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典子(Miss Noriko)

よろしくお願いします。


 文庫本を読むのはすごく楽しかった。最初は太宰治から始まったけど、東野圭吾も有れば唯川恵も有って面白くてしょうがなかった。俺にとっては一冊一冊が宝石のように感じられ、(まさ)しく宝物になって行った。



 典子はコンビニバイトと受験勉強をこなしていたが、時々わからないと聞いてくるので菜緒子の助けを求めることもしばしばだった。飼い猫が只でさえ少ない週給のバイト代を一生懸命貯め込むせいで、俺の出費は一向に減らない。出世払いで構わないから、いつか絶対に返させてやると思っていた。




 7月の中旬、典子がコンビニで働き出して一ヶ月が過ぎた頃だった。帰って来て飼い猫お手製のオムライスを食べていると、何か訴えたそうに見つめやがる。


「おい、食べ辛いだろ。こっちを見るんじゃねえ!」


「洸、相談が有るんだけどいいかな?」


「何だよ。俺は面倒嫌いだぞ」


 イヤな予感しかしない。こいつが言い出すことで俺が喜んだ記憶など一度も無いからだ。


「うん、実はお客さんに好かれちゃってさあ。毎日夕方に来て、温める物とか私に手を掛けさせる商品ばかり頼むんだよね」


「結構なことじゃん。少しは売り上げに貢献出来て、悟のお兄さんも喜んでるだろ」


「確かに買い物はしてくれるけど、レジで住んでるところとか聞いて来るんだよ。笑いながら適当に誤魔化してるけどイヤじゃない。自転車で通ってる私に、偶然を装って帰りは途中まで着いて来るし。ストーカーと化したら洸だって落ち着かないでしょ?」


 考え過ぎだろうとも思ったが、典子の憂鬱そうな顔を見ていたらまんざら冗談でもなさそうだ。


「マジかよ?客商売だから、そういうことも無きにしも非ずかな。でも、何されたってわけでもないのに騒ぎ立てるのも変だし、だいたい典子がバイト先失なっちゃうじゃんか。何でお前なんかを気に入るんだろう?若いってだけのクソビッチなのに」


 飼い猫は膨れっ面で肩口をバンと叩きやがった。


「ひどいなあ。私の美貌を唯一人理解してないのが洸ってどういうことよ?言い寄って来る男なんていっぱいいるんだからね!」


「ゴメンゴメン、そんなに怒るなよ。じゃあ、典子はどうして欲しいの?」


「朝はバスで行くから、毎日迎えに来て!私の騎士(ナイト)をやってよ。洸が来るまでスタッフルームで待ってるから。着いたらコールしてくれれば出て行くわ」


「はあ?俺の方が帰るの遅いのに、迎えに行ってたら更に晩メシあとになっちゃうじゃんか。平日は菜緒とデート出来なくなるし」


「それくらい我慢してよ。私の身に何か起こってからでは遅いんだよ!園長先生に顔向け出来なくなるんだからね」


 ふむ、そいつは困る。しょうがねえなあ。でも、いつまで続くかわからないなんて、途方に暮れたくなるよなあ。さっさと捕まえて問答してやろうか?




