8話 仮面の奥 4
神殿騎士団が駆るワイバーンを追えば、普段と違うことができて、気晴らしになるかと思った。
ただそれだけだったのだ。
ワイバーンが降り立った場所を確認し、自分も上空から箒で降りてみれば、神殿騎士が呼ばれた理由はウッドエルフとダークエルフのいざこざで、こっちもしょうもないことで争ってるなと思っていた。
そして、その様子を見ながら、白壁の建物の角を曲がって市場に赴こうとしたとき、白いドレスの女性とぶつかり──
「──あっ!」
ばしゃあ!
──とコーヒーを少々ぶっかけられた。
不幸中の幸いとして、もう冷めていたために熱くは感じなかった。
しまったと思ったのはアレックスにぶつかられた側のクローディア。
クローディア視点では突然、男子生徒が曲がり角の死角から現れたように見えた。
「その……、すみません!」
クローディアは反射的に謝罪をし、慌ててハンカチを取り出したが、相手の顔を見るなりよく知った顔で彼女の顔から血の気が引いた。
そこにいたのは仏頂面のアレックスだったからだ。
(──どうしてお前がこの時間にこんなとこに!?)
思わずそれを口にしそうになったが、クローディアは手首に巻いた細いブレスレットと、視界に入った白いドレスで、今の自分をバラしてはいけないとなんとか言葉を飲み込んだ。
「……いえ、よそ見してたのはこっちですから」
肩を落とし、上着を脱ぐアレックス。幸い、チャコールブラックの上着の色にまぎれて目立たない。中のシャツにまでは到達していなかったようだ。
しかし、泣きっ面に蜂、弱り目に祟り目。それは弱ったアレックスの心にとどめの一撃となった。
ポロリと、一筋涙が頬を伝った。
ままならない世の中への絶望の一筋だった。
(!?)
それを見て、再び息を呑んだのはクローディア。
「おっと……、あ、これは、気にしないで……」
感情もなく、アレックスは袖口で涙を拭うと、隠すようにポケットからメガネケースを取り出し、中から眼鏡を取り出し、かける。
アレックスの視界がひらける。
眼の前には栗毛で、ツリ目で、でもとても心配そうにこちらを見ている白いドレスの女性。大きなリングピアス。
貴族の青いラインは確認できる。アレックスにとっては敵かもしれない。しかし思わず、アレックスは顔を赤らめた。
(……こんな人に涙を見られたのか!?)
普段装備しているクロードの認知操作ピアスと、ほどいたポニーテール、声を低くするペンダントの相乗効果は抜群だったらしく、それらを装備していない今のクローディアを迷惑王子のクロードと同一人物だとはアレックスはついぞ思うことはなかった。
むしろ──
(あいつの母親のオデットさんに……よく似てる……、血縁なんだろうか?)
──クロードの母への関連性を見出した。
優しくて、丁寧で、視力を失ってもあたり散らさず、平民の自分に頭を下げたオデット。
急に、自分に起きた出来事が矮小に思えてきたアレックスは「失礼します」と恥ずかしさに踵を返す。
が──
「待って!」
──クローディアの細い指先が、彼の肘を掴んだ。
「迷惑をかけたのはボ……いえ、私です!」
そのまま、ぐいとクローディアはアレックスを引っ張った。
「まずクリーニングに出しましょう」
「ちょ、ちょっと!? い、いいですよ!?」
「だめです! 早くしないと染みが落ちなくなる」
強引にアレックスを引っ張るクローディア。
彼女は内心父に感謝した。
(お父さんありがとう。もらった昼ごはん代、ここで使うよ)
◆◆◆
市場から離れ、街角のクリーニング店に赴くと、クリーニングを依頼する。
獣耳の獣人の血が濃く出た店員に「今日中にお願いしたいんです。いつまで掛かりますか」と尋ねたら「前の依頼が終わってからになるので少なくとも夕方になる」と答えが返ってきた。
内心、クローディアはガッツポーズを取る。
涙の理由を聞きたかったのもあったからだ。
二人並んで街を歩き、そして顛末を聞いて──
「……ひどいですね」
──としか言葉が出なかった。
曇るクローディアの顔。内心、責任を感じてもいた。
(僕がいないだけで、そんなことになるのか……? どうしてだ……?)
