2話 立場 1
西日に目を細めながら、小高い丘へと続く道を上るアレックスとマール。それぞれの手には長い箒。
最後のベーカリーを通り過ぎ、草の生い茂る中に作られた赤茶けた土の道、そこに最後の分岐路があった。
するとマールはそっちの道に歩を進める。
「じゃあねー、アレックスー」
「ああ」
てててっと元気に小走りで去る彼女の背を見送るアレックス。
赤髪の三つ編みを揺らし、カバンと箒を手にマールの走っていくコースの先には、そこそこな大きさの牧羊施設があった。そこが彼女の家であった。
マールの家は牧羊場だ。そしてまた、領地の外周部、崖際の草原、そこにアレックスの家はあった。
父に追われ、羊の群れがメエメエと鳴きながら草原を歩いている。
ブラウン牧羊所。
柵の側には売店を兼ねた一軒家があり、そこが彼の実家だった。
アレックスの家とマールの家は、同じ牧羊業を営んでいるが、競い合うような関係ではない。両親の代から、近所付き合いを欠かしたこともない。
むしろ大規模牧羊業者の煽りを受けて、経営自体は段々と厳しくなっている。
だからこそ、アレックスは迫る時代に打ち勝つために、今の生き方を選んだのだ。
店の入口は、そのまま自宅の玄関も兼ねていた。
「ただいま」
「あ、兄ちゃん帰ってきた」
「おかえりー!」
そして何より、一人っ子のマールと違い、彼には双子の弟と妹が居た。親譲りの褐色肌に金の目は二人とも変わらない。
アレックスとは6歳違い。つまり彼らはまだ9歳。彼らは一丁前にカウンターの席に座ってぐるぐると回転椅子を回して遊んでいた。
やれやれと、黒い革の肩掛けカバンを店の机におろしながら、アレックスは口を開いた。
「何やってんだ、怪我するぞ」
「ぐるぐる~!」
「楽しいー!」
きーこきーこ音を鳴らしながら彼らの遊びに耐える椅子を見て、クロードを思い出すアレックス。
(……こういうことだよアイツのやってることは。いい身分だよな全く)
そこまで考えてため息一つ。軋む回転椅子の音にノルマを一つ見つける。
「……また油差さなきゃな」
奥からは夕食の香ばしい匂い。それと母の声。
「おかえりー! ロディとノーティは何してるー!?」
「なんか回転椅子で遊んでるー!」
ロディとは弟の名前。ノーティは妹の名前だ。
「様子見といてー!」
再び届く母の声に、「はーい」とアレックスは応えると──
「よーし! 俺が回してやるよ!」
──笑い、彼らの遊びに付き合った。
彼は立派にお兄ちゃんだった。
ただ、同級生にそれを向けられるほど、成熟してもいなかった。
◆◆◆
「えーと、四足類と六足類が存在し、その2つの多くは哺乳類と哺乳類二形の祖ともなっている。
……四足類と六足類は似ているが、祖先が違うという研究結果があり、基本的に交配は不可能。
主な変更点は肩甲骨だが、この第二肩甲骨は腱と筋肉によって支えられており、進化の過程で位置を変えてきた。
種族によって位置が大きく異なり、翼の基部や、第二の骨盤としても──」
食事の後、アレックスは自室で木造りのテーブルに向かい、鉛筆を片手にサラサラと文字を書き記していた。
一通りまとめ、教科書をめくると、彼は次の内容を書き込み始めた。
「今日、人間と言われる種族は四足類側の獣人の一種である。
人間とは、四足類に属する獣人諸族が長い年月をかけて交配を繰り返し、外見的特徴が均されていった種族である。
これにより逆説的に人類によって純血の獣人は駆逐されたと言う学者も存在し、一方で異なる集団が融合して新しい集団になっただけだという学者もいる。
どちらの見解が妥当か、現在も議論が続いているが、歴史的には交配した結果が生息地を広げていき、我々の多くが耳の毛と尖った形質を失い、尻尾までなくしたことに代わりはない。
ただし、その成立過程故に受け継がれた遺伝形質が世代を隔てて発現することがある。
マールのことだな」
そうしてまたノートにまとめを書き込むと、目元を揉み、窓の外の天を見上げた。