 翌日、典子をバイト先まで迎えに行った。駐車場に車を乗り入れコールしてやると、飼い猫は直ぐに店から出てきてヴィッツに乗り込んだ。


「おい、ストーカーとやらは今日は来てないのか?」


「来てるよ。私が終わる前から来てて、立ち読みしながら時間を潰してる。話し掛けられるとイヤなので走って出て来たの」


「何処にいるんだよ?高校生のガキしかいないじゃん」


「うん、高校生だもの。ほら、あいつよ」


 典子は瘦せた中背のメガネ君を指差した。


「はあ?真面目そうなガキじゃん。とてもヤバそうなストーカーには見えないけど」


「見た目で判断しちゃダメよ。一緒に行って「俺の彼女にまとわりつくな!」ってどやしつけちゃってよ」


 全然乗り気じゃなかった。どやしつける気なんてもちろん起こらない。大たいこの話って、何かおかしいぞ。


 典子が車を降りるので、イヤイヤあとを連いて行った。三メートル手前でわかった。


「豊じゃん!お前、何やってるの?」


「あっ、洸さんじゃないですか!見ての通り買い物をしてただけですよ」


「典子!てめえ、俺を嵌めやがったなァ!」


 メガネ君は典子より一つ年下の「慈愛園」始まって以来の秀才と呼び声の高い岩村豊(いわむらゆたか)だった。俺が施設に居た高三の時まだ小柄な中坊だったが、今では身長もだいぶ伸びて百七十センチくらいあるだろう。勉強熱心で中学の成績はトップクラス、県下一の公立進学校に合格したのまでは知っていた。


 この優等生は何故か昔からバカな典子を慕っていたけど、ストーカーなんて有り得ない。危害を加えることなど絶対に無いのだ!


 これは典子の策略に違いない。豊に俺と居るところを見せつけて、園長先生に伝わるように仕向けてるくらいがオチだ。思いつくことが姑息と言うか、情けない奴である。


「豊、久し振りだしお茶でもしようか?この先にあるレンガ造りの喫茶店に行こう。お茶くらいいいだろ?可愛い後輩に奢らせてくれよ」


「わかりました。じゃあ、僕は先に自転車で行ってます」


 チャリにまたがって颯爽と漕いで行く姿が懐かしく映る。おっと、お茶の前にこの飼い猫をとっちめてやらなくちゃ。


「典子、どういうつもりなんだ?豊まで巻き込んじゃダメだろ?あいつも高三だから、受験に向けて頑張ってるんだろうに。真面目な後輩の足を引っ張るなよ」


「何で一方的に私を悪者扱いするのよ!バイトを始めて直ぐこの店に豊が来たんだけど、住んでるところとか聞かれたのは本当なんだからね!あいつ、昔から私に惚れてたけど、洸と一緒に住んでるって言ってやっても全然信じないんだもん!あなたに来てもらって証明するしかないじゃん!」


 クソビッチの思考に頭痛がして来た。やっぱりこいつを飼うことにしたのは間違っていたんだ!


「まあいいや。豊を待たせるわけいかないから、早くお茶しに行くぞ」


 典子を乗せて喫茶店に着いたら、豊は自転車置き場でポツンと待っていた。


 三人揃って店に入り奥のボックス席に腰を下ろす。豊に向かってやさしく言ってやった。


「何でも好きな物を頼みなよ。食べる物でもいいぞ」


「洸さん、ありがとうございます。でも、晩ご飯はみんなで一緒に食べますからコーヒーでいいです。作ってくれる人に悪いですし」


 ホントいい子なんだよな。豊って奴は。頭も性格も最悪な典子とは天と地の差だぜ。コーヒーが来たら飼い猫が、向かいの席に見せつけるが如く俺の肩にしな垂れ掛かって来やがる。おい、後輩の前だぞ!みっともねえだろうがァ!


「豊、ご覧の通りとっくに洸とはデキてるからね。いくら私を追っても無駄な努力だよ。真面目なあんたらしく、今は受験に向けて頑張りなさい。先生方も期待してると思うわよ」


 高飛車な態度にムカついたので、飼い猫の頭をはたいてやった。少しは後輩を思いやれってえの!


「受験に向けて頑張るのはお前だろうがァ!バカのくせに偉そうに言ってんじゃねえよ!」


「えっ?典子さんも受験するんですか?じゃあ、勉強見てあげましょうか?」


 俺はプッと吹き出してしまった。こりゃいいや。確かに豊に教えてもらえれば百人力だ。


「あんたになんて教えてもらわなくていいわよ!豊程じゃないけど、洸だって頭良かったんだからね!」


「お前なあ、俺は高校卒業して二年以上経ってるんだぞ。もう学問なんて忘れちまったよ。絶対に豊の方がいいって。でも、足を引っ張るのだけはダメだぞ。「慈愛園」の期待の星だからな。園長先生に怒られちゃうよ」


