6話 視野 3
母子はまるでそっくりに見えた。髪を解いたクロードだ。色が違うだけ。母は金髪、息子は栗毛。肌の色は息子のほうが少し濃い。
それくらいの違いしか見いだせない。
ベッドの上に座り、背もたれに寄りかかる静かな彼女は、アレックスの方を見ようともせず、こう言葉を発した。
「……もう一人の吐息が聞こえるわ」
「ああ、友だちを連れてきたんだ。こっちだよ」
言いながら、母の手に触れ、アレックスの方へと手を掲げさせる。すると遅れて、クロードの母はアレックスの方に首を向けた。
アレックスはその目が定まっていないことを見逃さなかった。灰色の目は虚ろで、機能していないことが理解できた。
アレックスは息を呑んだ。
(盲目なんだ……!)
「あら、お友達? クロードがロバートやドロシーじゃない人を連れてくるのは珍しいわ。ご学友さん?」
ニコリと眩しい笑顔を向ける母親。
「ほらアレックス、自己紹介してくれ。母上は目が見えないから、ちゃんと声に出してくれないと不安に思う」
「あ、そうか……! えっと、俺はアレックス・ブラウンといいます。学校では、まぁいろいろと……」
(こういうことか!)
ここで、アレックスは先ほどのクロードのナンバーの話が自分にも回ってきたことを理解した。
不利な情報開示だ。言わなくてもいいかもしれない。しかし、言わないことで、クロードの母は自分を怖がるだろう。
自分の名前を言うことが人間性の証明になるということを実感したのだ。
「僕が世話になってる人だよ」
「あらあら! そうなの!? 学校では楽しくやってるみたいね!」
母は息子の言葉に喜ぶと、名乗った。
「私はオデットといいます。オデット・ウィルゲンシュタイン。よろしければ、こちらへ。顔を触らせてくれませんか? 覚えておきたいわ」
アレックスは言われるまま、ベッドの脇に立つと、しゃがみ込んで目を閉じ、顔を前に出した。
細い指が彼の顔を撫でるように這い回る。
「あら? あらあらあら……? あなた、男前ね……?」
その言葉にクロードは吹き出した。
「良かったな! 男前だってさ!」
バンバンとしゃがんだアレックスの肩を叩くクロード。
指を離したオデットを確認して、やっと目を開け、立ち上がるアレックス。
オデットはアレックスにベッドの上から尋ねた。
「えっと、ブラウン家でしたね? どこだったかしら……賢者の家の方かしら……」
「違う違う。母上、アレックスは平民だよ」
苦笑いしながらクロードは否定する。
「あら──」
オデットのその言葉にアレックスは身構えた。
また、見下されるのかと。
しかし、オデットは掛け布を脇へ寄せ、アレックスのいるであろう方向にちゃんと居住まいを正すと──
「いつもお世話になっております。
我々貴族は貴方様たちの生活があってこそ、生かされております。
心より感謝いたしております。
本当にありがとうございます」
──深々と頭を下げた。
「えっ……!? いや、俺、平民ですよ!?」
「謙遜しないでいただきたいのです。
平民とは、多くの人々が生まれ、働き、社会を作った結果生まれた概念なのです。
我々貴族はその上で、その公平さ、公正さを調整する役割に過ぎない。
社会の主体は貴方がたです。そんなあなた方を苦しめる法律を作る貴族は刺されても文句は言えないと、私は思っています」
「……そこまで!?」
「はい。我が家訓の【上の者は下なる者の如くあれ】。これは上下関係ではありません。
上流と下流の違いなのです。上流とは、流れる水を下に届ける前に、何を止め、何を通すか。その結果、下流に緩やかな水が流れ、三角州となり、豊かな生活を作る。
そういう自然の役割を社会的な役割に当てはめた言葉なのです」
「本気で……言っていますか? それ、支配権にもなりませんか?
流れをせき止めたらその生活の三角州は干上がりますよ!?」
「はい。ですが、それは上流が誤ったときの話です。
その際は反乱でも革命でもいかようにでも。その権利は平民にあります」
「……!?」
思考が固まったアレックスに、隣からクロードが口を開いた。
「覚悟の話だよ。ね、母上?」
固まったままのアレックスに、クロードは一つの法を示した。
「都合が悪くて、誰も言わないんだけど、実はね、国法で決まってるんだ。
【こいつは駄目だと判断された貴族は反乱と革命で淘汰されることを是とされている】。
腐った上流は三角州の住人に切られるのさ。
だから貴族ってのは、結構ヒリついてるのさ。
本当の意味で治世ってのはね、命がけなんだよ」
「殺されたら!?」
「両隣の領主が半分に割って管理する。シンプルだろ?