そこには、薄い輪を斜めに広げた月が浮かんでいた。
その前を、夜闇を海に見立てたように、巨大なエイがゆうゆうと泳ぎ、そのシルエットを浮かび上がらせている。
「あ、ラッキー。星鯨の回遊だ。縁起物だ。いいもの見れた」
そうしてアレックスは休憩がてら、窓辺に肘をつき、星鯨がどこかに飛び去るまで、眺めることにした。
彼はつかの間の自由を満喫するも、ふと、クロードが学校で言っていたことを思い出す。
チッと舌打ちするアレックス。
「……貴族は自由じゃない? 嘘つけクソガキが」
◆◆◆
同じ空の下。ウィルゲンシュタイン家の大屋敷には、一つだけ煌々と明かりの灯る窓があった。
その部屋で、クロードは書類の束と格闘していた。
彼の指先は恐るべき速さでソロバン状の器具──アバカス盤を弾き、出てきた数字を見てクロードは書類に判子を押す。
その手際は慣れたものではあったが──
「おーわーらーなーいーッ!!!」
──彼は半泣きでヒーヒー言っていた。
隣では、クロードと同じ栗色の髪に、サークルビアードを蓄えた中年の男が書類を受け取り、再びアバカス盤を弾いていた。
そして帳簿に数字を書き込み、書類をフォルダに挟んでいく。
数字を見て眉をひそめ、うーんと声を上げる男にクロードは声を上げた。
「お父様! 毎期思うんですが応援呼びませんか!? 雇いの税理士とか!」
「だめだ」
「なんで!?」
「今何時だと思ってる。もう税理士も寝てる。
それにこの仕事は我々の責務だ。
税理士が集計したものを、領主一族が最終確認し、国王への報告責任を負う。
決裁責任だよ、決裁責任。
国王に届けて、色々手続きが終わらなきゃ我々の手から離れない」
「ぐぬぬぬ……!」
彼らはもはや見ないようにしているが、無慈悲にも大時計は聞きたくない音を奏でた。
「もう二時!」
ひーんとクロードが泣き言を口走ると、ドアの向こうの廊下に、パジャマ姿のドロシーが見えた。
彼女は明かりに目をゴシゴシとこすると──
「まだやってたんですか?」
──と自分が関係ないことをいいことにクロードらに尋ねる。
「終わんないんだよぉ!」
「手伝いましょうか……?」
「……いや、それよりコーヒー淹れて……」
「じゃあ、トイレいったあとで……」
「愛してるよドロシー!」
深夜テンションでおかしくなってたクロードに、父は何を言ってるんだと苦笑いした。
「お前は寝てもいいんだぞ? 明日も早いだろう。六時から乗馬の先生も来る」
「で? お父様一人残して、僕の分もやるんです? 二人でやると一人で作業したときの三倍分の仕事が片付くって言うじゃないですか」
言ってクロードは書類をトントンと束ね直し、それをまた計算ミスがないか確認し始めた。
「僕はそこまで薄情な人間になりたくはないですね」
「明日辛くてもしらないぞ?」
「ええ。覚悟の上です。ていうか、今期やけに支出が多いような……」
「川上のダムのトラブルと、橋のメンテがあったからな。まぁ必要な出費だ」
「これ財政赤字になりません?」
「なる」
「大丈夫なんです?」
「だいじょばなくもない」
急に口調を崩す父。こういう愉快なところがある人間ではあった。
「どっちなんです?」
「冗談だ。大丈夫だよ。真面目にやってれば国庫から領地に貸してもらえる」
「でもそれ借金でしょ!?」
「まぁ……、どこかで帳尻は合わせる必要はある。
ただ国絡みの話だから、利息はペナルティの意味で本当にわずかだ。
即我々が破産や追い立てられることもない。
でだ、我々の生活費も税金から出てるわけだろ?
メイドも雇用だし庭師も雇用。
家庭教師も剣術指導も固定費契約なので減らせない」
「そうですね」
「なら我々が使う私費を減らせばいい。【上の者は下なる者の如くあれ】だ。
しばらく贅沢な食事はナシだな」
「あーもー! 結局貴族が割りを食う!」
そうして、クロードはドロシーが入れてきた真っ黒のブラックコーヒーを飲み干し、なんとか朝日が昇るまでに書類を片付けた。




