10話 身悶え 4
罪を自覚してもなお、今の彼女はクローディアだった。
「そ、その人たちって……今でも?」
「ああ、うん。居ます。うちのクラスに。だからこそ、クロードには助けられてたんだなって……今なら思うんです」
「どういうこと……?」
「あいつと話してみたんですよ。そしたら、俺が勝手に思い込んでいた一位への執着なんて、まったくなくて。ただ、主義主張が違っただけだったんです。
あいつ、公務しかない未来が待ってるから、今を楽しんでない俺にちょっかいをかけてきたらしいんです」
彼は自分とクロードの違いを説明した。
「つまり、俺は学校に希望なんて持ってなかった。
でも、その学校に希望を持ってたのがあいつなんですよ。
そりゃ、水と油だ。
それに、あいつが大手を振って先に悪さをしてくれるので、それも今思えば助かってた」
「……え?」
「あいつのいたずらでは、俺は被害者でいられたんですよ。必ずクロードが仕掛け人だ。
他の連中は、俺を被害者としてすら扱わなかった。学校の統廃合で紛れ込んだ外来種。俺は学校への侵略者で、秩序を乱す存在だったんです」
(……そんなこと、言うなよ……。僕は求めてないよ、秩序なんて……、そんなもの……!)
アレックスの話は続いた。
「で、この間の話ですよ。眼鏡をもらって、もう邪魔しないって言われて、またあの日の憎悪が俺に向かってきた。
そのとき、俺、気がついちゃったんです。
“単一の敵が見当たらない”って」
「敵が、見当たらない?」
「それまでは、反抗する相手はクロードでよかった。でも、クロードが手を引いたとき、何が殴ってくるのか、何が襲ってくるのか、何が盗むのか、見えなくなった。敵がクロードじゃなくなったからです。敵は環境だった」
クローディアは目を伏せた。
どうすればよかったんだろうか。
しかし、アレックスの声は明るかった。
「……クローディアさんは、クロードにいろんなことを話したんですね。
あいつ、休みの日に起きたことを全部知ってました。
その日からです。『あ、こいつは味方だ。俺のかけがえのない悪友だ』って確信したのは」
「何が、あったんです……?」
「あいつも、正義や正当性を振りかざすための棍棒になることを拒んだんです。
俺と一緒に、気に入らないクラスメイトたちに仕返ししてやろうって言ってくれた。
それからもう、やり返しの日々です。
毎日楽しくて楽しくて……感謝してます、クロードには」
「クロードを、許すの?」
「それがですね、俺、思い返すとあんまり引きずってないんですよ。あいつとのいざこざ。自分でも意外なほど。
あいつとの怨恨って、変な話、高速で回収されちゃうんですよね。
怒って、恨んで、でも数時間後には元通り」
アレックスはしみじみと語った。
「変な関係だった。あいつ変な話、正々堂々としてるんですよ。『僕も悪いぞ!』って態度で、隠してない。憎みきれない。
思えば、なんか俺も変でした。
あいつ学校ではヘマも良くします。物忘れとかもしょっちゅうで、でもなぜか教科書貸しちゃう」
自分の内面を探るように天を仰ぐ。
「正直、もう許しちゃってるんだろうな。
そりゃ、やられたら、また怒るけど、それでも次の日にはあっけらかんと、あいつに『おはよう』って言えるんじゃないかって、今なら思えるんです」
「いたずらされてたのに?」
「なくなって初めて気づくものですね。今思えば、あいつのあれ、『遊ぼう』ってシグナルだったんじゃないかな……」
彼は、手を組むようになって、クロードとの関係性を咀嚼していたようだった。
憎悪の色は感じない。
「……それをどうして、私に?」
クローディアの問にアレックスは苦笑い。
「クロード相手には恥ずかしくて言えません。マールはさっぱりしてるので、そういうウジウジした話は聞いてくれません。