ただ、彼女の中にも全員が悪者であるという認識は薄かった。
「……その、件のマールさんも、ロバートさんも、ドロシーさんも……、最善を尽くそうとしたんじゃないですか?」
アレックスはカバンの中から破かれたノートを取り出してみせた。
それを見て、クローディアは目を見開いた。
「……休憩時間中にこうされた。
俺だってむかっ腹が立った。
で、ロバートが怒鳴って、あいつらが笑った直後にマールが矢みたいに飛び出した。
でね、俺、それで満足したんだよ。溜飲は下がったんだ。
ああ、コイツラは、味方だってね。
正直、悪くは言えない。少し感謝してるのはある。
それで俺の気持ちに整理はついたんです。
でも、ミザリー先生を巻き込んだのは違うし、アイツラはそれ以上のことに手を染めようとした」
「それ以上のこと?」
「俺抜きで、恐怖支配を始めた」
「……」
その言葉に、やりかねないなと、クローディアは考えた。
ドロシーは頭がいいが、こうだと決めたら譲らない。
ロバートの内面は筋を通さないものには容赦がない。
それにマールの喜怒哀楽のわからない笑みと攻撃性。
誰も正義も道徳もかざさない。
それらがそろうとどうなるかは、クロードとして見てきた彼女にはある意味当然の帰結にも思えた。
「それは、……確かに筋違いかもしれませんね……」
頷くと、隣を歩くアレックスは続けた。
「……俺の言葉は誰にも聞かれなかった。みんな頭に血が上ってたし、無理もないと思う。
でも、その時、あいつならどう言うかなって、思っちゃったんですよ」
「あいつ?」
「俺の友達です。クロードって言うやつで、いたずら好きで小悪魔的な、隣の席の王子様」
その言葉は、首を向けたクローディア──クロードには意外だった。
友達。そんな言葉がアレックスから聞けるなんて、と。
アレックスは眼鏡を外し、優しそうな目をそれに向けた。
「これ、ちょっと前に、出世払いで返せよって、もらったんですよ。
俺より月に使える金も少ないのに、『お前への投資だ』ってね。75ルクス分割払い。貴族の信用を使って」
「そう、だったんですね……」
「……あいつ俺が勉強ばっかしてるって突っかかってきて、巻き込んで、邪魔ばっかりしてきたんです。
ずーっと遊んでるように見えた。俺の家は貧乏で、四勤日には仕事も入れてます。
だから、俺は未来に賭けてるのにって腹がたった。
でも、この眼鏡を受け取った日、あいつ、『もう邪魔しない』って言って──」
彼の声は、次第に弱々しくなっていくと──
「──それ以来、毎日寂しいんです。俺に飽きたかなって……」
──眼鏡をかけ直し、眼の前にそのクロードがいるというのに、望み、求めるように遠くを見た。
「……邪魔、してたのにですか?」
クローディアの顔で、アレックスの顔を下から覗き込むと、彼は爽やかに笑ってこう答えた。
「あいつクソガキだけど、バカやったあと、一緒に叱られてくれるんです。それで、話はストンと終わった。笑い話で終わるんですよ」
その顔はいつも見ていたはずのアレックスの顔と違って、クローディアとしても見たことのないものだった。
仏頂面はどこへやら、屈託のない、白い歯を見せる笑顔。
どきりとクローディアは胸が高鳴るのを感じていた。
(……そんな笑顔、するんだ……)
「それで今日、あいつがいない学校ってこんなにつまらないのかって……、自覚して、寂しくなって、飛び出してきて、恥ずかしながら涙が流れて、今に至るってわけです」
恥ずかしそうに語るアレックス。眼鏡をかけて、目を細めなくなった彼の金色の瞳は、クローディアには眩しく思えた。
ふと、いつものいたずら心が湧き出す。
「世の中、学校だけじゃないですよ」
アレックスの手を取るクローディアは、彼を引っ張った。
「行商市場に用があったんでしょ? 一緒に見て回りましょう。せっかく早退したんですから!」
◆◆◆
魔族のひしめく行商市場。そこで二人は木細工や服、小物を巡り、楽しいひとときを過ごした。
「ここ、ゴブリンのハーブソルト使ってケバブサンド作ってるらしいんです」
「あ、美味しいですよねゴブリンのハーブソルト。俺もよく使ってます。でもケバブは思いつかなかったな」
