよしみ)先生だった。園長先生の娘さんである。よっちゃん先生は一呼吸置いてから静かな声で言った。


「洸君、落ち着いて聞いてね。今朝、母が、園長先生が亡くなりました。お通夜は今夜「慈愛園」の教室でやります。告別式も同じ場所だからね。母のたっての希望だったから。典子ちゃんにも伝えて下さい。わかりますね?」


 瞬時に涙が溢れ出し、俺は返答が出来ない。


「洸君、聞こえてる?大丈夫?」とよっちゃん先生に再度促され、涙声で「わかりました」と返すのが精一杯だった。そのまま俺が泣き止まないので、悟が菜緒子を内線で呼んでくれた。


 彼女が検査室に入って来たと同時に悟は席を外し出て行った。俺はボタボタと涙を零し続けたままだ。


「洸!どうしたの!?何が有ったのよ!?」


 菜緒子に覗き込むように聞かれて、消え入りそうな声で返した。


「園長先生が、俺のお母さんが死んじゃったよ……。菜緒、どうしよう?俺、これから誰を頼りにすれば生きて行けるのかな?」


「バカ!しっかりしなさい!今はキチンとお母さんを見送ってあげないとダメでしょ!?典子ちゃんにはもう連絡したの?」


 俺が力なく首を横に振ると、菜緒子が代わって連絡してくれた。典子は部屋に居たみたいで、受話器越しから漏れる程の鳴き声が聞こえた。


「お通夜へは私が連いて行ってあげるから、アパートまでは一緒に帰ろうね。洸、あと少しだけ頑張ろう。園長先生を安心させてあげなくちゃ」




 何とか午後からの作業を済ませ定時で上がった。タイムカードを押しに行ったらすでに菜緒子が待っていた。駐車場から彼女と帰ることにした。同僚たちに見られたけど、人目なんてどうでもよかった。最初に「ジョイハウス」に寄り、菜緒子が喪服に着替えてからミニカを従え「南風荘」に帰った。



 部屋に入るなり典子が抱き着いて来て泣き出した。さすがに菜緒子も咎めなかった。


「典子、すごく悲しいけどちゃんとお母さんを見送ろう。最期くらい安心してもらわなきゃダメだろ?」


「洸ッ!もう私、生きて行けない!お母さんが寂しがるからあっちの世界へ行く!」


 パシッ!と頬を張ってやった。それから頭を撫で抱きしめてやる。


 俺は典子の存在に感謝していた。もしこの妹分がいなかったら、俺だって気丈に振る舞うことなど出来なかったと思うから。



「慈愛園」には菜緒子のミニカで行った。百八十センチの俺が目一杯サイドシートを下げたら「ホント洸って無駄にデカいなあ」と典子に嫌味を言われた。さっきより落ち着いたみたいなのでボコるのは勘弁してやった。



 お通夜の会場に入ると、目敏く俺たちを見つけたよっちゃん先生が駆け寄って来た。


「洸君、典子ちゃん、ありがとう。園長先生もあなたたちには感謝してたのよ。「あの二人はいつも私にしあわせを運んでくれる」って言ってたもの」


 その言葉に俺は涙を溢れさせ、典子は人目もはばからずワンワン泣き出した。寄り添っていた菜緒子はよっちゃん先生にペコリと頭を下げ、典子の手を引いて控室になっている隣の教室へ連れて行った。


 そこで樋口先輩の姿を見つけ、典子は胸に飛び込んで泣き続けた。俺は控室の片隅にしゃがみこんでいた豊の肩に手を掛け、ゆっくりと懐かしい教室を見回した。


 もう無邪気なあの頃には戻れないけど、いい思い出を残してくれた園長先生に感謝の念を抱いた。



 お通夜を終えた帰り道、中国人シェフの中華料理店で遅い夕食を食べた。「こんな悲しい夜に何で食べられる心境になるのよ!」と典子になじられてしまった。そう言う飼い猫も四川風チャーハンをパクついていたけど。



 ボロアパートに戻っても典子は涙ぐんでいた。しょうがないので湯舟を張ってやった。


「先に入って早く寝ろ!明日は人も多いだろうし、瞼を腫らして行ったら美人が台無しだぞ」


 せっかく持ち上げてやったのに飼い猫は噛みついて来やがる。


「何でそんなにデリカシーが無いのよ!洸の感覚って絶対おかしいよ。やっぱり私が教育し直してあげなくちゃ」


 飼われているくせに生意気な口を利きやがるが、園長先生に免じてスルーしてやった。




 翌日の葬儀は人が溢れ返っていた。死んだ時その人の世の中への貢献度がわかると聞いたことが有るけど、その意味なら園長先生は俺の知る限り最高の人だ。


 棺桶が閉じられる最後のお別れの際には、人がたかり過ぎて掻き分けてしか白百合を差し入れられない程だった。みんな口々に「お母さん!」と叫んで騒然となってしまった。俺も号泣した。もちろん典子も豊も。生まれてから一番悲しい体験だった。捨てられたあの日より……。