ごめんなさい。だからつい、言っちゃった」
クローディアは黙ってしまった。
自分の罪を認めたその瞬間、アレックスからは、もう許していると告げられた。
彼女にとって、それは救いなんかじゃなかった。
もう、償う先がないのだ。「もういいよ」と言われることは、まともに取り合ってもらえないことでもある。少なくとも、彼女にはそう思えた。それはクロードとしての自分にとって、下ろせない十字架となった。
しかし同時に、自分が関わらなければ、クラスの溜飲は下がらない。
板挟みの感情を抱えたまま、クローディアはうつむいてアレックスに尋ねた。
「もし、もしもですよ?」
「はい?」
「その、“顔の見えない敵”をなんとかできるとしたら……あなたは……復讐したいですか?」
それはクローディアにとって、恐ろしい問いだった。
復讐の対象にクロードは入るのか。そして、答えを聞いたとき、自分はどちらへ舵を切るのだろうか。
しかし、アレックスはしばらく考えたあと、かけた眼鏡の位置を戻して、何かを決意したように──
「いや、それこそ、“復讐してる最中”なんですよ。実は。
計画は進行中なんです。だから、頑張ってる」
──自分の暗部を吐き出した。
「俺は学校の統廃合でやってきた侵略種です。
なら、そう振る舞ってやろうって、どこかで覚悟しちゃってた」
決意の顔だと、クローディアは見抜いた。
「一位を取り続けてるのは、あいつらが何をしても無駄だと知らしめるため。
あんな奴らに負けたくないから、というのもあります。
立派な謝罪をもらうより、『お前らは俺より下だ』と思い知らせたい。そんな想いもあるんですよ。まぁ、その、負けそうになったこともあるわけですけど……」
覚悟を決めたのか、アレックスはすらすらと答えた。自分を着飾りはしなかった。
「そんなわけで、学校は俺にとって戦場なんです。
あなたと初めて出会った日、自分の中で何かが折れた日でもあった。
でも、元気分けてもらえて、俺は戦線に復帰できた」
「学校が、戦場……」
「ええ、俺、そんなに聖人ぶるつもりはありません。
今、俺は拳ではひっくり返せない相手を、別のもので殴り続けてる」
「それは?」
「テストの成績って棍棒で、です」
クローディアはその意味を、次の言葉が続く前に理解できた。
「一位って天井はいくら石を投げられようが譲る気はない。
マールやロバートは物理的に殴り伏せたけど、それって、即効性はあっても、屈辱を与え続けることはできない。
フレデリック公爵を尊敬するのは、そういうところです」
まさかの父の名前にクローディアは固唾をのんだ。
「不動の地位ってのは、強いんですよ。あそこにはたどり着けないと思えば周りが勝手に萎縮する。
もうテストもやる気を失ってる奴らもいて、ザマァ見ろと思ってます。
『そのまま落ちてけ。それでお前らの未来は閉ざされる』ってね」
ぞくりと、クローディアの背筋が震えた。
嫌悪ではない。尊敬だ。
(こいつ……そこまで見て……!?)
同じ波長を感じた。
自分よりももっと陰湿で悪質で、でも一番平和的な方法でやり返している。
否定しようのない実力による鉄槌。なにせ、学校とは学び舎だからだ。
「せっかくだから言っちゃおうか……。
俺、昔からバカにされてたんです。
特に貴族に」
貴族を嫌う理由も、彼は吐露し始めた。
「今でも覚えてる。幼いとき、両親が膝をついて許しを請う場面があった。
そのとき、俺と同じくらいの歳の貴族のクソガキが、『貧乏人が』って家族に言ったんです……。
幼心に、忘れられませんよ。あれは」
クロードは、彼に何かを与える必要などなかったことを悟った。きっかけさえ必要なかった。
彼は最初から闘志を握りしめていたからだ。
(だから僕に歯向かえたのか……! 縛られる気がないから!)