まぁその前にさすがに攻撃した側の正当性は問われるけど、国家会議で領主が悪かったと判断されればお咎めなしってこと」
「待て、それだと両隣の領主が欲しい土地の暗殺を企てるだろ!?」
「なんで? 順序がおかしいよ。
政治がグチャグチャでブチ切れて動乱を繰り広げてる領土の管理を頼まれるんだぞ?
血気盛んで貴族に信用を置いてない人間を、自分らで抱えなきゃいけないんだぞ?
それは治安悪化の感染だよ。負債の引き受けだ。なだめてなだめて、まず貴族って看板じゃなくて、『前の領主とはうちは違う』と個人を信じてもらわなきゃいけない。
ものすごい信用形成コストがかかる。
土地なんて増えなくていいんだよ。
どうせそれは国の管理下なんだから」
「エルフの森に勝手に入るな、か……」
この世界の慣用句であった。触らぬ神に祟りなし。
「そういうこと。隣の特産物が欲しけりゃ領主同士の貿易なり交渉なり手段がある。土地が増えたところで、目が届かなくなって、痛い目を見るだけさ。
ね? 母上」
「よくできました」
パチパチと拍手し、息子を褒める。
「貴族は恨まれ役でもある。それはそうよね、形の上では、何もしてないのに偉そうに見えるもの。お義父様も恨まれ、怒りの発散先になることも役目だと言っているわ。
こういう話になるといつも思うのは、貴族、平民って言い方が悪いのよね。
管理責任者と生産者のほうが近いのに」
オデットのその言葉と、クロードが語った理屈によって、アレックスはこの国の仕組みを少し学んだ。
封建社会ではあるが、自分が思っていたよりずっと合理的に組み立てられている。
領土を増やしても、領主個人の富が増えるわけではない。
それどころか、管理責任だけが増える構造なのだ。
もはや、この世界も戦国の世ではない時代だ。
人間種族は国家として一つにまとまっている。
しかし、その話を上に上にと適用すれば、その国王ですら治世のためにてんてこ舞いなのではないのか。
「……そうですね」
アレックスは、この話については最後にそれだけしか言えなかった。
ミザリーに語ったアレックスの主張は、間違っていなかった。
しかし今回の話によって、アレックスの頭の中で、社会構造の見取り図が組み直されていった。
平民:農業、工業、商業、技術開発などを通じて富を生産する。
貴族:社会の調整、行政、治安維持、再分配などを担当する。
勇者の家:政治的取引や税の再分配。治安維持を担う。
賢者の家:後世に向けて人間の育成や領民への奉仕活動。
国家:土地を管理し、各々の家の下からの意見を受け取り、バランスを取る。
だが、釈然としない部分が残った。
──アレックスが気にしていた敵はどこだ?
◆◆◆
日は完全に落ち、街路では制服を着て馬に乗る点灯夫が、街灯に自らの指先から魔法の火を投げ入れ、次々にランプライトをつけていく。
こちらの世界のランプライターよりも遥かに高効率であった。
病院の玄関口で、箒にバングルから伸びた紐を引っ掛けながら、アレックスはクロードに尋ねた。
「なんで病院に母親が? 目が見えないのはわかったけど……」
すると腰の後ろで手を組んで、足元の石を蹴りながらクロードは答えた。
「そもそも病弱なのさ。目も病気で視力を失ったらしいよ。僕の生まれる前、父上と付き合ってた頃だね」
「……見えてたのか……」
「僕の顔は見えない。魔法でも治らなかった。母上は、ずっとあの病室にいる」
はぁ、と大きくため息をつくクロード。
「想像してみてくれないか? もう15年以上、目は見えず、病室暮らし。そりゃ、調子がいいときは帰ってきたりもするけどさ……。僕は2年で参った」
「2年って……」
「ああ、こっちのこと」
クロードは、前世での記憶を思い出していた。彼女は何もこちらの世界に持ってきていない。しかし、それを口外する気もなかったのだ。
どうせ変な人に思われるから。
クロードは話を戻した。
「僕を産んだのだって、賭けだった」
「……賭け……」
「で、賭けに負けた」
「……負けた?」
クロードはハッとして口を押さえた。
彼に女性であることを知らせるのは家の危機だと考えたからだ。
なんとか理由を思いつき、口にする。
「あー……、そうだな、こんなクソガキが生まれたってことだよ」
