8話 仮面の奥 1
「──あああああああああッッ!! やっちゃったあああああああッッッ!!」
朝一番にそんな絶叫がウィルゲンシュタイン邸に響き渡った。
それはクローディアの部屋の中から発せられたもので、机の上に置きっぱなしだったアクセサリーを手に乗せたクローディア本人のものだった。
「何事ですか!?」
周囲のメイドが集まってくると、クローディアの部屋のドアを叩く。
「あーごめんごめん! こっちのこと! 平気平気!」
慌ててクローディアはドアを開けると、状況を説明した。
いつもは光にかざすとピンクと緑の間で色を変える、アレキサンドライトのような輝きを持つ彼女のピアスとペンダントが、今は黒水晶のように光を吸い込んでいた。
「今日、男装できなくなっちゃった……」
事情を知っているメイドたちはその場で顔を見合わせた。
◆◆◆
朝食時、祖父のバートンを前にして、珍しくパジャマ姿のままのクローディアが口を開く。
「すみません、お祖父様……」
「そんなことを言ってもしょうがなかろう……」
机の上に2つのマジックアイテムを並べ、状況を説明する。
この世界のマジックアイテムは、そのほとんどが構造すら解明されていないオーパーツだった。
通常の魔法がマナを利用するのに対し、マジックアイテムは月から放たれるエーテルで動く。
ゆえに、定期的に祭壇に置いて月光を浴びせなければならない。
そしてクローディアは、それを忘れた。つまり、充填し忘れたのだ。
「いつかこんな日は来ると思ってた」
「ごめんなさい……」
珍しくしょんぼりするクローディア。
「今日は休め。体調を崩して熱を出したと言っておけ」
「はい……」
「やっちゃったなクローディア!」
笑うのは父フレデリックで、彼だけ能天気だった。
その日の朝食は味がしなかった。
◆◆◆
「サーキット始動」
そうつぶやくと、クローディアが両手で抱える白い鳩の背につけた小さな鉄甲が赤く輝いた。
先程まで好き勝手にポッポポッポと鳴いていた鳩が、ぴたりと静かになった。
クローディアが手紙を差し出すと、鳩はおとなしくそれを咥える。
そうして急に大人しくなった鳩を持って朝日の眩しい窓辺に立つと──
「アインツベルン学校に届けてくれ」
──パタパタパタと羽ばたく白い鳩を飛ばすクローディア。
青空に飛び上がるそれを見上げると、ノックの音を聞く彼女。
「どうぞ」
そこには制服姿のドロシーと、ロバートがいた。
「それでは行ってまいります」
ドロシーが告げると、パジャマ姿のクローディアはくるりとそちらを向いた。
細い指先をピッと向ける。
「アレックスの様子を見てやってほしい。僕が居ないとき、彼はどうなってるか知りたい」
「承りました。手助けは?」
ドロシーの問い返しにクローディアは頷くと──
「ドロシーは先生をすぐに手配。それとロバート、もし、荒事が起きたときは頼めるか?」
──二人にお願いした。
「もちろん」
快く承諾し、二人は学校へと向かう。
その後ろ姿を見送ったあと、ベッドの縁に座り込み、ため息交じりに頬杖をつくと、もう一度ドアがノックされた。
「誰?」と聞けば「私だ」と父フレデリックの声が届く。
「入っていいかな?」
「どうぞー」
許可すると父はドアを開けて、どっかと近くの勉強机の椅子をクローディアの方に向けて腰掛けた。
「凹んでるようじゃないか」
すると、それを拒絶もせず、クローディアはつまらなそうに腹を抱くように腕を組んだ。
ツンとした生意気そうな大きな胸がその間で潰れた。
「……せっかく学校あるっていうのにさ……」
いじけたように一言。
「好きだな学校。誰に似た? 俺は大嫌いで抜け駆けしてた」
一人称が俺に変わった。プライベートに切り替えたのだ。
「父上らしいや」
鋭い目を細め、ははっと笑うクローディア。その姿に、母の面影を見るフレデリック。
「母さんに似て美人になったな」
「あいにく髪質は父方似の栗毛でーす。母上みたいに透き通った金髪になりたかったな」
軽口を叩くクローディア。
「学校はどうだ?」
「嫌いじゃあないですよ。僕の夢の場所だ。だからとっても、今、悔しい」
肩をすくめる。そんな娘の夢という言葉に、フレデリックは反応した。
「……前世の話か?」
「そうです」
あっさりと認めるクローディア。彼女は家族にはすでに打ち明けていたのだ。
「“私”の最初の記憶は小学校……、この世界の初等部と同じ6歳からのもの。
私は2年しか学校に行ってないから、みんなが羨ましかった」
クローディアの一人称が変わった。
「マンション暮らしの両親を後ろで見てた。
スーツ姿で台所に立つ母と、夜遅く帰ってくる父。二人とも、いつか一軒家と言っていた。
8歳……、三年生のときに私は発症して、その一軒家のために貯めてたお金は全部“私”が入院で使い込んで……。
申し訳が立たないじゃないですか。せっかく学べる機会をもらってるのに。
ありがたいし、頑張りたいし、青春してるって自分でも感じてるんです」
彼女が勤勉な理由はそこに濃縮されていた。
「……もらっている、か……」