領主の息子であることや、貴族であることは、人間性の担保にはならない。
普通の人間には無理でも、彼の理屈なら通った。
そして、人間性を見たからこそ、アレックスはクロードを認めたのだ。
「俺にだって陰湿なところはあります。
気に入らないやつとは喧嘩して、自分を守るために拳を振るって、二度と逆らえないように思い知らせて……。舐めてると痛い目見るぞと覚えさせて、そうして世の中、平和になるんです」
彼は人生経験からの哲学を語った。
「境界線を決めたいわけですよ。いくら頑張っても、俺には到達できないとね。
だから今、俺にとって学業は戦場なんですよ。
道徳だの倫理だのって、制御するための言葉が必要なくらい、人は獣だ」
そして話は、クローディアの気になるところへ差しかかった。
そこでアレックスが語ったクロード評は、こういうものだった。
「そんな中で、クロードはその戦争から『二位でいい』って降りた。
肩透かしでしたね、ええ。
『お前、ライバルじゃなくて中立なのかよ!?』って」
しょうがないやつだなという、困ったような笑い。そこに敵意はなかった。
「俺が認識を間違えてたんだから、あいつと反りが合うわけがなかった。
あいつのいたずらは、性格から来るものだ。
悪意とは別種のものだった。性格悪いんですよ、あいつ」
その言葉に、クローディアは少し救われた気分だった。
「……それでも、クロードと、関わりたいですか?」
「ええ、もちろん。強力な後方支援がやってきたと思いました。
あいつ、今は俺に協力してくれてるし、宿題も一緒に片付けてくれてる。
ありがたいです」
(そんなことを言われるようなことはしてないんだけどな……)
そんなクローディアの心は知らず、アレックスは続けた。
「宿題にかかる時間は一気に減って、その分、気になってたところを進められる。
それに、一度あいつがいない日々を経験しちゃったからわかるんですが、あいつがいない毎日なんて、つまんないんですよね」
隣を歩きながら、うつむいて黙ってしまったクローディアに、アレックスは断りを入れた。
「その、重い話をしてごめんなさい。
それで、こっちからも一つ、教えてほしいんです」
話題を切り替えるように、彼はクローディアに尋ねた。
「どうして、俺と、また会ってくれたんですか?」
アレックスの問いを聞いて、クローディアは建物の向こうに見える小高い丘へ視線を移した。
「そうね……場所を変えましょうか」
◆◆◆
街が見渡せる丘の上。すぐ近くにありながら、アレックスには未踏の地だった。
丘の上には広々とした広場があり、中央には演説用の壇も設けられている。宗教的な意味合いもあり、集会場としても使われる場所だった。
「ここ、来たことないな……」
「私はここにちょくちょく来るわ」
クローディアはクロードとして、公務の一環でよくここを訪れていた。
広場の外縁にある石造りの手すりに手を置き、クローディアは街を指さした。
「ここからの景色が好きなの。変で」
道すがら雑談を交わすうちに、クローディアの気持ちも少し晴れていた。
隣のアレックスが問い返す。
「変?」
「そう、ほらあそこ。ワイバーンが飛んでる。
こっちは郵便カバンを持って箒に乗ってる。
そこの路地では馬車が走ってる。
行商市場ではいろんな種族が地元の特産品を売りに来る。
あそこの森にはずっと霧がかかってて、どんより暗くて、時々ドラゴンもいる。
遠くで汽笛の音がする。何かを告げる鐘の音が聞こえる。
煙突からは煙が立ち上ってる。あれは一体何を焼いてるのかしら?」
アレックスにとっては、すべて当たり前の光景だった。
「それが?」
「楽しいなって」
ニッコリと、クローディアはアレックスに微笑みかけた。
「言いましたよね? 私、転生者だって。
こんな光景見たことない。まるで、別の国に来たみたい」
「その、前世のことははっきり覚えてるんですか?」
「はっきり覚えてる。コンクリート造りの建物の中から、アスファルトの道路を眺めてて、そこでみんなスマホを眺めてる」
「スマホ?」
「うん、わかんないよね。石板みたいなものなんだけど、触れると動く絵が映るの。
……街に自然はほとんどなくて、公園の植木も数える程度。
何もかもシンプルで、四角かった」
「……想像がつかない……」
「白い塔ばかり。積み木のような町並みよ。それをずっと眺めてた。
私は病室から、そこへ行きたいと思ってた。
なのにみんな、当たり前のように下を向いてて……腹立たしかったな……。
私は薬漬けで、髪も抜けて、病室から出られなかったのに……」
アレックスは黙った。しかし、クローディアの声は明るかった。
「アレックス、あなたは、あの橋の向こうを見たことある?
港で何を運んでいるのか、考えたことはある?
あの水路はどこにつながってるのか見たことある?
