3話 虚勢 4
並んだ洗い場の一角でワシャワシャと栗毛を洗うクローディア。
その背中側で、彼女の見えない部分をドロシーが担当して洗っていた。
「流すよ?」
クローディアが声をかけるとドロシーは頷いた。
「はい」
クローディアが蛇口をひねると、お湯が出て、白い泡を洗い流していく。
熱い水雫を感じながら、ンフフフフと、不敵に笑うクローディア。
それにちょっとドロシーは引いた。
「いかがされました? 気持ち悪い」
「気持ち悪いは余計だなぁ!
いや、ダム修理しとかないと、この水も出ないんだよなーって思っただけだよ。
お父様の判断は正しかった」
「ああ、なるほど、誇らしく思ってたのですね?」
「そう。【いいものを買って、長く使え】。お祖父様もよく言ってる。
家の外でもそうなんだなってなんだか感慨深くてね。
この屋敷だって、もう何代目からあるんだろうね?」
「見栄を張ることと、浪費することを明確に区別せよ。お館様はそう言っておりますね」
「そういうこと。僕らは先祖代々受け継いだものを、継ぎ足し継ぎ足し使う運命なのさ。
食器が銀なのも、噴水が数世代前のものなのも。
僕らは保守点検がお仕事。規模はデカいし報酬はしょうもない。実際に買ってるものは消耗品のほうが全然多い。
時代が下れば、同じものがもう作られなくなって、歴史的価値やプレミアまで付いてくる。だから今となっては高価なものに見えるだけでさ。
でもなんだか、誇らしくなっちゃうわけだよ。
うちの人、そんな保守点検を続けてて、投げ出さなくて、偉いなって
自分もそんな一人なんだよなって」
そう、少なくとも四代前にはこの屋敷はあったのだ。
よく見れば白い壁にはヒビが入っており、そこを継いだあとも見える。
ロバートが乗り回した馬車も、だましだまし数代またいで使っている。
この風呂もそうだ。住み込みのメイドや従者たちの福利厚生のための施設であり、貴族であるクローディアたちが自らの湯船を持たず、共有しているに過ぎないのだ。
一人二人が入るなら巨大な浴場など必要ないのだから。
髪の泡を洗い流し、トリートメントを塗り込むと、彼女たちは湯船に浸かった。
はぁ~と一息。沸かし直した湯が寝不足の体に染みた。
クローディアの長い髪が透明な水面に揺蕩う。その様子を見て、隣のドロシーが尋ねた。
「私のより長くないですか? よく邪魔になりませんね?」
「邪魔だよ。それに重い」
パシャっと音を立てて、自らの長い栗毛の髪をくるくると人差し指に巻き付けて遊ぶクローディア。
「切っては?」
「やーだよ。僕の一部だ。でもちょっと毛先がカールしちゃうのが気に入らないね。ドロシーの天然ストレートが羨ましいよ」
「私はその栗毛と天然カールが魅力的で羨ましいと思ってます。シャープな印象でかっこいいと思いますよ」
「そりゃ良かった。僕もドロシーも、所詮ないものねだりか」
「……もう直りませんね、その僕口調」
「直せますわよヲホホホホ」
「冗談じゃなくてですよ」
「うんまぁ、無理すればって感じかな。母上の口調真似するとかはできるし」
「それが私には呪いに思えるときがあります」
「君が敬語をやめられないのと一緒だよ。いいんだ。僕の自然な自分のことを指す言葉は、【僕】さ」
「お祖父様とのことは……」
「半分は僕も承諾済みだもの。気にしてないよ。
勇者家で一番先に生まれたのが女ってのがお祖父様には危惧する内容になっちゃっただけさ」
そうしてクローディアはどうして男装をする事になったのかを振り返った。
「お祖父様は、僕が女であることが僕の将来を不幸にすると考えてた。
勇者家ってのはなんていうか、めんどくさいよね。
男性なら跡継ぎ、女性なら送り出し。次男なら予備候補。それが慣例。
だれが伝統とか言い出したのか知らないけど、お祖父様の頃にはもうあって、多くの家がそうしてる。
で、お祖父様は三兄弟で、息子は二人。全員男だ。だから考えたこともなかったんだろう。
長女って存在を」
「そうですね、誰が言い出したんでしょうね」
「だよね。
で、問題は僕らが領主の家柄で、勇者の一族としても有力だったことなんだ。
領民からの目ってのは必ず期待に満ち溢れる。だからお祖父様は虚勢って言葉を臆面もなく使う。
リーダーはついてくるものに不安を見せるなってこと。
でも、それがお祖父様に恐怖を与えてもいる。
もし、貴族に男の跡継ぎが生まれなかったら、この領地はどうなってしまうんだろうか?
