6話 視野 4
夜風を受けながらアレックスは慣れない都市部の上空を飛んでいた。
窓からは明かりが漏れ、街灯もあり、視界は悪くはない。
眼鏡屋の営業時間を気にするアレックスは後ろに座るクロードに尋ねる。
「もうやってないんじゃないか?」
「いや、絶対やってる! 終業時刻狙いの店が絶対ある!」
「そういうとこお前見てるんだな」
「家の家訓。書いてることより人を見ろ」
「それカフェで実践できてなかった」
「うるさいな! 黙って探せ!」
「俺は帰りたいんだよ」
「僕を送り届けなかったってミザリー先生に言うぞ?」
「くそ……ッ!」
普段ならそれでも帰ることを選択できたアレックスだが、今日ばかりはその言葉が効いた。
ミザリーからもらった本が彼をためらわせた。
「あった!」
後ろのクロードはその掛け声とともに、煌々と輝く店を指さし、渋々とアレックスはその指示に従って地面に降りた。
「急げ急げ! いつ閉まるかわからないぞ!」
足がつく高度で箒から飛び降りると、クロードはアレックスの手首を引いて無理やりにでも店舗に駆け込む。
「おいちょっと! バングルはずさせろ!」
クロードは聞いていなかった。
◆◆◆
この世界にも視力検査はあるらしく、アレックスは片目を隠して視力検査器の前で目を細めていた。
紅のつけ髪を編み込んだ店員は、指示棒を片手に、上下左右を向いたひし形の矢印が並ぶ視力検査器を指した。
「上」
違ったようだ。大きな矢印の方向に指示棒が向く。
「……左?」
もう一段階大きくなった。すでに最大。
「右」
流石にそれは見えたらしい。左右に移動する指示棒。
「左、下、上」
「はいお疲れ様でしたー」
差し出された書類は両目とも視力0.1。
「これで裸眼で生活してたんです?」
「問題ありますか?」
「いや、逆にすごいと思いますよ……。目が見えにくいとは感じたことは?」
「……これが普通だと思って生きてました」
そんな話をしていると──
「そぉい!」
──とアレックスの後ろから忍び寄ったクロードが鼻眼鏡をアレックスの虚を突いてかける。
「おい! 何だこれは!?」
「アッハッハッハ! お似合いだよアレックス!」
それは客寄せ用のジョークグッズとして売っていたものだった。
軒先でみつけて、値札がついたまま持ってきて、隙を見てアレックスにかけさせたわけだ。
店員も笑いをこらえていた。が、アレックスはプルプルと震え、鼻メガネを取ると──
「おまっ……!」
──かけられた眼鏡をクロードに投げつけようとして──
「それ1ルクスな」
──クロードの言葉に動きを止めざるを得なかった。弁償が脳裏をよぎったのだ。
握った眼鏡を下げて、言葉で対抗する。
「どうしてお前はそう……、空気を読まないんだよ……!」
そう、本来は今はまだアレックスは怒っている。触れるなというオーラを発している。
ところがクロードは天邪鬼にもそんな怒って触るなというオーラを発しているからこそ、くだらないことでからかいに来た。
左手を腰の後ろに置いて、右掌は肩口で天井に向け、肩をすくめるクロード。
「読んだうえでシカトしてる。だってつまんないじゃん怒りっぱなしって」
「一方的だから怒るんだろうが……!」
右手をアレックスに向けて制止するクロード。
「おっと、まだ理由はあと一つ」
「何だよ!?」
「関係悪化を長引かせたくないのさ」
「じゃあちょっかいかけてくんなよ!!」
語るに落ちるとはこのことだったが──
「おりゃ」
──今度は左手に隠し持っていたメガネを両手で広げ、アレックスにおもむろにかけた。
出来合いの黒いアンダーリムの長方形タイプ。切れ者感を強めつつ、上のリムがないことで眉毛や目の印象は変えないものだった。
「おっ……! こっちは似合うね!」
アレックスには、にっこり笑顔を向けるクロードが、はっきりと見えた。
邪気などない。天使かとすら思えた。
アレックスにとって、その視界の変化は劇的すぎた。
「店員さん、これ度合ってる?」
「あ、はい。ちょっと確認してみましょうか」
言って店員がアレックスのメガネを受け取り、確認し始める。
この世界ではレンズ加工技術はまだ高度なものだ。だからこそ、店頭に並んでいるサンプルにはすでに決められた度のレンズがはめ込まれており、あとから変更することはできなかった。靴のサイズと考え方は同じだ。
「あ、大丈夫ですね。先ほど測った度数と一致しています。ちょうどいい眼鏡ですよ」
「運命じゃないか!」
クロードは喜んだが──
「何が運命だ!」
──アレックスは怒鳴り返した。
「何かお気に召さない?」
「俺不在だろが!」
「それもそうか」
