流合満広
試合は大詰めに差し掛かった。
最終戦、9回裏まできた。
「ピッチャー、沼田に代わりまして、井梁。ピッチャー、井梁」
ここで、全国シリーズ絶好調の抑えの守護神、井梁廉をマウンドに送る阪東。
「決めて来い」
「うっす」
これで、……これで投手全員を使い切った。この2点差を守りきって勝つことだけ。
「待っていたぞ、井梁ーーー!」
「残り3人だけよーー!!」
「抑えてくれーー!!」
スタジアムはもう、シールバックの応援。それ一色。全国シリーズ10連覇という偉業を打ち立てたオールビーの歴史が、変わろうとするところを自分のチームがする。その目で悲願を見るべきだ。
問題なのはこのイニングの先頭打者が、
「1番、ライト、鈴一」
オールビーの上位打線からの始まりだということ。
井梁が6者連続三振の被害者と、ポジティブになってもいいが。そんな考えを抱けないだろう。
シールズ・シールバック。
1番.指名打者、友田
2番.センター、千野
3番.セカンド、新藤
4番.キャッチャー、河合
5番.ファースト、嵐出琉
6番.ライト、地花
7番.レフト、本城
8番.サード、林
9番.ショート、旗野上
先発.井梁
現在の守備状況である。尾波には守備固めで千野が入った状況である。
阪東はやれるだけの手を全て打ってきた。残りの3アウトからは、選手の力を信じるだけであった。
2連投であるが、抑えてきた自信と勢いは今日にしっかりと繫がっている。
『170キロ』
その掲示がおまけ、あるいは興行であり、
ドオオオォォォォッ
豪腕から投じたボールが、ミットに届く音。スタジアム全体を揺らすが球速以上のどよめきを生んだ。歴史を終わらせる出来事にはそれに見合う新時代を作らなければいけないだろう。
「この日も170キロ!!場内どよめいています!!この家靖が手も足も出なかった剛速球を、井梁が投げます!」
「い、イチイチ言うなよ。セナ譲。来年は打つからさ」
「ホントにね。この投手は……凄すぎる」
実況席で観戦する徳川と牧も、今日の井梁の凄さは伝わる。覚醒した井梁を打ち崩すには時間が足りなすぎる。コースが甘くても、まるっきり打てないストレートなのだから、打者としては屈辱でしかない。むしろ、お手上げ。
「良い感じですね、井梁は!」
「そうだな、津甲斐監督。井梁の調子は良い」
しかし、阪東も。守っている野手達も感じているだろう。オールビーがこのまま沈黙したままとは思えない。特にこの先頭打者は。一球見送り、1ストライクをとられながらも冷静に、打つことだけを網羅していた。
「………………」
集中力を研ぎ澄ませる必要はない。なぜなら、手を抜いたことなどないからだ。
グラウンドの地に足を付けたのなら当然そうなってしまうからだ。ここ一番でもない。
流れが変わるとしたら、走者だろう。井梁の剛速球は走者を背負った場面ではまずその力を発揮できないはずだ。
鈴一はこのチームで一番、井梁のストレートを見て、体験していた。
「!!」
ちゃんとした理論で行なわれる打撃とは、才能に乏しき存在のためにあるだろう。井梁の人類を超えた速球に対し、打つための理論があるとは現状ありえない。鈴一の才能と努力が積み上げた物が新しい道を作り上げるのだろうか、
「!」
宣告。
井梁のストレートを攻略するにあたり、ストレートしか頭に入れないことと、真ん中近辺にしか来ないことを決め付けることであった。
リリースされた瞬間ではもうあらゆる小細工が通じない。中途半端なスイングをするころには確実に振り遅れる。ボールの見極めができる時間すら惜しいし、判断すらできないだろう。
鈴一は井梁を打ち崩すという理想を貫き、不必要な動作のロスや難解な判断をシンプルにし、圧倒的なストレートを真正面から捉えるのみにしていた。
「何千万と振ってきた」
やや高めにヤマを張っており、力に負けぬようこちらも力で弾き飛ばした。バットから両手を通して身体に伝わった衝撃は、今までで一番キツイものだった。芯で捉えたのにここまで身体が震えたことはなかった。
打球はサードの頭上を超えるライナーとなって、落ちた。
「鈴一選手、ヒットーー!井梁選手のストレートを、弾き返しました!!」
この一打がシールバックの応援を一気に消し、逆にオールビーの最後の反撃を生み出そうとしていた。特に鈴一の出塁に、沸き立ったスタジアム。
「さすが鈴一!」
