8話 仮面の奥 3
白いドレスにキャペリンハット。
手首にはイヤミのない細いチェーンブレスレット。耳には大きなリングピアス。
腰まで伸びた栗色の髪。誰もが目を奪われる美女が、建物の狭間に敷かれた石造りの街路に現れた。
行商市場。
人間の街にやってきては商品を売る魔族が集まる区画。
各々がテントを立て、持ち込んだ商品を売ることが許された場所だ。
毎日がバザールのような様相を呈している。
そこの街路は幅が広く、馬車も乗り入れることができないように道路とは段差を設けて区切られていた。
人が行き交う道の両脇には、テントを広げた行商たちの姿がある。
その中を、彼女はハンドバッグを後ろ手に、踵の高いストラップサンダルで闊歩していた。
彼女は自分の顔をサラリと触る。
「好き勝手されてたけど、崩れてないよね?」
メイドに囲まれ顔に化粧を施されたことを思い出す。
彼女──クローディアはクロードの状態でも少し化粧を施していた。貴族のたしなみと言い訳を付けて。本人に興味があったこともある。
しかし囲まれて好き勝手に施してくださいというのはなかなか無い機会で、腕によりをかけたメイドたちは彼女の顔をおもちゃにした。
「首筋までパフでファンデーション置くとか知らないテクニックだったな……。
勉強不足だ……」
青銀色の瞳がキョロキョロと周囲を見渡す。
自分が見られることは慣れている。しかし、その視線の意味をクローディア側から推察することは難しかった。
「……視線が怖いなぁ……バレてないかな……?」
クローディアは自分が領主の息子を名乗っている前提を持ち出して警戒した。
「そこの白いドレスのおねーさん! 見ていかない?」
その言葉を投げかける方向に目を向けると、ホルターネックドレスをかけたマネキンをいくつか展示している露店があった。
店員は快活そうなハーピィのお姉さん。
足は鳥と同じように爪を持ち、長い手には緑の鳥の羽根がびっしり生えている。
彼女自身もネックドレスを身にまとっていた。
クローディアはその声掛けに、自分のこと? と自分の顔を指さした。
激しく頷くハーピィのお姉さん。
「おねーさん美人だから絶対似合うよー! 人間でも着れるよー! 私たちの羽で編んだ特別製! 夏は涼しく冬は温か! 撥水抜群!」
言われて値段に目を向けるクローディア。目玉が飛び出るお値段だった。
「あ、あー……、お金持ってないんで……、今度の機会で……」
苦笑いしながら、クローディアはその場を離れる。
とはいえ、自分は女性に見られていることは確認できたと、内心ホッとした。
「ひっそり淑女の訓練受けといてよかったー……」
万一に備えて、彼女はドロシーに教えを請うていたのだ。
父も祖父も知っているが、とやかく言われることはなかった。
ふらふらと市場を見て回ると、飛ぶように売れているのはゴブリンの行商人のハーブソルトだった。
きれいに封された小瓶を並べ、人だかりの中心で、小さくて緑の店主のゴブリンが、丸めた紙で机をたたき、売り文句を繰り返してた。
「さぁさぁ! よってらっしゃいみてらっしゃい!
森の奥地の秘密の岩場から採れる、旨味たっぷりの岩塩を使ったハーブソルトだ!
こいつを肉に振って焼きゃあ、どんな屑肉も高級店の味!