ふむ、と頷くと、クロードはアレックスの手を取り、サンプルの並んだ区画へと彼を無理やり引っ張っていった。
「君にもメガネを選ぶ権利がある!」
「買うかどうかも選ばせろよ!」
そんな二人の様子に、思わず眼鏡屋の店員も苦笑いを浮かべた。
◆◆◆
ひとしきり、姿見の前で色々な眼鏡を試す二人。
丸、四角、大きめ、小さめ、色付き、色なし、ハート型、星型……エトセトラ。
アレックスが大人しくその着せ替えに付き合っていたのは、視界の変化が彼にとって強烈な衝撃だったからだ。
(ぼやけてた世界が見える。窓辺の釘が見える。指紋がはっきり見える。模様の区切りが判別できる。遠くからでもブレてた像が一つになってる)
そして合わない度数の眼鏡をかけるたび、うっと呻く。
「きつい、歪んでる」
「あーこれだめか」
次々クロードは眼鏡を持ってくる。
「いつまでやるんだ?」
「君が気に入るまで」
少し考えると、アレックスはこう続けた。
「なら一番最初のが一番収まりは良かったな。軽かったし」
「鼻眼鏡とは……、いい趣味してるな……」
「おもちゃはノーカウントだろうが!」
「じゃあやっぱり運命を受け入れたわけだ!」
「お前なぁ!」
またしても吹き上がろうとしたアレックスに、クロードは唐突に問うた。
「……僕は迷惑かい?」
「突然何を──」
眼鏡越しのクロードは、やけに寂しそうだった。
その表情が見えたことが、アレックスを惑わせた。
(お前、そんな顔するなよ……、強く言えなくなるだろ)
クロードの言葉は続いた。
「こうやって、今を楽しんでるのは、君の主義に反すんだろ?」
アレックスはクロードの表情を見て揺れる心と、自分の主義を天秤に乗せて──
「……まぁ、迷惑、だよ……」
──自分の主義を取った。
「そっか……」
一瞬、寂しそうに目を伏せると、ぱっと次の瞬間切り替えるクロード。
「じゃあもっと邪魔しよう!」
「──このクソガキがぁッ!」
しんみりしたのがバカみたいだと、アレックスは怒鳴った。
◆◆◆
「あー面白かった」
言いながら、眼鏡屋を出るクロード。
先に外で箒を用意しているアレックスは、眼鏡も買わずに裸眼でじろりとクロードを睨んだ。
「遅かったじゃないか」
「トイレ借りてた」
「行くなら先に言えよ!」
「ハハハッ。どうだった? 自分の目が悪いと知って、眼鏡屋来てみて、かけてみて」
ズボンの両ポケットに手を突っ込み、玄関前の段を降りてアレックスの前に立つ。
「……悪くないとは思った。今は手が出ないけど、いつかは……」
それは本心からの言葉だった。
「素直でよろしい。いつかかけられるようになるといいな。で、もう夜でちょっと危険だと思うんで、乗せていってくれないか?」
笑いかけるクロード。裸眼のアレックスにはそれがはっきりとは見えなかった。
しばし地面に視線を落とすと、アレックスは「サーキット始動」と口を開いた。
「話したいことがある。乗れよ、上で話すから」
◆◆◆
上空でアレックスはポツポツと自分の家の状況を口にして、伝えていた。
「──てことでさ、大規模業者が俺らの売り上げを奪っていってる。一家レベルじゃ対抗できなくて、おまけに双子が生まれたんだ。男と女で1ペア。ロディとノーティっていって、すげーかわいいの。
だけど、このままだと潰れるしか道がない」
「……そうか。だから」
「そうだよ。道楽とか享楽とか堕落とか、そういう問題じゃないんだ。
平民の世界ってのは資本主義でな。強いやつに食われるのはあっという間だ。
差し迫る脅威なんだよ。それに対して俺は両親に次いで三人目の稼ぎ頭になりたいわけだ」
「さっさと言えよなそういうことは」
「ハッ……、全くだな。さっさと話をしとけばよかった」
箒の舵を取るアレックスは素直だった。
「だから1位ってだけで突っかかられると迷惑だった」
ん? と思うのはクロードだった。
しばし黙ると、ぴっと人差し指を向けて否定した。
「それ、多分周りが勝手に理由づけてる」
「は?」
ポリポリと頬を掻きながら、クロードは答えた。
「僕はちゃんと言ってたつもりだったんだけどな。“今を捨ててるからムカついてる”って。周り見てないから腹が立つって」
「は、ハハハ! なんだそりゃ!? お前の主義から見て俺がムカついたから!? 順位はどうでもいいって!?」
「まぁあとは、興味が湧いたわけだよ」
「興味?」
「外周部の学校の奴ってどんなんだろうなとか思って話しかけてみたら敵意満々だった。僕なにかしたっけ? と思っても心当たりないもんだからさ……。
勝手に恨まれてムッとして、一体どうしたんだとお前のことを追いかけてみると、1位をキープする代わりに周囲との関係を断っていたってわけだ。