「"人類最速"を最初に打つのはあなただと思っていた!!」
「僕と結婚してくださーーい!」
「流合達の前に走者が出たーー!追いついてくれ!」
「まだファンは連覇を見たいんだぞーー!」
一つおかしい応援があった。そんな応援をしたのが、次の打者。ホモリンであった。
しかし、ここで彼が打席に入る前にタイムをとったシールバック。早い段階でのタイム。わずかな迷いを消すための、英断。
「1点はやっていい」
伝令の内容は勝つ事の優先。1失点で3アウトをとれば勝ちだ。
「鈴一の盗塁を無闇に警戒する必要はない、3アウトだけで良い。アウトの中身はなんでもいい」
左投手で剛速球を投じる井梁であるが、ノーコンという欠点がある。またセットポジションではこの剛速球の威力が落ちてしまう。井梁が欠点を補える投手ではなく、長所を伸ばす投手であるのは付き合ってきて分かる。
「三振を3つ重ねるだけでもな」
同点の走者を背負わないところでこの伝令をしたのは本当に、好判断であった。ここから鈴一が盗塁なり、ホモリンの送りバントなり、得点圏に走者を背負えば言葉をかけても意識してしまうもの。
「打者をねじ伏せるのが、井梁廉の仕事だろ?頼むぜ」
井梁の信頼を全面に推した。制球難の投手にとってピンチは、本人と同じくらい周りが心配する。ストライクの球を打たれたのならしょうがないが、フォアボールは困る。満塁の場面で井梁がマウンドに立っていたら、震えてしまう。
「2番、ショート、ホモリン」
試合再開。
打席に入ったホモリンは送りバントの構えをとった。あの剛速球を確実に転がせる自信か、単なるゆさぶりか。
サードの林がやや前進。もし、バントなら打球処理は河合、井梁、林の3人で行なうサイン。ホモリンの役割は。
井梁の投球フォームは変わらない。走者を背負っても、自慢のストレート一本で行く雰囲気。目を離さない。井梁の左手からリリースされた時には、恐れてバットだけでなく、身を退き始めたホモリン。
この圧倒的なストレートをバントするのは、
『170キロ』
球速掲示は井梁の安定ぶりを象徴するように正常に働いただろう。
「ボール!」
外に外れて、ボール先行。そして、前回体験した圧倒的なストレートを知ったホモリンにとっては慣れではなく、確かな手応えを持って言えること。
打者だからこそ鮮明に分かる投球。
澤監督やベンチに伝えるように、間をおいて。打席から外れて一回、二回とスイングして井梁の状態を伝えた。(前もって決められたサインである)
『走者を背負った井梁のストレートは少し、威力が落ちてます。打てます』
ヒットにできるとは伝えていないが、それだけでもまだ立ちはだかる井梁を崩せる情報に。後続の打者の気持ちがどれほど楽になっただろうか。
そして、続くは走者の目。鈴一は盗塁の機会を伺っていた。初球から警戒をみせてくれない井梁を揺さぶるためだ。ボールが先行したのはラッキー。
ホモリンがヒットを打つ確率より、四球を選べる確率の方が高い。
「ストライク!」
ストライクかボールかはハッキリしている。ストレートに集中している。走者の目は気にしていない。
「鈴一選手、走ってる~~!」
井梁の3球目。モーションを完全に盗み、170キロのストレートが河合に届いたとしても、送球まで河合がこなせなかった。
「ボール!」
ストライクにも入らず、
「鈴一選手、盗塁成功!」
計算内といえば、計算内。欲を言えば、ストライクが欲しかったが。少しでもミスが起きる可能性はしないべきだ。さすがに三盗はないはず。鈴一の足を考えたら無意味の危険。
「気にすんな、井梁」
「バッターだけねじ伏せろ!」
「打たれたら俺達が守ってやるからよ!」
同点のランナーまで出したくはない。井梁の球ならど真ん中でいいのだ。内野陣が井梁に声をかけている。
四球や死球はぜってーダメだぞというオーラが漂っている。無論、それは分かっている井梁。一点なら勝ちだ。そして、ホモリンが非力というのは情報に入っている。ストライクに入れるだけで勝つ。
ドオオォォッ
4球目、5球目。駆け引きなしの全球ストレート。祈ったことはストライクに入る事くらい。ホモリンのバットに掠らせることなく、ゴリ押し。
「ストライク!!バッターアウト!!」
1つのアウトに井梁は雄叫びを上げる
「おらあぁっ!!」
そして、井梁の気合に続くようにスタジアムにいるファン達から、喝采の声援が放たれる。
