5話 埋め合わせ 3
ドロシーの座っていた椅子に腰掛けると、アレックスは保健室のドアの方に目を向けてつぶやいた。
「マール、ブチ切れてたな……」
彼だけは彼女の笑みの意味を理解していた。
つい最近、似たようなことがあった。テスト結果の日だ。
「……あのときも肝が冷えた、舌打ちして俺に矛先を集めないと暴れてたよなアイツ……」
マールは笑顔が眩しいが、喜怒哀楽すべてが笑顔になるタイプだ。
僅かな笑みの違いを、幼馴染だからこそ見抜けていたわけだ。
そしてドロシーのいた席に座り込んだ理由はそこが看護の最前線だからでもあった。
先生からもらった本をマールの居た丸椅子に置くと、ドロシーが絞っていた手ぬぐいを手に、絞る。
誰に言うでもなく思い出したことを口走る。
「……ロディやノーティのこと思い出すな。
風邪引いたときこうやって看病したもんだ。
毎度同じタイミングで風邪引くんだよなアイツラ。まぁいつも一緒だもんなぁ」
しみじみと感慨深く家族のことを思い出し、寝入ったクロードの額に手ぬぐいをのせようと、外ハネの栗毛の前髪を避けて──
「……」
──アレックスは顔を赤くした。
その端正な顔に見惚れたのだ。長いまつげ、白い肌、よく見れば薄い泣きぼくろ。
広いおでこ、小さな顎、大きな目の眼窩は目を閉じていてもよく分かる。
(すーーーーっげぇ美形……。こんなのアリかよ……)
ドロシーの言葉が脳裏に蘇った。言うのもわかると同意せざるを得なかった。
「おちつけ、男だぞ」
女子に強烈な信者がいるのもわかる。スースーという吐息。あまりにも無防備。
目に止まったのはクロードの耳たぶのピアス。
ピアスにはまった宝石は角度によってピンクにもエメラルドグリーンにも見えた。
アレキサンドライトに似た宝石だった。彼はその名前を知らない。
それを見て、貧乏人を自負してるアレックスは急激に立場の違いを思い知った。
(……宝石か……。俺に買えるようになるんだろうか?)
触れようとして、やめる。
自分の鼓動に言い聞かせ、彼は手ぬぐいをクロードの額に乗せて、余計なことをしないうちに、アレックスは持ってきた本に手をかけた。
足を組み、左手で本の背を押さえて、右手でぱらりとページを捲る。
メモ書きはミザリーの筆跡で、それがもともと他人のもので、自分は託されたのだとはからずも自覚する。
ミザリーの言葉を思い出す。
「……そうだよな。どこでもできるよな、本を読むなんて。ロディとノーティを看病しながらでも、読んでたじゃんか、な……」
しばらく本を読み進め、その内容に感動しながらも、忘れずクロードの方にも目を向ける。
ふと、彼の中に親切心が芽生えた。
(……そうだな、寝苦しいかな?)
アレックスは本を一旦閉じて、隣の丸椅子に置き、ベッドに手をついて、寝てるクロードのネクタイに手を伸ばした。
緩めて、第一ボタンを外した瞬間──
「ううん……」
──とクロードが呻くと、アレックスは固まる。
(……だからなんでそんなにお前色っぽいんだよ!)
クロードが小さく息を吐くと、みずみずしい唇がアレックスの視界に入った。
なんならキスの射程距離。アレックスはそれを意識して、慌てて椅子に座り直し、ミザリーからもらった本を開いた。
逃れるように本の世界に意識を集中するアレックス。
(くそ、中性的な顔は認めてやるよ……。嫌いな奴でも顔がいいものは顔がいい……!)
その不都合な事実がまた彼をかき乱した。
その宝石の嵌ったピアスがもたらす認知操作がなくては、アレックスは一体どうなっていたのだろうか?
◆◆◆
夕焼けの中、クロードは視界に白い天井を入れた。
(……いつも見てた天井だ。あれ? じゃあ、魔法も、学校生活も、神様も、生まれ直しも、全部、夢?)