 帰ってから飼い猫に言ってやった。


「典子、絶対に正看護師になる夢を叶えろ!いつかお前を目指す後輩も現れるかも知れないからな。それが園長先生の思いを受け継ぐことになるはずだろ?叶うまで俺も協力してやるよ」


「洸ったら何偉そうに言ってるのよ!正看なんて叶うに決まってるじゃない!協力するなら、毎日もっとおいしい物を食べさせてよ」


 殊勝な言葉を期待したのが間違っていた。これは俺が悪い。女はいつだって現実(リアル)を求めやがる。感傷的になっていたのは俺だけだったってことだ。


「でも、本当に先生には正看護師になった姿を見て欲しかったな。助けるのはドクターのお仕事かも知れないけど、せめて看護くらいはしたかった」


 あれ?やっぱり典子も同じ気持ちじゃん。そりゃ一緒に育って来た同士だもんな。思わず胸が詰まって涙ぐんでしまったらバンと背中を叩かれた。


「洸は一人じゃ何も出来ないから一緒に暮らしてあげるわ。助けてもらってると思って私に一生懸命尽くしなさいね」


 このクソビッチがァ!まあ、この生意気さが典子の個性なんだろうけど、男が出来ても直ぐに逃げられるぞ!




 お盆休みの時、菜緒子の大学の同窓会が有った。一次会は駅前の有名ホテルで開催されたけど、有志による二次会はホテル近くのレストハウスを借り切ってやるとのことだった。二次会は関係者なら誰でも入れるので、お迎えがてら会場に来て欲しいとのことだった。



 ブルージーンに半袖のボタンダウンの普通のカジュアルで店に入って行った。直ぐに菜緒子が寄って来てテーブルに案内してくれた。座っているのは同じ文芸サークルだった面々とのことだ。


 みんな着飾っていてグレーのスーツ姿の菜緒子が地味に映る。彼なのか同窓生なのかわからないけど、男の人も大抵はサマースーツかワイシャツ姿だった。


 菜緒子が飲み物を取りに席を外した時、向かいから高級そうなワンピースを纏ったお姉さんに聞かれた。


「君は菜緒子の弟さん?違うよね。彼女の実家は愛媛のはずだし。もしかして彼氏?」


「ええ、まあ……」


 はにかんで小声で返したら名刺を差し出された。俺でも知ってる大手マスコミの社名が載っていた。そこへ菜緒子が戻って来て、俺の前にオレンジジュースを置いてくれた。


「洸、どうかしたの?お姉さんにイジメられてたの?」


 マスコミ女史は苦笑いで菜緒子に言った。


「イヤだなあ。こんなカワイイ()をイジメるわけないでしょ?それより菜緒子、何処で見つけて来たの?このレベルなら東京でも通用するかもよ。座ってるだけで絵になってるもん。自然と人目を惹くってスゴイことなんだよ」


「必要ありません。洸は人と接するのが苦手だから、そんな話はお断りします」


「ハイ、お断りします」


 声を続けたら菜緒子が笑ってくれた。マスコミ女史は両手を広げ呆れていた。




 10月の中旬、大変なことが起こった。菜緒子のお兄さんが作業中の事故で大怪我をしたのだ。脊椎を激しく損傷して下半身が動かなくなってしまったそうだ。


 菜緒子は急きょ実家へ戻り、一週間帰って来なかった。戻って来た時、俺もお見舞いに行きたいと申し出たけど、親族にイジメられるから行かない方がいいとたしなめられた。


 彼女はその時だけ文庫本を二冊渡してくれた。先週の分も含めてということだ。




 12月、クリスマスナイトは菜緒子の部屋で一緒に過ごした。典子は9月に二十才になったので、看護助手の仕事は夜勤シフトも入るようになった。せっかくのイヴも仕事でかわいそうだ。


 お兄さんの事故以来菜緒子は塞ぎ込んでいるので、どうしたら笑ってくれるのかいつも考えていた。もちろん、乾いた笑顔は時々見せてくれたけど。



 その日に八十二冊目の文庫本を渡してくれた。奥田英朗著の「イン・ザ・プール」という作品だった。




 29日、正月休みに入ると同時に菜緒子は帰省した。公休の最終日である1月5日にしか帰って来ないと告げられていた。



 年末は典子と過ごした。独身の飼い猫は正月三が日の勤務をブチ当てられたとむくれていたが、それも夢への課程だから我慢するとも言った。思わず耳を疑ってしまう。かつての典子からは信じられない言葉だ。