おっと、変なもの入れてないぜ?」
最後の自虐の一言にドッと笑う。かつての揶揄もここでは無礼講とばかりに笑いに変えられていた。
同じテントの中で、角の生えたオーガの店員が取った獲物を使って作ったケバブを三人家族に振る舞っている。
「はい、ゴブリンのハーブソルトを味付けに使ったケバブサンドだ。
熱いうちに食ってくれ。
1つ500リルだから、1.5ルクスな」
支払いを終えると三人はかぶりつく。溢れる笑顔にクローディアも口の中によだれが分泌されるのを感じていた。
「おぉ……、あれ美味しそう……」
そうポツリと口を開くと、頭上でバサリと羽音がした。
影が市場を覆う。
「えっ……?」
見上げると、そこには巨大な翼と長い尻尾を持った、四肢型爬虫類。
周囲の人間もざわりと声を上げた。
「ワイバーンだッ……!」
しかし、周囲の人間の反応はこういうものだった。
「おっと、神殿騎士のお出ましだ!」
「行ってみようぜ!」
「揉め事だ!」
周囲のやんちゃそうな男たちは、頭上を飛び去ったワイバーンを追いかける。
よく見れば、ワイバーンには甲冑が着せてあり、その鞍の上には軽装備の騎士が、ロングソードを腰に下げてまたがっていた。
その軽装の騎士はワイバーンの背から小さな警告用の笛を口にする。
ピイッ! と鋭くそれを吹くと、警告を発した。
「ご迷惑おかけします! これより降下します! 緊急着陸にご協力をお願いします! ご迷惑をおかけします!」
場所を空ける人々。そこに降り立つワイバーン。4つの足で着陸する。
神殿騎士団。軍隊ではない。この世界の治安維持組織だ。彼らは勇者と賢者の血族だけがその職に就くことが出来る警察機構であった。ワイバーンはそんな彼らの警邏に使われる標準装備、いわゆるパトカーだった。
軽装の騎士はポンポンと翼を畳んだワイバーンの背を叩くと、ワイバーンはゴロゴロと喉を鳴らし、満足げ。
「よし、いい子だ。待機してろよ」
するとシャーっと小さく声を上げるワイバーン。神殿騎士は鞍を降り、胸ぐらをつかみ合って今にも殴り合いに発展しそうな二人に小走りで向かっていった。
「すみません! 通報を聞きました。状況を話していただきたいのですが……」
「こいつが僕の木細工を笑ったんだ!」
抗議の声を上げたのは透き通るような肌で、美しい顔つきの耳の長い男性だった。
一方、文字通り青黒い肌の反対側の男も負けずに抗議した。
「元はといえばコイツがおれんとこの銀細工にケチつけてきたからだ!
営業妨害だよ!」
人だかりの中から、ひょこりと顔をのぞかせ、状況を理解したクローディアは目をパチパチさせた。
(……ウッドエルフとダークエルフの喧嘩だ。めずらし……。
でもそうかー、彼らはプライド高いし、生きてるところ違うし、故郷の装飾品を目の前で馬鹿にされたら喧嘩にもなるか……)
なぜ神殿騎士団がやってきたかの原因を確認すると、クローディアはその場から離れ、いい匂いのする露店へと足を向けた。
そこにはタキシード姿で豆を挽くトカゲの顔をしたリザードマンが居て、立て看板にはアルヴェシカ産焙煎豆使用と書かれていた。
「いらっしゃいませ。何にしますか?」
「良い豆使ってますね」
「お、お嬢さん。お目が高いですね」
「甘い香りが特徴的ですよね。粉っぽさも少ない」
するとリザードマンは嬉しそうに笑った。
「よくご存知で。どうです? 少し安くしますよ?」
ニッコリと笑い、クローディアは注文した。
「珈琲一杯くださいな」
◆◆◆
はぁ、とため息をついて、箒を杖代わりにトボトボと、アレックスは帰路についていた。
彼の胸の中にあったのは後悔の念だった。
早退報告もなく、破かれたノートをカバンに突っ込んで、学校を飛び出したあとだった。
(……飛び出すことなかったよな)
しかし、もう一つの考えも浮かぶ。
(……かと言ってあの空気の中にいられるだろうか? それも耐えられない)
板挟みの感情と、それを解決する能力のない自分に悔しさと情けなさを見る。と、もう一度ため息。
「……ガキがよ……」
自嘲に満ちた言葉がポツリと口から吐いて出る。日はまだ高く、昼食すらもまだで、今から帰れば家族も心配する。
途方に暮れて、空を見上げれば、街の上を飛んでいくワイバーンを見かけた。
その方向には大通りがあり、アレックスは後ろにクロードを乗せて飛んだことを思い出す。
1.5ルクスの珈琲を飲み、そこで下手な推理を立て、病室に向かって、それから──
今日何度目かのため息が口から出る。
「……お茶でも飲みながら暇潰すか……」