それは彼女を恐れさせた。
(そうか……、そうだよね。僕は貴族でもないし、まだ僕は癌で、病室の外じゃ深刻そうなお母さんとお父さんの声が──)
──しなかった。よく見ると、長細いLED照明もなく、吊り下げられているのは燭台で、ベッドは木造り。
そして視界を巡らせるとクロードの目にはベッド脇で真剣な顔をしながら本をめくるアレックスが居た。
(……アレックスいるじゃん。よかったぁ~~……)
心底、クロードは胸を撫で下ろした。
そして、ベッドに寝たまま見上げるアレックスは不機嫌そうではなく、印象が違った。
(……あれ? こいつ、目を細めてない。眉間に皺もない。不機嫌そうでもない。いつもと違う……、ていうか──)
機嫌が悪そうな顔ばかり見ていたことが、クロードから見たアレックスの認知も歪めていた。
しかも、彼女は新たなことに気がつく。
(──よく見るとこいつ、結構整った顔してるな。はっきりした眉毛してるや。
それに……、きれいな、金の瞳だな……)
そう、いつも敵意を向けられる瞳は、本に向けられたとき、やけに輝いていた。
彼女の観察は続いた。
(ジャギーの入った七三分けか……。くせ毛でそうなってる? 僕と一緒じゃん。
刈り上げてるとこもオシャレじゃん。でも意識してないんだろ?
おしゃれ番長じゃん。……こいつ原石だ)
そして、クロードはすこし気恥ずかしくなった。
(……何が一年の付き合いだ。こいつのこと全然知らないじゃん、僕)
そんなことをベッドの上で考えている最中、アレックスはクロードが目を覚ました事に気がついた。
「起きたか。違和感はないか? バタンって倒れたからな」
それを言われて、クロードはさっと顔を青くした。蛙に全身を這われる幻影を思い出したのだ。
「か、蛙やだ! やだぁーッ!!」
今にも泣き出しそうな様子を見て、アレックスも思うところはあった。
「そんなに嫌なんだな……あんなに可愛いのに……」
「目がキモい! ヌメヌメしてる! めっちゃ跳ねる! 舌が下顎についてる! 子どもがオタマジャクシで、足が生えるとか意味わかんない! 怖い!」
「具体的だな……」
「敵だもん!」
「ええ……かわいいだろ……」
「タコもナマズも蛙もカタツムリも大嫌い!」
「スライムだめじゃん」
「大嫌い!」
この世界では半透明な単為生殖の陸上生ウミウシがスライムと呼ばれていた。
丸っこく、温厚な生態で、草食性。
外見はプルプルのゼラチン質で、でっぷりとした体格で、触覚を含むとデフォルメした猫のアイコンにも見え、ズリズリと地上を這い、キューと鳴き、マスコットとして子どもに人気はあるが農家には天敵だ。
焼くと貝に似た味として食材としても親しまれていた。
それはそうとして、アレックスは今の一瞬で大量にクロードの苦手なものの情報を仕入れることとなった。
「ああ、そうかい。それくらいはっきり物言えるなら平気だな。ネクタイ直しとけよ」
「……へ?」
その言葉に、クロードはやけに首周りがスースーすることに気がつく。
視界外。手で首元に触れると、第一ボタンも外れていた。
「──ッきゃぁあああああああああああああああああああああ──ッッッ!?」
「ど、どうした?」
驚いたのはアレックス。ベッドに乗り出し顔を突き出す。
顔も真っ青なまま女性らしい悲鳴がクロードの口から出たかと思うと、次の瞬間──
べバチーンッ!!
「──ぶべらっ!?」
クロードのフルスイングで腰の入った右平手が乗り出したアレックスの左頬を捉えた。
体術の習い事で鍛えてるだけあり、その威力は高く、アレックスは保健室の床に突っ伏する。
ベッドの上に仁王立ちになり、第一ボタンを留め直し、胸を叩き、ズボンのバックルを確認するクロードは顔も真っ赤なまま怒鳴った。
「お前……! 僕が気絶してるときに何しようとしてた!? そんなやつだとは思わなかったよ!!」
「お、男にそんな事するわけ無いだろ……」
アレックスは口ではそう言うが、危うかったことは心の中にしまい込んだ。