そういう領民の不安が大きくなると、僕らの家から信頼が剥がれる。信頼が剥がれたら領民は逃げるかもしれない。
そうなったとき、人間の母数は減り、税金は集まらなくなり、いずれ領地の整備は追いつかなくなる……。
そう、僕らは本質的に無一文だ。長女一人っ子であることはそれを加速しかねない。お祖父様は優しいよ」
「優しいでしょうか……」
「そうさ。僕の将来を危惧しての采配だ」
「子はどうするんですか?」
「さぁ? その時になってから考えよう」
「……そういうところなんですよ。
それに女の後継者が生まれたら、本当に領民が逃げるのかは、まだ証明されていないのでは?」
「で、未確定の状況は信用できるのかい? 病弱な母上に負担をかけられるかな? ……僕は嫌だな」
その言葉に、ドロシーは目を細めた。
「そう、ですよね……」
社交界に母が来なかった本当の理由はそれだった。
クローディアの母は病弱だったのだ。世継ぎが増えないのもそういうことだ。
フレデリックはクローディアの母を愛している。祖父も娘のように受け入れている。
そして、そんな母に負担をかけたくないと考えているのはクローディア本人も、父も、祖父もだった。
「そういうこと。
ちょっとしたことで体調崩しちゃうんだから、兄弟増やせは難しい。
でも、僕も保険はかけてる」
「保険ですか?」
「僕の自認はれっきとした女だし、可愛いドレスも着たいしアクセサリーも身に着けたい。化粧だってしたいわけだ。
だから髪は切らない。いつかできるかもしれない可愛い髪型のためにね」
「かもしれない……っていうのが、なんとも不憫に思えるんです」
「未来のことはわからないよ。それに僕の人生はもう、右肩上がりだ。それに、今更だよ」
「今更ですか」
「実は次期領主が女でしたって、領民に対して嘘付いてるだろ?
ここまで来ちゃった以上、大手を振って『やめます!』は僕にはできないかな」
(それが呪いだって言ってるんですよ……)
──と、ドロシーは内心つぶやいた。
◆◆◆
髪をしっかり拭き、温風を当てて乾かして、ドロシーと自室の前で別れると、クローディアは握っていたマジックアイテムを自室の祭壇に置き、ばふっとベッドに仰向けに横たわった。
「ふぁ……」
伸びをし、大きなあくび。見える小悪魔的な八重歯。やっと寝れるという安堵。
そうして、彼女は胸の前で指を組んで、目を閉じた。
「……今日も一日頑張って生きましたよ神様。
前の人生は十歳で終わったけど、今世では僕もう十五歳。おまけに【男で生きていけ】なんて、面白い家に生まれました。
もう一人称僕も慣れたもので、今更、私というのも、ちょっと公務を思い出して嫌というのもあります。
母上は身体が弱くて、家業は大変で、自由は少なくて、将来は決まってて、でも、みんな温かくて、お祖父様の言葉を借りるなら、【無一文なら僕の人生右肩上がり】ですよね?
……あなたがくれた甘くてしょっぱい二度目の人生、僕は楽しんでます」
組んだ手を解き、ベッドの上から視線を窓の外へ。
輪のある月のその前を星鯨が通る。
「変な世界。月に土星みたいな輪がかかってて、空にエイが飛んでる。
でも縁起物だ。一勤日にアレックスに自慢してやろ」
穏やかにそうつぶやき、微笑んだ直後、彼女からはすぴーと寝息が聞こえた。
そして次に目を覚ますのは休日の夕方で、絶望に声を上げることを彼女はまだ知る由もない。
◆◆◆
一方、ドロシーは自室に戻ると、備えた燭台のろうそくに指先から火を移し、日課の日記をつけ始めた。
『本日のクローディア様は寝不足にも負けず、乗馬、学校、社交界をこなした。
彼女の根性は相変わらず尊敬に値する。同時に──』
ドロシーは最後に毒を書き足した。
『──彼女は相変わらず素直じゃない』
つづく。