 豊は俺に向き直って問い質して来た。


「ところで洸さん、本当に典子さんと同棲してるんですか?僕、すごいショックなんですけど。いつか典子さんをしあわせにしようと思って、頑張って勉強に打ち込んで来たのに」


 挑戦的な目を向けられ、思わず戸惑ってしまった。こういう真面目な奴に睨まれるのって、読めない分だけコエエんだよな。


「違うよ。こいつは只の居候。俺ってちゃんと彼女いるし。お前はホントに典子が好きなの?悪いこと言わないから止めとけよ。振り回されるだけで、何一ついいこと無いぞ」


「やっぱりそうでしたか。話せて良かったな。僕、あきらめなくてもいいですよね?さすがに洸さん相手じゃ分が悪いと思ってましたから。典子さん、昔から洸さんのあとばかり追ってたのを知ってるんで」


「ちょっと!私を無視して勝手に話を進めないでよ!今でも私は洸一筋なの!豊はあなたにふさわしい人を見つけなさいね」


「僕も典子さん一筋です。それは他人に指図されることじゃありませんから」


 うん、その通りだ。豊、偉いぞ!ああ、早く大人になってくれよ。この飼い猫をのし付けてお前のところに投げ込んでやるから。


「とにかく典子は豊に勉強見てもらえ。土日のどちらかでいいからさ。わからないところが有ったらチェックしておいて、まとめて教えてもらうんだ。豊、本当に頼めるかな?お前の受験の妨げになるならダメだけど」


「いいですよ。土曜日に僕の部屋でやりましょう。朝9時までに「慈愛園」に来て下さい。午前中で終わっちゃいますから。典子さんだと三時間もやれば限界でしょ?」


 思わずアハハと笑いだしてしまった。さすが豊はよくわかってる。典子は昔からジッとしてるのが大の苦手だからだ。


「典子、朝は送ってやるからちゃんと勉強してくれよ。俺には無理なことなんだし、菜緒に家庭教師やってもらうわけにも行かないだろ?何たって現役組に教えてもらうのが一番だよ」


「イヤだって言ったらどうするの?私、元々勉強嫌いだし」


「絶対に合格する自信が有るならいいよ。でも、受験って現役組と勝負するんだぜ。努力もしないで園長先生の期待を裏切ったら、必ずお前を放り出してやる。もう口も利かない。これだけはマジだからな」


 典子はまだ不満そうだが、あきらめたように返しやがった。


「土曜日の午前中だけ豊に勉強を見てもらう。あんた、ちゃんと私をおもてなしなさいよ!」


「勘違いしてんじゃねえぞ!」と言ってやろうと思ったら豊に先を越された。


「バッチリです!典子さんの好きな「ニューヨーク・プレジール」のイチゴタルトも用意しておきますよ。やるからにはキチンとやりましょうね。典子さんの未来に貢献出来るなんて光栄です」


「あら、一応私の好みがわかってるじゃない。しょうがないから勉強を教えたがってる豊に協力してあげるわ」


 可愛い後輩が健気に思えて、典子のクソビッチぶりが一層際立つ。


「豊、俺、少しならバイト代払うぞ。わずかなお前の小遣いでケーキなんか買ってたら何も出来なくなっちゃうだろ」


「いえ、遠慮しておきます。洸さんからだけは絶対に貰いたくありません。何たってライバルですから!」


 そんなこと言われても……。しょうがないか。典子に一ヶ月分ということで一万円渡しておこう。飼い猫から何かを買ってもらえば豊も喜ぶだろうし。


 しかし、俺も最近おめでたい奴になったよな。絶対にこれは典子のせいだ。まあ、悪い気分じゃないけどさ。


 それからは、今年一杯ということで毎土曜の午前中、二人で勉強することになった。さすがに来年になってからは豊も追い込みを掛けなくちゃならないだろうし、典子も自主勉強するしかない。コンビニバイトも年内限りだ。二人とも夢に向かって進んでくれと、不甲斐ない先輩ながらも心から願った。


読んで下さりありがとうございます。

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