8話 仮面の奥 2
クロードが一日休んだだけで、学校はとんでもないことになっていた。
「シッ!」
鋭く息を吐いたマールの後ろ回し蹴りが、男子の腹部を捉え、そのまま吹っ飛ばす。
机の間の通路を転がる男子。獣人の尻尾がバランスを取るようにふわりと回った。
その背後から、恐怖の顔で殴りかかってきた体格の良い別の男子の懐に、くるりと入り込むと、はたとマールは気がついた。
「あ、そうか、試合じゃないから、顔殴っていいんだっけ」
肩を入れて、ショートアッパー。顎を捉える。
もちろん良くない。顎を押さえて倒れる男子。
「いたた……、顎硬いなー……、慣れてないとこ殴るものじゃないかー」
笑ったまま、マールは死屍累々の中で右手首を振った。
彼女の周りにはすでに4人がうずくまっていた。
皆どこかしらを押さえて悶えている。
「も、もういいから! やめろマール!」
「いいわけ無いじゃん? それ、許せないよ」
言って、アレックスが持っていた破けたノートを指さす。
それはビリビリに破かれており、ページの順序もわからなかった。
クロードが休んだという話はクラスメイトのタガを外した。
監視役が消えた。見栄を張る相手もいない。好感度を気にして行儀をよくする必要もない。
移動教室後の休憩時間の一瞬、彼らはアレックスが書き溜めたノートを破り捨て、窓から破片を投げ捨てたのだ。
──しかも笑いながら。
それをあとからクラスに帰ってきた4名が見た。
すると、何が起きたのか。
「黙ってた人も同類。笑ってた人も同類。止めたの誰だっけ? ロバートだけだよ」
その結果、マールがキレたのだ。
張り付いた笑顔のまま、マールはつかつかと近くの女子にも歩み寄った。
「君も笑ってた」
──ッパァン!
フルスイングの平手打ち。錐揉みすると女子はくずおれ、頬を押さえて泣き始める。
マールになんの躊躇もなかった。相手は貴族だろうが男だろうが女だろうがなんだろうが関係なかった。
「あと……、だれだっけ? まぁいいか。黙ってたんだし」
席に座って傍観していた男子の鼻先に裏拳が突き刺さり、その男子もドタっと倒れた。
「人を舐めてるよね。舐めてるよ」
笑いながら突き進むマール。
「む、無茶苦茶だ……!」
後ずさりするクラスメイトの足を、一人の巨漢が体で止めた。
「じゃあどうして止めなかった?」
ロバートの言葉は、静かだった。
この惨状はマール一人のものでもなかった。
ロバートもまた、マールに加勢していたのだ。
「ロバート……、おい、やめろよ……、お前まともな人間じゃないのかよ……!?」
「勝手に決めるなよ」
右のボディブローが突き刺さり、差し出されるように前に出た顔に、返す左のストレート。
殴り飛ばされた彼は机にぶつかると、机ごと倒れたが、誰もそれを気にしなかった。
次は自分だからだった。
ロバートの普段閉じられていた口から、長い犬歯が覗いた。
耳も尻尾もないが、彼も獣人の血が濃かったのだ。
「俺、さっき言ったよな? やめろって言ったよな? なんでやめなかった?」
そう、見つけた瞬間ロバートは通る声で制止の言葉を入れていた。
それを笑いながら無視したのは彼らだった。
犬はワンと鳴いた。しかし、相手は聞かなかった。
なら、スイッチが切り替わるには十分だったのだ。
右頬を押さえた生徒の襟首をつかみ上げ、無理やり立たせるとゴリっと眉間を押し付けるロバート。
怒鳴りはしない。諦めたような静かさが余計に不気味に映った。
もはや彼の中では、状況処理の段階で、怒りよりも筋の通し方を問題にしていた。
「俺のこと忠犬とでも思ってたろ?
なんでクロードのそばにいるのか、考えたことあるか?