「いいぞーーー!!」
「あとアウト2つーー!!」
「ストレートで決めろーー!!」
「ストライクに入ればいいんだぞ!!」
後押しが確かに力になる。
「3番、サード、流合」
2度目の対決。井梁 VS 流合。
初球から、井梁のストレートが躍動した。走者がいるとは思えない中での限界突破。
受ける河合までも、どこを通ってきたのか分からず、キャッチャーミットに球が収まった時に気付けたほどのストレートだった。これまで受けた中で最高のストレート。
『176キロ』
一度、徳川との勝負で叩きだした、計測不能の数値を上回る球速だろう。
そして、それがキッチリとストライクをとっていた。場内が再び沸いたのは当然であった。
「こ、ここに来て井梁選手が自身の持つ、最速を更新しました!」
「まだストレートを進化できるのかよ。ストレートで勝てる奴いねぇんじゃね?」
「かもね、認めたくないけど」
球の威力もハンパじゃなく、河合がボール交換を要求していた。痛みが退くまでの時間稼ぎだった。
「わりっ」
とんでもねぇ光景を今、見ている。この球を受けられるだけ光栄だと思えた。
河合がボール交換を済ませて井梁に送球する。不気味なところは流合が、ノーステップで今の一球を見送ったこと。打つ事を諦めたのか?
変化球待ち。打てる希望があるとすりゃ、
「……………」
変化球は投げねぇよ。
河合の判断は井梁の気分を保ちたいがためだ。全員がストレートに魅了されているのだ。ストレートで三振をとれる魅力。
この場にいる全員が、井梁の最速を。さらなる更新を、残り2アウトを。
『175キロ』
たった一度。見た直後に、人々の表情が180度変わる。
ミットに届いた音とは違っているのが明らかであり、しかしながら快感をもたらすような幸せにする木が殴打した音。
バットが一周近く周り、最後は左手で投げ出される形で、宙へと華麗に舞う。
流合は上がる打球を見る事なく、手を叩く事もなく、走り出さずに歩いた。当然と言い切ったことを、この行動でやってのける。
この流合に真向勝負を挑んだことを後悔させてくれる。その一打を結果として突き出した。
「嘘だろ」
流合以外が全員、口にしたと思う。心で言っていたこともカウントしよう。
それほどに、あれだけのストレートがこうも簡単に打たれた。分かっていたら、さすがに打てるということか。
「同点!」
セナ譲が、声を荒げても、スタジアムにいるオールビーの全ファンは、喜々狂乱の言葉と表現を、身体全体を使って現した。
「追いついたーーーーー!」
「史上最強打者!流合満広!!」
「流合の一発が出たーー!!」
「うひゃああぁぁっ!!」
「この展開を待っていたぞ!流合!!」
ベンチ、ファン、総立ちしていながらも、流合のベーランに焦りはなかった。もう少し、静かにしていろと伝えるような自信満々の表情。
それと正反対になる喜びだ。起死回生の一発を、この場面で、あれだけ抑えられた井梁からやってのける。
「流合さん!!」
「よくやった流合!!」
「さすがだ!」
後輩、同期、大先輩からもみくちゃにされる歓迎。それほど大きな一発。しかし、本人はこんな言葉を吐いた。
「俺にとっては当たり前だ」
この余裕。この自尊心。敵うわけがないと、認めるものがある。狙い打っただけでも、こうも決められるのは流合だけだろう。
「流合選手の、レフトスタンドに飛び込む2ランホームランで、同点です!シールバック、9回1アウトで追いつかれました!」
オールビーの喜び、至福、それとは裏腹に。まったく逆のシールバック側。この場面で、流合の一発が飛び出したことに全員が、沈黙となっていた。
あまりに大きい悲壮であり、もうこの状況を変えられない言葉や間を取れない中。静かに全員が、現状を受け入れるため、目の前にある野球のプレーに集中しようとしていた。
反転した勢いがどれだけか。
「4番、レフト、五十五」
先輩、流合に負けじと五十五もストレート一本に絞っていた。まだ流合の一発の余韻、影響がある中で。格が落ちたストレートを見逃すわけがなかった。
シールバックの誰もが、その後の事を覚えていられるわけがなかった。
「おいっ!」
打球は流合と重なるような弾道で飛んでいく。センター方向、
「止めろ」
あと、たった2つのアウト。それだけであったのに、
「入るな!」
五十五の打球は、センターを守る千野の頭を超えた。