「じゃあ二人で食べましょう!」
クローディアはオーガの店員に一つを注文すると2つに分ける。
「お嬢さん、デートかい? 熱々だね。こっちも熱いから気をつけて食いなよ。500リルな」
余計な茶々を聞かされて、苦笑いを浮かべるクローディア。その後ろで少し恥ずかしそうなアレックス。
二人はテーブルにつくと、頬張り、その味に舌鼓を打った。
行商市場を冷やかして回れば、楽しい時間はあっという間。
気がつけば日も傾き、二人はクリーニング屋できれいになった上着を受け取り、帰路についた。
夕日が街路に二人の長い影法師を落とす。
楽しくて、穏やかな気持ちが戻ってきたアレックスは、肝心なことに気がついた。
隣を歩くクローディアに、恥ずかしそうに口を開く。
「あの……、そういえば、最後まで名前……」
アレックスを見上げると、クローディアは意地悪そうに口角を上げた。
「クローディア。クローディア・ウィルゲンシュタイン」
名字を聞いて、アレックスは目を丸くする。
脳裏に思い浮かぶのはあいつの顔。
「……クロー……ディア……ウィルゲンシュタインっ!?」
その様子に、クローディアは口に手を当てて笑った。
「あはは。もっと驚くこと教えてあげる。そのクロード、私の従兄弟よ」
とっさの嘘だった。
「えっ!?」
「私、分家なの。驚いたでしょ? クロードとクローディア。
名前が似てるのは、偶然。
よく言われます。示し合わせたのか? ってね」
嘘だ。理由を考えるよりは偶然にしたほうが自然と、彼女は判断したのだ。
そして矢継ぎ早に話題を変える。
これにより、クローディアは彼の認知を次の話題に無理やり移した。
「あなたの話。よく聞いてるわ。アレックス・ブラウン」
額を押さえるアレックス。そうかと、回路がつながった。
お高いカフェで聞いた話だ。貴族は血族。なら、全部つながってると。
「時々、本家にお邪魔するんです。今日はそのお邪魔の日でした」
──とクローディア。これもまた嘘だった。しかしアレックスは信じた。
「……あいつ、俺のこと、なんて言ってます?」
微笑むクローディア。
「弄りがいのあるやつ。だそうですよ」
「……そうですか……、その、嫌いとか、言ってました?」
「いいえ。ただ、もったいない奴だって」
「……そうですか」
ホッとしたのか、胸をなでおろす。
「嫌われたのかと、思った……」
そんな彼を驚きの目線で見上げると、ハッとしたアレックスは慌てた。
「あっ……、今のは言わないでくださいね!?」
苦笑いを返すしかないクローディア。
(聞いちゃったよ、もう)
「クロードは、よほど、あなたの支えになってたのね? あの子、意地悪ばっかりしてるって報告してるのに」
「いや、その、負けん気が強くなるというか……、あいつなら対抗できるというか……、なんていうんですかね……? 変な話、支えになってた」
「対抗が、支え、ですか?」
「ええ、なんかこう、寄りかかってた壁が、いきなり布のカーテンになったみたいで……」
「そういう扱いなんだ……」
「ええ、まぁ、安定はしてたと思います。今は、誰が何をしてくるのか……見えなくて……、それが不安なのはあるんですよ。
今の学校は、居心地が悪い……」
そんな言葉を聞いて──
(……言ってみるか)
──とクローディアは打ち明けた。
「……私ね、転生者なんです」
「……あぁ……」
この世界の一般常識だ。転生を語るやつは与太話。霊能力者と信用度は変わらない程度の眉唾。
どう答えていいかわからなくなるアレックスに、クローディアは構わず続けた。
「転生前、私は8歳で病を患い、10歳で死にました。学校施設に行けたのもわずか2年。それも記憶も曖昧で、友達の顔も思い出せない」
夕日の方角を見ながらのクローディアの語りを、アレックスは静かに聞いていた。
「でね、アレックスさんの話をクロードから聞いて、なんてもったいないんだろうって、思いました。前世の私が欲しかった人生なのにって」
「……それは、その……」
アレックスは居心地が悪い思いだったが──
「でも違ったんですね。あなたにも、学校で失いたくないものがあった」
──クローディアの結論は優しく、反対で──
