7話 表面化 4
その日の夜、アレックスの家。
木造りの家では、家族全員が食卓を囲んでいた。
その最中、弟のロディが木のスプーンをくわえたまま、眼鏡を外したアレックスを見上げて尋ねた。
「おにいちゃん、なんか最近つまんなさそう」
「えっ?」
「あ、わかる。なんか元気ないよね」
隣に座る妹のノーティもその言葉に同意する。
アレックスは意外に思った。まさか年の離れた弟と妹に、そんなことを言われるなんて。
「そんなに、俺、変に見えるか?」
「「うん」」
二人に同時にうなずかれて、両親も口を挟んだ。
「そうだな、最近元気がない。朝の羊出しもどこか上の空だ」
──とは父の言葉で──
「何かあった? またマールちゃんが暴れた?」
──と母も心配そうに息子に尋ねる。
マールの管理主はアレックス。その認知はこの家族の間でも共有されていた。
彼女がいかに小さな頃から狂犬で、アレックスがその責任を感じていたかを示すものだった。
「あー……、うん、まぁ、確かに暴れた」
そう、暴れるには暴れた。上級生二名、同級生一名を精神的に再起不能にした。
だが、落ち込む理由はそれだけではなかった。
そっちの話を聞かれると困る気がして、彼は夕飯をかきこむと席を立つ。
「ごちそうさま」
そうして二階の自室に向かい、部屋に入ると、指に火を灯して天井の燭台へと飛ばし、火をつけた。
彼は肩を落としながら机に腰掛け、ズボンから眼鏡ケースを取り出すと、さらにそこからアンダーリムの眼鏡を取り出した。
「……もらったとは言えないよなぁ……」
家族への隠し事は彼には今いくつかあった。
この眼鏡を領主の息子から受け取ったなんて言ったところで、両親は困るだろう。
揺らめく灯火が壁を照らす中、すぐ側の窓を開けて、眼鏡を掛けて、頬杖をつくアレックス。
いつもはぼやけていた風景にピントが合って、今なら滲んでいた柵の柱も数えられた。
空には半月。かかった輪も半分だけ見えている。
アレックスの胸中は複雑だった。
眼鏡を受け取った日から、パタリとクロードのいたずらは止まった。
その結果、アレックスへの排斥意識は更に高まってしまったことを実感もしていた。
そして、アレックスはある意味それを予見していて、だからこそ、学校生活に希望を持っていなかったのだ。
外周部住まいの田舎者、学校の統一化でやってきた土と緑臭い外の人間。
それが清潔に思えた構内では汚れのシミのような扱いをされている。
それについてはもう諦めていた。最初からそうだったからだ。
彼がいま気がかりなのはそこではなかった。
彼はクロードがいたずらするのをずっと見ていた。ただし──
「……なんで、俺じゃなくなったんだよ……」
──その対象が自分でなくなって、寂しさを覚えていたのだ。
ため息に、輪を持つ月は答えなかった。
◆◆◆
同じ日の夜。ウィルゲンシュタイン邸。
風呂上がり。髪を解き、パジャマに着替えたクローディアは、ベッドに大の字になって不満たらたらで、普段より高い、彼女本来の声で愚痴を口にした。
「右見ても左見てもクソガキまみれ!
どいつもこいつもしょーもなーい!!」
今の彼女はピアスもペンダントもつけていない。それでもその性格は変化しなかった。
そもそもクロードであることは彼女の性格を隠したものではないからだ。
「いやもうまったく……」
ベッドの脇に座るパジャマ姿のドロシーはしみじみ頷いた。
こうして就寝前のドロシーとの雑談は、クローディアが女の子に戻れる時間でもあった。
「クローディア様のいたずらがぜんぜん優しく見えるのは、人間の闇に思えますね……」
「……僕はあそこまで尊厳を傷つけてないよ」
「尊厳とか気にしてたんですね」
「一番気にするところだろ」
起き上がると、ベッドの上であぐらをかくクローディア。
ほどいた長い栗毛の毛先をつまんで、指でくるくると捻る。
「僕は傷ついてほしいんじゃない。今日楽しかったなって思ってほしいだけだ」
彼女のその言葉にすぅ~っとドロシーは息を吸う。
「受け取る側の意見は聞かないくせに?」
「聞くさ。聞いたから、やめた」
視線をそらすクローディア。
「あいつさ、双子の弟と妹がいるとか言ってさ、家のために今の時間を犠牲にして、未来に賭けてるんだ。
僕は、今が大事だ。でもそれを押し付けてたのも知ったよ。
なんかさ、自己犠牲ってやつ? 僕にはない価値観で、……応援したくなった」
「……そうですか」
しかし、ドロシーは彼女の言う、自分には自己犠牲がないという彼女の言葉は、ありえないと思っていた。
(家のことを思ってその嘘を身にまとってる人が自己犠牲の自覚なし……なんて皮肉かしら)
「そしたらあいつの周りに違うやつがちょっかいかけ始めた! 何なんだよもー!!」
発作みたいに声を上げると、クローディアはベッドカーテンのつながった天蓋を見上げて頭を掻きむしった。
「しかも僕のことを思ってとか言い出したんだぞ!?
馬鹿言うな! 公務の愛想笑いの中で生きてきた人生だぞ!?