で、見えちゃったんだな『学生生活をゴミ扱いしてる』ってね。
僕とは正反対。意地悪したくなっちゃうわけだ」
「……ああ、それは……、まぁ、俺も馬鹿だったってことだろう……」
「急に殊勝になったね?」
「お前の家のこともちょっと知ったし、ミザリー先生に説教もされたしな。別の人種じゃない。人間だったんだな……って」
にまっとクロードは笑った。
「ということは、今日の時間は無駄じゃなかった。認めたね?」
「……ムカつくなぁ!」
「ハハッ! おう、ムカつけ。そう思ってくれなきゃ、ちょっかいかけてた甲斐がない」
肩をぽんぽんとたたきながら笑うクロード。
チッと舌を鋭く鳴らすアレックス。そして彼は背中のクロードに尋ね返した。
「お前は、どうしてそんなに学生生活に拘る……?」
「僕の未来は決まってるから」
用意していたように、ノータイムで答えるクロード。
「貴族で、領主の息子で、勇者の家の一族だ。公務に明け暮れる日々が来る」
「……それでもやめないんだな?」
「カフェで説明したろ」
「……そうだったな」
情報はもう持っていた。クロードの覚悟も病室で聞いた。
(……こいつの未来は固定済み。今しかできない。なるほどね……)
そうして、ふよふよと夜風の舞う空を漂うように飛ぶと、箒の後ろのクロードはとある建物を指した。
「あれだよ。あの家の前におろして」
「……家って……」
街の明かりの中に浮かび上がる、窓に明かりがついた建物。
それはもはや施設とも言えるほど大きな豪邸であった。
自分とは縁遠いと、アレックスは思い知る。
ずきりと、胸の中に嫉妬の心が芽生えた。
「……ずいぶん豪邸だな」
「否定はしない」
「でも、お前のことだからデカいのには理由があるっていうんだろ?」
「まぁね。でも、今日はもう遅い。話す機会があったら教えてやるよ」
サラリと受け流され、アレックスは下唇を突き出した。箒の高度を下げて街路に近づくと、後ろのクロードはトンと飛び降りる。
「ご苦労」
「はぁ……、貴族様は偉そうだ」
「冗談だよ冗談。本気にするなよ」
微笑むクロードは、箒を降りたアレックスに近寄ると──
「右手出して」
──と指示を出した。
「?」
何をするんだと思っていると、クロードは右のズボンのポケットから白い眼鏡ケースを取り出した。
「これやるよ」
無造作に置かれるそれに、アレックスは目を丸くした。
重みがある。入っているのがわかる。カタカタと音を立てている。
クロードは説明を追加した。
「トイレは嘘。サイン書いてた」
「サインって……、おまえ!?」
アレックスは病院に行ったときにクロードが書いていたサインを思い出した。
努力義務の654の文字だ。
「こういうとき便利だね。信用ってやつだよ。分割払いで契約してきた」
「いくらした!?」
「75ルクス」
「そんな高価なものもらえるか! 返しにいけ!」
「今から? 手間だろ」
「それに、お前は未来が大事なんだろ? 家族のために金が大事なんだろ? ほら、開けてみろよ」
言われるまま、アレックスは開いてみる。
四角いアンダーリムの眼鏡だった。
「……もらえねぇって……」
「じれったいなぁ……!」
おもむろにケース内の眼鏡をひったくると、クロードはそれのツルを開き──
「動くなよ?」
──アレックスにかけさせた。
彼の視界に満面の笑みを浮かべたクロードが入ってくる。
「ほら、やっぱりよく似合う」
その一言に、アレックスの胸は高鳴った。
クロードは続けた。
「それは僕からお前への投資だよ。お前ならやれると、信じてやるよ」
「投資って……」
「“いつかと思ってた未来を今に持ってきてやった”んだ。“お前の明日に賭けてやる”。出世払いでいいよ」
笑いながらすれ違うクロードを、はっきりとした視野で追いかけるアレックス。
目頭が熱くなるのを、アレックスは感じていた。
クロードの背に声をかける。
「もし明日が来なかったら!?」
クロードはくるっとその場で反転し、眼鏡を掛けたアレックスに向けて、自分の眉間を指さしてこう告げた。
「“今、したことに後悔はない”よ。スッキリした顔になったな!」
へへっと笑うクロードは、続けた。
「それと、今まで邪魔して悪かった。頑張れよ」
言って、踵を返し、後ろ手に手を振りながら、門の奥へと向かうクロード。
その一言は、どこか別れの意味に聞こえて、アレックスの胸中はぐちゃぐちゃにかき乱された。
クロードが見えなくなったあたりで、ほうきの柄を握りしめたアレックスは小さく口を開いた。
「……なんだよそれ……。貴族ってなんだよ。じゃあなんだよ……!」
わなわなと、震える。
「あのとき、俺の家族を“貧乏人って笑った貴族は誰なんだよ!?”」
つづく。