「ハン、そういうことか」
鼻で笑うアレックス。ホッとするクロード。
「小遣いが少ないのだってそういうことだよ。病院代も上乗せで、家計で使えるお金は減って、毎月僕が自由に使えるのは5ルクス」
「……俺7.5ルクス」
「……どこが貧乏人だよ! 許せねぇ!」
「親にもらってるんじゃねぇよ! 四勤日に古本屋で働いてるんだ」
「あ、そうなんだ? 偉いじゃん」
クロードにするっと褒められて、アレックスはまたしても肩透かしを食らったようだった。
「……なんで、色々教えるんだ?」
「君が僕のことを知りたがっていたから。こんなこと初めてだ。で、僕からも質問。『うちの母上を見てもまだ、跡取りを増やすべきだ』とか言える?」
目を細めて、うつむくアレックス。
「……言えねぇよ……」
「でしょ? そういうことさ」
しばらく二人は黙っていた。夜空を見上げると、三日月。月にかかった輪も同じく影になって虫食いのように黒くなっていた。
「僕からも聞いても?」
今度はクロードの側から尋ねた。
「なんだ?」
「そんなに、勉強して何になりたい?」
「牧羊業者のエリート社員」
目が点になるクロード。
「なんだろう、凄ーくもったいないことを聞いたような……」
「じゃあどういうのがいいっていうんだよ!?」
「それはちょっと、今すぐには言えないけど、お前の能力でそれはもったいないぞ!?」
「能力なんてどうでもいい! 金がいるんだ! 家を支える金が!」
そう怒鳴ったアレックスには切羽詰まったものがあるとクロードは感じた。
「……じゃあ何だ? 勉強が好きなわけじゃないんだ? 金を生み出すための箔付けなのか?」
「半分はそうさ……。俺の人生なんてシンプルなもんだ。将来、金を稼いで世間を見返す。それだけだ!」
その言葉に、クロードは少しさびしそうに口を開いた。
「……もし、“明日が来なかったら?”」
その言葉に、アレックスはクロードを睨みつけた。
だが、クロードは至って真剣な顔で、ごまかしたりはしなかった。
「明日が来なかったら、そのエリート街道に乗っても金が手に入らないなら、お前の費やした人生は、どうなるんだ?」
その言葉に、アレックスは思わずクロードの襟元を掴み上げた。
だが、まだクロードは止まらない。
「今日、僕が家のことを話したり、ボッタクリのカフェで談笑したことは、お前には無意味だったのか? お前が聞いてきた話だって多いぞ? 未来のためか? 違うよな。“僕の話を聞いてきた”。お前には何の得もないはずだ」
「……ッ!」
言葉もなく、アレックスはクロードを突き飛ばす。
よろめきながらも持ち直すクロード。
「そう睨むなよ……」
「睨んでない……。価値観が違いすぎると思っただけだ……!」
怒鳴るアレックス。
「遊び呆けて、今日が終わって、明日が来たとき、お前は“していなかったことがあったと後悔しないのか”!?」
価値観が違いすぎるという言葉は核心を突いていた。
二人とも後悔への対策が先にある。なのに二人の価値観は逆だったからだ。
やれやれと、肩をすくめるクロード。
「睨んでるじゃないか」
「睨んでねぇっての! 答えろ!」
アレックスの命令をスルーし、クロードは眉間を指さす。
「本読むときは眉間にシワがないくせに」
「……!?」
「保健室で本読んでるお前を見上げてたときに気がついたんだ。本は嫌いじゃないんだろ?」
「嫌いとは言ってないからな! 遠くを見るときは目を細めるもんだろうが!」
その言葉には多くの示唆が含まれていた。
「……は?」
そしてクロードはその意味を正確に受け取ったらしかった。
腕を組み、手を顎に当てたクロードは、アレックスから少し離れると、振り返り、顔の横に手を掲げ、ハンドサインを見せる。
「いま指は何本見えてる?」
「二本!」
「バカ、四本だよ」
アレックスはピースサインと誤認した。一方、クロードは中指と薬指の間を開き、二グループの指の塊を作っていた。
近くに歩み寄ってくるクロードに不満をぶつけるアレックス。
「引っ掛けたな!?」
「確認なんだから必要だろ。眼鏡屋行くぞ。視力くらい測ってもらえ」
「……なんで?」
「お前のその視線が怒ってるのか怒ってないかで僕が受け取る情報が違うんだよ!」