言うと、彼は鞄からバングルを取り出し、左手首にはめこみ、持っていた箒に紐を通した。
◆◆◆
──魔族。
彼らは、人間を形成した獣人種の系統とは別に存在する種族だった。
この世界の人間は、古くから交流してきた多くの獣人種が交わり、その形質が世代を重ねて平均化された結果として生まれた存在である。
一方でゴブリンやオーガ、ケンタウロス、ラミア、セイレーン、ハーピィ、リザードマン、エルフ、フェアリー、アラクネなどの魔族は、その系統には属さない。
彼らは別系統の生物でありながら、社会を形成する知的存在として人型に近い形態へ収斂進化した種族だった。
“魔”とは本来、当時の人々が自然の理から外れていると考えたものを指す古い言葉だった。
魔法陣や魔術という名称に、その慣例の痕跡が今も残っている。
魔族という名称は、人間側の理解が進んでいなかった時代に、彼らを魔法生物と考えていたことで生まれた誤解であり、彼らもその物々しい名称に魅力を見出し受け入れたことで定着した文化的名称である。
これにより、魔族は逆説的に、獣人及び人間を含まない種族の総称になった。
言語を用いた社会を形成する種族は知的存在として認められる。つまり対話による高度な意思疎通と交渉が可能であることが人としての社会的地位を決めていた。
この理屈は、社会的に“人”と認められるすべての種族に適用された。
そのため、人間種族であることは特別の証明とはならなかった。
ケンタウロスは馬ではなく、馬を育てることを躊躇しない。
人魚は魚ではないため、魚を食べ、調理して売る。
ラミアだからとヘビを飼わない理由はない。
ハーピィだからと焼き鳥によだれを垂らさないこともない。
そのため言葉を解すドラゴンと、ワイバーンは一見似ているが、ドラゴンは主張の権利を持ち、主体性を持つことから知的存在として尊重され、ワイバーンは四肢動物の翼竜扱いであり、騎乗獣に近い扱いをされていた。
つまりリザードマンとドラゴンは広義における人権を持っている。
勇者と賢者と平民の区分けもまた、人間限定のものであり、この街は人間の街であるために神殿騎士団なんてものも残っている。
他の種族からは笑われる、カルチャーギャップの一つでもあった。
この世界の住人にとって、それらは神秘でも奇跡でもなく、自然の一部として理解され、この世界では当たり前のこととして受け入れられていた。
「──まさに、だなー」
露店通りの一角に設けられた、テーブルを多く並べた飲食スペース。
そこでクローディアは珈琲がなみなみ注がれたカップを片手に行き交う人達を眺めていた。
知識ではそれらのことを知っていたが、体感としては数えるほどしかこの場に彼女は来たことがない。
人間社会の公務に明け暮れる自分にはなかなか訪れる暇も機会もなかったわけだ。
ここまで濃度の高い異種族間交流地帯は人間社会にはなかなか無かった。
住み込みの魔族もいるにはいるが、それでも少ない。5千人から一万人に一人のリザードマンがいるかどうかという配分だ。
ぼうっと町並みを見ていると、パカラッパカラッと蹄の音が聞こえてくる。
「ごめんねー! どいてどいてー!」
「急げ急げ! 橋が工事中なんて聞いてないぞ……! 大遅刻だ!」
「調べとけよなー! おかげで大きく迂回したじゃないか!」
その方角にクローディアが目を向けると、三人の駆けてくるケンタウロスが見えた。
「あ、ケンタウロス。背が高いなー……」
彼らは麻の服を上半身に被り、前垂れを持つ3人組で、自らの馬の背に荷物を持ち、空いてるスペースにたどり着くと、荷物をおろしてテントの部品と品物を広げ、慌てて設営を開始する。
馬が乗り入れられない区画でも、彼らは“社会的に人”なので普通に乗り入れることができ、それについて誰も疑問を持たなかった。
「今から始めるんだ。ていうか、荷台ついてるようなもんだと思ったらすごく便利そうだなー六肢の体……」
クローディアは周囲に目を向ける。父の言葉を思い出す。
「……学校の外、か……」
たたき売り、客引き、値切り、パフォーマンス、会話、雑踏……エトセトラ。平日が休みの人間の憩いの場。
そこにはたしかに息遣いがあった。前世の世界と違い、今世の世界は色々勝手が違うけど、それでも尚、誰かのために存在してる世界ではないと思える、穏やかな混沌があった。
不意に、もったいないなと思う。
「せっかく舞い込んだ休日だし、座ってないで歩いてみよう」
言って、クローディアはコーヒーの入ったカップを掴むと席を立った。