褒められ飽きてんだよこっちは! 今更一位なんかいるもんか!
二位だって家の格を軽く見られないためにキープしてるだけだ! そこの地位なんかもういらない!
あーもう! 義務ばっか増えていく! こっちの顔色ばっか見やがって!
よってたかって一人をいじめて、こっちにはきれいな言葉向けてきて、アレックスの真面目さと必死さを笑うのは何だ!? 気分悪い! 何が面白いんだよあのクソガキ共が!」
「……今まで散々ムカつくって言ってたクローディア様がそれを言うのは味がありますね」
「だから! 僕は! そんな意図でやってない!」
ばふと、ベッドを叩くクローディア。
「……言ったよね。僕は、学校に行けることが嬉しかったんだ。やっと、学校生活だって」
「転生者なんですよね?」
「信じなくてもいい。僕しか持ってない記憶だし。夢かもしれない。でもね、夢でも、僕は学生生活に憧れがあったんだ。青春に憧れがあったんだよ」
「……」
「だってのに、あいつ……何も言わずにクラスから孤立して……」
「だから救おうとしたんですか?」
「救おうとした? ううん……、違うよ」
苦笑いしながら、首を横に振るクローディア。
「僕のあこがれの場所で、ひとりつまらなさそうにしていた。
一位でも人を睨みつける。貴族というだけで壁を作る。友人はマール一人。
そんな状況を見て、わかんなかった。『何が楽しいんだ!?』って、それがもう本当にもうムカついてムカついて……。『お前が今居るここは、僕が願ってやまない夢の場所なんだぞ!』とか思っちゃったわけだよ」
「侮辱されたと思ったんですね?」
「そうさ。だから巻き込んでやろうと思った」
「で、強引に引き込もうとして、拒絶された」
そうドロシーが言うと、クローディアはやけに優しい表情で笑って、言った。
「……あいつ、僕の顔色を全然伺わなかったんだよ」
思い出すように、窓の外の夜空を見上げるクローディア。
「襟首掴んで揺すったり、スパーンって頭叩かれた事もあった。
楽しかったよ。【ああ、こいつ、目線が一緒だ】。
あいつは生きてる人間だ。周りのハイハイいうだけの置物じゃない」
「傷つきます」
「そういうツッコミするドロシーは別枠だろ。もっとひどいぞ周りの女子。気をつけますーとか言って次の日もやる。脳みそスライムだ」
「辛辣すぎて笑えてきますね」
大きくため息をついて、前髪をクシャリと掴むと、苛立ち混じりにクローディアは口を開いた。
「……僕はクラスの代表に祭り上げられている。勝手に担いでいいなんて、誰が許した……」
「それは、皆さんお困りになる言葉ですね。褒めることも難しくなる」
「少しは頭を使えばいいんだ。僕を思ってるなんて言うならね……」
「では、今の願いは?」
「アレックスの邪魔をしてほしくないな。あいつ、家庭教師もなしで頑張ってるんだから……」
「お優しいことで」
「そんなんじゃないよ。アイツの眼鏡は僕の投資の証拠だ。
75ルクスを30回払い。毎月2.5ルクスで、返済期間は二年半。僕持ちの信用払い。
僕だって学生時代の残りをあいつにやったんだ」
その言葉を聞いて、ドロシーは丸眼鏡を光らせると──
じゅるり。
──思わず出たよだれを呑んだ。
「……今なにか言った?」
「いえ、すみませんちょっとよだれが」
顔をクローディアからそらすドロシーには期待があった。口に出せば否定されるだろう。だからこそ、彼女は胸の中に言葉を飲み込むと、時計を見た。
ベッドを降りて、棚の上に置いた自分の宿題を手に取りペコリと礼をするドロシー。
「そろそろ自室に戻ります。宿題の手伝い、ありがとうございました」
「こういうときのために使うもんだろ。学年二位の頭脳ってのは」
あぐらをかいたままのクローディアはこめかみを叩く。
ドロシーも成績は悪くはないが、それでもクローディアのほうが努力家であった。
しかし、部屋を出る際、ドロシーはその言葉に静かに首を横に振った。
「少し話の意図がズレてますね」
ドアを開けつつ、フッとドロシーは微笑んだ。
「クローディア様。私はあなたと話す建前が欲しいんですよ。
勉強を教えてもらうのは女友達としてのささやかな口実。
あなたのこれからを、一番近くで見ていたいんです。
それでは、男装用のマジックアイテムの充填、忘れずに」
廊下に出て、自室に歩を進めるパジャマ姿のドロシー。彼女の足取りはせかせかと速かった。
「……クローディア様とアレックス様。まるで鏡のような関係性。今日と明日って、区切りはいつなんでしょうね?
これは今と明日のツンとデレ!
それにしても……、男装の令嬢が自分の残り二年半を特定の男子に全賭けですって……!?
自分が人生で最も大切にしている学生時代って自由時間を!?
収穫だわ……!
まったく、本当にクローディア様ったら素直じゃないんだから!
そんなの、そんなのもう……アレじゃない……!
こうしちゃいられないわ……日記にしたためないと……!!
グフフフ……! つくづく美味しい二人だわ……!」
彼女は一人ガッツポーズをした。
つづく。