「クロードに言っておきます。『一緒に叱られてやってくれ』って」
──しょうがないやつだなと笑うクローディアに、アレックスは胸を撃ち抜かれた。
ちょうど、ウィルゲンシュタイン邸の門の前。
サヨナラの時間だとは二人ともわかっていた。
大きな門についた小さな通行用のドアを開けるクローディアに──
「あの!」
──アレックスは勇気を出して声をかけた。振り返るクローディア。
「また、会えますか!?」
するとクローディアは微笑んで──
「ええ。クロードに会いたい日取りを言っといて。予定を合わせるから。また会いましょう」
──快く応え──
「あ、そうそう、アレックス。あなた、眼鏡してたほうが素敵よ」
──笑いかけてから自宅に戻った。
◆◆◆
その夜、自室で破かれたノートをゴミ箱に捨て、メガネケースから眼鏡を取り出し、新たなノートに覚えていることを走り書きで書き直し始めたアレックスの筆はすぐに止まった。
「……」
卓上鏡に自分を映す。確かに、目元の険しさは消えて、いつもと印象が違って見えた。
「眼鏡してたほうが素敵、か」
そのまま窓を開けて、月を見上げる。夢のような一日だったことを噛みしめる。
「クローディア、さん……」
救われた思いだった。
悪いことがあれば、その分いいこともあるのかもしれない、と思える出来事だった。
◆◆◆
一方、件のクローディアは昼間のドレス姿のまま、居間でテーブルを囲んで側近であるまたいとこの二人を指さして笑っていた。
「プークスクス! 謹慎食らってやんの!」
そう、ロバートとドロシーの二人は正式に謹慎処分となり、自宅待機を命じられていた。
それはマールも同様だったらしい。
アレックスと一緒にいたときの丁寧さはどこへやら。
彼女の性格の素はクロード側ということがよくわかる言動だった。
しかしその場にいた二人は反省した様子もなかった。
「威嚇ですよ」
「そう。威嚇」
先にドロシーが言うと、ロバートも頷く。
そしてドロシーは話を切り替えた。
「フレデリック様から聞いています。街に出向いたのでしょ?」
「ああ、楽しかったよ。誰も僕のことを領主の嫡男クロード・ウィルゲンシュタインとは気づいていなかった」
足を組み、ばさっと得意げに長い髪を流して見せる。
「その仕草、悪女みたいだな」
──とロバート。
「なんだとぉ? 相変わらず思ってることぜーんぶ口に出すやつだな」
不機嫌そうな返事を無視し、ドロシーは話の続きを聞く。
「いかがでしたか?」
「アレックスと出会ったよ」
その言葉に、ドロシーとロバートは顔を見合わせる。
「一緒に遊んだ。クローディアのままね。そりゃもう楽しかった!」
にぱーっと輝くような笑顔を浮かべると、ロバートは微笑み──
「そいつは良かった」
──とだけ言い残して席を立ち、自室に戻る。女子トークに気を使った形だった。
ドロシーはずいと前かがみになってクローディアに尋ねる。
「それで?」
「それでって?」
「その笑顔、それだけじゃないでしょう?」
「あー……」
頬をポリポリと掻くと、クローディアも照れた。
「あいつ、僕のこと、友達だってさ。いないと寂しいって」
「ホホゥ」
キラリと眼鏡を輝かせると、スックと席を立つドロシー。
「おやすみなさいませ、クローディア様。私、ちょっと急ぎの用を思い出しました」
「? ああ、おやすみ」
そうして居間での団欒がお開きになったあと、クローディアは宿題、公務への準備を行い、風呂に入ってパジャマに着替え、今度こそ変装用マジックアイテムを祭壇に捧げる。
一日の用事をすべて終え、自室のベッドに横たわると、首を窓の方に向け、月を見上げる。
「僕には見せない顔ばかりだった。寂しい、か。可愛い所あるじゃないか」
ハハッとアレックスのことをクローディアは笑った。
そして──
「グフフフフ……!!
アレックス様とクローディア様が街で出会って『お前がいないと寂しい』と告白!?
ちょっとやりすぎたと思ってたけど、こんなことになるなら怪我の功名ってやつよね!
グフッ! グフフッ! ジュルッ!」
──ドロシーはよだれをこらえながら日記をしたためていた。
つづく。