寂しそうにつぶやくフレデリック。すると彼は娘の部屋を訪ねた理由を口にした。
「実はな、家族会議がしたかったんだ。お前は学校、俺は公務。なかなか落ち着いて話ができないだろ?」
「家族会議ですか?」
「そう、家族会議。お前、借金作ったらしいじゃないか」
チッと舌を打つと視線をずらすクローディア。
「……ドロシーめ……」
「いや、ロバートが口を滑らせた」
「……あいつ口縫い付けてやろうか……」
「……冗談だろ? お前は本気でやりそうで怖いんだが」
ハハハと、八重歯を見せて笑うクローディア。
「人が痛がることはやるつもり無いです」
「変なところにブレーキがあるな。で、いくらだ?」
「……値段を聞いてどうするつもりで?」
「小遣い生活で出せるものじゃないだろ。俺が立て替えるよ」
「結構です」
首を横に振るクローディア。直立し、かかとを揃え、父に向き直る。
「僕の、判断です」
「……意地っ張りめ……。その姿勢やめろ。パジャマじゃカッコつかんから。
せめて、誰に渡したか教えてほしい。もし断りに来たとき、どちら様かということは避けたい」
言われて、クローディアは窓辺に腰掛ける。
「ブラウン家のアレックスですよ。学年一位の」
「ああ、あの……、お前がかまってる……、しかし、どうして買ったんだ?」
「あいつ目が悪いんで、負担を下げてやろうかなって」
「どうしてそんなことを思った?」
するとクローディアはアレックスの抱えてる問題を口にした。
「──というわけです。投資ですよ。出世払いでいいと言っておきました」
それだけかね? と、フレデリックはチラリと思う。
「親を頼ろうとはなぜ思わなかった?」
「カッコ悪いでしょ?」
肩をすくめるクローディア。しかし眉間にシワを寄せたのはフレデリックだった。
「……ずいぶん、寂しい事を言ってくれる。
良い機会だ。聞かせてほしいんだが──」
前かがみに、膝に両肘を乗せるフレデリック。
「──お前遠慮してないか?」
「え?」
「転生者になりきって考えたとき、思うんだ。
……お前にしてみればこの家は、義理の家族なんじゃないだろうか?」
「そんなことは……」
「もし俺が死んで、記憶を持ったままどこかで生まれ直したとして……、どうだろうな。俺はきっと、オデットを忘れられない」
「僕は僕ですよ……」
「今、『私』って言ってたの、気づいてるか?」
目を開くクローディア。
「だからさ、お前は前世から今世に養子に来たような気持ちなんじゃないか?
そして、もう戻れない。
前の家が恋しくなることだって、あるんじゃないか? 俺は、多分思い出す。
それを想像して、俺はお前に何ができるかいつも考える」
次の父の言葉は力強かった。
「お前が前世の記憶を持ってるとしてだ、でも、メタメタに周囲から反対されて、やっと結ばれた俺とオデットの愛の結晶でもあるんだよ、お前は。
その事も忘れてほしくないんだ。
お前は俺たちの娘だ。だから、俺たちに遠慮してるなら、やめてくれ」
「父上……」
「前世は女の子だったんだろ? 今世も女の子だ。
それを歪めてるのは俺達の家の社会的な問題だ。
それは忘れないでくれ。俺達は、お前が向かいたい人生を尊重したいんだ。
申し訳ないと思いながら男装を続けてるなら、それは俺らの願いじゃない」
「……それは、急に言われてもわかりません」
「そうだろうな。十五年もやってきたんだ。すぐに答えを出せとは言わんよ」
「父上……」
「だから、できるところからでいい。親子くらいタメ口でいいんだぞ?」
「……父上は──」
「父さんは無理か? パパでもいいぞ?」
「……お、お父さん、は……」
「おっと、そっちか」
ははっと笑うフレデリック。
ゴクリと固唾をのむクローディアは思い切ってはっきり口にする。
「お父さん、でいい、かな?」
すると優しそうな顔を浮かべるフレデリック。
「……言ってみるもんだな。15年目にしてちょっと前進だ」
「避けてたことありました?」
苦笑いするクローディア。
「壁はあったと思うよ。そこは、ある? でいい」
「あ、そうか……。
お父さんは、クロードを続けることに、反対?」
「賛成も反対もない。ドロシーから聞いてるぞ。お前自身は女だと思ってるんだろ? だったら、それでいいじゃないか。
俺も父親だ。オデットも母だ。それは忘れないでほしいな。
それでな──」
自分の財布から数枚の札通貨を机の上に置くフレデリック。
「父上!?」
「お父さん、だろ? これはお前の今日の昼飯代だ。お小遣いでもなんでもない。
前の父がどんなやつだったかは知らないがな? 俺はヤンチャ坊主なのさ。
お前は俺の娘らしく、学校の外も知るべきだ。世界は学校だけじゃない。
オフまで男らしくする必要ないんだ。
今日くらい母さんの服着て街に行ってみろ。女の格好もしたいんだろ?
せっかく学校サボったんだ。メイド呼んでくる。化粧もしてもらえ」
よいしょと椅子を立つと、ウィンク一つ、部屋から出ていくフレデリック。
そんな様子を見て、クローディアは思いを馳せた。
(確かに、お父さんほど前のお父さんはイケオジじゃなかったかもね。でも、どっちも好きだよ)