お前らみたいなのから守るためだよ。飼い主いないからって噛みつかねぇ番犬がいるかよ」
そのまま突き飛ばすと、男子生徒はふらついて窓辺に座り込んだ。
その場にドロシーはいなかった。彼女はそれこそ教師を呼びに行く役目を受け持っていたが──
「帰ってくるまでに片付けといて」
──暴力装置の二人の行動を肯定し、しずしずと廊下をゆっくり歩いた。
◆◆◆
顔の腫れ上がった生徒たちを一望し、複雑な表情を浮かべたミザリーは、目の前のロバートとマールを前にして「やりすぎだ」と口にした。
一方、ロバートもマールもすました顔で、いくら二人に背後から恨みの目が注がれようとも──
「当然のことをしたまでです」
「そうだよー」
──とロバート、マール共々反省の意思はなかった。
だからこそ、ミザリーは片手で顔に手をついた。
「……アレックスの大事なノートを破り捨てたのがきっかけだ。
それを笑ったものは同罪だ。
だが見てただけの者にも殴りかかるのは過剰制裁ってものだろうが……」
「だって舐めてるでしょ?」
笑顔で振り返り、クラスを一望するマール。
「次がないようにしなきゃ。教育だよ。巻き込まなきゃ」
「それは──」
「お言葉ですが先生」
ミザリーの隣に立つドロシーは口を開いた。
「拳に訴えることのある先生に言えるものではないかと」
ミザリーはドロシーの顔を見ると、眉間にシワを寄せた。
「……ドロシー、お前まで……」
「先生は否定してはいけませんよ」
「……だから私を連れてきたってのか……」
「それもあります。
公正な裁きなんてさせません。別にそういうのいらないので。
となると、ミザリー先生がちょうどよかった」
「お前ら……」
ミザリーはドロシーとロバートとマールを見る。この三人は全部判ったうえでクラス内に戦争を引き起こしたのだ。
「いいですよ、俺は別に。叱られる前提で動いてますし。そこ怖がってちゃ、いざって時に役に立たない。
俺はマールのスタンスに賛成ですね。俺たちがいないときに起きたことだから、抑止は必要だ。
秩序は必要でしょう? 俺は筋を通したまでですよ」
ロバートすらも、従う気がまず無かった。
関係者のうち三名は反省の色がなかった。
「無茶苦茶だ!」
「金魚の糞が偉そうに!」
「俺は関係ないのに殴られた!」
「私知らなかった!」
そんな声がクラスから上がる。
しかし三人は涼しい顔だった。ドロシーはポケットからメモを取り出すと──
「マイク、ジョニー、サム、エリー……、反省なし」
文句を言った人間の名前を書き始める。
「おい! よせ! やめろ! それは脅迫だ! お前ら何様だ!?」
ミザリーが言ってもドロシーは止まらず、ピッと一枚メモをちぎると、それをロバートに渡す。マールはそれを覗き込むと笑った。
「後で」
「ああ、後でだな」
腸の煮えくり返った若い彼らにとっては、規範も正当性も関係なかったのだ。
「正当性があるとでも……」
なんとかミザリーがひねり出した言葉も三人には──
「だから求めてないですってば」
「ないね」
「お咎めなしは筋が違うでしょう」
──馬耳東風。
(クロード一人いないだけでこうなるのか……!?)
ミザリーは自分の立っていた位置の危うさを自覚すると、苦しそうに言葉を紡いだ。
「……もうこれは、教師で会議を開くしかない」
「もちろん。良くない事件です。モラルが問われますね。
お互い協力して再発防止に努めましょう」
苦々しい顔のミザリーに望むところだとでも言うように、ドロシーは微笑んで答え、マールもロバートも頷く。
その時、バンと机をたたき、苛立ちの表情を浮かべ、立ち上がるアレックスは叫んだ。
「誰のための抑止だ!?
俺の話は聞かれたか!?
当事者の俺が居ないんじゃないのか!?」
ざわりと、クラスがアレックスに目を向けた。
「マール! ロバート! 俺言ったよな!? 止めろって! もういいって!
おまえら聞いたか!?」
ノートを破かれた本人が、クラスと三人の喧嘩の中心に割って入った形だった。
「覚えてるよ。ノートの内容なんて……。何度も読み返したメモ書きみたいなもんだ……。
悲しかったさ、悔しかった。
けどな!? こんなにぐちゃぐちゃになってもまだ誰も俺にどうしてほしいかの一言もないのはなんでなんだ!?」
その感情の爆発を笑う者はいなかった。
それは恐怖支配か、居心地の悪さからのものかはわからなかった。
アレックスは拳を握りしめて、その場にいる三人に向けて言葉を続けた。
「嫌なんだよ、こんなくだらないことで、時間取られるの……。
いいよ、ノートくらい……。
お前らも余計なお世話だ。先生困ってるじゃないか……。
どの面下げて次の機会を迎える気だ」
そしてその視線のまま周囲を見渡す。
「わかってるよ。クラスの連中とかかわらなかったもんな。
お前ら俺にムカついてたもんな!? 1位が気に入らないんだろ!?
いいよ! 飲み込むよ! 俺が悪いんだろ!?
喧嘩も、喧嘩の原因になるのも、ウジウジ続けるのも……。
たくさんだッッ!!
もうたくさんなんだよッッ!!」
彼はそのままカバンを掴み、教室を飛び出した。
廊下を走る際、アレックスはクロードを想う。
(あいつは、違ったよ……。迷惑だったけど、笑える形にしてくれた。こんなに居心地の悪い日常、求めてない)
アレックスは悔しく思いながら、歯噛みした。
(笑えないよ。笑えないんだよ! 嫌いだ、大嫌いだ、学校なんて……! 助けてくれよ、かまってくれよクロード!)