 俺たちは園長先生の月命日の週には欠かさず墓参りをした。飼い猫の改心はやっぱり先生のお陰かも知れない。




 年が明けて典子も出勤してしまった部屋で「イン・ザ・プール」を繰り返し読んだ。この話は最高に面白かった。何度も読み返す程に。ドクター伊良部シリーズは三作品有るので、次に読む予定の「空中ブランコ」が楽しみでしょうがない。「空中ブランコ」は第百三十一回直木賞作品なので古本屋に行けば今直ぐ読めるんだろうけど、八十二週の重みを打ち消す愚行には二の足を踏んでしまう。待てばいいのだ。菜緒子が帰って来るのを。あと数日の話なんだから。




 1月5日、俺は朝からソワソワしていた。やっと菜緒子が帰って来る。会いたくてしょうがない。2時頃に駅に到着するはずなので迎えに行くつもりだった。



 飼い猫は正月出勤の代休でちっとも起きて来ない。10時過ぎに目をこすりながら、やっとベッドを抜け出して来やがった。ホントにビッチな奴だけど、疲れてるのはわかってるのでドリップ式のコーヒーを入れてやった。


「菜緒子さんは何時頃に帰って来るの?もちろん洸は迎えに行くんでしょ?」


「ああ、行くよ。着くのは2時頃かな。何か買って来てやるからおとなしく待ってろよ」


「じゃあ、ミスドでも買って来て。私、フレンチクルーラーが好きだから」


「その前に昼メシ作れよな。そんなにお腹減ってないけど」


「わかった。インスタントラーメンを作ってあげるわ。私の愛情入りよ!」


「またラーメンかよ。たまには愛情より具を入れろ。いつも素ラーメンばかり喰わせやがって」



 正午になって典子のお手製ラーメンをすすっていたら菜緒子からメールが来た。


『洸君、迎えに来なくてもいいです。実家に戻ることになりましたので、もうプライベートでは会わないつもりです。辛くなるから……。ゴメンなさい。今までありがとう』


 文面を読んで即行コールしたけど電源が切られていた。俺は食べかけのラーメンを一口も進められなかった。



 部屋の片隅に置かれた八十二冊の文庫本が並ぶ本棚を、膝を抱えたままジッと見つめた。



 暫くして、典子に言いにくそうなニュアンスで問い掛けられた。


「菜緒子さんからのメールだったんでしょ?」


 俺はうなずきながら答える。


「ああ、お迎えはキャンセルになった……」


 飼い猫は言葉を続けたそうだったけど何も言わなかった。



 1時が回って俺は立ち上がり、厚手のジャンパーを着込んだ。


「洸、何処へ行くの?お迎えはキャンセルなんでしょ?外は雪だし、車は危ないよ!ねえ、行かないでよォ!」


「ゴメン。やっぱり駅まで行って来る。行きたいんだ!大丈夫だよ。バスで行くからさ」




 バスに揺られて駅のターミナルに降り立った。出掛けにチラついていた雪が激しさを増している。積もるかも知れないな。菜緒子が帰って来たらビックリするだろうか?



 北の入り口辺りの待ち合いベンチに腰を下ろした。扉が無いので足元から強烈な冷気が襲って来る。ホットの缶コーヒーで手を温めながら電車の発着掲示板を見たり、人の流れを見たり、外の雪模様をずっと見ていた。



 3時過ぎに典子から着信が有ったけどスルーした。途中から頭がボーッとして来ていた。掲示時計を見たらすでに4時半を回っていて、外は薄暗い雪化粧に変わっていた。



 止めどなく落ちて来る白い半固体の向こうから、俺の飼い猫が「こーうッ!」と叫びながら駆け寄って来やがる。そのまま息を切らして傍らに着くなり怒りやがった。


「いつまでもこんなとこで何やってんのよ!ホントにバカなんだから。いくら洸でも風邪引いちゃうよ」


「ありがとう。典子は俺を迎えに来てくれたんだね」


 涙が溢れていた。クソビッチは俺の肩をポンと叩いて勝気な目を見せつける。


「当り前じゃん!でも、ゴメン。洸の傘しか無かったから」


「そうだな。売店でビニール傘を買って来るよ」


「買わなくていいッ!これ一本で充分だよ。さあ、私と一緒に帰ろう。寒いから今夜は鍋にしようね」


 典子を見つめて軽くうなずいた。


「少し歩こうか?次のバス停まで」


「うん、洸と一緒なら寒くないんでいいよ」



 降りしきる雪の中、俺たちは身を寄せ合って歩いた……。


読んで下さりありがとうございます。

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