あの森は、何を隠しているのか、考えたことはある?」
そのときアレックスはハッとした。
小麦も、古本も、馬車も、彼女の視点はいつも自分と違う。
「私、ようやく外に出られたわ」
そして、彼女はアレックスをいざなうように街へと視線を移した。
「今日、私は気がついた事があるの」
「なんですか?」
「学校は、街のほんの一部なんだなって。
目標ができちゃった。探検したくなっちゃった。
私はね、今をずっと楽しみたいの。
正義だとか正しさだとか立場だとか、正直、窮屈だし、興味はないわ。
冒険したいのに、あれは駄目、これは駄目って、正論ばかり聞いてられない。
こっちにはこっちの理屈がある。失敗も込みで、ワクワクしたり、ドキドキしたい。
だから、つつきたいし、触りたい。興味に正直でありたい」
そこにはクロードの論理があった。
だが、アレックスは答えにたどり着くことはできなかった。
代わりに、それを自分に向ける意味を問うた。
「それがどうして、俺と会う気になってくれたんですか?」
「“このまだ見ぬ世界を、あなたと一緒に歩いてみたかったから”じゃ、理由にならない?」
「……!」
一瞬ためらったあと、アレックスは口を開いた。
「その……俺、あなたのことを、まだ何も知らないんですよ?」
その言葉に、クローディアは申し訳なく思った。
(同じだよ。僕も誤解してたんだ。
お前がそんなにいっぱいいっぱいで、家のことを大切に思ってて、未来を家族のために費やそうと思ってて、それに野心まで持っていたなんて、知らなかった。
だから、今なら──)
しかし、クローディアは微笑んだままアレックスに向き直った。
「クロードからよく聞かされたわ。“健気なやつ”だって。でも今日、あなたの野心の部分も聞いた。その上でね、クロードに似てるなって思ったの。
あの子は、そうね、きっと、窮屈なのよ」
やっと自分を言語化できたと、クローディアは思った。
恵まれていることはわかっている。自分でも幸せだと思っていた。それでも、何もかもに無条件で満足しているわけじゃなかった。
「満足してないから、興味を持つ。その先の光景に何があるのか執着する。
あなたは未来。クロードは今。表と裏ね。
クロードも気に入るわけだわ。その反骨心、魅力的よ」
アレックスは、目を見開いた。嫌われると思っていたからだ。
クローディアは続けた。
「私、友達が少ないの。特に男の友達なんてね。
だからクロードの話を聞いて想像してた。聞くうちに、いつかあなたとお友だちになりたいと思ってた」
「……あいつ……」
アレックスは、クローディアの従兄弟だと思っている男の顔を思い浮かべた。
「……なんで、俺なんです?」
「私、クロードからね、聞いてないのよ」
次の言葉は、アレックスの深いところを突き刺した。
「クロードとのやり取りは楽しかったのよね?
じゃあ、あなたは他に何を楽しむの? あなたは何に驚くの? あなたは一体何を好きなの?」
「!」
それは、アレックスにとって予想もしなかった問いだった。
「あなたの戦争はスマートよ。敗北感だけ与えてる。どんどんやればいい。
一位を独占することは別に悪いことじゃないんだもの。
でも、それはあなたの一面。あなたの全体を理解したことにはならない」
前かがみになって、上目遣いにアレックスを見上げるクローディア。
そこに、アレックスはクロードの面影を見る。
やはり血縁なのだと、彼は思った。
「私、それをクロードより先に知りたくなっちゃった。私の興味は貪欲よ。
どんな反応をしてくれるの? どんな顔を見せてくれるの? どんなことで笑うの? あなたが知りたい。
会うのはまだ二度目。でも、三度も四度も、あなたと会いたい。
少なくとも、休日にこうやって街に繰り出したのは、クロードより私が先よね?」
ウィンクを送ると、アレックスは顔を赤らめた。
◆◆◆
その夜、三者は三様に身悶えしていた。
クローディアはベッドの上で、自分の体を抱きしめた。
罪悪感と、役目の板挟みに身を悶えさせながら、過去の自分の行いを思い返していた。
「あいつのこと、興味本位で突き回して、根っこの部分全然知らなかったんだなぁ……。
……悪いことしてたなぁ……。
アレックス……ごめん……。僕も、お前が嫌う人間側だったよ……。
でも、急にクロードとして突っかかるのをやめるのも不自然だよなぁ……。
ああ、明日からどうしよ……」
一方、アレックスはというと──
「このまだ見ぬ世界を、あなたと一緒に歩いてみたかったから……。
これ、よく考えるとすごいこと言われてないか……? あなたが知りたいだって……?
しかも、クロードがクローディアさんに俺のことを話してくれてたから、興味を持ってもらえたんだよな……?
え、じゃあ……クロードにありがとうって言わなきゃいけないのか? 正面から?
う、うう……どうすりゃいいんだ……」
──と、嬉しさと恥ずかしさで布団の中でもだえ、眠れぬ夜を過ごしていた。
そして最後に、ドロシーは──
「最後が! 最後がわからない……!!
まさか撒かれるなんて! ああもう! 一番いいとこ見逃したのかもしれない!
あの二人に何があったの!? 誰か……誰か教えて!!」
──と、日記に向かい、欠けた情報に悶々としていた。
つづく。




